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多分、手を握ってもらっている間もまだ少し震えていたと思う。それを悟った2人は結局握った手を離す事無く世間話に移行していた。変な人達だ。

「やっぱ箱学って設備すげーの?」
「うん、やっぱ予算の額がちゃうよ。私が入ってからは予算調整にも口出しとるけど、動く額はデカイな」
「羨ましいな。総北も少なくは無いけど……聞いてるよ、なんでも専属の栄養士とかが就いたって?」
「私の知り合いやからちょっと安くしてもらっとるんやけどね。部活外の時間まで部活の些事に使わなあかんって割に合わへんし、不適切な事しかねんし、強い選手が辞めざるを得ん状況になるかもしれんやろ。そもそも、部費高いのにプールしてる金額が多すぎたからね。金はきちんと使える場所に使うべきやと思うんよね」
「全くだ」

シキバも青八木もその辺り疎いんだと手嶋くんは笑う。 手の温もりは未だそのままで、繋がれた部分が冷たさを感じることはなくなっていた。青八木さんも、無言ながら話に頷いたり、時々スマホを見たりしているものの手が離れる様子はない。私よりひとまわり大きい二つの手は震えの止まった私の手を包み込むようにして握り、なんだか守られているようだ。どうにも思考が浮ついていることを自覚して、自嘲する。

「あ」
「えっ?」

カメラのシャッター音がすぐそばから聞こえた。何かと思えば、青八木さんが特になんでもない場所を撮影していて、驚いた表情を向けているとスマホの画面が目の前に差し出される。見れば今日集まるメンツのグループで、シキバくんが『ついた!どこ?』と送ってきていた。
先ほどの写真を送付した青八木さんは「これで多分わかるだろ」とだけ言ってスマホをポケットに仕舞い込んだ。自分のスマホで改めてトーク画面を見れば、送られた写真にはどの改札口にいるかがはっきり写っていた。なるほど、合理的だ。次から私もそうやって現在地を伝えてみようかな。

「遠くからでも目立つなー、シキバ」
「うわ、ほんまや」

人混みをかき分ける事なく頭を飛び出させて私たちを探すシキバくんは傍目から見たらかなり浮いて見える。向こうからすれば私たちはまだ見つけられないらしく、人のつむじを眺めるようにして私たちを探していた。
学校では当たり前の光景で忘れていたが、やっぱりシキバくんはとてもタッパがある。 道行く人の誰よりも頭ひとつ分大きい。すれ違う人々もそれに気が付いているらしく、物珍しそうに彼を見上げている。

「シキバぁ!ここ、ここ」
「純ちゃん!それに二人も!ごめんね、遅くな……えっ!なにそれ?」

こちらに気がついたシキバくんは、謝罪の言葉とともにこちらに近づく。おそらく、人並みをかき分けている間に私たちが手を繋いで待っていることに気が付いたのだろう。垂れた目を丸くしてそう言った。

「ほら、行くでシキバくん!話はそれからや!そろそろ寒いわ」
「あ、う、うん」



「箱学やっぱ頭いいなー!」
「俺たちばかり教えられているような気がするんだが、大丈夫か」

最初に入ったファミリーレストランから場所を変え、少し騒がしいカラオケでノートを広げた。50分ごとに設けた区切りで10分休憩を取る学校のような形式で勉強を進める。結局のところ、この方法が一番合理的なのだ。
見知らぬアーティストたちの宣伝音声は極力切って問題に向かっていたために張り詰めていた空気がタイマーの音で一気に弛緩する。

「教えとると復習にもなるし、自分の分からんとこが浮き彫りになるからむしろありがたいわ」
「うん、オレもかなりタメになってるよ。説明って難しいなあ」

「ねー」と二人で顔を見合わせて笑うと、総北の二人は柔らかく笑って「そっか」と言った。最初の方はあまり喋らない印象だった青八木さんも、勉強となると口を開かなければ元も子もないからなのか、声を聞く頻度も高くなった。
しかし、フリータイムでおさえたカラオケといえど、そろそろお開きにしなければ。室内に窓は一枚もないけれど、スマホが示す時刻はとっくに夜を告げていた。

「次のんが最後でもいーかな。私そろそろ帰らな」
「あ、もうそんな時間?オレ送ってくよ」
「ん、いつもありがとーな」

そう言うと総北の2人はなるほど、という表情をした。そんなに分かりやすくてよく参謀が務まったな。と思うが、それだけ気を抜いてくれているのだろう。
タイマーを10分セットして、持っていたシャープペンシルを転がす。自分が出した消しかすを一箇所にまとめ、ゴミ箱に放り込んで手についた残りカスを払って三人を振り返る。

「ちゃうで」
「えっ?」
「今、"あ〜なるほどそこ付き合ってんのやなフーン"みたいな顔したやろ。ちゃうから」

そう言うと2人は少し目を丸くして「よく分かったな」と言った。何なら隣のシキバくんまで同じ顔をしていて、思わず「なんでシキバくんまでそんな顔しとんねん」とツッコミを入れた。

「私お茶いでくる。ついでに注いでくんのあれば貰うけど」
「あ、俺あったかいの欲しいから一緒に行くよ」
「オッケー、行こ行こ」

カラオケ特有の少し重い扉を体を使って押し開けると、他の部屋からの音や有線の音が一層耳を刺す。こういったざわついた場所での勉強は案外捗るもので、用意していたテキストもかなりのペースで済ませている。時折みんなで膝を突き合わせて問題に向き合うのも、丁度良い気分転換となって心地が良い。
なんだかんだとこちらを気遣っている彼らも勉強が苦手という訳でもないらしく、トリッキーな応用問題などでは頭をかかえる場面もあるようだが、基礎がしっかり出来ているから言うほど何かを教えるということも実はしていない。今隣にいる手嶋さんなんかは特に、目指す大学が同じだけあって勉強のレベルはそう変わらないのではないだろうか。

空になったグラスの表面は水滴が浮いている。ずっと冷たいものを飲んでいて体も冷えてきたし私も次の飲み物は暖かいものにしようかな。

「名字さん、何学部受けるんだっけ。文転するんだっけ」
「経済学部のつもり。手嶋さんは?」
「俺は理学部だな」

他愛ない話をしながらジュースサーバーの前に立つ。先にシキバくんに頼まれていたオレンジジュースと注いで、ホットのサーバーを眺めて少しだけ考える。ココア、アメリカン、カフェモカ……。手嶋さんは紅茶にしたらしい。ティーパックの揺れるカップを一度カウンターに置いて、青八木さんに頼まれていたらしい(いつの間に意思疎通をしていたのだろうか)水を注いでいる。

「二人とも受かったら学年の必修授業とかで会うかもしれへんね」
「かもなー。俺が一人だったら一緒に受けてくれる?」
「ええけど、手嶋さん人たらしな感じするし、話しかけるの躊躇うくらい人に囲まれてたらどうしよっかな」
「人たらしって」

結局アメリカンコーヒーをカップに注いでシキバくんのコップと一緒に持つ。こぼさないように水面を見ているからお互いが顔を合わせながら喋ってはいないけれど、かなり心地よく会話が出来ている。やっぱり手嶋さんは人たらしだと思う。会話のテンポ、喋るバランス、それから喋る内容、全部が計算なのか天然なのかは分からないがこちらを慮ったもののようにすら思う。
今日だって、手を握ってくれたのは手嶋さんの観察眼があってこそだったのだろう。それに加えて青八木さんの察知能力か。二人は自転車の上でも良いコンビだったのだろうと窺いしれるくらいのコンビネーションだった。
それに、何かを聞かれるのだろうとタカを括っていた。今までだったら「女の子があんな口答えしたら危ないだろ」とか、「ああいった輩がいるなんて想像もしていなかった。頻繁にああいった目に遭うのか」とか、挙げ句の果てには「モテてるね」と言われたし、その度に私は窘めていた。「嫌なことをされて口答えを出来ない世の中って一体なんなんだろうか」「被害に遭った直後にそういったことを聞くのは無神経なのではないか」「加害とモテの区別をしろ」と。
彼らは意識してかしまいか、私のことを考えて言葉を選んでいた。私はそれがとても嬉しかったのだ。

「でも、俺がもし誰に囲まれてようが話しかけてくれよ。大歓迎だからさ」
「囲まれる可能性を否定せんあたりね」




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