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受験は思い通りに進行した。模試の結果も良かったし、当日もあまり緊張も無く自然体で挑むことが出来た。センター試験の自己採点結果は上々。大学入試もそこまでヘマはしていないはずだ。
ところで驚くことに、試験のために向かう電車でユキと出会った。話を聞くと再び驚くことに、洋南を受験するという。今までそんなこと一言も話さなかったじゃ無いかと言うと、荒北さんを追いかけてるみたいで恥ずかしく言い出せなかったと、照れ臭そうに返ってきた。前に私が荒北先輩から譲り受けた赤本を注視していたのはそういうことだったのか。早くに言ってくれれば赤本の貸し借りだって出来ただろうに。
その後もたくさんの直前模試、試験、学内の期末テスト、合格発表と目まぐるしく日々は過ぎ去り、肌で感じる気温もだんだんと暖かくなってきていた。
「泣くかと思っとったわ」
両手に花束を持ったアブくんはいつものように引き締まった表情を少し崩して朗らかに笑い、泣きそうだったかも。と答えた。しかしその目には涙はなく、なんだか晴れやかな表情だ。
「むしろお前が泣くとは思ってなかった。葦木場はまあ、置いとくとして」
同じように花束を肩に担いでいるユキが意地の悪い笑みを浮かべる。後輩の子達や同級生の子達に奪われていったのか、彼のブレザーにはボタンがついておらず、挙げ句の果てにはネクタイすらも無い。アブくんもネクタイをしていなかったが、そのネクタイは銅橋に渡った。彼にネクタイを渡すとは意外だなと思いはしたが、そういえば無くしただか、破損しただかで困っていたような気もする。それを聞いた時にはネクタイが壊れることなんてあるのかと驚いたような覚えがある。
かくいう私は特に誰にボタンを譲るでも、ネクタイやリボンを譲るでもなく今に至っている。真波や、別なクラスの女子や見知らぬ後輩にねだられたこともあったが、制服を綺麗に保存しておきたくて丁重に断った。転校生で、みんなと比べて一年と少しの間着る期間の少なかった制服だったが、それなりにこの青色に愛着があったし、これが着れなくなることに寂しさがあった。京都伏見の制服の時も多少思ったものだが、やはりスカートもズボンも選ぶ権利を勝ち取ったこの制服たちは大切にしたかった。
「うるさー!ええやろ泣いたって」
「後輩の面々が目をまあるくしていたよ。名前にも卒業を惜しむような心があったのかって」
「え?それ悪口やん。……まあええわ聞かんかったことにしたろ。それよりシキバくんは?」
「ああ、あいつなら悠人に呼び出されてたよ」
告白かな?と言うと、少しだけ考えてから多分違う。と返された。確かに違ったらしく、戻ってきた悠人は泣いていて、シキバくんは晴れやかな笑顔をたたえていた。
そういえば、入部当初の問題行動で目の敵にされていた悠人を今のようにしたのはシキバくんなのだと悠人が言っていた。詳しくは聞かなかったが、アブくんにとっての新開先輩やユキにとっての荒北先輩のように、悠人にとってのシキバくんは大きな存在だったのだろう。
「シキバくんおかえり。悠人泣かすな」
「ええ!?戻って第一声がそれえ?」
「そうだぞ葦木場、後輩を泣かせるな」
「その通りだ葦木場」
「そ、そんなあ!ごめんな、悠人」
「謝んないでください」
落ち続ける涙を拭って、鼻声で返す悠人はじっとりと私たちを睨んでいるが、それも強がりなんだろうと感じさせる可愛らしいものだ。悠人は何かを言おうとして口を閉じ、私をまっすぐに見た。シキバくんと並ぶと小さく見えるが、悠人はまっすぐ向かい合うと私よりも頭一つ分弱背が高い。こちらを見つめる瞳が揺れて、また涙がひとつ溢れた。
「名字さん」
「うん?はい」
「握手してください」
「えぇ?……はは、なんや、ええよ。握手くらい。ハグも付けたろか?」
「じゃあそれも」
そう言って悠人は差し出した私の手を強く握りしめたあと、その手を引いて私をゆるく抱きしめた。私の肩口にうずめるようにした悠人が、涙で肩が湿っちゃうかも。と笑った。返事の代わりに彼の背中に手を回して強く抱きしめると、彼は一瞬それに身を任せて私から離れる。手を再び握手の形にして、お互い感謝を告げた。
「名字さんが覚えてるか分かんないんですけど、入部する前から名字さんだけは信用してたんです」
「そうなん?……そういえば、誰かさんも悠人はウチに懐いとるみたいなこと言うてたな」
「なんでだと思います?」
「えー?わからん。私がマネージャーやからとか、物腰やらかいからとか、そういうこと?」
「違いますよ。ていうか、別に物腰も柔らかくないですし」
未だ吹かぬ春風のようにゆるく笑って言う悠人を見て、私は一体彼に何をしでかしたのか思い返す。しかし何かを思い出すことはなく、新開先輩経由で何かあったのだろうかと思い至る。
しかし彼は私のその言葉を聞いて、また否と言った。
「俺、入部する前何度か部室のあたりをうろうろしてたんですよ。入るつもりではあったんですけど、やっぱり何言われるか怖くて」
◯
俺その日はいよいよちゃんと入ろうって思って部室に行ったんです。そしたら何かを準備してたっぽい名字さんと秋田さん、宮川さんが居て。
で、俺何となく今部室入るのは気まずいかもと思って三人の会話聞いてたんですよ。その会話、覚えてませんか?ああその顔、覚えてなさそうですね。
内容?うろ覚えですけど……
「新開先輩の弟が入部するっていうの聞いたか?」
「あー、なんか入学式ン時聞いたわ。ユートくん?やっけ」
「ああ、俺んとこでもアイツ自転車やるんだろ?って話になった。強いんだろうなー!アイツもスプリンターなのかな」
「流石に期待度高いよな!!」
って。思い出してきました?うわ、全然ピンと来てない顔……。そんなに印象ありませんか?俺。その会話聞いて、今日入部するのは面倒なことになりそうだから止めようと思って帰りかけたんですよ。名字さんの言葉があったから踏みとどまったんですけどね。
「流石にてどういうこと?」
本当に疑問って感じで返す名字さんにびっくりしちゃって足止まったんですよ。逆に一瞬俺に期待しないなんて何事だとすら思いました。今思えば支離滅裂なんですけど。
「だって、新開先輩の弟だぜ?で、その新開先輩のいた自転車部の名門で進学校のウチに入学、しかもこの部活なんてったら、そこそこ自信ねえとなあ」
「ええ?別にそうとは限らんくない?実際自信あるかは知らんけどさあ……。強かったとしてもあんま新開先輩と同一視しすぎん方がええんちゃう?その子『新開隼人の弟』やなくて『新開ユート』なんやって、ちゃんと分かっとかんと」
美化しすぎって?いやいや、本当にこういうこと言ってたんですって。覚えてないかもしれませんけど!俺はしっかり覚えてるんです。毎晩反芻してたんですから。……あ!えっと、今のは忘れてください。
「だからってなあ、やっぱ親族だったら影響しあうもんだろ。俺らの知らねえトレーニング法だって知ってるかもだし」
「そうそう、トレーニング一緒にやったりしてんだろうな。いいなー、俺も新開さんと一緒にトレーニングしてえ」
「そうかもしれんけど、そうちゃうかもしれんやろ!家庭のことなんか特に、邪推したらいつかえらい目見るかもしれへんよ」
「出ったよめんどくせー委員長気質」
「いやマジで、優しさやでこれも」
「脅すなよ、ただの世間話だろ」
「自分らはいっぺん痛い目見た方がええかもわからんね」
◯
一区切り話終わった悠人はため息をひとつつく。涙はとっくに止まっていて、頬に跡だけを残していた。
「やるじゃん名前」
「そうかも」
「まあ結局その後別の先輩に写真撮られかけて、あの騒ぎだったわけなんですけど」
「偉そなこと言うてなーんも防止出来てへんやん私」
結局起こってしまったあの騒ぎを思い返す。そういえばあの日私は秋田、宮川にドリンク作りを手伝ってもらっていて、重くなったボトルを確認しながら世間話をしていた気がする。詳しい内容は全く覚えていなかったけれど、悠人が言うにはそういう会話をしていたらしい。何故特別この会話が頭に残っていないかといえば、別の部員と話した時にも似たような話題が頻繁に上がったからだ。あの時写真を撮ろうとした部員とも話をしていたような気がする。やはり私は口だけではないか。
「でも俺、あれ聞いてこの部でも最悪、名字さんが居ればなんとかなりそうって思ったんですよね。こんな思慮深い人が一人居るんだったら俺はその人とばっかり話してればいいやって」
「思慮深くはないでウチ……」
「で、オレがそんな態度してる悠人に声かけたんだよね。ムカついちゃって」
はは、と笑うシキバくんは悪びれた様子が一切無い。彼はのほほんとした性格と、言動から漏れる天然っぷりから時折忘れるが、身長2m越えのクライマーだ。そんな彼にムカつかれるというのはどれほどの圧があることか、想像もつかない。シキバくんはあまり大声を出して怒るとかそういったタイプではないから、きっと諭すように悠人に説教をしたのだろう。怒られるのが苦手な彼はきっと怒るのも苦手だろうに。
「だから、ありがとうございます。卒業して、お二人が一気に居なくなっちゃうの寂しいです」
悠人が本当に寂しそうにそう言うものだから、視界がジワリと溶けて鼻の奥がツンとする。私が卒業して寂しがってくれる人が居るんだとようやく理解したような心持ちだ。流れる涙をそのままにして、もう一度悠人に感謝を告げる。人に惜しまれつつする卒業はこんなにも嬉しく、寂しいものなのか。
また泣いてる。と笑うユキの肩を軽く叩いてから悠人に向き合う。気合いで止めた涙は気を抜くとまたすぐこぼれ落ちそうだった。
「いつでも連絡してくれたら会いに来るし、なんかあったら相談してくれたら相談にも乗るし……あんま寂しがらんといてな」
「そうそう、お前今度は後輩出来んだぞ。ちゃんと面倒見ろよ、先輩」
「はい。ありがとうございます」
頬を撫ぜる風は未だ冷たく、卒業シーズンだと言うのに桜の開花はまだ先だと言う。しかし、桜が無くとも、風が暖かくなくとも、私たちは卒業する。この校舎で何かを学ぶことは無くなり、また新しい地で勉学に励むことになる。残された後輩たちは我々の居ない生活を享受するのだろう。また新たな生徒を迎えて。
目の前で目を赤くした彼が、新たな仲間を加えて好調なスタートを切れることを願って、皮張りの冊子型ホルダーに挟まれた卒業証書はようやく自分のものになった気がした。
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