22


人々の間を桜の花弁が吹き抜ける。誰もが新たな生活に不安と期待を抱え式典を過ごした。目の前の二人だけは、それを迎える年長者の面持ちをしていたが。

「入学おめでとう」
「おめっとサン」

迎えられる側の私たちは一様に目を丸くして固まる。全く予想していない人物が急に目の前に現れたら人はこうなってしまうらしい。一番に正気に戻ったのは手嶋くんで、挨拶なのか挨拶じゃないのかよくわからない運動部特有の挨拶とともに頭を深く下げた。その声に、ようやく私たちも頭をさげることができた。

「元総北の金城だ」

私とユキに向かって自己紹介してくれた人を私はよく知っている。一昨年のインターハイでマークしていた人物だからだ。総北高校のキャプテンでエースの金城。その前の年では自分のチームの主将である福富が原因でインターハイを途中でリタイアせざるを得なくなってしまったと及び聞いていた。既にその確執は無くなっているとも聞いているものの、やはり心配で当日は彼を目で追っていたのを覚えている。

「箱学の黒田です。去年のインハイはアシストやってました」
「名字です。マネージャーしてました」
「ああ、二人とも荒北からよく聞いてるよ。ようこそ、洋南大学へ」

金城さんは顔を上げた私たちと丁寧に握手を交わしてくれた。一昨年は緊張感を持って彼を見ていたが、こんなにも穏やかに彼と握手を交わす日が来るとは。荒北先輩と手嶋くんも無事お互い自己紹介を終えたらしく、何があったのか分からないが手嶋くんがペコペコと頭を下げている。

「ちょお、荒北先輩!手嶋くんいじめんといてくださいよ!」
「ハ!?いじめてねーからァ!」

な、手嶋と凄む荒北先輩に、ええまあと歯切れの悪い返事をする手嶋くん。それは半分脅しだからなと思いつつ深くは突っ込まないことにした。彼らは慣れないスーツを着ている我々を冷やかしに来たのだろうかと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。気の抜けるような荒北さんの「行くぞ〜」という号令に私たちは頭にハテナマークを浮かべながら背中を追う。

「飯食わせてやんヨ」
「え!!」
「車で来てるんだ。もし自転車で来ているなら、上に積むが」
「え、あ、徒歩です。今日は」

さらに階段を下りるように手で指示され、駐車場へと続く長く広い階段を下りる。駐車場の周りにも木々が生い茂っていて、春を告げている。あまりに長い階段に、もし私がシンデレラだったらここで靴を片方落っことしてしまうのだろうかと考えて足元を見れば、艶めく革靴が目に入った。今日は手嶋くんやユキに合わせてパンツスーツスタイルだったのだ。きっちり結ばれた靴紐を見て、どうやら私はシンデレラにはならないらしいと自嘲する。別になりたい訳でも無いけれど。
たくさん停まっている車を階段から見下ろす。サイクルキャリアが屋根に取り付けられている車が一つだけあり、多分あれが金城さんの車だろうと目星をつける。事実、それは金城さんの車だった。

「車、買わはったんですか?」
「ああいや、親のお下がりだよ」
「ポロをお下がりで……」

自転車乗りは自転車、周辺機材、消耗品の関係からそこそこ実家が太いか、自身で収入をそこそこ得ていないと始めることすら難しいスポーツだ。だからか、箱根学園自転車競技部の面々も実家がそこそこ大きい人が多かった。知ってはいるので多少のことで驚きはしないつもりだが、目の当たりにすると流石になんだか急に気が遠くなる。フォルクスワーゲンのポロ。そこまで古い型ではないところを見るに、状態にもよるが中古でも160万から200万の間で取引されていたはずだ。免許を取ったら中古車を買おうかと考えていた時に目に入ったから今でも覚えている。値段を見て候補から外したのだが。
とにかく私たち一年は後部座席に乗り込んで、運転する金城さんへお礼を言った。



連れてこられたのはなんてことない、チェーンのファミリーレストランだ。世間はまだ春休みなのか、それとも入学式帰りの人も多いのか、そこそこ繁盛しているようだった。適当なサラダとパスタを頼んで、運ばれて来た水に口をつける。手嶋くんとユキに挟まれてソファ席の真ん中に座っているからか、目の前に金城さんがいるからか、物理的にも心理的にも何となく肩身が狭い。車で話してわかったのだが、この金城という人は思いの外物腰が柔らかい。荒北先輩と並んで話していたからより言葉尻の柔らかさなどが際立っていたのかもしれないが、それにしてもどことなくシキバくんとアブくんを足して割ったようなイメージを持った。強豪の主将という立場や、低い声などから厳格なリーダーというイメージを持っていたから、何だか拍子抜けした気分だ。

「え、呉南の?」
「入部させんのに苦労したんだけどネ」

料理が来るまでに、大学の自転車部について話を聞くことにした。話をするにあたってまず出て来たのが予想外の名前だった。呉南で主将をしていた、『呉の闘犬』こと待宮栄吉だ。
呉南といえば、去年、一昨年とインターハイレース3日目に動きのあった広島の高校だ。一昨年のレースでは集団を形成したことで温存した体力を使って飛び出し、箱根学園へと肉迫する場面を見せた。荒北先輩がその集団に飲まれ、総北の小野田と共に先頭へ追いついたと知った時は全員でハイタッチをして喜び合ったものだ。去年も同様に集団を作って、協調していた総北と箱学の背中を追ったと聞いている。一度集団に落ちた総北三年の二人がその後呉南と何があったのかは定かでは無いが、どうにかこうにか先行メンバーに合流し箱根学園の背を掴んだのは確かだ。選手としてコース上で競い合った彼らからすれば、その学校の名前には強い思い出もあるのだろう。

「て言っても、俺らその年はレース走って無いんで待宮さんとは面識は無いですけど……」
「ああ。だが楽しみだと言っていた。去年呉南を率いたエースは骨のあるやつだったから、それを下した奴らと走ってみたいとか、なんとか」
「ああ、あいつ……」

何か含みある声を漏らした手嶋くんの方を見る。うっすら目を細めて、あのうだるように暑い日を思い出しているのだろう。呉南の集団に飲み込まれた三年とは、そういえばこの人のことなのだった。なんとなく、レースでの『総北三年主将手嶋』と隣の『手嶋くん』を結びつけるのに時間がかかる。私はまだ彼が自転車に乗っているのをあまり見ていないからかもしれない。とにかく彼はあの夏の日、呉南と何か一悶着あったらしい。

「まあとにかく、サークルは四月中に入っときゃ間違いねーヨ。最初はめんどくせーガイダンスとか、わっけわかんねえ履修登録とかがあっから時間足んねえって思うかもしんねーケド」
「そうだな。中旬には一回目の新歓があるから、それも気が向いたら来るといい。最初の新歓は殆どサークルの宣伝のようなものだから、茶話会のようなイメージだが」
「先輩らが酒好きで、しかも夜やるから茶話会っつーには微妙だけどナァ」

茶話会に酒が出たら、その会の主役は先輩なのではなかろうかというツッコミをぐっとこらえてその話に頷く。大学生になるとこういった会に酒が出るのだということにようやく気がついた。確かに、私たちももうそろそろ19歳で、目の前に座っている彼らも今年で20……荒北さんは確か年度のかなり最初の方に誕生日があったはずだから、もうそろそろお酒が飲める年のはずだ。いや、もしかしたらもう飲めるのかもしれない。

「あ、でも私その日夕方から仕事あるんで、行けなくて……すみません」
「あー、そーなの。ま、最初の飲み会は誰が居て誰が居ないなんてわかんねーから」
「何の仕事を?」
「ええとですね」

運ばれてくる料理を回しながら仕事の説明をする。他者に仕事の説明をするのもいい加減慣れたものだ。新歓が行われる日は立食パーティに行くのだというとさすがに驚かれはしたが。パーティまであと半月足らず。やはり少し憂鬱だ。




/

back / top
ALICE+