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ビジネス中国語1……前期後期のセット科目で各1単位、現代経営学入門2単位……会計基礎、民法、マーケティング戦略論……パズルを組むようにして科目を組み立てる。曜日、時間、全てが上手くハマるように。ハマらなければ適当なオープン科目を入れて、自由に設定されている単位を早々に取得しようか。変に取りすぎて面倒になりGPAを下げるようなつもりはないが、かといって卒業必要単位ギリギリで卒業するつもりもない。
ガイダンスで配られた学生便覧に印をつけながらパソコンと向き合って履修登録を進める。まだ時間割を合わせるような友人もいないし、そもそも人に合わせて時間割を変えるつもりもあまりない。
「一年の間は毎週5日4限とか5限とかまで授業三昧がちょうどええんかもしれへんなあ」
椅子にもたれかかると苦しそうに椅子が鳴いた。伏せていたスマートフォンを手に取ると、同じように履修登録をしていたらしい二人から悲鳴にも似たメッセージが入っていた。履修登録は自分を分析してこの先の四年間を計画しなければならない分、一年生の一番最初は特に考えることが多い。必要単位と、必修科目単位と、必要分類科目単位を慣れないながらも精査しなければいけないからだ。加えて抽選科目が当たらなかった時の保険も。長いため息ととともに、決定ボタンを押した。
○
キーをひねってバイクの電源を切る。少しだけ押して駐輪場へ停めたらヘルメットをバイクのシート下へ仕舞ってキーを抜く。未だよく知らない敷地をバイクでうろつくのは少しだけ不安になるが、それが一番楽なのだから仕方がない。
今日は珍しく理系のエリアに足を運んでいる。どうせ昼から必修科目のために来るんだから、2限から学校に来て学食で安い昼飯を食った方がいいと考え、オープン科目になっていた熱力学Aを時間割に組み込んだのだ。
駐輪場から少し歩くといろんな格好をした人たちが入り口に吸い込まれていく。その中に見覚えのある背格好をした二人組がいた。たくさんの人々に埋もれて気のせいかと思ったが、どうせ行く場所は同じだ。小走りにその背中を追いかけてみることにした。
「うす」
追っていく内に確信へと変わったその背中に向かって挨拶をする。人混みで私の声も大して聞こえないだろうと踏んで、あいた背中は軽く叩いて、リュックで埋まった背中はその紐を軽く引っ張る。
「うお!あ?名前じゃん」
「うわ、ほんとだ。珍しい。理系エリアなのに」
怪訝そうな顔でこちらを振り返った2人は、程なくして驚きの色を浮かべた。そりゃそうだろう。私も多分、文系エリアにこの2人を見つけたら少し不思議に思うだろうから。選択必修科目に語学が設定されてはいるが、語学はマイナー言語以外概ね共通エリアで行われるのだ。ちなみに共通エリアで行われている語学の授業は英語・中国語・フランス語だ。
「あ、もしかして名字ちゃんも熱力学?あれオープン科目だろ、確か」
「あ、それそれ。なんや、一緒なんやね」
「マジ?奇遇だな」
向かう教室はどうやら同じらしい。大きく重たい戸を開いて、適当に端の机を三人で陣取ることにした。理系と文系だとやはり取る授業も使う棟も全然違って、クラスだけで分割されていた高校とは勝手が違うと身をもって感じる。
ところで、大学の授業はまだ始まったとは言えない。履修登録本期間後の一週間は授業ガイダンスで、ガイダンス期間中を含めた10日間は履修の修正が出来る。なんとなくまだ一年生たちは春休み気分だし、上級生も適当に出席したり、しなかったりしているようだ。埋まってきた教室も、もう一回り小さい教室で事足りるくらいの埋まり具合なのだが、実際に履修している人間がきちんと出席すればもう少し空席も埋まるのだろう。
「そういや聞いたか、今度の大会。今月末が応募締め切りだと」
広い教室に少しだけ緊張しているのか、トーンの落とした声でユキが言う。今度の大会というのは、学連が主催する春のチームロードレース大会だ。規模としてはさして大きくは無いが、それでも恐らく関東圏の学校は一年の腕慣らしを兼ねてこぞって参加することだろう。
「あぁ、そうそう。それ私も言いたかってん。大会要項もろて来てんやんか。後で一緒にお昼食べよ。そん時渡すわ」
「マジか。サンキュ」
机にルーズリーフとコンパクトな筆箱が並ぶ。教科書販売は履修を確定させてからも一度行われるため、机に出している人は少ない。大学の教科書に指定される書籍の多くはテキストというよりも専門書になるため、費用が嵩むのだ。そのため先輩から譲り受けている人も多いらしいが。
「初っ端から大会って期待されてんなー、俺ら」
手嶋くんはそう言って自嘲気味に笑う。去年、一昨年と王者箱学を抑え優勝した総北高校で主将をしていた人物なのだから、期待されない訳が無い。先輩たちは多分、ユキよりも手嶋くんに期待をしてすらいただろう。
この大会出場は一年生レースにおいて他の一年生よりもこの二人が早かったから決まったものだ。そのレースでユキは余裕の一位、手嶋くんはそれにどうにかこうにか食らいつき、ゴールスプリントでユキに離されながらも二位として出場権をもぎ取った。先輩たちはそれを見て、やっぱり少しは驚いていたと思う。「あの」元総北主将が負けたのか、しかもこんなにボロボロになって、と。
私は手嶋くんのデータをよく知っていたから、別の意味でこの結果は予想外だった。他の一年に強そうな人がちらほら見て取れたからだ。それこそ、手嶋くんよりも強いだろうという人だって居たから、手嶋くんには悪いが次の大会は一緒にピットで頑張ろうとすら思っていた。それでも、彼は二位をもぎ取ったのだ。一位のユキとは0.7秒差だった。
私は一年生レースで初めて手嶋くんの走りをしっかりと確認した。データではなく、きちんと肉眼で、スタートからゴールまで。
高校のインターハイで全国出場をするくらいには回すし、登る。中堅くらいの力は持っている。しかしこれといって目立つペダリングをするわけでもない。動きを読むのが上手く先見の明もあるが、それに全てついていけるほどの足も正直、無い。それを策略でカバー出来る面もどうやらあるようだが、それだって全てではない。
しかし彼は勝った。理由は粘り強さだ。あの箱根学園で信頼を置かれたクライマーでありエースアシストを務めたユキに、時に千切られかけながらも粘り、食らいついた。去年のインターハイで真波やシキバくんと山を争った時、彼はこれを武器にしていたのだということは想像に難くない。
一年生レースの後に地面に転がって喋れないくらいに息を切らせている彼を見て、彼の原動力は何なんだろうと少し気になったのを覚えている。結局、タイミングを掴めずに聞けはしなかったが。
「てか教授全然きいひんくない?チャイム鳴ったやんな」
「そのうち来んだろー」
タイミングを見計らったかのように、機材を抱えた教授がドアを開け、気の抜けた様子で左右に揺れながら入ってきた。ザワついていた教室は徐々に静かになり、映し出されたスライドを注視するだけの授業が始まった。
○
バッグに入れていたクリアファイルからそれぞれ二枚ずつをとって渡す。今度行われるレースの大会要項がびっしりと書かれていて、当日の動きやピットポイントがわかるようになっている。
「コースはほとんど川か崖沿いかあ。横風が心配だな」
コース表を見てから、ストリートビューを起動させて同じ道を見る。広い道路を全て閉鎖して、車のように左側通行で折り返し走行するらしい。勾配の具合はあまりわからないが、急なものは無さそうな印象を受ける。あったとしてもゆるい勾配だろうか。ゆるい勾配は気がつかない間に足を使う。そういった時にクライマーが意識してチームを引くことで、上手くコントロールする戦略もある。
「他チームも新入生入れてトリッキーに来るんだろうけど……ていうか、もしかしてこの大会って明早も出るんじゃねーのか」
ユキが参ったなと言ったふうに手元の紙と安いラーメンを見比べてため息をつく。明早と言えば、我らが先輩……通称直線鬼が居る。
「そっか、そういうのもあんねやな……。てなると、福富先輩は分からへんけど、新開先輩が出る可能性絶対高いやろなあ」
「直線多いコースだからかなり怖いな。多分、金城さんも荒北さんも分かってるだろうから誰かが抑えに回るんだろうけど」
天津飯をレンゲで切り崩すと、中から真っ白なお米が顔を出す。中の米が全く手付かずな辺りが安価な学食という感じがしてとても良い。
「とにかく先に食おうぜ。後でじっくり考えてみよう」
「だな。まあ俺ら一年だし、考えたとこで指揮権無いんだけどさ」
2人が紙を仕舞ったのを見て、私もスマートフォンを鞄に突っ込む。改めて手を合わせて「いただきます」と言ってから天津飯を口に含むと、味の数が極端に少ないタレの味がする。これにスープが付いて310円。高いのか安いのか、若干微妙な気がしてきた。
「あれ、一年じゃん」
三人特に言葉を交わさず黙々とご飯を胃に詰め込んでいると、不意に声を掛けられた。全く知らない訳では無いがあまり馴染みのない声に振り向くと、三年の先輩二人が軽く手を上げてこちらに笑いかけていた。
「あ、田辺さん!ゥ疲れ様です!」
「ッ疲れ様っス!」
「お疲れ様です」
「ああ、いーよ。座んなって」
口に入ったご飯を急いで飲み込み立ち上がって口々に挨拶する私達に、田辺先輩は気さくな笑顔で座るよう促す。先輩はこれから何かを頼むのか、料理を持っている様子は無い。
「次の大会、頑張れよ。大会要項は見たか?昨日居なかっただろ、お前ら」
「あ、ついさっき私が二人に紙渡しました」
選手の二人に向かって話しかける先輩に、私が声をかける。田辺先輩はようやく私を見て、「ならいいんだけどね」と言った。
昨日、二人が丁度居なかった時に適当に配られた大会要項を私が渡しておく事になったのはその場にいた田辺先輩は知っている。それがどういった意図なのか、変に推測するのは先輩に失礼かもしれないのであえてしない。視線の動き、会話の間。じっとりとした感情が足元でもたつく。
「でも今年は給水に可愛い女子が居るってだけでみんな張り切るだろうなー。頑張ってね、名前ちゃん」
彼に悪気は多分、無い。
「ああ……はは、どうも」
「じゃあ俺飯買うわ。また部活でな〜」
軽く下げた頭を中々持ち上げられずにいた。目を閉じて、足元の感情をどうにか薄めて、細く長く息を吐く。そうしてようやく、何事も無く頭を上げた。向かいに並ぶ二人が若干気遣わしげにこちらを見ていたが、再び天津飯を食べだした私を見てその視線も霧散した。
田辺先輩だけじゃない。部全体の空気として「こう」だと言うことは入部初日に分かっていた。むしろ「こう」じゃない場所の方が見つけるのは難しいと分かっているし、男性の多い部活だと尚更だ。新入生として肩身の狭い今はとにかく軽く流して、少しづつ嫌なことには嫌だと言える土壌を作り上げる。まず土の小石を取り除き、耕しやすいようにしなければならないのだ。
「名前」
「ん、ありがとう」
ラーメンを食べ終わったらしいユキがレジュメを取り出しながら私へ声を掛ける。その声色はいつもと変わらない。いつもつるんでいた箱根学園の三人の中で、一番フォロー上手なのはユキだった。アブくんと育ってくる内に培われたのでは無いだろうかと私は推測している。
「あ、そうだ。俺明早の新開さん、データでしか知らないからもっと詳しく聞きたいな」
ふ、と思い出したように手嶋くんも私に声をかける。なんて事ない、大会の話の続きだ。見れば手嶋くんも八宝菜を食べ終わっていた。
「……ああ、そっか。うん!そうやね。はよ食べ切るからちょい待ち」
「ゆっくり食っていいよ。腹壊すぞ」
手嶋くんは子供に向かってはにかむように笑いながら、ご飯を食べるために結ばれていた髪を雑に解く。緩いウェーブのかかった髪が1本1本元の場所に戻っていくのが何故か目に焼き付いた。
汗をかきはじめたコップを掴んで水を飲む。先程の先輩の態度に対する罵詈雑言も、水と一緒に飲み込めたような気がした。
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