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「ほんま、今日は参加出来ひんくてすみません。また次の飲み会は出れると思うんで。お先に失礼します」
先輩達に何度も頭を下げて部室を出る。時間は16時を少し回ったくらいだ。四限が終わってすぐに部室に顔を出し、後から来る先輩達に非礼を詫びていたらこの時間になっていた。五限まであるという人に直接詫びる事が出来ないが、多分分かってくれるだろう。先輩も同級生も基本的に悪い人では無いのだ。
今日行われる社交パーティは18時開場で、行われるホテルまでは電車で1時間。本当は1度家に戻っていたかったが、どうやらそうもいかないようだ。こうなることを予想してドレスや靴の類を部室のロッカーに突っ込んでおいて良かった。部室から程近い場所にある空き部屋を少しの間占拠させてもらい、カクテルドレスを身に纏う。化粧も少し濃くしたいが、髪をセットしに行く時で構わないだろう。
気合いを入れて部屋のドアを開けると、丁度誰かが横切った。
「あ?誰かと思ったら、名前ちゃんか!えらい格好じゃのお」
「待宮先輩。へへ、すんません、ドーモ……」
タイミング悪くそこを横切ったのは待宮先輩だった。すれ違ってから数歩して、ようやく振り返った待宮先輩は目を丸くして私の格好を眺める。今の私は青みがかったグレーのレースドレスにネイビーのボレロを合わせ、細いベルトでウエストをマークしていて、いかにもこれからパーティですといった出で立ちだ。髪のパーマが取れて緩いウェーブになっている辺り、あまり決まっている風でも無いが。
「荒北から聞いたワ。今日は来られんのんじゃろ?」
「ええ、はい。ほんますみません。ちょっと、顔出さなアカン用事あって」
「そがいなん構わん構わん!ええもん見せてもろうたしな!エエ?」
ワハハと豪快に笑う待宮先輩にまたひとつ頭を下げる。先を急ぐ私の様子を察してくれた待宮先輩は「じゃあまた」とだけ言って部室に吸い込まれていった。
それから気がついたのだが、部室のロッカーから引っ張り出してきた大きい鞄を先輩に託せば良かったのかもしれない。最寄り駅のコインロッカーにでも置いておこうと思っていたが、部室へ戻す方が断然楽だ。しかし、この格好で再び部室のドアを開ける気にもならない。
「……名字?」
「あ!金城先輩!お疲れ様です、いい所に!」
鞄を片手に少し逡巡していたら背後から不意に声をかけられる。低く響く声は入学から少し経ってようやく慣れてきた声だ。
今日はパーティだと知っている金城先輩に申し訳なく思いながらも鞄を戻してくれるように頼み、ようやく学校を後にした。
〇
乾杯のために配られた細身のグラスには、薄い琥珀色をした炭酸が注がれている。それがジンジャーエールだったら良かったのだが、生憎香りがそれを否定する。流石にフォーマルな場で法を犯す訳にもいかないので、乾杯に合わせて周りの人とグラスを掲げあってから会場を巡回するウェイターへと返し、代わりに小洒落た料理を貰う。あと1年すれば、最初の一杯くらい飲めるのだが。
「こんばんは。お酒は飲まれないんですね」
「ええ、まあ。ええと……」
淡々と会話が続く。1人話したらまた1人、わんこそばのように続く会話の濁流に身を任せる。勿論相手の顔と名前、事業の内容も記憶しなければならないから脳内は大わらわだ。今の人は貿易関係、その次がアーティスト、それから……。考えながら貰ったグラスに口をつける。ほんの少し、水が唇に触れてからようやくアルコール臭に気がついて口を離す。湿った唇を舐めたら、スパークリングワインの味がした。すぐに気が付かなければ、その味に驚いていたことだろう。
丁度話にも一区切りついたところだったので軽く切り上げて、ウェイターへグラスを返しつつ軽いおつまみを受け取った。本会場から少し離れ、開け放たれた扉を潜るといくつかのソファが用意されている。気分転換をしたい人や、腰を据えて話したい相手が居た人がそのソファを使うことが多い。テーブルへお皿を置いて座ると、すかさずウェイターが寄ってきてくれたのでお水を貰う。先程水とワインを取り違えたのは久しぶりのパーティにあてられているからか。貰った水を少しずつ含みながら、話した人々の顔を改めて思い出す。後で名刺を貰うつもりの人を脳内でピックアップして、塩気の効いたつまみを口に放り込んだ。
「お隣宜しいですか」
ぼんやりしていた私に、スラリとした男性が声を掛けた。すぐにそれに肯定を返して辺りを見渡すとソファの大半が埋まっていたようだった。よりビジネスの話をしたい場合には別の階にある部屋も用意されているため、特に不便という訳では無いのだろう。
「ご気分でも?」
重さを感じさせない動きでソファへ沈みこんだ男性は私と同じようにウェイターにお水を頼んで、一息ついた様子だった。声をかけると心底嬉しそうに目を細められ、思わず私も訳が分からないながらに笑顔を返す。
「いえ、久しぶりにこんな場に居るので、少し疲れてしまって」
「ああ、そうやったんですか。実は私もなんです」
長い足をこれでもかと伸ばしながら彼はそう答える。見るに、40代後半から50代前半くらいだろうか。スタイルが良く、顔も細いので見ようによっては30代後半から40代前半にも見える。腕時計が日本未発売のモデルのようだから、海外出張が多い仕事だろうか。パーティに出るのは久しぶりということから、恐らく社長や会長クラスでは無さそうだ。
「お若いのにこのパーティに参加されるなんて、凄いですね」
運ばれてきた水を手に取って一気に煽りながら言われる。少し頬が紅潮しているからお酒を飲んでいるのだろう。ソファは広く、私と目の前の男性とは距離がある。周りの目もあるためそこまで警戒する必要はないが、少しだけ体が強ばるのを感じた。
「運が良かったみたいで。……あ、私フリーでHRコンサルタントをしている名字と申します」
「へえ、フリーで。もしかして学生さんですか」
「まあ、はい。やっぱり分かりますか」
髪も化粧も上品で大人っぽくなるように意識したが、やはり立ち居振る舞いに未熟さが出たのだろうか。それとも、喋り方か。
「あなたと歳の近い息子がおりますので、何となく。そうじゃなかったら多分気付けていませんでした」
「そうでしたか」
「ああ、すみません。私、今泉貿易でCOOをやっています、今泉です」
のんびりと頭を下げられたが、私はそれよりも今この人の言った言葉に面食らう。今泉貿易と言えばそこそこ規模の大きい貿易会社だ。そして、そのCOOの息子はインターハイで1.2を争った総北高校の……。
「違ったらすみません。息子さんって、今泉俊輔さんですか」
「ええ……何故ご存知なんですか?」
データ集めの際に軽く調べただけで、COOの顔なんて全く覚えていなかったが、まさかこんな所で出会うとは。今までのパーティでは見ない顔だった気がするが、私も頻繁に顔を出していた訳では無い。彼も似たような境遇のようだから、多分入れ違いになっていたのだろう。
怪訝そうな顔をしている今泉さんに向き合う。
「私、昨年まで箱根学園ていう神奈川の高校で自転車競技部のマネージャーをしていたんです。だから、総北高校の事はよく調べてて」
「ああ、なるほど。俊輔……息子も有名になったもんだ」
爽やかに笑い飛ばした今泉さんにつられて私も笑う。変な偶然もあったものだ。その後彼の息子の話や、ロードバイクについて話が弾み、いつの間にかパーティは名刺を交換する段階まで進んでいた。名残惜しいがお互い名刺を交換してからその場を離れ、今日軽く話をさせて貰った様々な人に名刺を貰ったり、渡したりしながら会場を練り歩いた。この状況は何度経験しても少し滑稽だなと俯瞰して見てしまう。
手に収まった四角い紙の束を鞄へ仕舞い、ホテルを後にした。頭の中で未だに喧騒が反響していて、思いの外疲れている自分に気がつく。このまま直帰すると名刺の整理すら出来なさそうだ。
人の疎らな電車に揺られながら腕に巻いた華奢な時計を見ると、21時を少し回ったくらいだった。別の場所で行われている部活の飲み会もそろそろ終わった頃だろうか。いや、もし二次会や三次会まで伸びたとしたら日付が変わるまで飲み明かすのだろうか。
最寄り駅へ着いたことを知らせるアナウンスを聞いて電車を降りると、少しだけ冷たい風が頬を撫でた。駅前にある遅くまでやっている喫茶店で名刺の整理だけでもしてしまおう。
〇
店内は私以外には片手で数えられるくらいの人数しか客が入っていなかった。時間も時間なのだから当然だ。注文したウインナーコーヒーとシナモンロールの乗ったトレーを壁にするようにして、窓際のカウンター席で名刺をスマートフォンに取り込む。ホルダーから1枚取り出し、スキャン。その人の特徴を裏面や空白部分に書き込んでいるので、それも漏らさないようスキャンをする。正直骨が折れる作業だが、だからこそすぐに取り掛からないと延々と先延ばしにしてしまうのは目に見えている。
数枚スキャンをしたらコーヒーに手を伸ばし、また数枚スキャンをしたらシナモンロールにナイフを入れる。その作業を数回繰り返した時、目の前に立つガラスが叩かれた。その音に顔を上げると、やけに顔を綻ばせた手嶋くんが立っていた。
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