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飲み会なんて参加するのは初めてで、入る機会も少なく勝手のわからない居酒屋に俺たちは身を寄せ合っていた。適度に仕切られた大人数用の空間にいるものの、店内BGMや、酔った人の声はそんなものを軽々と貫通する。先輩がまとめて注文した飲み物が一通り揃うまで、ジョッキに並々と注がれたお冷で乾いた喉の機嫌を取っていた。
流石に初回だからと席順は学年ごとにまとめられ、不安で縮こまる一年たちを目の前に座る二年の先輩があやしているような状態だ。幸い、自分たちの前はよく知った面々が陣取っており、そこまで緊張は無かった。それは恐らく目の前に居る人たちがこちらを慮ってのことだろう。単純に話をしたかっただけの可能性もあるけれど。

「手嶋、黒田。もう何回か言葉は交わしただろうが……改めて紹介しよう。待宮だ」
「やー、ようやく腰ィ据えて話せるのぉ」

ニヤ、とオノマトペが見えそうなくらい悪い笑みを浮かべた待宮さんが俺と黒田を舐めるように見る。『あの』ゼッケン161番──浦久保と言っただろうか──の先輩だと思うと自然と警戒してしまうが、あくまでここは飲みの席で、俺たちは同じ部活の先輩後輩だ。そもそも『待宮栄吉』を初めて生で認識したのがうちの……総北のマネージャーをナンパした時なのだ。どうにも印象が悪いというか、あまり良い印象が無い。黒田と同時に待宮さんに頭を下げると、気分の良さそうな声が向かいから聞こえてくる。

「話はよお聞いとるんじゃ。金城も荒北もうるさいぐらいお前らの話してくるけえ」
「そ、そうですか」

手で包み込んでいるお冷のジョッキは既に大汗をかいていて、まるで俺たちの心境を表しているようだ。それだけ彼の発するプレッシャーみたいなものは俺たちを圧倒していた。黒田も「ウス」だか「アス」だか短く言って、待宮さんの出方を伺っているようだ。

「なァにビビってんだヨ。別に待宮も取って食やしねーって」

壁にもたれてダルそうにメニューをめくりながら荒北さんは言うが、俺たちは何なら今にも食われそうな気がしていた。自転車に乗っていないのにも関わらず放たれるこの威圧感、言い方は悪いがカツアゲをされているような心持ちだ。荒北さんの言う通り待宮さんは別に俺らをどうこうしようというつもりは無いのだろうが、今まで歩んだ短い人生の中ではあまり関わったことのないタイプの人間で、距離を測りかねているのが事実だ。

「手嶋ァ、浦久保は大した奴じゃったろう。どうせ際どい手使ったんじゃろうけど」
「え、ああ、まあ……はい。けどそのお陰で一緒に走った青八木と久しぶりに心通わせれたっつーか、多分あれが無かったら俺はチームに戻れてなかったんで」
「浦久保を踏み台扱いするたぁ、金城!お前の後輩はとんでもない奴じゃのぉ!エエ!」

金城さんを小突いて待宮さんは豪快に笑い飛ばした。金城さんもそれに対して薄く笑って頷くあたり、先輩達にとってこの一年はとても良いものだったのだろう。荒北さんが独占していたメニューをようやく机に広げ、酒が運ばれてきた際に追加で注文するつもりのものをいくつか指差して俺たちに共有してくれた。お前らも何かあるんだったら一緒に頼んでやるよと言われ、黒田と一緒にメニューを覗き込んでいくつか希望を出す。一年は金を出さないとはいえ、自分たちだけで酒を飲むためこちらに気を遣ってくれているのだろう。一応、今俺たちの相手をしてくれている先輩方はまだ未成年だから飲酒はしないのだろうけれど。

直後に来た店員さんが机にどんどんジョッキを乗せる。ストローが入っているものはソフトドリンク、マドラーが入っているものはアルコールなのでと言い残し、店員さんは恭しく頭を下げた。それを荒北さんが呼び止めて、追加の注文をする。
通路側にまとまって座っていた四年の先輩が奥にいる俺たちへ飲み物を回してくれる。上級生が通路側、下級生がより壁に近い奥まった側という配置は、ドンチャン騒ぎになった際にお手洗いに行く頻度が増える上級生は通路側ということらしい。それはつまり、この会で先輩達が泥酔するということか……?と身構えたのは言うまでもないだろう。

「名字、来れないこと残念がってたっぽいけど正直今日はあのコ来なくて正解だったかもネ」

分厚いメニュー表を机の裏にある収納へ仕舞いながら、先輩達を眺めつつ荒北さんがそう言った。それに金城さんや待宮さんも、声には出さないものの同意を示していた。俺たちもさりげなく先輩を見るが、特に変わった様子は無いように思えた。強いてあげるなら、四年生数人のテンションがいつもより少し高く感じるだろうか。
部長の乾杯の音頭でようやくドリンクに口をつけて、軟骨揚げに箸を伸ばす。酒のアテとして味濃いめに作られている揚げ物は食べ盛りの男子としてはかなり嬉しいものだ。

「何かあるんスか?」
「四年に何人か生命科学専攻の人が居るんだが、卒業研究のサマリー……研究概要の発表が近付いていて切羽詰まっているらしい。生命科学は着手すると後戻りがしにくいから、この時期は肝要だと言っていた」

金城さんが珍しく声を潜めている。よっぽど先輩達はナイーブになっているのだろうか。先ほど見たテンションの高い先輩達は確かに理系だった。専攻までは詳しく聞く機会が無かったため知らずにいたが、彼らは生命科学を専攻しているのか。サマリーだの、研究だのと耳慣れない言葉に無条件に喜んでしまって先輩達の辛さがイマイチ分からずにいると、丁度その方向からワッと声が上がった。見れば、件の先輩がジョッキを大きく傾けているところだった。中身を全て飲み終えた先輩は、直後に「ライフサイエンスに乾杯!!」と、再び乾杯の音頭を取っていた。まだ一杯目だろう段階で既に泥酔しているかのような惨状に思わず息を飲む。下手をすればあれが三年後の自分なのではないかと不安にすらなった。

「……というか、そんな切羽詰まった状態でなんで飲み会に参加してるんですか?」
「手嶋、それ絶対俺ら以外の先輩に向かって言うなヨ」



気がつけば成人した先輩達の殆どが軽く酔っ払い、気持ちよくなっていた。俺たち一年も何となく空気に飲まれていつもより解放的になったような気がしていて、自制心を改めて強く持つ。どうやら荒北さんは既に呑める年齢らしく、最初の一杯は他の先輩に合わせてビールを頼んでいたが、その後は俺達や同学年の人に合わせてソフトドリンクを頼んでいた。荒北さんは周りのことを気にせずそのままお酒を飲み続けるのかと思っていたから少しだけ意外だ。確かに、周りはシラフで自分だけ酔っ払っている図というのは中々に堪え難いものなのかもしれなかった。
いつのまにか席順がメチャクチャになっていて、先輩に呼ばれたり先輩が隣に来たりとてんやわんやだ。料理やグラスもしっちゃかめっちゃかになりそうでヒヤヒヤする。しっかり手で包んでいるジョッキにはきちんとストローが刺さっていたし、味もウーロン茶だ。この手は離さないようにしよう。

「そういえば名前ちゃん何で今日来れないんだろうなー。俺ちょっと期待してたんだけど」

いつの間にか隣に座っているのは三年の南條先輩だ。その言葉は俺にではなく、反対側の隣に座っている同級生に向けられていた。彼……三橋は特に名字ちゃんと親しい間柄な訳でも無く、勿論返答に困っていた。というか、期待って何だ。急激に浮上した形容しがたい感情を誤魔化そうと軟骨の唐揚げを口に放り込む。
正直、まだ大学生活始まって二週弱で、同級生であっても部員同士めちゃくちゃ仲が良い訳では無い。専攻が被ったり、授業が被ったりしていると親近感が沸きこそすれども、まだすれ違ったら挨拶をする程度の間柄だ。名字ちゃんは特に部内唯一の女子マネージャーということで、未だ遠巻きに見られている感が否めない。本人からすればそれはとても不満だろうと思うが、部員達の気持ちは分からなくも無い。自転車競技部なんて男子ばかりの場に、突如あんな女子が混じって来たら誰でも少し緊張してしまうものだろう。むしろ、元箱根学園の距離感が信じられないレベルだ。名字ちゃんが見た目に反して気安い性格であることや、葦木場や黒田と名字ちゃんの遠慮のしなさに便乗する形で俺も名字ちゃんとは普通の友達として接することが出来ているが、それが無ければ多分俺も遠巻きに見る大衆の一部になっていたと思う。

「なんか用事あるって言ってたけど、彼氏かな?はー、そりゃ居るよな。あんな子、彼氏居ねえとおかしいもんなー」
「あー、かもですね。あはは」

確実に困っている様子の三橋に気が付いているのかいないのか、南條先輩は話を続ける。なんなら三橋に話しかけるテイで俺に話していないだろうか。直接応援するよう伝えるのはプライドに差し障るが、後輩ならなんとか手助けしろよ、的なことを俺に求められているのでは。いや、分からないフリをしておこう。わざわざ大して親しくない先輩と友達をくっつけるように努力する必要なんて無い。
それはそれとして、確かに名字ちゃんには彼氏がいてもおかしくない。場の雰囲気に乗せられた思考の飛躍を自覚しつつも、それの制御は難しい。今日の不参加は仕事だと知っているが、俺や黒田と名字ちゃんは別に毎日顔を合わせている訳では無い。平日は大抵部活へ顔を出すから会う事にはなるが、土日の彼女はよく知らない。三月中は平日も休日もあって無いようなものだったし、学校生活は始まって少しだ。既に過ぎた土日は各々過ごしている。勿論、それぞれの休日の過ごし方を共有している訳もなく。よく考えてみれば付き合うだの付き合わないだのといった恋愛の話をしたことも無い。
一瞬黒田と名字ちゃんは付き合っているのでは無いかと思い、邪魔しないようにとさりげなく黒田に確認したことがあったが、その時は「ありえねえよ!やめろやめろ!」と本気の拒絶をされた。二人はただの友人であり、それ以上の関係になることは気持ち悪いらしいというのが黒田談だ。ちなみに名字ちゃんには聞いていない。流石に異性に対して急に「黒田と付き合ってんの?」だの、「彼氏とかいないの?」だのを投げかけるのはモラルに反する良くないことだということはわかっている。

「─しま、手嶋?」
「えっ!?はい!」

思考にのめり込んで聴覚を遠ざけていたらしい。金城さんの低い声に引っ張られるようにしてようやく周りの喧騒に気がつく。南條先輩はいつの間にか隣から移動して、別の人と話していた。

「大丈夫か?」
「あ、はい。すみません!ちょっと場に飲まれちゃって」

慌てて手元にあったウーロン茶を手にとって一気に飲む。しっかり手にしていたはずなのだが、いつの間にか離していたらしい。なみなみ残っていたウーロン茶は氷で冷やされていて、味があまり分からない。8割ほど飲んだ辺りでジョッキから口を離して机に置くと、その少し先に飲みかけのウーロン茶が置かれていた。

「あれ?俺頼んでたウーロンハイは?」
「手嶋、今持っているそれ……」

南條先輩に代わってその場所を取っていたらしい四年の中迫さんがお手洗いから戻ったらしい足取りで座って、不思議そうな声をあげた。俺の持っていたジョッキに刺さっていたのはマドラーだ。喉からアルコールの味と熱さが主張する。

「うわ、やっちまった……すみません中迫さん。俺が間違って飲みました」
「えっ!大丈夫かよ。手嶋酒強いの?」
「や、わかんないッス未成年なんで」

中迫さんが心配そうに俺の顔色を見て、金城さんが正しいウーロン茶を差し出してくれる。
思考に軽くモヤがかかる。酔うっていうのはこういうことか。視線がフワフワとして、何となく気分がいい。思考の上澄みばかりが掬われるような感覚がある。深く物を考えられないというよりも、深く考えようとするとすりガラスにぶち当たるような。
渡されたウーロン茶を飲むと、さっき飲んだウーロンハイとは後味が全然違って面白い。もしさっき焦らず一口ずつ飲んでいたらその時点で気がつけたはずだ。

「中迫さん、そろそろ店変えようって濱田さんが……あれ、手嶋どうしたんスか?」
「黒田。んー、そうだな。一回ここらで切り上げてやりたいやつは二次会にするかあ。手嶋は酒飲んじまうし」

三年と四年にもみくちゃにされていた黒田が疲れた様子で中迫さんと話している。中迫さんの言葉を聞いた黒田はマジすか!と面白そうに声をあげ、俺を覗き込む。

「おーい手嶋。大丈夫かよ」

心配要素の少ない声の調子で、本当に面白がっていることが聞いてとれる。どうやら俺はそんなに酒に弱くも強くもないらしい。多分今の状態を人はほろ酔いと言うのだろう。

「大丈夫だよ。割と意識はしっかりしてる」

目の前でひらひらと振られる手を払いのけて、ウーロン茶を飲み干す。二次会に行くつもりは元々薄かったが、予定外の飲酒で完全になくなった。先輩達が割り勘の話をしている間に、不躾だがお手洗いに行く事にする。とにかく飲んだ分を出して、一人で帰れると周りに判断してもらえる程度には意識レベルを上げる必要があった。



数駅離れた自宅最寄り駅まで電車に揺られる。21時を少し回って人も少なくなりつつある車内であえて座らずに、適当な場所に立っているのは一人で座っていたら即座に寝てしまいそうだからだ。目的の駅で止まった電車から降りると、酔った体には少し冷たく感じる風が吹いていた。
黒田は多分、俺を多少心配して近所のよしみで飲み会を抜けようとしていたっぽいのだが、先輩に引きずられるようにして次の店へ続く道へ消えていった。
もし、パーティ終わりの名字ちゃんが同じ電車に乗っていたら駅で気がつくかもと思いホームで目を凝らしていたが見つけることは出来なかった。そもそも、この時間にパーティが終わるのかどうかさえ知りもしない。
酔い冷ましに駅前の喫茶店でコーヒーでも飲もうかと浮ついた気持ちのまま駅前を漂っていると、先ほどまで探していた人影がカウンターに座っていた。いつもよりも少し強めの化粧に、いつもよりも強く巻かれた髪で別人を見間違えたのかと思ってこめかみを揉んでからもう一度そちらを見ると、やはり名字ちゃんに違いなかった。コーヒーを飲みながらスマートフォンを弄って、何かのをしている様子だ。邪魔するのも悪いかと思ったが、気が付いたら彼女が座るカウンターの前に立って窓ガラスを叩いていた。無意識の俺が彼女と話したかったのだろうか。



未成年飲酒は法律により禁止されています。この作品はそれらの犯罪行為を推奨する意図はありません。



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