27


少しだけ開けたカーテンから一筋の光が漏れている。枕元のスマートフォンを見れば、まだ明朝と呼ばれる時間が表示されていた。それでもなんだか二度寝する気にもなれず、緩慢な動きでベッドから這い出ることにした。
ひんやりとしたフローリングに足をくっつけて眠気に抗っていると昨日の名刺整理は途中で切り上げたんだったと思い出し、朝食を食べる前にそれをやってしまう事にした。朝食を食べるといよいよ1日がスタートして、掃除や洗濯をすると疲れて名刺整理なんてしなくなってしまうからだ。名刺ホルダーに分けておいた残りの名刺を机に出してはスキャンして仕舞う。10枚ほどこなした位で分けておいた分は無くなっていた。やはり昨日、喫茶店で概ね終わらせておいたのは正解だったようだ。

名刺をそれ用の箱に仕舞う。視界に映る自分の手首には昨日掴まれた手の感覚がまだ残っているような気がした。彼は私が席を立った後、急いで私を追ってくれたのだろうか。手嶋くんのことだから、急ぎながらもカフェオレはしっかり飲んだのだろうし、店員さんにお礼も言ったのだろう。だからこそ、あんな半端な場所で私を呼び止めることになったのだと思う。見慣れた自分の手をまじまじと見る。当然何にもありやしない。
窓の外からスズメの鳴き声とカラスの鳴き声が聞こえる。そろそろ人が起き出す時間のようで、ポストを開ける音や車のエンジン音もまばらに聞こえた。

ぼんやりとしていたらスマートフォンがけたたましく鳴る。いつもの起床時間を知らせるアラームだ。それを聞いてようやく意識を完全に覚醒させた私は、朝食を摂るべく席を立った。



朝食を終えて仕事のメールを確認すると、今泉さんからメールが来ていた。今泉さんだけではなく、昨日名刺を交換した人数名からのメールが確認出来た。そのどれもがこれからの交友をお願いするメールだ。今泉さんからのものには、また息子と会った際にはよろしくと添えられていた。今年のインターハイは後輩たちの様子を見に行くつもりだから、そこですれ違うくらいはするかもしれない。その時は軽く挨拶だけでもしてみようか。多分彼からしたら知らない女という立ち位置なので、手嶋くんやユキと一緒に居た方がいいかもしれない。
私からも色々な人へメールを送る。その中の数人とは長く続く関係になるのかもしれない。

シンクを綺麗にしてから家を出る。特にどこに行く予定もないが、適当に近所をツーリングするつもりだ。途中、面白そうなお店があったら入ってみてもいい。基本的に住宅街だが、大通りに出ると個人経営の喫茶店や雑貨屋、ケーキ屋などがちらほらあって、より広い道路に出るとファミリーレストランやファストファッションのお店が立ち並ぶ。住む分にしたらここまでちょうどいい場所も無いだろう。
ヘルメットを被り駐車場からバイクを出庫する。バイク用のジャケットと手袋を嵌めるとこの時期はさすがに暑く感じる。行くあても無いので、今日はとりあえず広い道へ出ることにした。

「あれ、名前じゃん」

後ろから並走してきた自転車乗りには見覚えがあった。そもそも、軽い下りとはいえ時速50km近く出しているバイクに悠々と追いつく自転車乗りなんて、街中にはそう居ないだろう。

「ユキ」

後ろに車が無いことを確認し、軽く速度を落としてユキの真横につける。あんまりよそ見をすると危ないので二人とも顔はあまり見ずに会話することになるが、私もユキも日頃の練習でやっていることだから特に違和感を覚えることもない。並走するうちにコンビニがあったので、二人とも特に確認もなくそこで足を止めることにした。

「どっか用事か?」
「いんにゃ、無目的」

コンビニでホットスナックを買って、バイクのシートに腰掛けながら話をする。ユキはユキで駐輪場の柵に腰掛けている。小さい唐揚げに楊枝を刺すと、しんなりした感触が手に伝わる。複数人で別々の味を買って、適当にシェアするのは箱学時代からいつもやっていたことだ。四人いれば四種類の味が食べられた。

「ユキはルーティン?」
「まあな。昨日帰るの遅かったから辞めとこうかと思ったけどやっぱ走んねーと調子でねえわ」
「ああ、ユキは二次会出たんだっけ」

考えず訳知り顔で言った私に、ユキは曖昧な返事をした後に少し考えて「何で知ってんだ?」と問う。なぜかわからないが、その問いに私は「しまった」と思った。多分私は、昨夜のことを誰かに言うつもりがなかったのだ。しかしユキの問いに嘘で返すのも忍びなく、私は渋々昨夜手嶋くんと偶然会ったことを話す。もちろん、私の失言だのなんだのはうまく避けて、嘘では無いが全てでもない小狡い返答だ。

「手嶋、ちゃんと帰れてたか?俺もついて帰ろうかと思ったんだけど、先輩がもうスゴくて」
「うん、多分大丈夫と思う。お茶してる内にだいぶ目醒めてたっぽいし」
「ならいいや。そういや残念がってたぜあの先輩。えっと……南條さん?」

言われて、先輩達の顔をぼんやり思い浮かべる。まだ大して部活動も出来ていない状況で、多くはないが決して少なくもない部員の顔と名前は微妙に思い出しにくい。南條先輩というと、確か三年の先輩だ。入部したその日によく話しかけてくれていたような記憶がある。私としてはどうにも彼の視線が苦手で、それ以来軽く避けているような現状だ。とはいえ部員として馴染まなければならないのであからさまに避けるわけではなく、部活中は常に誰かと一緒に居て、二人きりにならないよう気をつける程度のものだ。多分南條先輩からすれば避けられているとすら思っていないのではないだろうか。
南條先輩の名前を聞いて微妙な表情をした私にユキは気がついたらしい。彼は訝しげに私の顔を覗き込んだ。

「南條さんになんかされたのか?」
「いや、そこまででは」

ユキは私と一緒に行動する時、私が何か嫌な目にあったりしていないかを結構気にしていると思う。彼の思考リソースを私が無駄に割いてしまっているのではないかとちょっと心配をしているが、多分彼はそんなこと考えてもいないのだろう。というよりも、彼は普通に友人に接するにあたって、謂れのないことを言われたり理不尽に何かをされることに対してきちんと怒れるのだ。アブくんが部長に任命された時に部内で起こった不穏な空気を誰よりも早く察知して、アブくんと話をしようと言い出したのも彼が最初だった。落ち込むアブくんの代わりに、二年の誰よりも怒っていた。

「ならいいけど……」

納得したような事を言いながらもまだ何か考え込むように言うユキに違和感を抱く。ユキはユキで南條先輩へ何か思うところがあるらしい。今まで南條先輩のことを話題にすることも無かったから、昨日の飲み会で何かがあったのだろうか。

「南條さんなんか言ってたん?」
「あ?んー、うん、まあ。お前あんま南條さんと二人きりにならない方がいいぜ」
「ああうん、私もそう思う」

歯切れ悪く言うあたり、南條先輩は多分お酒の勢いで色々とあまりモラル的によろしくない事をこぼしたのだろう。正直私よりも、それを聞いた時のユキの心情の方が少し心配だ。友人へ向けたゲスな発言は、直接聞いただけでかなりのダメージだった事だろう。

「よーっしゃ、パフェでも食べ行こうや。店はこれから調べんねんけど」
「は?なんだよ急に……」





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