02
「はい、はい。分かりました」
秋。インターハイも終わり、先輩達は受験勉強に専念するようになった。
厳しいトレーニングに三年間耐え抜いた先輩というと流石に数も減り、室内の人口密度でいえばさほど変わらないのだけど、部室はなんとなくがらんとしてしまったように感じる。残った部員もなんとなく落ち着きを持って部活に励んでいるからか、部室はいつもより静かだ。
とはいえ先輩方は登校しているのだから時折様子を見にくるのだが、その時の盛り上がりったらない。特にユキくんは東堂先輩のレクチャーを毎週楽しみにしていて、毎度はしゃいでいるのが良く分かった。それを見ていると三年生たちがどれだけ信頼をおかれていたか、手に取るようにわかる。
今年のインターハイは二位という結果になった。今まで王者という席を守ってきた箱学からすると、その結果は浮かばないものだ。一位をもぎ取った総北の一年生は初心者だというのだから尚更だろう。結果を見た私も、悔しさで握りしめた手のひらについた爪の跡が中々消えなかった。たった数ヶ月の付き合いしか出来てないとは言ってもサポートは万全を尽くしたつもりだったからだ。
……いや、万全は尽くしたのだ。尽くして尚負けた。総北はそれだけの意外性と実力を見せつけて来たというだけだ。
目を見張ったのは私が以前在学していた高校である京都伏見が途中まで一位争いをしていたことだ。
安さんがまとめていた時のような和気藹々とした部活動の雰囲気はなりを潜め、一年生の御堂筋という部員が統率をして王手手前まで駒を進めた。私が転校する直前の4月に入学してきた御堂筋の存在は把握していたし、部の雰囲気が大きく変わってしまったことも少しだけ知っていたものの、ここまで部をまとめ上げ、恐怖政治のような形とはいえども勝利目前まで迫るとは思っていなかった。部員が大幅に減ってしまうだろうとだけ考えていた私が甘かった。何がなんでも勝ちをもぎ取る姿勢をもっと早く知っていたらと若干惜しい気持ちにもなったが、だから何が出来たのかと言われるとどうしようもないのも事実だ。
試合が終わった後、リタイアした部員の手当てや連絡などのついでに石垣先輩の居る救護テントに伺ったが、話しかける雰囲気でも無いと悟ってすぐに踵を返した。
夏が一つ終わったのだ。
「何の電話だ?」
「ユキくん」
部室の裏で携帯電話を片手にぼんやりしていると、ボトルを持ったユキくんがいつの間にか隣に居た。肩からタオルを下げているところを見ると、今日のメニューの大半を終わらせて一度休憩を挟んでいるのだろう。
夏が過ぎたとはいえ、まだ暑さの名残を感じる日も多い。衣替えもまだ一月ほど先で、部室には軽く冷房がかかっている。
「どうしたん?暑いやろ、外出てきても」
「お前が深刻な顔して電話してたから心配で来てやったんだろうが」
「ややわ、大したことちゃうよ」
ユキくんは仲間思いだ。泉田くんとは幼なじみらしいが、お互いがお互いを信頼しあっている様子が新参の私でも見て取れる。周りの部員とも仲が良く、悪ふざけをしては泉田くんに窘められている。それもこれも、彼の面倒見の良さや優しさなどを知っているからだろう。見た目はキリッとしていて少し怖い印象だけど、女子人気もそこそこあると及び聞いている。それでいて勉強もそこそこ出来るのだから、どこまで要領が良いのだろうかと呆れすらする。
「最近仕事で懇意にしてる人がな、業界人を紹介してくれたんやけど……。その人がちょっと、なんていうか、メールでやり取りしてんねんけど……見る?」
「はあ?見ろってんなら見るけど」
何が何だか分からないという様子でユキくんは私の持っている携帯電話と私の顔を交互に見る。
「ああいや、見んでええわ。読み上げたろ。えーっと
『名前ちゃん、おはよう!よく眠れたかにゃ?ネコが笑ってる絵文字。
ボクは名前ちゃんのことばっかり考えていて、夢に名前ちゃんが出てきたよ。照れとるネコの絵文字。
まだ一度しか会ってないのに、名前ちゃんにまた会いたい気持ちが止められないよ。これってオカシイかな?わら。ハートマーク。』
ええとそれから……」
「ちょちょちょちょ」
メールボックスから直近のメールを開き音読をする。
やけに絵文字がふんだんに使われている絵文字は、なぜかどこか古めかしく感じられる。同い年の友達だって絵文字がふんだんに使われたデコメールを送ってくるのにもかかわらず、この印象の違いは一体どこからきているのだろう。受信されるメールを見比べて観察した日もあったが、悲しくなってきたので辞めた。
「名前、何。オッサンといかがわしい関係なの?」
「ユキくん次それ言ったら三割殺したるから。ちゃうねん。仕事の話してんのにいちいちセクハラしてきよるから、紹介してくれた人と向こうの会社の人事に連絡してて、処遇について今電話が来てん」
二つ折りの携帯を閉じてため息を溢す。こんなメールに私生活の数分を割いてしまった事だけでも腹立たしい。
ちなみにこのメールには一言「そうですね」とだけ返信していたらしい記録が残っている。そうですね、とは『これってオカシイかな?笑』に対する返答だ。恐らく伝わっていないが。
紹介されただけあって、その業界ではそこそこ名の売れる人物ではあったのでかなり残念ではあるが、それよりもセクシャルハラスメントの被害に遭い時間を浪費する事や、断りにくい食事に誘われる方が厄介だ。
「オッサンは……」
「一ヶ月の謹慎、半年の減俸とセクハラ防止講習の受講やって。流石に仕事は出来る人間やからか、大きな処分はないらしいわ。不本意やけど」
「そおか……」
何とも言えない表情で虚空を眺めるユキくんの汗はもうひいている。
「なあ、部活終わったらサイゼ行かん?ユキくんと、泉田くんと、葦木場くんと、私で」
「あー、いいかもな。あれ見せてくれよ、数学のプリント。名前のクラスの方が進み早いだろ」
「何それ?私らんとこそんなん出てへんよ。ユキくんとこの先生だけちゃうん、それ出してんの」
マジかよー!!と嘆くユキくんと同じ方を向けば、校庭の隅に並んで植えられている名前も知らない樹木が風に煽られサワサワと揺れていた。
未だ暑さのある気温とは裏腹に風は少し冷たさを帯びていて、薄赤くなった空が子供の帰りを促しているように思える。秋の入り口はなぜか寂しさを孕んでいた。
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