03
冬になった。空は低く、私たちを分厚い雲が覆っている。
いよいよ先輩の卒業が近い。全員進学や就職先は決まっているらしく、登校する日も減ったからか、最近は以前よりも姿を見ることがなくなった。毎週時間を決めて指導にあたってくれているが、それ以外学内で姿を見ることは稀だ。
東堂さんのファンクラブに入会している友人曰く、学校にいない日の彼は朝から晩までトレーニングかヒルクライムをしているらしい。一体どこからどう情報が流れているのかと聞けば、ファンクラブ公式メールマガジンが週二で配信されているらしい。マメなのか、奇人なのか。もしかするとその両方なのかもしれない。
東堂さんのご実家は大きな旅館というのは聞いていたため、一度二年のよくつるんでいるメンツで遊びに行きがてらご挨拶に伺ったことがある。大きく綺麗な旅館で、出してもらった旅館らしいお菓子もセンスが光るものだった。旅館を切り盛りしているという東堂母にちゃっかり営業のような行為をしていた私を満足そうに褒めてくれた東堂さんを見て、東堂さんは高校を卒業したら旅館のお仕事をするのだと思っていたが彼もどうやら進学組らしい。図書室やファミレスで三年生が集まって勉強している姿を度々目撃されていて、なぜかその情報はクラスの友達経由で私へ伝えられていた。
私の趣味であるコネクションの拡大やマネジメントの関係で特に東堂さん(正しくは東堂庵役員代理だ。)へは連絡を取る機会が多かったからか、しばしば「彼女疑惑」がわいて出ては火消しに回った記憶が蘇る。あれは思い出すのも体力を使うほどに苦い思い出だ。
恐らく他の先輩方も似たような生活をしているのだろう。自転車競技部の無い大学へ進む先輩は地域のチームなどを渡り歩くと言っていたから、トレーニングは欠かさないはずだ。
いよいよ私達も三年生となって進路を悩むことになる。受験対策の勉強自体は一年の頃から積み重ねてはいるけれど、心持ちがやはり異なる。先輩方の話はよく聞いておくべきなのだが、同時進行で最後のインターハイについても思いを馳せなければならない。忙しい一年の幕が今か今かと上がろうとしている。
「名前ちゃんはどの大学行くの?」
「え」
日も暮れた中でも煌々と光を放つ部活舎で洗濯物を片手にどこでも無い場所を眺めていると、隣で手伝ってくれていた葦木場くんが思い出したように漏らす。大きい体を屈めてこちらを見てくる葦木場くんは、こんなにも威圧感のある体つきをしているのにも関わらず小さく見える時がある。垂れた目や長い睫毛が原因なのだろうか。ふんわりとした彼の性格もあるのかもしれない。
「大学、大学なー。明早かなと思ってたけど、生大もええし、何ならまた京都とか戻ってもええかなって思ってんねんな。親戚はみんな関西やし」
サイクルジャージのシワを軽く伸ばしてハンガーを差し込みジッパーを閉める。大学選びはその後の進路に大きな影響を与える。沢山の大学を視野に勉強をしてきたが、そろそろ絞り始めなければ勉強の方針も決めにくいだろう。
「ええ、関西!それは……簡単には遊べなくなっちゃうね」
「まー、住まい変えるんやったらそれなりの志望動機とネームバリューのある大学行かな元とれへんけどな。東京の方が色んな機会は多いし、向こうは既にそこそこ人脈あるし、メリットは少ないかも」
葦木場くんはよく分からなそうに「そっかあ」とだけ漏らして洗濯物のかかったハンガーを天井の棒に引っ掛ける。
いつもぼんやりしている葦木場くんも進路には悩んでいるんだな、他人事では無いなと気を引き締める。帰りがけは単語帳を片手に英単語の暗記をしよう。
「あ、今度みんなで勉強会しよや。一年の総決算みたいな感じで、一個問題集買ってテストせえへん?競お」
「ユキちゃん喜びそ〜」
「そやろ」
いつの間にか葦木場くん、私、ユキくん、アブくんはいつも一緒に行動しているメンツになっていて、東堂庵へ挨拶に行ったのもこの4人だ。
クラスが私とアブくん以外バラバラだからか勉強の進み具合も案外違ったりして、お互いの薄い部分を補うために勉強会が度々開催される。京都伏見は箱学よりも勉強の意欲が薄い学校だったためか、最初はそれがひどく新鮮だった。今となってはそれにかなり助けられている。
全ての洗濯物を干し終えて換気をしようと窓を開けると、白く濁った空気が暗く灰色の空に溶けていった。
○
暖房の効いた部屋で氷のたくさん入ったドリンクを差し置いて紙とペンの擦れる音だけが響く。
各々が一人一人の顔を見渡し、誰かが唾を飲み込む音をきっかけに声を上げた。
「はいバン!!95点!!」
「なにっ!89点ン!!」
「98点。惜しかったな」
「90点!」
「なんッッでやねん!!」
眼前に差し出された4枚の紙にそれぞれがなんともいえない声を上げる。
一人はカーペットに身を投げ出し、一人は机に突っ伏し、一人は涼しい顔で紙を掲げている。私はというと、背にあるベッドの縁に寄りかかっていた。比較的簡単な問題率が高かったとはいえ普通95点を取ったらトップに立てるのではないのか。ほとんど満点だぞ。
数日前に葦木場くんと話をしていた一年総決算テスト大会が春休みに突入した本日、ユキの部屋にて敢行されたのだ。寮ならいくら騒いでも隣は見知った奴だから大丈夫だ、と言われて集合したものの、そもそも男子寮に自分が踏み入っていいのか疑問だ。長期休みに入ったからか寮の中の人の気配は少なく、それも割とバタバタしている様子が伺えるため侵入自体は容易だったのだが。
もしも寮長に見つかってしまったら買った問題集を片手にわざわざ連れ立ってコンビニでコピーして、時間を取り決めてテストを解いた勤勉さを買ってくださいと恩赦を求めるのも手かもしれない。そもそもこの時期になると寮長も同い年で、しかもあまり自覚も無いので回避は容易そうではある。
凭れついでに窓に目をやると思いの外日が暮れていた。部屋が暖かいからあまり意識していないが、もう冬も本番で日もかなり短くなっているのを感じる。男三人は寮に住んでいるから時間なんて気にしていないのだろうが、私はそうもいかない。
「やべー、外むっちゃ暗いねんけど。今何時?」
この部屋には壁掛けの時計がない。昼過ぎになってようやくそれに気がついた私がユキくんに理由を問うと「携帯があるから要らねー」と返ってきた。
「うわ、もう8時過ぎてる。春休み中は寮の食事が無いからあっという間に時間が過ぎてしまうね」
「確かにお腹減ったかもー。ご飯買いに行こうよ」
「あー、そうだな。ついでに甘いモンも買おうぜ。脳が糖分求めてる感じする」
「君らマジで言うてる?」
怪訝な顔でこちらを見つめてくる三人に、怪訝な顔をしたいのはこちらだよと言いたくなる。
夜に女子を一人で帰す気なのか、それとも今日はオールで勉強をするつもりなのか知らないけれど、こんなにもこちらを心配する反応が返ってこないとは思わなかった。
確かに普段から女性に求められがちな気遣いなどに反発して生きている部分があるけれど、それは社会問題に対する一種の立場表明というか、だからといって加害と無縁な訳では無いというか。
つまるところ、私だって夜道は怖いのだ。
「おいおい、帰ろうって言うんじゃねえだろうな。言い出しっぺだぞ、総合最下位がホールケーキってヤツ。あと現国と数2だけだろ」
「あと二教科やったら絶対10時超えるやん。ウチ実家なんやけど、知っとるやろ」
「あれ?なんだ、泊まってくんだと思ってた」
なんてことないように言う葦木場くんに、流石にアブくんは何か言ってくれるだろうと期待を込め視線を送ると、彼もそうだと思っていたようで不思議そうな視線だけが送られる。流石に学び舎の、しかも本来異性が寝泊まりする寮の一室で同級生と雑魚寝をしたと知られたらどういった目で見られるか分からない訳ではないはずなのだが。
「ああ、名前は知らないのか。三年生が使ってた部屋が今だけ空室なんだよ。実は元新開さんの部屋は代々鍵が二本あって、基本部屋の主が管理してるんだけど……退去の時期になると一本後輩へ渡るんだ。何があってもいいようにってね」
「で、塔一郎がそれを持ってるって訳だ。寝袋もある」
「何があるっちゅーねん、何が……」
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