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真波の言う通り、途中のコンビニで手土産を買ってお邪魔した真波家ではご両親と軽く挨拶をしてからというもの話すことも特に無く、真波の部屋と客間を案内された。思いの外片付いている部屋に関心していたが、あまり部屋でゆっくりすること無くずっと外を走り回っているから散らからないだけだと教えられた。昔は病弱だったからか、本棚には本やゲームの箱が所狭しと並んでいて、それはそれでギャップを感じたものだが。
「名前さんって委員長と知り合いでしたっけ?まあどっちでもいいか」
私に聞いているのかいないのか、自分で答えまで言って真波はベランダに出てスマートフォンのライトで隣家の窓を照らした。多分隣はその『委員長』の部屋なのだろうけれど、そんなことをして迷惑ではないのだろうか。
照らして少し、大きなドアががらりと開けられて不満そうな女の子が顔を出した。
「山岳!用があるならメッセージ入れてくれたら出て来るっていっつも言ってるで……」
真波の顔を見ると同時にそう言う彼女は、真波の後ろから顔をだす私にようやく気がついて言葉を失った。そりゃそうだろう。幼い頃から一緒だった男の家に女が転がり込んでいたら誰でも絶句する。しかしそれにしてはショックを受けたような顔をしているところを見ると、もしかして彼女は真波のことを……。
「あ、ちゃう!ちゃいますちゃいます!!私チャリ部のOGで!今日泊まるとこなくて……えーっとえっと」
思わずしどろもどろになりながら裸足でベランダに出て弁明する。足に刺さる小石の感覚がより心を焦らせる。とにかく彼女に自分は敵ではない、真波の彼女でもセフレでもとにかく何でもないということを知らせなければ。
「そ……あ……えっと……。はじめまして、宮原すずこです……」
頭を下げて自己紹介してくれた委員長こと宮原さんはやっぱりまだ戸惑っている様子だった。ただ、私も私で混乱しているというのを悟ってくれたのか、彼女も私たちの関係については言及したい気持ちをぐっと堪えてくれたらしい。
「あ、名字名前です。えーと……」
「委員長、とにかくこっち来なよ」
「え、ええ?」
宮原さんは困惑しながら一度部屋に引っ込んだ。多分、きちんと玄関からこちらへ来るつもりなのだろう。律儀な子だ。真波の方を振り向けば、いつもみたいに飄々とした態度で宮原さんを迎えるべく部屋を出て行く途中だった。こうして見るとお互い好き合っているようにも見えるけれど、彼らは付き合っていないし、好き合っていると思っていないだろう。いや、真波はもしかしたら気がついているのかもしれない。ただ真波は自転車に対する熱意以外の感情があるんだかないんだか、とにかく自転車に感情の数値を大幅に振っているような人間だから、人間に対する恋愛的な好きという気持ちすらよくわかっていないのかもしれない。真波のつかみどころの無さはこういった感情の機微の読めなさにあると思う。荒北先輩風に言えば『不思議チャン』だ。
階下で真波を問い詰めるような声が聞こえる。十中八九私のことだ。その声は階段を上がってだんだん部屋に近付くにつれて小さくなっていく。私が聞いていたら気まずいと宮原さんは思っているようだが、私としてはその疑問は真っ当なものなので、なんなら私の目の前でやってくれても構わない。
だんだんと耳打ちのような音量になった話し声はドアの前で止まっていた。小言は言い足りないが、部屋の前に着いてしまってにっちもさっちもいかなくなっているのだろう。私はそのドアをゆっくりと開いた。
「混乱さしてごめんなさいね、宮原さん。とにかく座って話しましょ」
全くもって私が言えるようなセリフではないが、こうでもしないと彼女は一生この部屋に入って来られないような気がした。彼女は私を見て苦虫を噛み潰したような顔をして、私の言葉に頷いた。どうも宮原さんは思ったことがすぐに顔に出るタイプらしい。
「自転車部OGのあなたが、どうして真波の部屋にいらっしゃるんですか?」
真波をひと睨みした彼女は眉を下げて私に尋ねる。宮原さんは私が真波に無理やり連れて来られたと思っているのだろうか。多分、玄関口でのやり取りで何かしらそういったことを彷彿とさせるような言葉があったのだろう。
「今日は部活の相談で来たんですけど、思ったより時間かかってもうたんで適当なとこに泊まるわ言うたら真波が泊めてくれるて言うたんでお言葉に甘えて……」
「危ないと思わなかったんですか?こんな、ふらふらしたヤツのところに泊まるなんて」
確かに真波は自分に浴びせられる黄色い声も難なく応えるし、割とそういった声援を好ましく思っているようなところがある。古くからの知り合いだと真波のそういったところなんていうのはしっかり把握しているのだろう。昔からモテていそうだし、もしかしたらとっかえひっかえしてた時期もあったのかもしれない。真波は定型文的に不満そうな声を上げている。
「真波が『自分には宮原さんが居るから大丈夫』って言うから」
「え?」
正確には『隣に委員長が住んでるからいかがわしいことなんて出来ない』なのだが、まあ耳触りのいいように意訳すれば大体こんなところだろう。宮原さんはそれを聞いてみるみる顔を赤くさせて、声にならない声をあげながら隣に座っていた真波をクッションで叩いていた。真波はぶたれながら「ちょっとちがくないですかあ?」と言っているようだが、興奮した宮原さんには届いていない。真波も寝た子を起こしたくはないからか、それ以上何か言うこともなかった。
「ま、まあ事情はわかりました」
たっぷり真波を叩いて落ち着いたらしい宮原さんが咳払いをひとつして話に戻る。真波にぶつけていたクッションはいつのまにか彼女の正座した足の下に敷かれている。
「でも、大変ですね。明日早起きして帰られるなんて……」
明日も平日で、大学の授業もある。明日はいつもより早起きして、高速が混まないうちに大学へ直行する段取りなのだと伝えると宮原さんは同情的に私を心配してくれる。素直でまっすぐな人だな、彼女は。
「まあ、授業の一回や二回行かへんかったくらいで大丈夫なんやけどね」
「それはどうかと思いますよ……」
◯
私たちが勉強の話をし始めた途端、真波は音も立てずに席を外していた。多分風呂に入りに行ったのだろうが、それに気がついた宮原さんは呆れた様子で勉強のことになると逃げるのはいつものことだと言っていた。
「部活だか趣味だかですぐ遅刻したりいつのまにか居なくなったりしているのを私が先生に掛け合ってプリントでなんとかできるようにしたのに、全然やらないんですよ」
思い返せば彼女の言う通り、私たちが在学中も真波は束になったプリントを片手に部活に来て、それらをロッカーに突っ込んで走りに行っていた。あれは宮原さんの努力の賜物だったのか。そういえば委員長がなんだのと言っていたような気もする。
「そうなんや。ごめんなさいね、うちら部員がもっと真波にちゃんとプリントやれ!ってせっつけば良かったんやけど……」
「そうですよっ」
冗談めかして怒られて、私はもう一度謝ってから二人して笑った。真波の奔放さに手を焼いていたことは私たちの共通項だったらしい。私にとってはそれも今や懐かしく思えた。
「そういえば、宮原さんって真波のこと好きなん?」
真波といえば、というつながりで言ったつもりだったが、ハンドルの切り方が急だったろうか。宮原さんは少しだけ呆気に取られていた。すぐに真っ赤になって否定し始めたのを眺める。人から見たらこんなにもわかりやすいのに、彼女は隠しているつもりでこうやって否定してくる。人というのは不思議だ。言っていることと行動が真反対だということが、他人からも分かる。それは表情や声のトーン、行動などを総合して判断されるが、自分はそれに気がついていない。
「名字さんこそどうなんですか!」
「へ?」
「名字さんこそ、山岳のことどう思ってるんですか!!」
半ばヤケクソのような形で投げかけられた問いに素っ頓狂な声で返す。まさかそんなこと言われると思わなかったな、と思うと同時に、在学中下級生に真波との仲を邪推されたことを思い出す。思えばあの噂は案外広まっていた気がするから、宮原さんの耳にも入っていたのかもしれない。自転車部の女子マネージャーは近年において私だけで、OGと聞いた時点でピンと来ていただろう。
「私は全然……。真波はほら、顔はかっこいいけど性格はあんなんやし」
「し、失礼なー!」
自分が言うのはいいが、他人に言われるのは癪らしい。複雑な乙女心に触れた。確かに私よりも宮原さんの方が真波のことをよく知っているし、宮原さんからしたら私はぽっと出の人間だから、そんなやつに想い人を邪険にされたら反発心を覚えるのは自然か。
「ごめんごめん。とにかく私は真波が好きとか、そういうのは無いから」
「そうですか……」
先ほどの憤りを引きずりながらも、彼女は引き下がってくれた。そもそも、男女がよく一緒に行動しているから付き合っているとか、二人で話しているから付き合っているのではないのかとか、そういう邪推は受ける方からすればひどく複雑な気持ちになるものだ。その男女二人ともが異性を恋愛対象にしているのかどうかは見ているだけではわからないし、その二人が持つ一番心地のいい距離感なんていうのも人それぞれだ。それを他人がジャッジして恋愛関係ではないだろうかと邪推し、あまつさえ本人の耳に入るというのは人によっては気分を害するだろう。
私は恋愛とかそういった事に対して同年代の女性と比較しても多分鈍感な方で、そういった噂話にも愚鈍な性格をしているから当事者になったとて傷ついたりすることは無い。そういった意味でいえば自分はある意味恵まれているとも言えるだろう。……いや、敏感であればそもそも噂が立たないようにうまく立ち回ったり出来るのかもしれないが。
「宮原さんはなんで真波を好きって思ったん?」
繰り返すが、私は恋愛ごとに疎い。疎いからこそ、色んな人と付き合ってきたし、体を重ねることもあった。しかしそこに明確に愛というものがあったのかと問われると、私は首を振ることも、頷くことも出来ないのだ。愛とは何で、それがあったらどうなのか、想像も及ばないから。もしかしたら私の歴代パートナーを私はどこかで愛していたのかもしれないし、愛していなかったのかもしれない。関東に越してきてからというもの、そういった色恋も少なくなって記憶が薄れているだけなのではないか、と言われればそのような気もしてくる。言い換えれば、私はこと恋愛関係において頓着が無いのだ。
けれど、他人が人を愛しているのを時に羨ましく思う。性愛がすべてとは言わないが、性愛を持つものこそが正義なのだという世論に、私も肩まで浸かって生きてこざるを得なかった。
「……私は、ずっと昔から真波を見てきたんです」
◯
もう、殆ど一緒に生まれて一緒に育ってきたくらいのものだったから、山岳が居ない世界なんて私は知らないくらい。
昔からあいつは体が弱くて、よく学校休んでベッドで本を読んだり、ゲームをしたりしてたんです。ほら、本棚にたくさん並んでるのはその時のものです。今は自転車のカタログとか、雑誌とかもたくさんあるけど……あれはここ数年急に増えましたね。多分、部活の人から勧められたりしてるんじゃないですか?ああ、やっぱり。
山岳が初めて……ええと、ロードバイク?そう、ハンドルがぐにゃってしてる……あれに乗ったのは私が誘ったからなんです。あんまりにも家にいるもんだから、もっと運動しないと強くならないよとか言って。今思えば病弱な子供を半ば無理やり連れ出すなんて危険極まりないんですけど。山岳のご両親もよく許したと思いますよ。でも、あんな一回の遊びで、あんなにも自転車にのめり込むなんて。
ああ、えっと……す、好き?だなって気がついたのは……なんでだったかな。いつの間にかだったんだと思います。あはは、こうやって冷静に好きだのなんだの、すごく恥ずかしい……やめにしませんか?あ、しない……そうですか……。
そうだな、でも……うん。インターハイ……の、時に……うう……。応援に行ったんです。スポーツドリンクとおにぎりを持って。でも私に気がつかずにすごいスピードで駆け抜ける山岳はいつもと違う顔をしてて、それが少しショックだったんです。私の知らない山岳がいて、その山岳を知っている人がいっぱいいる。もっともっと山岳のことを知りたいって思って……あの、山岳そろそろ上がってくるんじゃ……。うう、そうですか?はい……。
私が山岳の全部を知ってるとは思ってないんです。でも、いつの間にかかっこよくなってるってようやく気がついたんです。あんなに生きることに無力だった山岳が……。あ、山岳かっこいいですよね?ああ、良かった、やっぱり他の人から見てもかっこいいですよね。あいつに直接こんなこと言えないですけど。あんなにちゃらんぽらんなのに、目標を持って懸命に前だけを見てるってことが全身からビリビリ伝わってきて、かっこいいなって。
もっと山岳のこと知って、山岳を支えて、逆に山岳に私のことを……その、もっと知ってもらえたらいいのにって。山岳の居ない世界を私は知らないけど、その世界でもお互いが常に一緒ってわけじゃ無いでしょ。だから、その隙間を大切に、埋めて……わ、私が山岳の帰る場所になれたらって……は、恥ずかしい……!終わりにしましょう!終わり終わり!!なんですか、その顔は!
◯
彼女のたどたどしい独白は唐突に終わりを告げた。しかしその内容は奥が深く、優しいものだと感じた。彼女は海のように深く真波を愛しているらしい。山と海、いいコンビなのかもしれない。自分を分け与えられる強さを持つ彼女は私には遠く思えるくらいだ。
「真波は幸せモンなんかもわからんね」
「そう、ですかね……」
一通り喋り尽くして我にかえったらしい宮原さんはしぼむように口数を減らした。自分の言ったことを反芻して照れているように見える。
自分を分け与えて相手を許容する。それだけのことと言えば簡単なのかもしれないけれど、そんな簡単にいかないのだから人間は四苦八苦しながら生きているのだろう。天性の才能がある人は実際存在して、愛し愛されながら生きているのだろうけど。
「真波にも伝わるとええね」
私の言葉に宮原さんは照れ臭そうにはにかんだ。
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