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その後、逃げるように宮原さんは自宅へ帰っていった。夜も更けるし、ちょうど良い時間だったのも事実だ。
彼女と入れ替わるようにして部屋に入ってきた真波は髪も綺麗に乾いていた。早々に風呂から上がって、私たちの話が終わるのを階下で待っていたのだろうか。真波がそんな殊勝なことをするとは思えないので、見たいテレビ番組があったのかもしれない。
「宮原さん帰らはったで」
「はい、廊下ですれ違いました」
真波はなんてことないように言っているが、すれ違いざまに慌てふためいている宮原さんの姿が簡単に想像できる。彼からしたらいつものことなのかもしれない。
「委員長、いい子でしょう」
真波の目の奥は何を考えているのかすくい上げることが出来ない。『不思議チャン』ゆえの底知れなさに触れる時、私はいつも背筋が伸びる。人間一人、脳みそ一つ。そこで演算されるものの多くを私たち他人は予測も、推測すらも出来ない。本人ですらわからない心の動きや衝動だってある。
「そやね」
真波はゆっくりとした動作で机の上の何かを整頓して、椅子に腰掛けた。私は床に座っているから必然的に見上げるような形になる。もともと真波は背が高いし、立って話しても見上げるのだが。
「名前さん、委員長の話を聞いてどうでした?」
「はあ?……まあ、そっか〜って感じかな……あ、いや、宮原さんの話がつまんないとかじゃなくて、私にはあんまりわからなかったっていうか……」
真波はそれを聞いて「ふうん……」と考え込む仕草をした。なんだか意味ありげなその行為に私はなんだか自分の心のうちを掴まれているような、見定められているようなひやりとした感触を覚える。真波からしたらそんなつもりは無いのだろう。私は今、なんだかナイーブになっているようだ。
無意識に握りしめていた両手をそっと重ねて、気がつかれないようにゆっくり深呼吸をする。
「名前さんはなんていうか、オレと似てるような気がして」
「どういうこと?」
「んー、やっぱ何でもないです!」
「はあ?」
いたずらにしこりの残る会話の切り上げ方をされて、思わず追及しかけたが思い直して口をつぐんだ。これ以上このトピックについて真波と話して、私が傷つかない保証も無い。ならば、途中で話題を終わらせた真波のように、私もこの話をするのをやめる選択をするべきだ。
「あ、そうだ。客間に布団用意しといたんで、眠くなったらそこ使ってくださいね。お風呂も空いてますよ」
「ああ、うん。ありがとう……。じゃあお風呂借りようかな」
促されるままに鞄を持って部屋を出る。コンビニで購入した安っぽい下着が鞄に乱雑に突っ込まれている。
オレと似ているような気がして。オレと似ているような気がして……。真波の言葉を何度か口の中で唱えてもその真意が見えることはなかった。
布団の敷かれた客間に鞄を適当に置く。中には財布と仕事用のスマートフォン、それからハンカチとティッシュと生理用品が数枚、小さなポーチには薬とコンドームが収納されている。ポーチは殆どお守りみたいなもので、持ち歩く鞄に常に入れているものだ。コンドームはここ最近活躍の機会が無いが、適当に人をひっかけることがあった時に困るので入っている。
石鹸の類を借りて髪を洗うと、真波と同じ香りがした。当然といえば当然なのだがひどく居心地が悪い。こんなことならコンビニで小さいバスセットも購入しておけばよかったかもしれない。鼻腔をくすぐる爽やかな香りに辟易としながら髪をまとめて湯船に浸かる。肩まで浸かれば、今日の疲れが湯へ溶け出すような気がした。
(……あ)
ふ、と真波が言ったこととポーチの中のコンドームが結びつく。我ながらその二つが結びつくのはどうかと思うが。
透明なお湯を両手ですくって、ゆっくり溢れていくさまを眺めてため息をついた。真波の言う”似ている”というのは、適当に人と付き合ったり、付き合わなかったりする不誠実さについて言っているのではないだろうか。
真波は多分、宮原さんからの気持ちを知っている。だからこそ私たち二人の話を邪魔しない選択が出来たのだろう。それを知っていながらも知らないふりをする真波と、愛を向けられていてもいなくとも適当に一般的に親密と呼ばれるような付き合いをしてしまう私は、もしかしたら似ているのかもしれない。
「やなやつ……」
風呂釜にもたれかかって呟いた言葉は風呂場で反響して消えていった。
◯
風呂から出ると、寝間着に使えということらしいシャツが置かれていた。湯船でぼんやりしている時に真波の母親が用意たから、と声をかけて置いていってくれたものだ。ありがたくお借りしようと手に取る。半袖のTシャツと、やわらかい素材のボトムス。それから、ボトムスと同じ素材の上着が丁寧にたたんで置いてあった。Tシャツはおそらく、サイズ的に真波のものだろう。もしかしたらこのスウェットも昔真波が使っていたものかもしれない。袖を通すと柔軟剤の香りがふわりと立ち上る。これも真波を構成している香りのひとつで、何とも言えない気持ちになった。
リビングでのんびりしている真波の母親に一言お礼を言って、真波の部屋をノックする。この服は真波のもののようだから、一言礼を言うためだ。
ノックの数秒後に真波の間延びした声がドアを通してくぐもって聞こえる。ドアノブをひねって部屋に入れば、真波はベッドで横たわって雑誌を眺めているようだった。
「お風呂ありがとう。あと服も。これ、真波の?」
スウェットは袖を通したら私のサイズよりも少しだけ大きい。着替える際にタグを見ればやはり、メンズMと書いていた。
「あ、はい。よかった、変に大きいとかは無いみたいですね。それ、俺が中学の時に着てたんですよ」
懐かしいな〜と言いながら真波は私の袖を引っ張る。さっきの話をした直後だから特に、そんな仕草も全部分かってやっているのではないかと勘ぐってしまう。
「名前さん」
「何」
流れるように真波が私の手を取る。私の手は服の袖に半分隠れていたから、真波が袖の中に半分手を突っ込むような形だ。背中に冷や汗が流れるような感覚と、前の日に感じた手嶋くんの手の温もりが一緒くたになって想起される。
「ま……」
「俺が名前さんを似てるって言ったの、忘れてくださいね」
真波は伏し目がちに私の目を捉えている。私もつられて真波の顔を見上げていて、宮原さんへの後ろめたさすらも感じる。こんな状況、少女漫画だったらときめきの一要因にすらなるだろう。なのにこんなにも足が硬直して、視線をそらすことも許されない。
私は真波のことを信頼しているけれど、真波がその信頼に応えてくれるかどうかは真波次第なのだ。
「変に気使うのやめえや」
ため息をつくようなトーンで言えば、真波は少し眉をひそめて笑ってみせた。その表情を見て、私も少し安堵して彼から少し距離をとることが出来た。
「うちら生きんの下手すぎやね」
しょうもないことばっかり気にして、でも気にしないことなんて出来ない。かといって気にしていることを表にも出したくなくて、変に取り繕ってまたそれが気になってしまう。真波はともかく、私はそうだ。真波は逆に好きなこと以外のリソースが割けなくて、それを悪いとも思っていなさそうだから、逆に顰蹙を買ってしまう。そしてその買ったモノに対しても気にしないものだから、重ねて顰蹙を買う。
「えー?それは名前さんだけですよ」
「う、裏切り者……!!」
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