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あれから夜を明かして朝。真波の両親にお礼をしたら、良かったらどうぞと湯もちの詰め合わせをいただいた。甘いものは誰も食べないとか、なんとか。こちらがお世話になったというのに、なんだか気を遣わせてしまったようで申し訳なかったが、折角なのでありがたくいただくことにした。
それから来た道を戻るようにしてバイクを走らせる。平日の早朝だからか、大して交通量は無い。夜もそうだが、早朝もそこそこな大きさをしたトラックが走っているので気をつけなければならない。

数時間走って、そのまま大学へ向かおうとしたが一度家へ帰ることにした。荷物を軽くしておきたいというのもあったが、ユキに渡したい土産を家に置いておいたことを思い出したからだ。手嶋くんと水族館へ行ってから今日まで、ほんの数日だが渡すチャンスがあったはずなのだが、その度に持ってくるのを忘れていて今に至る。逆に今思い出したことが奇跡とも言えるだろう。
お土産というのはクッキーの詰め合わせだから、なるべく早く渡してしまいたかったのだ。ついでに、今日貰って来た湯もちも手嶋くんとユキと私で分けてしまおう。箱には5つ入っているから、残りの2つは荒北先輩に渡すとしよう。彼も箱学のOBだから、きっと面白がって貰ってくれるだろう。ついでに、部のみんなが元気だったことも伝えて。

二限を受けて昼休み。自分の昼食に購買でサンドイッチとコーヒーを買って食堂に顔を出せば、案の定ユキがつまらなそうな顔でスマートフォンとにらみ合っていた。目の前に置いている定食に手をつけていないあたり、誰かを待っている様子だ。手嶋くんだろうか。それとも、どこかで知り合った友人か。

「ユキ、おす」
「名前。おーす」

声をかけながら後頭部を押せば、ユキはスマートフォンから目を離して私を確認する。それからようやく気だるげに片手をふらふらと上げて挨拶をした。二限の授業が退屈だったのか、それとも今暇を持て余していたからなのか、なんだか眠そうだ。

「誰待ってんの?」

ユキが椅子に置いていた荷物を退けてくれたので、遠慮なくそこに座る。食堂は徐々に混み始めていて、注文カウンターも長蛇の列が出来上がっている。この食堂は味はともかく安くて量がそこそこ多いため、特に一人暮らしの大学生にとってはオアシスに近い。他にもラーメン屋やハンバーガー屋も近くにあるが、あそこに行くのはバイトの給料日だけだという学生も多いらしい。悲しいことだが。

「手嶋。あいつ、もう混んでるつってんのに懲りずにラーメン頼みやがって。麺類の注文口見ろよ、あの行列だぞ。先食っちまおうかな」
「うわ、ほんまや。食え食え、冷めんで。私が許す。……あ、それはそれとしてユキにこれ渡そ思って」

持っていた紙袋を机にドンと置く。ようやく箸を持ったユキはそれを咥えて、ムニャムニャと何かを言いながらその袋を覗き込んだ。中には水族館のクッキーと、湯もちが一つ入っている。

「……ん?湯もちってお前、箱根帰ったのか」

咥えた箸を離して、湯もちをいろんな方向から眺めながら言う。クッキーはもう一度紙袋にしまわれたが、湯もちはそのまま定食のトレーに鎮座している。食後のデザートにするつもりなのだろう。彼はとりあえず、定食の味噌汁をゆっくりと啜る。

「うん、まあ。悠人に急に呼び出されてん。昨日夕方に急行して、一泊して帰って来た」
「は?マジかよ!俺にも一声かけろよなー」

荒いパン粉で揚げられた安っぽいとんかつをひとかじりして、咀嚼しながら驚きの声をあげたユキは眉間にシワを寄せて、一通り咀嚼が終わってから不満げに再び口を開きそう言った。私は机にサンドイッチを置いてコーヒーを一口飲む。大きめサイズの紙コップに入ったコーヒーはまだ熱くて、とりあえず蓋を開けて置いておくことにした。

「ごめんやんか。急やったし、バイクやったし許してえや。次があったら声かけるからさ」
「まー、いいけどよ。元気してたか、あいつら」

サンドイッチの封を開ける。みずみずしいレタスが指を少し濡らす。ちらりと麺類の注文口を見ると、列が進んでいるんだかいないんだか。少なくとも短くはなっていないようだ。むしろ長くなっているような気もする。

「うん、なんか上手く回してるっぽい。忙殺されてるって銅橋がもう、今にも死にそうな顔しとったけど」
「あー。ま、この時期の三年はそうだよな。インハイメンバーもそろそろ決めなきゃいけねーし、かといって勉強しないわけにもいかねーし」

食堂に備え付けられているテレビは昼の情報番組にチャンネルが合わせられていたらしく、最新家電の紹介をしているようだ。最新型コードレス掃除機の吸引力を見てくださいと小さい発泡スチロールを無意味に吸い取っている。

「おばさん達は?元気そうか」

サンドイッチを指で挟むと、柔らかいパンが指を包むようにへこむ。ユキは私ととんかつを交互に見ながら漬物を口に放り込んで、白米を一口食べている。味について特に感想は無いらしく、意識はどちらかといえば会話の方に比重を傾けているようだ。

「ああ、実家には顔出してへんねん」
「え、じゃあどこ泊まってきたんだよ」
「真波ン家」

少しだけ冷めたコーヒーのカップに口をつけて言えば、ユキは飲んでいた味噌汁が気管に入ったらしく激しく咳き込んでいた。そこまで驚かなくたっていいのに、とも思うけれど、私もユキが地元の女の子の家に泊まって来たと言えばひっくり返ってしまう気もする。
咳き込むユキを横目で見てコーヒーをすする。すると、ユキの背後からラーメンの乗ったトレイが顔を出す。視線を上げれば、そこには手嶋くんが驚いた表情で立っていた。ラーメンのスープが豪快にトレイに溢れているようで、たっぷりの水気がトレイから光を反射している。

「手嶋くん、ウイース」
「名字ちゃん、真波と付き合ってんの?」

挨拶もそこそこに、手嶋くんが私を問い詰めるような目で言う。手嶋くんにも湯もちを渡そうと鞄に手を突っ込んでいた私は思わずその手を止めて、その瞳を見返す。なんだか責められているようにすら思えて少し気分が悪い。

「付き合ってへんけど。何?」

思わず怒気をはらんだ声を出してしまったからか、間に挟まれたユキが嫌そうな顔をしている。私は元来すぐ怒ることをユキは知っているし、怒った時に割と面倒だということも知っているからだろう。しかも今は何故か手嶋くんまでキレているために周りに諌められる人間が彼しかいないのだから、最悪な状況だと言える。私もユキに要らぬ心労をかけるつもりも無い。責めるような視線は私の勘違いだと深く呼吸をして、手嶋くんの瞳を再度覗き込んだ。しかし冷静になって見ても彼の瞳はやっぱり私を責めているように見えて、先ほど突沸した心が逆にひんやりと冷めていく。

「付き合っても無い男の家に泊まるんだ」
「……あ、そお。ウチのことビッチって言いたいんや」
「あ、いや」

手嶋くんの瞳がゆらりと揺れる。私の瞳から逃げるように。それが癪で、呆れる。自分で言ったことなのに、それに返されると動揺するなんて。

「私が誰とセックスしようが手嶋くんに関係なくない。てか、人くらい選ぶし」
「待て待て、なんの話してんだよ。ここは食堂だぞ」

ユキが文字通り私と手嶋くんの間に入る。元から間には居たけれど、いやいやながらも会話にも割って入ったあたり、とりあえず飯を平和に食べたいということなのかもしれない。ユキは人の喧嘩やいざこざをどこか俯瞰して見る節があるから。

「……」
「……」

私たちは睨み合った状態のまま口を噤む。そのうちに手嶋くんはツンと顔を逸らして汁の減ったラーメンに手をつけた。私はその場に居るのも違う気がして荷物を掴んで椅子を引く。喧騒の隙間を縫うようにして食堂のガラス戸を開けば外に吹く風は生暖かくて、これからの季節を予感させるものだった。毛羽立っている気持ちもその温度で撫で付けられて、なんだか泣きそうだ。



とはいえ、食べかけの昼食をそのまま持っておくのもなんなので適当に場所を見つけて食べることにした。ついでに食堂とは別の場所も新たに見つけておこうと周りを見渡すと、デッキ席のすぐ隣、渡り廊下の途中にある少しの階段で荒北先輩がご飯を食べているのを見つけた。

「荒北先輩」
「ウオッ……名字か。びっくりさせんなヨ」

荒北先輩の手にはお茶とサンドイッチが握られていた。恐らく荒北先輩も購買で買ったのだろう。私のサンドイッチと包装が全く同じだった。中身は少し違うようだが。

「荒北先輩が勝手にビクってんでしょお。今日のコンディションはどうです?」

驚く荒北先輩の隣に腰掛けると、荒北先輩も少しだけ体をズラして私の座るスペースを確保してくれた。歓迎されているかは定かでは無いが、少なくとも邪険にされることは無いらしい。

「まあまあだな」
「そですか」

食べかけのサンドイッチを頬張る。レタスは少ししんなりしてしまっていた。コーヒーもぬるくなっていて、苦味と酸味が前面に押し出されている。

「何お前、落ち込んでんの」
「え、そう見えます?」
「じゃなきゃもっとペラペラ喋ってんだろ、お前は」

冷めたコーヒーを前に渋い顔をしているからだろうか、荒北先輩が鋭い視線で私を刺す。目つきの鋭さと先輩の持つ威圧感で分かりにくいが、多分、先輩は私のことを心配してくれているのだろう。

「手嶋くんと喧嘩しちゃって。食堂飛び出してきちゃったんですよねー」

サンドイッチにかぶりつくと、食べている方と逆側からレタスの切れ端が一つ溢れた。包装から半分だけ出して食べていたおかげで地面を汚すことは無かったが。
荒北先輩も私の言葉に適当な相槌を返してサンドイッチを一口食べた。カツサンドだろうか。

「あ、そや。これあげます。湯もち」

荒北先輩用に分けていた袋を取り出す。鞄を見て、手嶋くんに渡しそびれたことを思い出す。荒北先輩に三つ分けても良かったのかもしれないけど、なんとなくそれは憚られて二つだけ渡すことにした。

「湯もち?箱根帰ったノォ?」
「ええ、まあ。部の引き継ぎが上手く出来てへんかったみたいで」

昨日のことをかいつまんで荒北先輩に話す。真波が適当にやっている分銅橋がフォローしていることや、昨年ではずっと後輩としてやってきた悠人がたった数ヶ月で先輩の顔をするようになったこと。荒北先輩はそれにも適当そうに相槌を打っているけれど、話自体はきちんと聞いてくれているだろう。多分。

「で、その日は真波の家に泊まったんですけど、お隣の宮原さんって女の子が」
「……手嶋と喧嘩って、もしかしてそのことォ?」
「え?」

鋭い指摘に思わず狼狽する。確かに手嶋くんは私が真波の家に泊まったということに対して、何か怒っていたようだったから。だからってあんなこと言われる筋合いは無いが。

「あー、なんか。……付き合ってへん男の家に泊まんねやお前はみたいなこと言われて、カチンと来て、それで……」
「手嶋……はあ、もうお前らいっぺん面と向かって派手に喧嘩すればァ?」

早々にサンドイッチを食べ終えた荒北先輩は500mlのペットボトルからお茶を飲んで投げるような口調でそう言う。何か考えがあってのことなのかは定かではない。

「手出ちゃうかもしれへんですよ」
「出すなヨ……」





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