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「あーーーー」
「なーに呻いてんだ」
「ーーらきたせんぱい」
「奇声ついでに人を呼ぶな」
レジ袋を提げた荒北先輩がいつの間にか私の背後に立っていた。気だるげに立っているだけで妙にそれっぽくなっているのはスラリとしたスタイルのせいだろうか。
「なんか、手嶋くん風邪ひいたらしくて」
「マジかよあいつ……まあ、最近気温の上下もエグいからナァ」
「あ、いや、冷めたお風呂にずっと入ってた言うてましたけど」
「……」
心配しているような表情から一気に呆れ顔へと表情を変えた荒北先輩はスマホを取り出して何かしらを確認しているようだ。人のスマホ画面を盗み見る趣味もないので、何をしているかは分からないけれど、メッセージ通知が来ていたのかもしれない。
「黒田既読つかねーな」
「ああ、今手嶋くんとこ行ってるみたいなんで」
画面で確認したのはユキへのメッセージだったらしい。部活のことか、世間話かは分からないが何かのやりとりを行っているらしい。ユキは比較的既読の速度が早い方で、その日に送ったメッセージは大抵その日の内に返ってくるタイプだ。だから荒北先輩も既読がつかないことを疑問に思っているのかもしれない。
ちなみにアブくんも既読がつくのは早いが、返事が事務的なタイプ。私は急を要さない会話だと返事がローテンポなタイプだ。シキバくんに至ってはスマホを携帯する気があまり無いらしく、数日あけて返事が来ることもザラだ。
「見舞いも良いけどアイツら次の試合もあんのに共倒れしたらどうする気だよ」
「私が行ければ良かったんですけどね」
「行きゃい……や、そうもいかねーわけネェ」
訳知り顔で眉根を寄せた荒北さんは口元では笑って顎をさする。手嶋くんの気持ちを知った今となっては、そんな表情一つで荒北先輩も手嶋くんの思惑を察しているのだと気がつく。私がいない間に相談していたのかもしれないし、手嶋くんの普段の言動や行動である程度見当がついているのかもしれない。もし前者だとしたら、私は疎外感を抱いてしまうだろう。
私のいないところでいろんな人が「手嶋は名字が好きだ」という事実が共有されて、私と手嶋くんの一挙一動がエンタメになりうる状況だったというのはなんというか、少し複雑だ。あまり良い感情を持たないのは確かだが、恋愛感情を一人で消化するのはきっと難しいことなのだろう。私でさえ今までも色んな人から相談自体は受けてきたのだから、それくらいはわかる。それに、相談していない場合は私にも手嶋くんにもどうしようも無いのだから、誰かを責めることも出来ない。
「面倒ですよ、恋愛とか」
呟くつもりなんてなかったのだが、いつのまにか口をついて出ていたその言葉は荒北先輩に届いてしまったらしい。思わず口を塞いで荒北先輩の顔を見れば、少し目を見開いて口をへの字に曲げている。怪訝そうなその顔にため息が出そうになったが、それはどうにか抑えることが出来た。
「手嶋のこと、迷惑?」
「あ、いや、そういう訳じゃなくて。ただその、なんていうか……いや、聞いてもおもんないですよこんな話」
うまく言葉が紡げずしどろもどろしてしまう私に、荒北先輩は一瞬目を細めて面倒そうに鼻から息を吐いて口を開く。
「ま、言いたくねえってんならわざわざ聞かねーヨ」
「じゃ、言いません。でもほんまに手嶋くんが迷惑とか、そういうことでは無いですよ」
正直ホッとしている自分がいることに気がついて、嫌な気分になる。うまく言葉にできない感情の表層をこうも簡単に人に晒してしまった自分の軽率さや自制心の無さなんかが今の会話で押し寄せて私の息を奪うようだ。
荒北先輩は移動する場所があるのか、私の顔をジッと眺めたかと思えば「じゃあな」とあっさりその場を離れていった。展開についていけずぼんやりと荒北先輩の背中を見ることしか出来なかったのだが、急にスマートフォンが震えだしてようやく現実に引き戻された。液晶画面を覗くと、手嶋の文字が浮かんでいた。
今さっきの話題にあがっていた人物からの突然の電話に一瞬思考が止まったが、電話は鳴り続けている。一瞬その電話を取るかどうかすら考えもしたが、病人である手嶋くんからの電話だ。もしかしたらのっぴきならない理由があるのかもしれないと考え直して緑色のボタンをタップした。
「も、もしもしっ」
『あ、出た』
「はあ?」
しかし、予想に反して聞こえてきた声はのんびりとしていて、しかもその声の持ち主は明らかに手嶋くんのものではなかった。とはいえその声には聞き覚えがある。それは先ほど別れたユキのもので、手嶋くんのスマートフォンを使ってわざわざ私に電話をかける意味が分からなかった。
「なんで手嶋くんのケータイからかけてくんねん」
『いや、なんか手嶋がとにかくお前に電話しなきゃダメだってうわ言みてーに言うから』
「え?なん…………あ、もしかして」
そういえば、今日手嶋くんと話す予定が元々あったのだ。3日前の問いの答えを聞くために、今日の昼休みは部室に集合の予定をしていて、朝から連絡を取ろうとしたら全くかえってこなかった。だからこそ私は昼休みを使ってわざわざユキを探して、今日手嶋くんが風邪で寝込んでいることを知った。
「うわ、うわー、そんな……ええのにまた今度でも」
『はあ?なんの話……ん、ンだよ手嶋。……あーはいはい。名前、手嶋に代わるから』
ユキの声の合間に遠くから少しかすれた手嶋くんの声が聞こえる。何を言っているかはよく聞き取れなかったし、小さく咳をするような音もした。
あの問いは答えを急くようなものではない。そもそも、私が愛とは何かを自分以外の価値観で見てみたかったというだけだからだ。ユキや悠人、宮原さんなんかはサッと返事をくれたものだが、アブくんやシキバくんからは未だ返事が来ていない。アブくんに関しては既読がついているから、少し考えているのかもしれないし、くだらないと思いスルーをしているのかもしれない。シキバくんに至っては既読すらついていないのだ。
ならば一体なぜ、と一瞬だけ考えて、そういえば私は苦し紛れに「仕事」というワードを出したのだった。ならば手嶋くんは期日に答えを出そうとするのは当たり前で、私の余計な一言で彼に無理をさせているのだと罪悪感が胸を巣食う。
『げほ、もしもし、ごめん今日。いっぱいメッセージくれてたの、さっき知って』
「いや、いやいやいや!そんなんええねん、私もごめんな、まさか風邪やと思わへんくて……。全然その、この間の質問は急がへんから」
『いや、今日さあ……起きて、ごほ、ようやくまとまったっていうか。急いでるわけじゃなくて、聞いて欲しくて』
風邪の時特有の少し篭ったような咳を合間に挟みながら手嶋くんはゆっくりと話す。きっと彼自身はゆっくり話している自覚は無いのだろうが、少し頭が朦朧としているのだと思う。呂律も少しだけ甘く、発音が危うく聞こえる。
なのに聞いてほしいと言ってわざわざ電話してくる手嶋くんを止める手立ては私には無い。身近にいるユキなら無理やりにでもスマホを取り上げて寝かせることもできるのだろうが、ユキにそんなつもりはないらしい。今ユキは手嶋くんの隣にいるのだろうか。
『えーと、愛とは……だよな。なんていうか、愛とは……凄くメンドくさくて、他人に自分の内を明かす、危険な感情なんだと思う……ん、だよ』
訥々と話す手嶋くんの言葉に合いの手が入らないあたり、ユキは少し遠い場所にいるのかもしれない。手嶋くんの声も少しだけ篭っていて、少し声を潜めているのだろう。ひっそりと呟かれたその言葉を私はきちんと聞けているだろうか。
凄くメンドくさくて危険な感情が愛。愛は包容力なんかに例えられて語られがちなものなのに、随分と過激な言葉でラッピングしたものだ。
『恋なんてのは不確実って、ちょっと色々と参考にしてた時読んだんだけどさ。そこは…げほ、ごめん。そこは愛も同じなんじゃないのかなと思って。そもそも感情なんて不変なわけないし、愛してるからって色んなものを与えあって、自分をさらけ出すのはリスクがあると思って』
「じゃあ、なんで人は人を愛するんやろうね」
『リスクを背負うのが好きなのかもしれない。まあ、性欲かもしれないけど。不確定なものを相互に確認しあって過ごすことで生まれるメリットが……多分、あるのかなと思って。いや、俺もその辺はよくわかんねーけど、例えば承認欲求が満たされるとか、独占欲が満たされるとか、そういった、割と独りよがりな』
うん、と相槌を打ってはいるが、それが手嶋くんの耳にしっかり届いているのかは定かでは無い。彼はとにかく、自分の中に作られた文章を吐き出すことに集中しているようだった。
この三日間、手嶋くんは色々と見聞きし、考えてくれていたらしい。色々な文献や記事などと自分の価値観のギャップを埋めるようにして言葉を作り上げていることが何となく分かる。
『そういう欲求とかは、結構、友達とかさ、そういうのでも満たされるんだと思うんだけど……。ただ、友達っていう関係に内包されてる意味としては少し外れてるなって感じる人もいて、そういうのって、そういった感情をぶつけられないと分からないっていうか。ええと、友達という言葉だけでは合意が取れない可能性がそこそこあるんじゃないかって……俺、ちゃんと話せてる?』
「うん、大丈夫」
『その点、愛情を持ち寄っている関係だったら、こう、うーんと、ベン図みたいに、友情と重なるところと、そうじゃないところを持ち合わせてて……人によってそのベン図の重なり合い具合とか、中身とかは少しずつ変わってくるんだろうけど』
つまり、手嶋くんは友情という円に内包されるワードと、愛情という円に内包されているワードは一部重なり合っていて、反対にお互いが持ち合わせていない要素もあると言いたいらしい。しかしワードがどちらの円に入るかはマジョリティが存在し、大概はそれらに沿って人々は社会を営んでいる。マイノリティはそれらにうまく順応するか、うまくマイノリティ同士が惹かれあっている。
人によってその二つの円はほとんど重なり合っていることもあるだろうし、ほんの少ししか重なっていない可能性もある、そこは多様性ということだろうか。
『だから、こう、その辺りのすり合わせが出来てなかったら友情だとしても愛情だとしても瓦解することはあって……相手に何を求めているのか、その求めているものはどっちの円に分類されているのか、自分でちゃんと見極める必要はあるっていうか……あー、俺だめかも。結局話まとめられてないわ。ごめん』
「風邪ひいてんねんもん、頭回ってへんのやと思うわ。今はほんま、無理せんで。ゆっくり寝え」
『……そうする』
「うん、おやすみ」
着信が切れた音とチャイムの音が同時に聞こえた。私も、多分ユキも三限は遅刻だ。手嶋くんからの話も整理したかったし、どちらにせよ今日の三限はきっと出られなかったのだろうけれど。未だふわつく頭で荷物をまとめて学校の図書館へと足を進めた。
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