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「……お前さあ」

電話が切られ、金城先輩たちは早々に自転車を出しに行ってしまった。諸先輩がたは駐輪場を見る限り、部室には寄らずにあらかじめ決まっているアップを始めているようだった。それが各自終わり次第部室に適宜集合してミーティングといった具合だろうか。
私はともかく、ユキは早く行った方がいいのではないかと声をかけようとした矢先、風が空気を割く音や木の揺れる鮮やかな音とともにユキが重々しく声をあげた。

「なに?」
「いや、何ってお前……こっちが言いてえわ。さっきからそわそわそわそわしやがって」

ユキは私のウィンドブレーカーの袖をつまんで、私の腕ごと持ち上げる。ウィンドブレーカー特有のきぬ擦れの音が高く鳴って、ユキはこれ見よがしにため息をついた。

「してへんよ?」
「あー?あのなあ、さっきからシャカシャカうるせーの、上着が」

持ち上げた袖をブンブン振られて、ようやく自分が電話中ずっと指を組んだり、離したりを繰り返していたことに気がついた。普段からしていない仕草な訳では無いが、目上の先輩や取引先と話している時や、神経を張り詰めている時に頻出するものである自覚はあった。
だが癖というのは恐ろしいもので、分かっていても思わずやってしまうのが大半なのだ。

「手嶋となんかあった?」
「……あったけど、今ユキに言えるよなこたあらへんよ」
「素直なんだかめんどくせーんだか、微妙に分かんねーんだよな……。てか、その状態でよく手嶋んちもっかい行くとか言いだしたな」
「朝の様子見てると、やっぱ心配やし」

言いながらゆっくりと部室を出る。駐輪スペースと部の資材倉庫は隣接していて、大して距離は無い。外は薄く曇っていて、少しすれば雨が降りそうだった。選手たちは濡れてもすぐにシャワーを浴びれば済む話だが、女性である私はそう簡単にはいかない。シャワー室もあるにはあるが、それよりも下着が濡れていると厄介だからだ。髪を乾かす時間だって、そう取れるものでもない。
幸い倉庫に自分用のレインコートを置いてあるため、雨が降ればそれでしのぐことにしよう。

「そういやお前の口からあんま惚れた腫れた聞かねーけど、そもそも興味無いんだっけ?」
「あー、まあ……まあまあ……」
「流した」

ユキの言葉に笑いともうめきともとれる声を漏らして屋根のある駐輪スペースに入った途端、遠くから雷の落ちる音がした。一瞬地響きかと思ったそれは間を空けて再び周囲を白く染めて低く唸り声をあげた。呆気にとられて二人で会話を止めて遠い空を眺めていると、まるでカーテンのようにも見える豪雨がゆっくりとこちらへ近づいていた。屋根がある場所にいるからこそこんなに冷静にその動きを見ていられるが、練習に出ている先輩方を思うと気の毒だ。

「超豪雨じゃん」
「雷鳴っとるしここでアップはじめんのちょっと待と。すぐ止みそうやけど……あ、ごめん嘘ついた。止まへんっぽい」

ポケットからスマートフォンを取り出して天気を確かめる。ゲリラ豪雨だろうと見込んでいたが、どうやら夜まで降り続くらしい。恐らく、少しすれば風の勢いがおさまって雨雲がここ一帯で停滞するのだろう。

「まーじかよ、ツイてねーっ!中迫先輩電話したら出るか……?必死で漕いでっかな」
「びみょいな。あーでも、金城先輩らはすぐ帰ってきゃはるんちゃう?さっき行ったばっかやし、この風と雨と雷てなったら流石に撤退やろ」
「あー、確かにな。とりま一回中迫先輩には掛けるわ。名前タオル出しててくんね?」
「まーかして」

自転車は天気に関わらず出来るスポーツではあるが、ロードバイクのタイヤにはママチャリやクロスバイクのような溝は無い。故に雨天の運転は危険が伴い、市街を走るルートは特に注意が必要になる。特に急を要さない場合、雨脚が激しくなれば引き返すのがベターだ。
ユキがスマートフォンを耳にあて、私は資材倉庫に引っ込む。雨のせいか少しこもった空気に包まれて、洗濯機のそばにあるタオル置きの棚を開ける。洗剤の香りが広がって、晴れの朝を想起させた。タオルが何枚必要になるのか考えるのも面倒になって、引き出しごと抱えて駐輪スペースへ再び顔を出す。
ユキは落ち着きなく空いたスペースを練り歩きながら電話先と話していて、私は雨の音とその声をBGMにして校門の方面を眺め見た。
雨の音は人を集中させるとよく言うが、物思いに耽るのには確かにぴったりだ。恐らく遠くまで行っている先輩は雨脚が落ち着くまで周辺の施設で雨宿りをするだろう。もし金城先輩たちがまだ近くに居たら車を出して先輩を回収するかもしれないが、とにかく、部員全員が揃うのは時間がかかるだろう。そうすれば、最後の人が戻ってくる頃には部は切り上げの雰囲気になることは必至だ。次のレースも決まっている今、雨天時は室内トレーニングになるが、雨に打たれたとなると体調面も不安になる。
となると、私とユキは早々に手嶋くんの様子を見に行くだろう。風邪のある日に大雨となると、動く気力なんてきっと無いだろうから、ご飯を作ったりくらいはするだろうし、きっと手嶋くんと二人で話すタイミングだってあるはずだ。私と手嶋くんはその時どんな話をするのだろうか。

「名前ー。中迫先輩商店街の方まで行ってるらしいから風止むまでちょっと待つらしいわ。出来そうなら車で回収してくれって。どうする?」
「うん、でもこっちにももう一組、二組は居てほしいから金城先輩ら戻ってきてほしいねんな。車言うても一気に運べんの数知れてるし……。てか何、まだ電話繋がってるん?」
「だ、そうです」
『金城たち?まだこっちでは見てないな。俺ら戻りの途中だったから、こっちまできてたらわかると思うし』

電話から中迫先輩の落ち着いた声が聞こえる。屋根のある場所にいるのだろう。雨の音はくぐもっている。抱えたままだったタオルの引き出しを地面に置いて、数枚手に持って広げた。中迫さんの声を不意に耳にしたからか、先ほどまでの考えは霧散し、とにかく金城さんたちの人影を待つ。

「繋がってんなら最初に言うてえな……。あ、金城先輩」

雨で靄かかる視界で、自転車と人の姿が数個目に入った。着ているサイクリングジャージや自転車の車体から、金城先輩と待宮先輩だとわかる。荒北先輩は先に出ていたから、彼らにタオルを渡したらすぐに連絡をしよう。

「お疲れ様です。タオル使ってください。シャワー室も多分、今は空いてますから冷えないうちに」
「名前、黒田。ありがとう。先輩方はまだか」
「そっすね。先輩と俺らで二台車出して先輩たち回収しろって、中迫さんからのお達しです」

転がり込むように自転車を降りた二人にタオルを渡して、荒北さんへ電話をかける。とにかく、金城先輩と荒北先輩が体を温めたらすぐに車を出さなくては。

「あ?われら免許取れたんか」
「ああ、まあ、ついこの間」

少し長いコール音にやきもきしながら倉庫にある鍵掛けを開けて車のキーを二本取り出す。同じ形をしているが、先端の形状だけが異なる。部で所有するバンのキーだ。うちの部に注目している個人や会社からの支援金で購入した中古品で、大していい車ではないが乗り回しが良い。

『荒北ァ』
「あ!荒北さん。今どこ居はりますか?回収行きます」
『アァ?いらねーよンなモン。すぐ止むだろこんな雨』
「止まへんから言うてんですよ……どこ居はるんですかってば」

荒北先輩の居どころを聞き出して、ユキがコンタクトを取ってくれた先輩がたの場所をまとめて、道順を作る。二人が戻ってき次第、回収計画を立てよう。車にタオルを積んで、車内を暖かくして。
後のことはそれから考えよう。





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