Side黒田
少し以前の話をしよう。
多分、名前は手嶋が自分のことをどう思っているのか薄々勘付いている。あくまで憶測だが、いつの間にか名前が手嶋に対して若干の距離を取っている気がしてならないのだ。だからといって完全に離れるそぶりもなく、様子をうかがっているようにも見えた。
しかし名前も手嶋もそれに気がついているのかいないのか、案外いつも通りな雰囲気を纏っていて、俺がどうこうするという空気でもなさそうだ。 わざわざ俺が割って入って変に関係がこじれることは避けたいし、割って入ったところで名前は何か態度を変えたりすることもないだろうと考えてのことだ。それに多分手嶋もそれを望んでいないだろう。重ねて言えば俺も望んでいない。
どんな形であれ、二人が二人のペースで関係を変えたり、変えなかったりすればそれで良いのだろう。自転車もそうだが、結局は何にしたって自分次第なのだ。自分がダメだと思うのならそこで足を止めたらいい。自分の順位はもちろん下がるが、それも結果だ。
俺としては名前と手嶋がくっついてもくっつかなくても割とどうでも良い。と言うと冷たいように聞こえるかもしれないが、結局のところ決めるのはあの二人なのだという意識が強くあった。そのために話し合いの時間を持ちたいのであれば俺は協力を厭わないし(口では文句を言うだろうが)、どちらかが落ち込んでいるのならば友人として話を聞こうとも思う。
回想おわり。
とにかく、俺は俺なりに二人のことを考えなくもなかった、ということだ。だからこそ、寒い中食材を買いに出たのだった。
「にしたって降りすぎだろ……」
傘を持っているのにもかかわらず、そんなことお構いなしというように風とともにパンツや薄手のコートを雨粒が濡らす。手嶋の部屋から近くのスーパーまでは歩いて10分。道すがら何を作るか考えて、そういえば手嶋の家の冷蔵庫の中身を確認していなかったことに思い至る。残った食材は手嶋にやったっていいんだが、量が多すぎると一人暮らしには消費か難しいから俺と名前でも分けよう。分けるのが難しいものは使いきれるサイズのものを買うことにする。
三人で適当に分けられて、病人にも良いもの。靴に雨が染み込んで気持ち悪いが、スーパーはすぐそこだ。
俺がこんなに面倒見のいいやつだとは正直自分でも思っていなかった。塔一郎がいるから、多少他人の面倒を見ることは慣れている自覚があったが、恋愛ごとなんていうのは面倒であまり関わりたくないというのが本音だ。自分ごとであっても中々に面倒なもんだから、同じスタンスを持つ異性と適当に会うくらいしかしていない。もしかしたらいつか、この人だという人間が見つかって落ち着くのかもしれないが、今の段階ではそんな自分があまり想像出来なかった。塔一郎はこういう交際(とも呼べない、ただのセフレ作りだ)に時折苦言を呈してきた。こういうことに関しては塔一郎の方が面倒見がいいというか、正しい倫理を学んでくれといったような様子だった。そんな一般的で大衆的な倫理、俺に合わないんだから仕方ねーだろうが。
三人で分け合うなら鍋物がいい。この時期に寄せ鍋というのもどうかと思うから、カレーか、ハッシュドビーフか、クリームシチューか。大穴で水餃子なんてのも良いが、作るのが少し面倒だし、中華に関してだけは名前の方がリーチがあるからなんだか癪だ。それに、病み上がりがいるからスパイスをたくさん使っているカレーは避けよう。
多分、俺が出ている今二人は何かしらを話しているのだろう。部活前、名前が「なにかはあったが俺に言うほどではない」と言っていた。名前の性格を考えると、二人になればきちんと膝突き合わせて話せるはずだ。
何があったかというと、正直俺はなんとなくわかっている。問題は名前が何を思っているのかだった。俺は手嶋からそこそこに話を聞いていたし、回想の通り、二人がなんとなくお互いを意識していることはわかっていた。ただ、名前が一筋縄で行かなかったというだけだ。
高校の頃、セフレがどうとか、彼氏がどうとか言っていた人間がここまで何かを考えて拗らせているとは正直思ってもみなかった。事態はもっと簡単に終わりだかはじまりだかを迎えるものだと思っていて、だからこそ俺は案外楽観的だった。
確かに名前はあまり仲良くない異性は苦手な傾向があると思う。今の部の先輩だって、数人には多分苦手意識を持っているんだろう。知り合いの知り合い、というのなら結構話せるやつなのだが、第一印象でもって女だと意識されるのが苦手だとどこかで言っていたような気もする。誰かの知り合いの知り合いってんなら、確かに相手も自分も第一印象は男とか女とかじゃなくて「誰々の知り合い」だろう。
箱学自転車部の俺らも、京都伏見から来たマネージャーと伝えられた時は男とか女とかじゃなく、「京都伏見の」というところに引っかかりを覚えていた。だからこそあいつはあいつなりにマネージャーを楽しめていたのだろう。
じゃあなんでセフレは欲しがんだとか、そういうところまでは俺が考えることでもない。勝手に分かったヅラされたって、名前もいい気がしないだろうし、そんなとこまで考えたって俺がどうこうできる話でもない。ただ、名前がそれで俺らと居る時に知らねえやつとかから嫌な思いをさせられるっていうのなら遠ざけてやりたいとも、遠ざけるとは言わないまでもかばってやりたいとは思う。
結局俺は男で、名前は女だ。力だって男の俺の方があるし、多分、鍛えてないやつでも名前には力で勝てる。それは女だ、エロいなとかそういうことじゃなく(そもそも非力であることをエロくは感じない)、男たるもの女を守ってやらなきゃいけないとかそういうことでもない。ただ、目の前の人間が、どうしようもない属性でもってして嫌な目にあっているのを見るのは俺としても最悪の気分だってそれだけの話だ。もし自業自得だってんならともかく、本人に非のないことで妙なことを言われたり、されたりするのは我慢ならない。塔一郎がキャプテンに任命された時、俺がどうしようもなく怒りを覚えたように。
だから、名前がどの異性も基本的に少し苦手ということを否定する気にもならないし、俺や、俺たちが例外だというのはそれだけで信頼を示されているようで嬉しく思う。その信頼に応えてやらなくては、とも。
あいつが、こと今回の恋愛に対しては一筋縄でいかないのは、手嶋が「俺たち側」だからなのかもしれない。
スーパーの自動ドアをくぐるとチープで軽快な音楽に迎えられる。カゴを手に持って必要な野菜を必要な分手にとってカゴに打ち込む。ブロッコリーが安い。ブロッコリーは買ってから一度に茹でてしまえば冷凍保存ができるし、ちょっとの味つけですぐ食べられる。彩りも良く、ビタミンも豊富だ(茹でる時に半分ほどが流れ出てしまうらしいが、そんなことは知らん)。手嶋は自炊をする方らしいから、冷凍庫に残りがあってもそこそこ使うだろう。ブロッコリーを買うということは、今日のメニューはシチューに決定した。残りのルートで必要な食材を回収しよう。
兎にも角にも、俺が戻るまでに二人がそれなりに話し合えたらと思う。最悪の展開は、どうでもいい世間話で間を持たせて俺が帰ってきた時に何も変わっていないことだろうが、正直それについては心配をしていない。名前も手嶋も、そこまで不誠実な奴ではない……はずだ。
肉は鶏肉でいいだろう。ささみを選ぶと口当たりもさっぱりしてタンパク質も摂れる。きちんとほぐしてやれば病み上がりでも体に負担は少ないはずだ。あとは牛乳を買って、ルーも買わなければ。
実は、手嶋からは何度か話を聞いていた。高校の頃の名前がどんな奴だったのか、付き合っている人間はいるのか。
手嶋は案外女と付き合うことはあったらしい。名前への態度を見てなんとなく想像はついていたが、男だから女だからと態度を変えない割に優しい部分があって、話も面白い。女っていうのは面倒なもので、多数と出かける時に自分だけを特別視されることを嫌う。誰にも分け隔てなく構って、気を遣う人間には目をつけるし、そうなったら今度は自分を特別視されたいと思うらしい(俺も適当に寝た奴から聞いた話だから、全てが全てそうという訳では無いが、ともかくそういう女は結構いるらしかった)。男女半々くらいのグループで遊びに行くと、必ずといっていいほど誰かに惚れられていたというから食えない奴だ。
だからこそ逆に、あいつから誰かを好きになってアプローチする機会は少なく、名前への距離を測りかねていた。何度も俺と名前との関係について聞いてきたし、この距離の近さが名前のデフォルトなのかと落ち込んでいるんだか、安心しているんだか分からない声色で零したこともあった。真波との一件を聞いて激昂した後も半分泣きそうになりながら「名字ちゃんは一体何なんだ」と言っていて、ちょっと笑った。
俺としては、手嶋よりも名前との付き合いが長い分、どうしても名前への心配が勝っていた部分は否めない。手嶋は絶対に良い奴だったし、男として手嶋の気持ちも分からなくは無かったから、二人が円満な関係を築ければ良いとは思っていたが、もし手嶋が名前を傷つけるようなら、俺は名前の側につくだろう。両方を信頼しているが、万が一を考えずにはいられなかった。正直、手嶋の部屋へ戻った時の空気が重かったらと思うとスーパーを歩く足取りは重くなる。
会計を済ませてスーパーを出る。雨足は弱まることなく、むしろ強まっている気さえする。傘を開いて一歩外に出ると吹き付ける風が傘を飛ばしかけた。片手は買ったもので埋まっているから、傘を持つ手にグッと力をこめて、どうか風で裏返らないように祈った。それが今部屋で待つ二人が仲違いしないことを祈る気持ちと重なって、我ながら心配性だと鼻で笑った。
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