06
セミの声はいつの間にか聞こえなくなっていた。代わりに頬を撫でる風は冷たく、人肌恋しい季節になった。名前も知らない校庭の木は地面をどんぐりで飾り立てていて、あの木はブナ科の植物らしいと知る。
「インハイも終わったし、彼氏作ろかな」
「名前的な人との付き合いってそういうモノなの?」
「ちゃう」
インターハイが終わり、部活へ顔を出す時間が大きく減った。トレーニングなどは行っているものの、下級生に比べて短い時間で切り上げて勉強に費やす時間を増やすようになったからだ。スクールバッグは以前よりも重みを増している。
日が短くなってきたことから自習室の開放時間は短くなってしまったが、それでも19時までは開放されているのだからありがたい。寮に住んでいる人は自習室よりも寮の共有スペースを利用している人が多いからか利用者はまばらなのだが。
「ちゃうねんけど、ほら、秋やし……新しいことしたいちゅーか……。ま、冬は私ら受験やからクリスマスとかバレンタインは出来ひんけどさあ。あー、そう思うと彼氏とかは今からやと遅いか。ハー、じゃあセフレとかか……」
「セ……健全じゃないな、そういうのは。本当に行動に移す気?あんまり人の付き合い方なんてのに口を出すつもりは無いけど、今じゃ無いのは確かなんじゃないかな」
「んー。私もそう思うしせえへんよ、とりあえず今は。あー、でもなあー」
ユキとシキバくんは一度寮に戻ってテキストを取ってくるらしく、自習室も時間が経つほどに人が消えていき、このブースには今私とアブくんだけが残されている。
色々な大学を見て回ったものの、結局私は洋南大学を第一希望にすることにした。偏差値的にも今のところは射程内だし、何よりも経営学科に話の上手い教授が居たからだ。机に広げられた赤本は昨年のものだ。しかも工学部のものなので、正直な話私の参考になる部分は少ない。インターハイが終わった後、少しの夏休みに荒北先輩から譲り受けたのだが、これでもかと貼られた付箋とマーカー線で正直扱いにくいったらない。それでも荒北先輩の努力が垣間見えるこのテキストは大切に使おうと決めている。もちろん今年度分の赤本も隣に並べられているけれど。
「遅くなった。何の話だ?」
「もう始めてる?」
「雑談しとった」
ブースの戸が静かに開かれたわりにガヤガヤと寮に戻っていた二人が入ってくる。周囲に誰もいないと分かっていたからだろうが、それにしたって部活終わりに元気なものだ。
ユキが私の隣、シキバくんがアブくんの隣の席に座り、手早く赤本とノート、参考書の類を机に広げる。それだけで4人掛けの机はめいっぱいだ。
「名前が人肌恋しいんだって」
「言い方ぁ!」
呆れた風に言うアブくんに、残りの二人は同意とも否定ともつかない反応を返す。
「彼氏でも作ればいいんじゃねーの。知らねー男からよく呼び出されてるだろ」
ユキはどうやら恋愛や性に関する見方が私に似ているらしい。どちらかといえば性に奔放で、恋愛というよりも適当に楽しく人と関われれば良いというタイプ。面倒になったら別れればいいし、そもそも付き合うだの別れるだのの手続きが煩わしいといったような。とはいえユキから直接そういう考え方をしていると聞いたことがある訳ではなく、なんとなくの肌感なので、もしかすると彼の内心は恋に燃えているのかもしれない。
「ええっ、そうなの!?モテるんだね、名前ちゃん」
「いやや、あんなん顔モテやんか。ちゃんと付き合おて思うんやったら話したこともない人にモテてもしゃーないねんな。かといって毎日顔合わす人もそれはそれで面倒やし……。てか、なんやったら恋人ちゃうくてもええわ。人と関われればええんやし、交友広がったらそれで」
「キミは今の人間関係に飽きているのかい……?」
「ちゃうけどさあ、だってウチら基本的に土日連れ立って遊びに行くとかそういう感じちゃうやんか。なんかこう……一緒にカフェとかさあ、行ける友達が欲しい」
アブくんが得心いったという風に「ああ、確かに」と言って、シャープペンシルを手の上でくるりと回した。
話しながら手持ち無沙汰にマーカーだらけの赤本を捲ると、荒北先輩の文字でワンポイントメモが書き殴られている。ノートに書けばいいのにと思ったが、これだけのマーカーが引かれている本だ、どちらかというとノートよりも赤本を見る事の方が多かったのだろう。
ユキが横目で赤本を見ているのが何となくだが肩越しに伝わってくる。荒北先輩と特に仲の良かったユキは感じるものがあるのだろうか。
「そういえば、純ちゃんも洋南受けるって言ってたなあ」
私の赤本を見たシキバくんがこぼす。今年度版の赤本は閉じて置いてあったから、表紙を見てふと思い浮かんだのだろう。
純ちゃん、というのは確か総北のキャプテンだった筈だ。この夏のインターハイでは真波やシキバくんと山岳賞を競ったことが強く記憶に残っている。今でも目を閉じればサポートの車で聞いた実況の音声で手に汗握った光景が鮮明に思い出すことができそうなくらい、緊迫したレースだった。
「そうなんや。試験とかで一緒になったりすんねやろか。つっても向こうが私のこと知ってるか微妙やけど……」
「折角だし総北と箱学で勉強会してえな。お互い遠いから厳しいか」
「でも久しぶりに東京に遊びに行くくらいなら良いかも。この辺クラシックのCD置いてるお店少ないんだよね」
「てかお前それ経済学部の赤本じゃねーか。文転すんの?」
「便宜上そうなんねんな〜。経済学部って数3とか使うのに文系なんおかしいと思わん?」
口々にどうでもいい話をしながらそれぞれのテキストとノートを開く。そのうちに口数は減っていき、問題に関する話題や授業に関する話題が増えていった。
結局復習と予習、加えてワークを数ページこなして今日は解散になった。気が付くと日はとっぷり暮れていて、かなり日が短くなったことを実感した。いよいよ模試の回数も増えて、勉強も追い込みとなる。流石にこんな暗い中で1人帰らせる訳にもいかないと思ったのか、3人は私を実家まで送り届けてくれた。
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