07


大変困った事が起きている。
前々から……特に、私達よりも1つ上の先輩が在学していた頃は3ヶ月に1度程のペースであった事だが、最近めっきり無くなったので皆懲りたものだと思い込んでいた。しかしそうだ、先輩が卒業するということは、1年生が入学してくるということだ。
だがまさか、部活を引退したこんな時期に来るなんて。窓から見える木々についていた葉は7割ほどが落ちただろうか。少し寒々しい。

「あの、名字先輩って……自転車部の人達と凄く仲が良いですよね」
「まあほぼ引退したもののマネージャーなんで、ある程度は」

いわゆるお呼び出しだ。

お友達だろうか。数人を引き連れて現れたのは1年生だ。名前を確か、小松さんといった筈だ。得意なことはチェロだとか。おいしい人材は居ないかと新入生名簿を見た際に1年生の名前と得意分野はある程度リサーチして覚えておいたのがこのような形で役に立つとは。
廊下で呼び止められた時に雰囲気である程度察しはついていたけれど、場所を変えて正解だったな。人数が増えたのは誤算だったが。

「真波先輩とお付き合いをされてるってうかがって……」

確かにこの噂がまことしやかにささやかれていることは把握していたが、情報源が突き止められずにいた。確かに真波はユキと話すためか、それとも新キャプテンとしてアブくんに話を聞きにかしばしば3年生のフロアに足を運んできている。私はそのついでに話しているだけだ。特に最近は部活にもあまり出れていない。火のないところに煙は立たない筈なのだが。

「えーと、ごめんなんやけど……それってどこ情報なんスかね」
「否定されないんですね」
「話を聞いてくれ〜」

心当たりがあるとすれば数ヶ月前、インターハイの直後だろうか。追い出しレースまではまだ時間があるものの、いよいよ勉強への比重を増やし始めた頃だ。制御係だったユキが消えてより奔放になってしまった真波はその日も行方不明だった。
正直な話まだ外はかなりの気温だ。真波の事なのであまり心配は要らないだろうが、やはり熱中症などがあれば危ないからと銅橋が探し回っていたところにタイミングよく私が現れたらしい。こちらはやっていた設問がひと段落したので勉強会を軽く抜け出し、お茶でも買うついでに次期キャプテン最有力候補の様子でも見に行こうと思っていた矢先だった。
半ば呆れた様子の銅橋に状況を聞き、こちらに越してくる際に買った原付に水とスポーツドリンクを載せて、真波御用達の山まで行ってみる事にした。銅橋と、恐らく別行動で探し回っているだろう悠人には「いつものトレーニングに戻ってもいいよ」と伝えて。

結局のところ真波はいつもの山を楽しんでいる様子で、特に具合が悪いような気配も見受けられずに無事確保する事が出来た。突如原付で現れた私に少々面食らった表情を見せた真波だったが、直ぐに「それで隣走ってみてくださいよ!全開で!」などと言い出したので法令遵守と安全確保の精神でそれをキッパリ断る。
シートに積んでいた荷物を少しだけ軽くしたところで法定速度内のサイクリングじみたことをして部室へ戻るとユキ達が勢揃いしていて、「おせーぞォ」と何故か私まで叱られた。

「名字先輩と真波先輩が仲睦まじくサイクリングしてたじゃないですか。なんだか凄い甘い雰囲気で……」
「……?は、はあ……」

その時の会話なんてあまりにも取り留めがなく、殆ど覚えていない。
私達について邪推し、突撃する行動力があるくらいだから噂の元はこの1年生だろうか。そういえば道中、1年生5人程の集団とすれ違ったな。その集団の中に中澤というテニス部の新有望株が居たのだけはよく覚えている。中澤さんは背が高いから目立つのだ。
その時どんな会話をしていただろうか。真波との会話だから多分「ホンマに山好きやね。」「はい、大好きです!愛してます!」とかそういう事を話していて、速さとバイクの音で断片的に聞き取った誰かが歪めて吹聴したのだろう。それに尾ひれや腹びれや背びれなどがくっついて流布されている噂に至ると。

「あの、別れてくれませんか」
「……えーと」

どう切り出して来るのかと思ったら剛速球の火の玉ストレートが飛んでくるとは思わかったので軽く面食らう。
今までは上級生や同級生から呼び出される事が多く、特に新開先輩ファンと東堂さんファンにはしばしば今の場所で誹謗中傷を浴びせられた。とはいえ、そもそもが事実誤認なので懇切丁寧に言われたことに返していけば穏便にお引取りを願えたので、今回も大丈夫だろう。なんなら相手が後輩な分簡単なくらいだ。

「まず言いたいんやけど、もし私が真波と付き合ってたのが事実やとして、それで君らの何が損するん?」

真波だってただの人間で、ただの高校生だから誰かと交際する事もこの先あるかもしれない。今私がすぐに「付き合ってへんけど?」と言ったところで火の粉を被るのはいつか出来るかもしれない真波のパートナーなのではないだろうか。
新開先輩のファンや東堂さんのファンの時にも、実は同じような返しをしている。説明が面倒だし、あまり本人に対して未来に誰かと付き合う付き合わないという仮定を話したくは無かったので「付き合ってへんて言うときましたんで」とだけ伝えていたが。

ふざけるな、こいつは一体何を話し出すのだ、という顔を後輩諸氏がしているが、とにかく聞いてくれるだけ有難い。先輩後輩の権力勾配は最上に立った今はとても便利だ。

「真波はみんなのアイドルでも、みんなの仮想彼氏でも、もちろん小松さんのモノでも無いわけで……そもそもお付き合いって双方の気持ちの問題やからね、片方だけやと成立せえへん」

唐突に名前を呼ばれた小松さんは酷く狼狽えた様子だ。しかし、小松さんが私の名前を知っているのだから私が小松さんの名前を知っていたっていいじゃないか。というのは詭弁だろうが。もし私が小松さんの立場だったら怖いと思うだろう。
考えを空間からまとめて弄ぶように手を動かしながら話すと、後ろで聞いていた数人はその手の動きをぼんやりと眺めている様子だった。

「君ら、真波のなんでもない……よな?どういう意図かは分からんけど、なんでもないまんま何者にもなろうとせずに真波の交友関係を断ち切ろうってのはちょっと、筋が通らへんっちゅーか……。真波とか私になんか要求したいんやったらそれなりの関係を築いて欲しいっちゅーか」
「…………ずいぶん偉そうですね」
「んあ、はい……」

ジリジリと壁際に追い詰められているのを感じる。箱根学園はセキュリティ意識が高く、廊下にも監視カメラが点在するのだがそれも磐石ではない。カメラには得てして死角が生まれるからだ。特にカメラ直下の壁際は死角である事が多い。彼らはそれをよく分かっているらしい。移動を頼んだのは私だが、それを快諾したのは彼らにも作戦あっての事だからだろう。人を詰めるには段取りが必要不可欠だ。

「なんでこっち寄ってくんの?」
「確かに俺たちに物理的な損は無いです。だからこそ先輩にはお願いをしているんです。どうかその席を退いてください、と」
「椅子取りゲームちゃうねんから……」

思えば、女の子にこのような呼び出しをされることはあれど、男子に詰め寄られるのはこの学校入って以来初めてだ。告白とか、そういった類のことを除いて。
背中がべったり壁にくっつく。通常この位置をカメラは映さない。私の顔の横に付かれた小松さんの手のひらは大きく、チェロをやっていると弦を抑える指は発達するのだと知る。

「ムカつくんですよ、王者から転落して2年にもなる癖に彼女だの愛してるだのチャラチャラチャラチャラ……。次の世代にだって風評は繋がるんですよ?上の世代のせいで下の世代が悪く言われるなんて、ありえないでしょう」

やはり、小松さんはあの時すれ違った集団の中の1人だったのだろう。あの時は中澤さんしか認識出来なかったが、言われてみれば居たような気もする。確か彼と小松さんはクラスが同じだったはずだし、一緒に下校なり買い出しなりに行くことはあるだろう。
しかし、自転車部の一年が悪く言われている可能性になぜ彼はこんなにも憤っているのだろう。自転車部所属の友人が居るのかもしれない。確かに、二年連続首位転落となれば周りからの評価も少し違ってくるのは感じている。我々は当事者だからこそ思うところはあるが、まだ入部してから浅い一年生や、部員じゃない人はまた違った感覚なのだろう。

「あの、まー、それもなんやけど、なんで私に言うん?真波に直接言えばええやんか」
「直接こんなこと言ったら失礼じゃないですか」
「…………。何で私には失礼と思う配慮が出来ひんのか、一回よお考えといてくれ。失礼つか、まあ、私がホンマに真波と付き合ってたとしたら今の時点で強要未遂罪くらいには該当するんちゃうかな……知らんけど」
「証拠がありません。ここだって、セキュリティカメラからは死角です」

周りに人の気配は無い。放課後というのもあるが、私が指定した場所は3年の教室よりもさらに上、ほぼ使われていないカウンセリング室や空き教室の並ぶ階だからだ。教室の中身や廊下の配置などは他の階をコピー・アンド・ペーストしたかのように同じなのに、雰囲気だけどこか気味悪く、大掃除の時以外に生徒もあまり立ち入らない。

「私、立場上どうも人に呼び出されやすくて。君ら知らんかもしれんねんけど、私の1個上にファンクラブ出来るほど人気のあった部員がおってな」
「……何の話ですか?」

小松さんの後ろで囲むようにしてオラついていたお友達も細くしていた目を丸くして私の一挙手一投足に注目している。彼らは結局何なんだ、迫力を付けるために居たのだろうか。確かに、彼らに一斉に殴られでもしたら私は再起不能、彼女もクソも無くなるが、彼らにとってもそれはあまりにもリスキーすぎる。野次馬と言われた方が幾分納得ができるというものだ。

「この後ろの教室はずっと施錠されてんねんけどな、前にここでちょっと悪いことして退学になった子がおったんやって。やから」

す、と天井に指をさす。他の階では等間隔に並んでいるセキュリティカメラが何故かこの階だけはぐちゃぐちゃに見える。見える、というのは、等間隔に並んでいるカメラの隙間を縫うようにして別の形のセキュリティカメラが設置されているからだ。
人は不思議なもので、見慣れた景色が少し違うだけで違和感を抱き、その違和感は時として不快感となる。この階だけ気味が悪いと言われる原因は恐らくそれも一因だろうと私は踏んでいる。

「全部撮れとんのやわ。吹部のチェロ担当、小松さん」
「!」

吹奏楽では低音を増やす目的などから数本弦楽器が追加される事が頻繁にある。チェロは中音から低音をカバーするため、1本あるだけでも音に厚みと丸みを与えるそうだ。箱学吹奏楽部に久しぶりにチェロが入ったと指揮、指導を勤める音楽教諭が喜んでいた。
それでだろうか、よく覚えていたのだ。
指揮者の指揮棒を見るようにしてセキュリティカメラの違和感に気が付いた彼は少し沈黙して、何事も無かったかのようにゆったりと私から距離をとった。悔しそうに歪められた口からは小さく「すみませんでした」と漏れ聞こえたが本心ではない事が良く分かる。

「私、こういうの大ごとにするのにためらわへんタイプやねん。次やったら君らの両親と警察に報告、部活動の永久停止や君らの停学退学を筋通して求めるから。話あるんやったら人気のあるところでゆっくり茶しばきながらしようや。自分かて将来の機会損失に繋がること、したないやろ。
言い損ねたけど私は真波と付き合ってへんし、多分恋人がおってもレースの成績に影響するような人ちゃうから。知らんけど」

それはそれとして女の子大好きらしいが、私は人の心があるので言わないであげることにした。



「また呼び出されてる」
「アブくん。見てたんや?」

あの後すぐにその場を離れた私が向かったのは図書室だ。呼び出されて放課後まで学校にいるついでに、今日後輩に向かって口をついて出た強要罪について調べようとそのドアを開いた。見覚えのある後頭部があったので、ほとんど重石代わりにしか使われていなさそうな刑事六法を持って彼の正面に座ると、彼は呆れたような少し怒っているような顔でこちらを見た。

「危なそうな呼び出しがあったら僕でもユキでも誰かを呼べばいいといつも言っているのに、名前は頑なにそれをしないな」
「うん。私は箱学の生徒を信用しとるからね。……それ言うために待っててくれたん?」
「……。受験を控えているのに、何かあってからじゃ遅いだろ」

そう言いつつも、彼やユキを呼ばない私の意思を尊重し、信頼して待っていてくれたのだから本当に彼は優しい。
待っている間に怒りも鎮まっているらしく、捲し立てるように怒ることも無い。静かに、なるべく言葉端がまろやかになるように、言葉をひとつひとつ確かめながら机に並べているような。時折マシンガンのように叱られることもあるが、それはそれで嫌いではないけれど。

「ありがとーな。心配してくれて」

そう言って笑うと、アブくんは鼻からため息をついて「うん、友達だからね」とだけ呟いた。自分で言っておいてその言葉に照れたらしく、視線はすぐに数学の参考書に落ちていった。
刑事六法を外箱から取り出して開くと小指の先ほどしかない文字がずらりと整列していて、思わずこめかみを揉んだ。





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