08


電車に揺られること一時間。肩にかけたトートバッグにはノートや参考書がこれでもかと詰め込まれている。
新宿駅は人で溢れかえっていて、待ち合わせ場所につくのも一苦労だ。ただでさえ迷いやすい駅なのに。場所を改めて確認をするためにスマートフォンをつけると、シキバくんから少々遅れるとメッセージが入っていた。

どうせ迷うだろうとかなり時間に余裕を持って来たのだが、思いの外迷わず集合場所に着くことが出来た。正直シキバくんとすぐに合流出来るものだと考えていたから、背の高い目印がなくなった今、他の二人と出会うのが大変そうだ。ここで言う他の二人とは、総北の三年生二人を指す。
なぜ総北の二人と会うことになったのか。遡ること数週間前……。



『あ、名前ちゃん。前言ってたやついけるって』

急に電話がかかってきたかと思えば、第一声がそれだ。一体何なのだとスマホから耳を離して画面を見ると、ディスプレイには『葦木場拓人』と書かれていた。

「ごめん何の話?」
『純ちゃんたちと勉強会したいねってやつ。あれ、純ちゃんに聞いたらやろうぜーって』
「ああ、あれ。……えっあれほんまにやんの?」
『やろう、せっかくだし』

やけに乗り気なシキバくんに首を傾げたが、久しぶりにジュンチャンに会えるのが相当楽しみなのかもしれない。浮き足立った言葉尻に少し笑うと、シキバくんは『じゃあそういうことだから!グループ入れておくし、詳しくはそこで』と言ってこちらの返事を待たずに電話が切れた。ひどく楽しそうな時のシキバくんは歌うように喋るらしい。
後に招待されたグループには、私を含め四人のメンバーがいた。てっきりユキとアブくんもいるのだと思っていたのだが、残念ながら彼らはその日実家に帰っているとのことらしい。二人はご近所さんだから、一緒に帰ると親としても楽なのかもしれない。

手嶋と書かれたユーザーのアイコンはなんてことない集合写真の切り抜きで、アオヤギと書かれたユーザーのアイコンはビリヤードの1の玉だ。なるほど、中学同級生の二人にプラス同級生の友人が一人ずつという布陣らしい。確かに、大人数すぎると会話が回らなかったりすることもあるから、これくらいの人数が丁度良いのかもしれない。
ジュンチャンというのは確か、手嶋という方の人だったはずだ。総北キャプテンでクライマーの手嶋純太。もう一人は副キャプテンでスプリンターの青八木一か。個性豊かな面々と走っていた二人だ、面白い話が期待出来るだろう。
送られてきたメッセージには日付の候補と時間がいくつか並んでいて、筆不精のシキバくんがメッセージで日程調整を主体的にするなんて珍しいなと思いながらスケジュール帳を開いた。



で、楽しみにしていた本人が遅刻とは。
理由を聞けば、駅までは来たものの切符を買う段階になって財布を忘れたことに気がついたらしい。鞄を持ち替えるとしばしば起こることだ。仕方がない。
集合時間まであと20分程度だ。その程度ならばわざわざどこかに入って待つのも慌ただしい気がして街灯を背にぼんやりと立つ。スマホに目を落とし、特に意味もなく今日集まるメンツのグループラインを辿ってみたり、箱学三年のいつもつるんでいる四人が入ったグループラインを辿ってみたりする。そこにはなんてことない日常が映し出されるばかりで暖かい気持ちが自分を覆っている気がした。

「2万でどう?」
「はい?」

話しかけられたのは私だろうか。スマホの画面から目を上げると見知らぬ男性が指を二本立てている。何のアピールかと若干の時間逡巡したが、先ほどの話ぶりからするとこれは何かのポーズではなく金額の提示だろう。貼り付いた笑顔を見て、私はスマホの画面を暗く落とした。

「誰かを待ってるの?お友達?女の子?じゃあ、そのお友達にも同じだけ払うから」

何が『じゃあ』なんだか。右手だけでさされていた金額が両手に変わったところで、ようやくその人のことを認識する。服はスーツ。少し痩せていて、肩にかけたバッグは重そうだ。まだ昼だというのに。今日が土曜日で仕事が半ドンだから、女でも抱いて帰ろうとか、そういうことなんだろうか。

「誰なん?アンタ」
「……ホテル代はボクが持つよ!それでどう?」
「…………」

こちらの話を聞く気はないらしい。暇そうにしている若い女性みんなに声をかけているのだろうか。目の前の男性は周りを少し気にしてからまた貼りついた笑顔を浮かべて、重そうな鞄を改めて肩にかけ直した。まさかタメ口が返ってくると思っていなかったのだろうか、目が軽く泳いでいて、動揺していることが分かる。タメ口で返されただけで動揺するような人間が果たして援助交際に向いているのだろうか。
しかし、繊細な人間はどのようなことをするか分からない。私も肩にかけたバッグの紐を固く握りしめる。力じゃどうあっても成人男性には勝てないというのは酷な話だと、こういった場面に当たる度に何度も思う。確か、鞄の中に筆箱が入っていたはずだ。筆箱の中にはカッター。参考書の角ではどうだろうか。そういえば、以前買った防犯用の催涙スプレーと小型スタンガンも入っていた気がする。幸運にも、周りに人はいる。助けてくれるわけではないらしいが、最悪逃げれば紛れ込めるだろう。

「チッ……無視かよ。おい、聞いてんのか」
「その様子やと、お仕事が大変そうやねえ」
「……?」

鞄を探ると手に固いプラスチックと缶が当たる。手に持つと小さく、手に収まる円柱。鞄の中でキャップを押し上げて親指を添える。

「突っ立ってる女性に欲情するなんて、大変なんちゃう?正直、依存症を疑った方が良いと思いますけどね」
「なん……下手に出てればいい気になりやがって、女が……ッ!!」
「女は男の言うこと聞いてろって言う話なんやったら、時代に取り残される前に改めたほうがええよ」

スーツの男が握り締めた手を上げる。親指を外に出して、殴る気満々といったところだろうか。私も指をかけていたスプレー缶を取り出し、手を強く握る。勢い良く噴射されたソレはうまく顔に当たってくれたようだ。鈍い声をあげた男が蹲る。

「正義は勝つ」

這うようにしてその場を離れようとするスーツの背にわざとらしく中指を立ててそう呟いて視線を上げる。人に紛れ込もうと拝み手で割ろうとした人垣の一番内側に居たのはうっすらと見覚えのある二人。
手嶋純太と、青八木一だった。



「青八木ィ、葦木場遅れるって」
「うん」

どこで待ち合わせだったかな、と辺りを見回す。名字さんはすでに着いているらしいから、どうにかしてこの人混みから合流しなければならない。同じ方向だろうから名字さんとシキバは一緒に来るモンだと思っていたから、一緒に遅れないのはちょっと意外だ。使う路線が違うのだろうか。
眺めていたスマホから目を離して青八木に声をかけると、青八木は小さく頷いた。淡白な奴だ。薄く笑って周りを見回す。名字さんが今日の服装なんかを軽く伝えてくれたこと、シキバや他の二年から軽く印象を伝えられていることからどうにか本人を探し出すしかない。

ちなみにその「軽い印象」とは、シキバ曰く『小さいのにすごく生命力があって、立派だ』。
黒田曰く『見た目だけは可愛めの女子なんじゃねーの?中身は……いや、これ言ったってバレると怒られっからな……』。
泉田曰く『彼女は……そうだな、いつも心配させられるよ。自分で何でも出来ちゃう人だから、彼女からしたらリスクを承知の上で回避手段だって考えてのことなんだけど、僕たちからしてみるとやっぱり危なっかしい』。

昔からシキバの「小さい」はあまりアテにならない。彼は俺みたいな男子もその辺の女子もあまり変わらなく見えるらしいのだ。
黒田の可愛いの基準なんて知らないから、あまり参考にはならなそうだ。キレイ系よりも可愛い系ということなのかもしれない。しかし、それにしたって『怒られる』という理由で伏される名字さんの中身には興味がわいた。
泉田の情報も、あまり今使えるものではなさそうだ。そもそも、全体的にうっすらとモヤがかかったような物言いなのは一体どうしたことだろうか。

「純太」
「……そうだな、これは下手したら悪質なナンパになりかねない。気を引き締めていくぞ」
「!」

大きく頷いた青八木はリュックを背負い直す。俺も肩にかけたトートバッグを改めて肩にかけ直すと「よし!」と気合を入れた。

今一度トーク画面を見直して服装を頭に入れる。多分こんな感じで、と脳内で服装を組み立ててあたりを見渡す。休日の新宿は人が多く、もし本当に名字さんの背が低めなのであれば見つける事は容易ではなさそうだ。困ったな。

『なん……下手に出てればいい気になりやがって、女が……ッ!!』

背後から男性の荒げた声が聞こえる。驚いて振り返れば、周りの人間も同じそうに振り向いてその人を見ていた。薄く出来ている人だかりの隙間を縫うと、拳を振り上げた40代くらいの男性と、小柄な女性が立っていた。

「女は男の言うことを聞いてろって言う話なんやったら、時代に取り残される前に改めたほうがええよ」

つとめて平坦な口調で言い放つ女性の顔からは表情が無い。男性の目を見て話しながら鞄を探っているようだ。振り上げられた拳に思わず体が動きかけるが、その直後女性はカバンから小さな何かを取り出して、男性に煙を噴射した。男性は苦しげな声をあげてその場に蹲る。一瞬危ないガスでも使ったのかと驚いたが、しきりに目を擦っている男性を見るに、催涙ガスなのかもしれない。周囲の人も男性と煙を避けるように散り散りになり、俺と青八木だけが残された。

「……ん?なあ、青八木、彼女……」

送られてきた服装と一致しないか。



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