急成長とは(後)


『ごめん、お待たせ。カセキ先生連れてきたよ』
『オホー、連れて来られちゃったのよ』
 千空がラボを退出した時、杠の穏やかな声と、カセキの弾むような声が飛び込んだ。龍水はスピーカーを羽京へ渡すと、彼が今朝方の話をかいつまんで話す。羽京は前職から報告に慣れているせいか、物事を手短に要約することに長けていた。
『わしの家? いいよーん、狭いけど、それでもいいなら適当に使っちゃって。なんなら、わしの家の三つ隣は空いてるよん』
 電話越しのカセキの明るい声に、名前は息を呑む。
「それって、その……。家主に、何かが?」
 隣で聞いている龍水と羽京も作業をしながら耳をそばだてている。千空でさえ、羽京の言う「大火事」以前よりもこの村に滞留しているが、人が死んだなんていう話は聞いたことはないという。とはいえ、千空も長くこの村にいたわけではないから知らず死者を悼んでいる可能性も捨てきれなかった。
「え? オホー、違う違う。村の再建の時にちょーっと資材が余っちゃったの。余らせておいても悪くなるから、もう一軒作っちゃえばいいじゃんって、わしが作ったのよ」
「ああ、そうなんですか。よかった……」
 羽京は胸を撫で下ろす名前を見、昨夜の話を思い出していた。人が死ぬことに喪失感を覚え、自分が死んだ時に悼む人間がいて欲しいという。しかし関係の薄い他人が死ぬことに関しては心を動かされることがないのも知っており、それを言い訳せずに受け入れている。そんな女性が、見知らぬ他人が死んでいないことに安心しているというのは矛盾はせずとも、不思議な話だ。きっとそこにあるのはエゴや、ちょっとしたポーズなのかもしれない。羽京はそう考えて、それはそれで人間らしい一面なのだろうと納得する。誰しもそのような「ポーズ」でコミュニケーションを円滑にしているのだ。羽京はそれをよく分かっていた。
『今はわしの作ったものとか、使わない道具を置く場所にしてるんだけど、大体は使ってないものばっかりだからどさっと捨てちゃって! もし使えるものがあったら勝手に使っちゃってもいいよん』
「助かります」
 名前は見えない相手に頭を下げ、それから二、三言交わしてから電話を切る。それからも名前は少しの間電話機を見つめていた。羽京も龍水もそんな名前を注視していたが、本人は気にする様子も無く、少ししてから大きく深呼吸をして二人を振り返る。
「この世界は──」
 振り返った名前の瞳はどこを見るでもなく、先ほどまで電話へ向けていたような爛々とした視線のままで、二人は一瞬面食らう。しかし、羽京は真夜中の、龍水は昨夜の名前の姿を思い出し、彼女の哲学者の面が「これ」なのだと納得する。
「──いえ、この世界で生き続けていた人たちは、千空が来てからと言うもの、私たちが過ごしていた世界で起きた何百年の歴史を一足飛びに爆進しているんですね」
「そうなるな」
 龍水が相槌を打つ。
「私たちの知っている歴史では、科学の発展と平行して色々なものが変わっていきました。例えば、政治、宗教、言語、そして──倫理」
 名前は大きな電話機の縁を指でゆっくりなぞり、ささくれ立った部分に指を引っ掛ける。血が出るわけではなかったが、彼女の指にうっすらと赤い跡が残った。
「科学だけが私たちの知る歴史の何倍も、何百倍も早く進んでいることで起こる弊害はきっとこれから見えてくることでしょう。まして、私たちのような歴史を知る人間と、別の歴史をどうにか繋いできた人間の間にはきっと大きな溝が見えてくる。もちろん、今は少数で動いているのでお互いがお互いを思いやるのは容易ですが」
 名前はそこで言葉を区切り、小さく息を吐いた。薄く目を閉じ、話しながら何かを思案するようなその表情に、羽京は、本当に変わっている、と思った。目が覚めてほんの数時間で現状を受け入れ、これからを考えている。しかもそこには科学の急激な発展も織り込まれているというのだ。彼女はこの数十時間で一体どれだけのことを思考したのだろう。
「私はそれが楽しみだと言いました。何百年の歴史を毎日毎日更新されていった人間の思想はどう変容していくのか。どんなことに嫌悪感を覚え、どんなことに喜びを見出すのか。何が大切で、何がそうでなくなっていくのか。何を信じ、何を信じなくなるのか」
「うん」
 羽京は頷きながら言葉に飲まれるような感覚を味わっていた。人が発している、ただの音の震えだというのに、一文字一文字が質量を持っているようだ。押しては引いていく海のさざなみのように羽京は思考が揺さぶられているような気がした。
「もっと早く石化から目覚めていれば、取れるデータは今から取るものよりよっぽど……」
 名前はそこまで言って口を閉ざした。言っても仕方がないことだと気がついたからか、石化解除の切り札を所持していた千空や羽京や龍水を責めるような口ぶりになってしまうことを危惧したからかは定かではない。
「居ても立ってもいられなくなってきました。か、紙……紙とペンはありますか?」
 本当に居ても立ってもいられないのだろう。弾かれるように立ち上がり、先ほどまで滔々と語っていた口ぶりから一転して辿々しく名前は周りを見回しながら言った。
 その急変ぶりに研究者にも似た名前の探究心が見えて、龍水と羽京は顔を見合わせて笑った。それから龍水が近くにあった手作りの紙とペンを差し出すと、名前は「では」と短く言ってラボを飛び出した。
「龍水は彼女がこういう人だって知ってたの?」
 名前がいなくなり、少し寂しくなったラボで残された二人は手元の大きい地図を再び覗き込みながら話を続けることにした。
「直接見て知っていた訳ではない。……が、まあ、あの行動力は著作からも溢れ出ていたし好感が持てる」
「そういえば、龍水は彼女の本から興味を持ったんだっけ?」
 手元の地図は全てが手書きだ。狭い範囲ばかりのために緯度や経度は必要なかったが、目安にするグリッドが鉛筆書きされている。その上から山の大まかな等高線が引かれたり、目標となりそうなもの、見つけたものを書き込んでいく。気球で書いたメモを頼りに作り上げられていく地図は、自分たちが見てきた地図とは大きく異なっている。それだけの年月が経ったということだ。頭では分かっていても、こうして視覚的に現れると羽京にとっては衝撃だった。
「そうだ。動き回り本物を見て回ることが肝要だと俺は考え色々なところを見てまわり、作り、体験してきたが、他人の頭は覗けない。しかし他人が思考を切り取る行為が会話であり、書籍だ。その上哲学書なんていうものはどうしても自分の思想や体験を切り売りし、歴史を紐解く必要があるが、そんな本が老若男女に大ヒットだと言う」
「僕もタイトルは聞いたことがあったよ。本当は読むつもりで買って潜水艦まで持ち込んだんだけど、同僚に取られちゃった」
 名字名前の著作『思考で死に、生き返る』は国内で大きなヒットが生まれ、英語訳、韓国語訳が出版される予定だった。序盤では死生観について大きく語り、中盤では哲学の歴史で語られてきた諸問題について自分なりの考えを簡潔に述べ、終盤で哲学の歴史に触れる。過去の偉人の言葉の解説から始まる哲学書が多い中では珍しい組み方をした本だ。しかしそれが功を奏し、手に取る人が増えたのだろう。……というのがメディアの報じる予測だった。
「最初はこんなものか、と思ったものだが、読み進める度、名字名前という人間と会話をしているような気になる変な読み心地の本だ。ひとつ疑問に思えば、読み進めた先でそれに言及されている。まるで自分に向けられたようだが、そのネタはといえば一つの事象について多面的に質疑応答しているだけだ」
「それは……なんというか、怖いな」
 羽京はその本の読み心地に言いようもない不安を覚え、自分の腕を抱く。人間の──とかく同じ民族の者であれば思考や思想に偏りが現れるのは当たり前のことだ。だからこそゲンのような職業が成り立っている。それは羽京も分かっていることだったが、それでも本の文字列が自らを見透かしているように感じるのは一種の神霊体験とも似て、どこか恐ろしい。
「普通、哲学書というものは著者に共感をすることでより深く物事を知る手助けになる。しかしヤツのはそうではない。著者が我々読者に共感しているのだからな。だからこそ、哲学書に救いを求めようとする大衆にも行き渡るほどのヒットとなった」
「まるでメンタリストか、心理学者みたいだ」
 羽京の言葉に龍水は小さく笑う。
「名前が世界中を飛び回ったのも、彼女のそういった書き口を見れば納得がいく。何にでも興味を持ち、何でも自らの思想に迎え入れる。果たしてそこに共感があるのかは別の話なのだろうが……。俺はそういった妙で貪欲で冒涜的なところを気に入って、千空に進言したんだ。アイツならば、と」
 龍水は地図から目を逸らさず言う。羽京も自分の仕事に専念しているためその表情は見えないが、冒涜的という割に声色はひどく柔らかい。
「なんだか君と似ているね、龍水」
「どうだかな」



/

back / top
ALICE+