07

althaea0rosea

ちなみに、チリさんは元々やばいが、本当にやばい一面を知るのはこれからだった。

「服、脱げ」
「ま……またですか〜……?」
ある日の朝食後に放たれた一言に、朝っぱらから心底げんなりする私。
最近、チリさんが何故か私が着る用の可愛い服をたくさん買い込んでくるせいで、いっぱいになったクローゼットの整理でもしようかな〜と一日の予定を考えていたのだが。……それは明日の予定にする他ないようだ。
「今度は、なに……」
「そろそろ可愛がってやろと思てな」
「……?」
「チリちゃん、なまえのことかなり気に入ってるみたいやわ」
「……」
いきなり何を言うんだろう。
はだけた服を直しもせず、私が普段寝ているベッドに腰掛けるチリさん。ふんふん鼻歌を歌いながら、長い脚をぶらぶらさせている。なにやらご機嫌のようだけど……何か良いことでもあったのだろうか。
まあ、あんなにご機嫌なら意地悪なことはされないだろう。と、無理やり楽観的に考え、そろりそろりと彼女の元へ向かう。

今日私が着ているのは黒のワンピースドレスだ。部屋着にしてはフリフリな気がするけど、チリさんが着ろと言うから着た。それを突然脱げだなんて、いったいどういうつもりなの。
「ほな、おいで」
やけに優しい声色で呼ばれ、さっそく嫌な予感がしたけれど、次の瞬間には腕を引かれて膝の上に座らせられた。「わあ」と驚いてチリさんの肩にしがみつく。華奢なのに骨張っていて、私とは全然体格が違う。
「な、なにするんですか」
「ええこと」
「……はあ?」
「とにかく、脱げや。はよ。自分で脱げるやろ?それとも脱がせてほしいんか?」
今日のチリさんは、なんだか様子がおかしい。まるでお酒に酔ってるみたいな……でも昨日からずっと一緒にいるけど、お酒なんて一滴も飲んでいなかった。
……じゃあ、何に酔っているの?
当然服なんか脱ぎたくない私は、時間を稼ぐためにぷいっと明後日の方向に視線をやった。最近のチリさんは本当の意味で優しい気がするから、これくらいのことで急に激怒したりしないのだ。
しらばっくれてやる。聞こえなかったフリでもしよう。なんでもかんでも思い通りになると思わないでほしいね。この自己中おばけ!――と心の中で叫んだはずが、どういうわけかチリさんが急に私の右手をガシッと掴んだ。
「い、いた、いっ」
「この反抗期め」
「待っ、い、いたい、はなして……っ」
毎日ぶつぶつ文句を言いながらもチリさんが自ら丁寧に巻き直している包帯越しに、患部を思いっきり揉みしだき始めた。ビリリと激痛が走る。
「もっと痛くされたいんか?」
「や、やだっ、やだ!」
「自分、チリちゃんのとこにいたいって言うたやろ?なんでもするって」
「い、言ったけど……痛いのは、いや!」
「せやったら、言うこと聞くのが筋っちゅうもんやろ?それとも、今すぐ追い出してほしい?嫌やろ?大好きな、チリちゃんと、お別れするんは」
「え、ええ?はぁ?わ、わたしべつに、“この部屋”が心地いいだけで、チリさんのことが、好きなわけじゃ、」
「ん?もう一回」
「いたたたたたた!す、好きですっ。チリさんのこと、好き。好き、好き。な、なんでも言うこと聞きます。だから、ここにいさせてくださいっ!!!」

「じゃあ、服脱いで?」

思考回路どうなってるの?


服を脱いだ。
「……ぐすん」
人間、誰だって痛みには弱いのだ。
右手が使えないから心底着にくい服だと思っていたけれど、脱ぐ時も心底脱ぎにくいと思った。手伝ってくれてもいいのに、チリさんは私があたふたしている様子を愉しそうに見ているだけ。見世物じゃないのに。
そういえば……笑顔でいるのがデフォルトになったようだ。不機嫌な時はいつもの怖い顔だけど、今みたいに上機嫌な時は簡単に笑ってくれるようになった。それがなんだか……その、いや、あの、べつに、ぜんぜんうれしくない。ただ心が落ち着くからありがたい。

「下着も……?」
「いや、もうええよ。お疲れさん」
よかった、この下着はワンピースよりも着るのが大変だったのだ。安堵しながら、脱いだワンピースをベッドの端の方へ置く。
今の私は……これまたチリさんが用意してきた、可愛い下着だけを身につけている状態だ。今までちゃんとしたものを買える家庭環境じゃなかったから、下着なんてどれも同じだと思っていたけれど、サイズピッタリなブラジャーを付けると不思議と自分の胸が大きく見えるから、感動する。
けれど、普通の下着にしては透けている部分が多いような、なにか余計な紐?のようなものがついているような……太ももまであるレース、これは必要なものなのか?
「なんで、こんな、フリフリの……」
「可愛いやん。リップさんのブランドやし。デザインしたの、シュウメイくんらしいし。組織のオシャレ担当の最強タッグや」
ああ、リップさん。なんか、私の服を用意してくれているっていう噂の……。シュウ、メイ?という名前は初めて聞いたが。
「チリさんも、こういうの着るんですか?」
「え?べつに、趣味やないわ」
「……?」
「着る分にはな」
「ああ……」


裸(同然)になるのが三度目ともなると、慣れたものだ。……とはもちろんならず、三度目でも恥ずかしいものは恥ずかしい。
さて、これから私はいったい何をされるのだろう。どうせろくなことがないのだから、心構えが必要だ。健康観察その3……ではないはず。だって、チリさんの様子がいつもと違うし。これも単なる気のせいだろうか?……まあいいか。気にしたところで状況は変わらない。

「暑いなぁ、この部屋」
チリさんは、ブーツを脱いで両脚をベッドにあげた。
「……私は寒いです」
「そう?」
肌を隠したくてシーツを手繰り寄せようとするが、当然のように阻止されてしまう。寒いって言ってるのに……内心舌打ちをする私に、チリさんは笑う。
「すぐ良くなるから心配いらん」
と、言いながら。私の肩に手を置いて、そのままベッドに押し倒した。
「……わ、」
押し倒された。チリさんの力は優しくて無理やりじゃなかったのに、例に漏れず抵抗できない私の体は簡単にベッドに沈みこんでしまった。ぽすっと音を立てながら。
そのまま、お腹のところに馬乗りになるチリさん。体を浮かせてくれているからあんまり重くない。そんな気遣い、前までは全然なかったのに……。私の瞳を見つめながら、お仕事終わりではめたままだった手袋を外し、ぽいっと宙に投げてしまった。
「ち、チリさん……?」

何かがおかしい。何かが。

「不思議な子やな。他の人間と何が違うんや?最初からおもろい子やと思っとったけど、チリちゃん、ちっとも分からんかった」
顔のそばに、手を置かれた。
顔がだんだん近づいてくる。
チリさんは急に笑ったり、急に怒ったり、情緒不安定なところがあるから、その変化には慣れたものだけど、いま目の前にある彼女の顔は、見たことがなかった。
私の知らないチリさんだ。
「せやから、今までずっとそばに置いて様子を見てきたんやけど……最近、なんとなく、分かった気ぃするわ」
チリさんはその間にも、何かを考えるように表情を色々変えて、笑ったり、目を細めたり、目を閉じたり、笑ったり。
私はただじっと黙って様子を見ていた。そうするべきだと、思った。少なくとも何かを言える雰囲気ではなかった。
「愛着、というか、庇護欲、というか……なんやこれ……なんやと思う?んー、分からん、なんや、うまく説明できんな。ああ、でもな、これだけは分かるんよ。“あの時”、抱いた感情にあえて名前を付けるとしたら、そら……」
ぱちくりと瞬きをする私の首元に、
チリさんの指先が触れた。

「一目惚れ……みたいな」

……なんか、急に独白している。誰の話をしているんだろう?私に関係ある話?

この人、今日は特別様子がおかしいなと思っていたけれど、そういえばチリさんがおかしいのはいつものことだった。
「……あんたの首は、白くて細くて、すぐに折れてしまいそうやなぁ」
チリさんの指は、長くてきれいで、片手でも子供の首を掴むのには十分だ。
「……チリさん?」
私の頭を撫でながら、反対の手で私の首を包んでくる。柔く、優しく、だんだん強く、手に力がこもっていく。
いつの間にかチリさんの頬はほんのり色付いていて、その目はまるで、興奮しきったけもののように……紅くて、艶やかで、美しい。私は一秒たりとも目を逸らすことができなかった。
「あの時、血だらけのあんたに心臓鷲掴みにされてしもたんや。最初は単なる好奇心やったのに……やばいで、ほんま。何してくれるん。今のチリちゃん、あんたこと、今すぐにでも……殺したくてたまらんわ」
「……」
首を絞められている。――かと思えば、ぱっと手の力が緩んだ。手は首に添えられたまま。可愛がるように喉元を撫でられている。
「……あかん、絞殺じゃ、声聞けんやないの。ひとの断末魔聞くの、“それでお楽しみが終わってしまうから”、普段はほんまに嫌いなんやけど、……あんたのは、興味あるな……」
「は、?」
なに、なに?今更私を殺そうとしているの?そんな、いきなり、心変わり?そんなの困るよ、私、死にたくないからね。抗議の声を上げようとチリさんの腕を左手でガシッと掴んだ。
「わ、」
そしたら、急に私の肩にドスッと頭が落ちてきた。チリさんの、頭が。
「はぁ……でも、いやや。殺しとうない……。どうすりゃええねん。人間って殺したら、死んでしまうやんか。ほんなら、殺しとうないわ。チリちゃん……人殺すの、得意やなくてよかったぁ……」
今まで聞いたこともないくらい弱々しい声で呟いている。独り言なのか、私に話しかけているのか、どっちなんだろう。ちゃんと聞いた方がいいの?これは。
「……な、何言って……」
「アオキさんみたいに、仕事早くなくてよかった……ハッサクさんみたいに、抜け目ない人やなくてよかった……あの二人なら、あの日、あの家で、速攻始末しとったはずやもん。……あの日、あの家に行ったのが、チリちゃんでよかったわ……」
私の体を抱きしめながら、額をぐりぐり押し付けてくる。
「え……?あ……?え……?」
なんか、え?人が変わったような、なんだ、これ。か、かわいい……?チリさんにも子供らしいところがあるんだ。甘えられているのが自分、というのが信じられないけれど。

チリさんがそのまま動かなくなってしまったから、私の肩に埋めたままの頭をそうっと撫でてみた。なで、なで。なんとなく、撫でたくなる頭をしていたのだ。昨日までの自分なら、こんなことできなかったろうけど……。
そんなこんなで十秒くらい後、ガバッと顔があがった。今度は不機嫌そうな顔をしている。今度はなに?
「自分、どないして、そんなに可愛いんや。もう認めたる。愛くるしい顔しよって。いい加減にせえよ、殺したろうか、むかつくなぁ……ほんま」
「えっ」
チリさんは起き上がったかと思うと、自分の後頭部に手を伸ばして髪を解いた。先程の手袋と同じように、ぽいっと髪留めを床に投げてしまう。お行儀が良いように見えて、案外中身は雑な人なのかもしれない。
最近、そんな一面を多く見せられている気がする。それもこれも、親しくなったから……なのだろうか。
「なんでもええ、そういうわけで、今日は満足いくまで可愛がらせてもらうわ。うっかり殺してしまうかもしれんけど、“優しく”するから堪忍な」

 ……嫌な予感がする。私、やっぱり今日で死ぬのかな。


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