08

althaea0rosea

 襲われている。

「あ、ぅ、……さ、さわっちゃ、やぁ……」

 結局、下着なんか着ても着ていなくてもほとんど変わらないと思わされるような有様だった。だって、そんな、下着の中に手を入れられたら、元々少ししかない布が否が応でもあるべき場所からずれてしまって、たとえば強風に煽られたスカートさながら、もはや身につけている意味もない。
「……っ……チリさ、」
 チリさんは後ろから抱きしめるようにして、私の下着の中に手を入れている。バランスのいい食事を取るようになってから、若干大きくなった気がする胸を、宣言通り、やさしく、やさしく、たいせつに揉みしだいている。
 もっと言えば、肩やお腹や脇腹や、太ももやおしりにも手をすべらせて、さわさわと素肌を撫でている。思い出すのは……初めてここに来た時に、裸で目覚めた時のこと。あの時は恐怖しかなかったけれど、でも今はそれとは少し違う。何が違うって、私に触れる手つきが、変なのだ。

 今日は朝から機嫌のいいチリさんに、急に思いの丈を打ち明けられ、はい?と首を傾げていたら、とことん可愛がらせてもらうわ、なんて押し倒されて、抵抗する暇もなく、これ。
 もちろん、了承した覚えはない。了承のないまま、チリさんは私の体に触れてくるばかりか、突然下着の中に手を突っ込んできた。さすがにびっくりして全力でたいあたりして逃げ出したけど、当然のように確保されてしまうみじめな私。
 今はあぐらをかいたチリさんのうえで、座ってもがいているところ。

「やわっこい……きもちい〜……。現役やないけど年齢的には実質JKの……肌、もちもちや……」
 ……なんだかへんたいおじさんみたいなこと言ってるけど、今日は、私の中の彼女のイメージがことごとく崩されているような気がする。普段はかっこつけた大人のおんなのひとが、頬をゆるゆるに緩ませているところを目撃するとなんとも言えない気持ちになる。
 そんなことより……そんなところをそんなふうに、いやらしい手つきで人に触られることなんか初めてのことで、全身がぞわぞわする。
 チリさんが何をしているのか全然わからない。可愛がるって、どういうことなの?
「あ、……う……」
 チリさんの手が動いた弾みに、ずれた下着が上にあがってくるのを、必死に手で直した。あってもなくても変わらないって言ったけど、やっぱり肌を少しでも隠すものがあるとそれだけで気が紛れる、気がする。
 利き手が痛む今の状況では、抵抗しても簡単にあしらわれるだけ。分かっていても何かをせずにはいられなくて、無事な方の左手でチリさんの手首をひしっと掴む。
 そしたら、押さえをなくした下着がどんどん上にずれてくる。それがいやで、すぐに下着に手を戻す。でもそしたら、チリさんを止められない。片手が使えないからてんやわんやだ。
 泣きそうになりながら訴えた。
「や、やめて、ください……」
「いやや」
 そしたら、思いっきり首を振られた。
「……い、いやじゃないっ」
「そっか。嫌やないか。こうされるの」
「ち、ちがあう……さわるの、いやっ」
「嫌やない。すぐ良くなるで」
「、はぁ……っ?」
 今がもう既に嫌だから、今すぐにやめてほしいのに。変なへりくつを口にしてまで、チリさんの手は止まらない。
 するとそれまで胸を鷲掴んでいた手が、今度は胸のそれぞれの中央に集中して、先端の部分をつまんできた。途端に感覚に変化が生まれ、一懸命首をふる。
「そ、そこ、やだ……っ、いや……」
「嫌やない」
「い、いや、なの……っ」
「嫌や、ないよ」
 チリさんは私のことばを全部否定してくる。いじわる。ぜんぜんやさしくない。でも、触る手つきはすごくやさしい。そのギャップが意味わかんない。
「嫌そうな顔、しとらんもん」
「そんな、の、しらない……っ」
 今私がどんな顔をしているのかなんて考えられない。そんなこと、どうでもいいでしょ。どうでもいいのに、どうしてこんなに体があつくなってくるんだろう。
 チリさんはこうしてる今も手を動かし続けてる。くるくると、胸の突起をいじくっている。つまんだり、ひっぱったり、頭がへんになりそうだ。シーツの上にかかとをこすりつけ、必死にもがく。じわりと目頭が熱くなる。
 耐えられない。
「ち……チリ、さん……っ、やだ」
「なにがや」
「だから、さわるの……!」
「……」
「ね、ねぇえ、……っ、やめて、って……言ってるの……」
「……」
 とうとう返事もしてくれなくなった。
 ひどい。ひどい。やさしいのに、やさしくない。私のこと、大切そうに触ってくるのに、ぜんぜん大切にしてくれない。そのギャップに混乱して、泣いた。
 何を言ってもだめ、という絶望感で頭の中がいっぱいになり、ぽろぽろと涙をこぼした。もうやだ。もうだめ。何かが決壊したみたいに目の前が真っ暗になった。無駄な抵抗だと分かっていても、弱い力でもがいてもがいて、チリさんの腕を振り払う。
「っはな、して……!はなして……ッ!」
 癇癪を起こした子どものように、嗚咽混じりに、言葉にならない声で喚く。泣き喚く。
 もう、これで怒りを買って殺されてもよかった。そんなことより、ここでこの人に屈して自分を押し殺したら、それこそ“自分が死んでしまう”と思った。
 まあ実際はそんな深いことまで考える余裕もなくて、ただ感情に任せてそうしただけなんだけど。
「……タンマ。落ち着きや」
 そうしたら……普段は血も涙もないチリさんでもさすがに情けの心を思い出したのか、パッと手を離してくれた。少し、意外に思った。
 チリさんが私からの単純な要求を受け入れたのは、これが初めてのことだ。以前なら絶対に聞かなかったのに、これもまた、この人の内なる感情が変わったことを示しているのだろうか。
「……、ひっく……っ」
 逃げるように少し距離を置いて、左手の甲で涙をぬぐう。ベッドの端でぐすん、ぐすんと静かにすすり泣く。その間、チリさんは枕元で片膝を立てて頬杖をつきながら、私が落ち着くまで大人しく様子を見ていた。
 その顔には若干反省の色が見えたけれど、まあ心の中まではそうはいかない。
「可愛いなぁ」
「……」
「泣いてるとこ見ると、もっともっとイジメたなるわ」
「……」

 殺してやろうか。

 私は右手の拳を強く握り締めた。
「あかんあかん、“優しく”、やったな今日は。今の忘れて。ほんで、ちょっくら意地悪チリちゃん殺してくるから、待っててな。……んー。ほれ。殺した。今、ぶち殺したで。もうここには優しいチリちゃんしかおらん」
「……」
 へんな、ひと。


 落ちた肩紐や捻れたリボンを直していたら、四つん這いで緑の悪魔がちかづいてきた。
「もう楽にならん?チリちゃん、可愛がりたいだけやのに」
「……」
 やっぱり解放まではしてくれないらしい。チリさんの言う通り、潔く諦めてしまう方が後々は楽なのかもしれない。けれど、ここで素直に言うことを聞くのは癪に障る。むかつく。俯いたままそっぽを向く。
「こっち見て」
「や、」
「ほれ、ほれ」
 ちょん、ちょん。と人差し指で顎の下をつつかれた。何かしら文句を言おうと渋々顔を上げれば……私の目の前には、ふわりとほほえむチリさんが。
 ……あ。予想してた顔と違って、思わず見つめてしまった。
 ぜんぜんいじわるな顔じゃない。いじわるなことを企んでいる顔じゃ、ない。ただの純粋な、ほほえみ。もともと顔がいいから、なんだか天使さまみたいな、女神さまみたいな……そういうものを連想させる、きれいな顔。
 ベッドに垂れ落ちる長くてさらさらな髪の毛を、手でかきあげ、ピアスがいくつも開いた耳にひっかける。まるで、本当のおねえさんみたいな雰囲気で私に笑いかけている。怯える要素なんてないのに、なぜだか逆にこわくなって、声が震えた。
「な、なあに……?」
「……」

 チリさんの、近くで見ると長いまつ毛が、ゆらり、ゆらゆら揺らめいた。

 チリさんは無言のまま私に目配せしたあと、そっと顔を近づけて、むちゅう、と私のくちびるを塞いでしまった。
「う、ぇっ」
 柔らかい感触に目を見開く。今、き、き、キスされた……?思考が中断するなか、一度離れて、また二度目のキスがやってくる。二度目、どころか、三度目、四度目。いっぱいいっぱい、キスしてくる。
 まさかそれがしばらく続くなんて思わなくて、耐えきれずに途中からふいっと顔を逸らしたら手で顔の向きを戻された。
「……っ、……ん、っ」
「……」
 やっぱり無言でキスをされる。顔を両手で包まれてしまえば逃げることも出来ず、ぎゅっと目を閉じて時が過ぎるのを待つ。
 そうして私の気を引いている間に、チリさんは片方だけ手を離し、とうとう、ついにと言うべきか……ブラジャーの中央のホックを器用に外してしまった。
「あ、っ」
 胸の締まりが緩くなったことに気を取られるも、後頭部を押さえつけられていて、永遠に続くキスから逃れられない。唇が触れ合うだけじゃなく、食んだり、時折舌で舐めたり。
 さっきはあんなに抵抗していたのに、胸があらわになったことよりも、今はそっちの方に意識が集中してしまう。

 身動ぎのために体勢を変えようとした時にまた、あっ、と思う。チリさんの隙のない手はいつの間にかパンツの腰紐まで解いていたらしい。少しおしりを浮かせた瞬間に、はらりと布が落ちる感触がして、さすがにパニックになった。
「あ、え、……っあ」
 自分の体を見れば、もう本当の意味で裸も同然だった。紐やレースがかろうじて肩や太ももに引っかかっているだけの状態で、隠れなきゃいけないところはもう全て丸見えになっている。
「や、やぁ……っ」
 焦って手で色んなところを隠す私に、チリさんはくすくすと笑っている。してやったり、と言わんばかりの……けれどやっぱり毒気のない楽しそうな笑顔。
 ひとしきり笑ったあと、また顔がちかづいてきた。また、キス?なんで、そんなに飽きないの……?と思っていたら、今度はいつまで経っても離れてくれなかった。口を塞がれて、舌が割って入ってくる。
 くちゅ、と唾液の絡まる音が口の中から耳に届く。さりげなくまた体を触られながら、キスされてる。おとなのきすってみんなこんななの……?経験も知識もなくて、どうすればいいのかわからなくてほぼ何もできなかったけど、チリさんはそんなことはお構いなしに、好きなだけ私の口の中を楽しんでいた。私の口の端からよだれがこぼれるくらい。
「ん……、っ……」
 なんというか……何もできない人間に対してやり慣れてる感がある。このひと、今までにもこういうことをして来たのかもしれない。
 だって、このひとの舌の上、なんだか冷たくて丸いものが乗っかってる。ぜったい遊び人だ。耳だけでも派手なピアスだなと思ってたけど、こんなところまで穴空いてるんだ。今まで顔や口元をじっと直視したことなんかなかったから、知らなかった。


「はぁ、……はあ、……」
 自分だけ服を着たままのグレーのシャツを握って、ぐったりしながら息を整える。もう自分がはだかであることは考えないようにした。
「少し伸びたやね。髪」
 こっちはこんなに息切れしているのに、平然とした顔でチリさんの手が私の前髪をかきあげる。ついでに額を押され上を向かされ、口の端からこぼれたものを舐めとられた。かたいピアスが肌の上を滑る感触が変なかんじする。
 さっきよりもだいぶ大人しくなった私に、チリさんはまた笑う。だから、その顔なんなの。そんな顔ができるなら、最初からそんなふうに笑ってほしかった。人をむやみに怖がらせるな。

「……決めた。やっぱ、チリちゃんだけのもんにしよ」


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