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althaea0rosea

「……初めまして。アオキ、と言う者です」

今日はチリさんに連れられて、最上階の展望台にある例のカフェ……ではなく、その一つ下の階にある和風のレストランに来ていた。
そこの店員さんたち(この普通そうな顔をして働いている人たちもみんな組織の人なのだ)は、チリさんの顔を見た途端にそれはそれは丁寧にお辞儀をした。そして決まった段取りであるかのように、すばやく個室に通される私たち。
「さあこちらへ。本日はどうぞ、心ゆくまでおくつろぎくださいませ」
「どーも」
私もとっくに顔が知られているようで、この間初めて組織の知らない人からそれが常識であるかのように名前に敬称をつけて呼ばれた時は、驚いて返事をすることもできなかった。
それももう昔の話で、二ヶ月も経てば今はもうなんなくお辞儀をするくらいには慣れたものだ。……まだむず痒いけど。

通された個室に入った時には、既に豪勢な料理がテーブルに並べらていた。いつもそうだからそこにはべつ驚かないけれど、すぐにおかしな点に気づく。
「……?」
あれ、これ二人分じゃないな。もう一人分、多い。それに、いつもならチリさんはテーブルに対して向かい合わせに座るのに、今日は私の隣に座ってくる。
お座敷席だからあぐらをかいたチリさんの長い脚が邪魔で邪魔で、手でぐいっと押しのけたら仕返しにわあっ!と脅かされ首を締められた。
「脚くらい我慢せえよ」
「……げほ」
誰か、来るのかな。そんな話は聞いていないけど。チリさん、いつもならなんでもかんでもお喋りするのに、サプライズか何かかな?
そんな予想を立てたところで、タイミングよくコンコンコンとノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ〜。開いてますよ」
「?」
チリさんが、敬語?かと思えば、中に入ってきたのは店員さんより一般人みたいなオーラを纏う男性で、首を傾げた。もしかしたらこれまでに街のどこかですれ違ったこともあるかもしれない、そんな雰囲気の人。
でも、どう考えたって普通の人じゃなかった。だってチリさんが敬礼するみたいに手を上げて、「お久しぶりです〜」と挨拶してるんだから。誰かわかんないけど……私もつられてぺこりとお辞儀をした。そしたら、お辞儀をかえしてくれた。……うーん、良い人そう。
「この人、アオキさん。幹部の一人や」
「どうも……アオキです」
「忙しい人やからなかなか会わせられんくてな。今日少し時間あるって言うから、食事誘ったら来てくれたんや。ここの店を条件に」
なるほど、幹部のかたでしたか。チリさんはハッサクさんにも敬語だから腑に落ちた。


ここで、突然ですが。
この組織にはボスの下に四人の幹部がいて、その下に八人の準幹部がいて……また、他にも色々な専門分野を取り扱う特別な立ち位置にいる構成員が何人か存在する。彼らが組織を運営する上での主要メンバーというわけだ。
チリさんは例外的に組織のお仕事だけをやっているようだが、本来はそれぞれが全員普通の“表職”を持っており、中には世界的に顔を知られている有名人もいるそう。
今私が分かっているのは……

ボタンさん:?《情報屋》
ミモザ先生:高校の養護教諭《医者》
リップさん:モデル兼ブランド運営《準幹部》
サワロさん:小学校の教員《構成員の栄養管理》
ハッサクさん:大学の教授《幹部》
ポピー?さん:謎
オモダカさん:謎
シュウメイ?さん:デザイナー《オシャレ担当?》

ボス:世界的に有名なグループ会社の代表取締役、CEO《ボス》

このくらいだろうか。
他にもチリさんとの会話の端々で色んな人の名前が出たこともあるかもしれないが、私の記憶力ではとりあえずこのへんだ。
で、何が言いたいかというと。
アオキ……さんって、そういえば、チリさんがあの日電話に向かってそう名前を呼んでいなかったっけ?そうだ、あの時も敬語だったよな。そうだそうだ、普段は口の悪いチリさんの、珍しい敬語に聞き覚えがあったのだ。今、ふわっときた記憶が浮上してきた。

アオキさん:一般会社員《幹部》

あの日。チリさんはターゲットが既に死んでいるという不可思議な状況に直面した時、他の誰でもなくこの人に電話をかけた。なにか、特別な繋がりでもあるのかな。それとも……信頼に厚い人なのかもしれない。

「普段は一人でここに出入りしているんですが、……まあ、たまにはこういうのも、悪くないと思いまして」
アオキさんはスーツの上着を脱いで自分でハンガーにかけると、向かいの席に座り、ネクタイを緩めた。ふつうの会社員って感じの仕草だ。
そして、それぞれ「いただきます」をして食べ始める私たち。知らない人がいると緊張するものだけど、不思議と今は普通だった。
アオキさんがこちらのことなんて気にもせず、ただ食べることに集中しているからかもしれない。なんだか見つめてしまう。
「良い食いっぷり。もしかしてやけど、チリちゃんに奢られるつもりで来はったんですか?抜け目ないわ〜」
「いえ、そんな。ただ料理を味わっているだけですので、お気になさらず。むしろ、ここは自分が」
「えーほんまですか!?いやいや、誘ったのうちやから、そこまでしてもらわなくても」
「いいんです。元々そのつもりで応じましたので。それに、積もる話もありますから」
その発言は、単に同じ幹部であるチリさんに向けて発せられたものだと思って、気にも止めなかった。しかし、その次の発言にはさすがに箸の手を止めた。そのくらい衝撃的なものだった。

「……あなたは母親にそっくりですね」

 ?

一瞬、誰に対して言っているのか分からなかったけど、アオキさんの視線がじっと私を向いているから、首を傾げた。
「……?」
アオキさんを見つめ返す。
「その……『自分いつでも殺れます』、とでも言わんばかりの目が、母親そっくり」
「……え?」
動揺してチリさんの方を見ると、じいっと瞳を見つめられた。
「そうか?そないなこと言うてもなぁ、くりくりしてて可愛いだけですよ」
「いえ、今のは、ただの表現ですので」
「あ、そうなん。自分、アオキさんのこと憎んでんのかと思たわ」
「まさか、初対面ですよ我々は」
そうだ。初対面だ。私は今初めてアオキさんと出会った。けれど、彼は……この人は。
「母を、知っているんですか……?」
「はい。僭越ながら……自分は彼女の直属の上司という立場でしたので」

…………ええ?

頭にたくさんハテナを浮かべる私を見て、ほんの少しだけアオキさんの口角があがる。あんまり笑わなさそうな人なのに、そんなに私の顔が面白かったのだろうか。

母。いつも家に居座っていた父とは逆に、家にはほとんどいなかった。外で何をしていたのかは、教えてくれなかったから全然分かっていなかった。
母は優しかった。優しかったと思う。たまに帰ってくると、私の頭にぽんぽんと手を置いて、最低限のゴミを片付けて、またすぐにどこかへ出かけていった母。
寂しい思いをするのは当たり前だった。当たり前だったから、そういうものなのだと思って気にしないように生きていた。
けれど、死んだら死んだで、間接的に私の心にモヤモヤを遺してしまうんだから……母はそれだけ自分の中で大きな存在だったのだろう。死んでから気がついた。でも死んだらもう、それで終わりだ。

アオキさんは語り出す。
「彼女は大変優秀で……部下として重宝しておりましたが、一年と半年ほど前に弊組織から除名する運びとなりました。すなわち」

組織に殺された。

「アオキ……さんが、始末した……ってことですか」
「……正確には、別の部下に指示して暗殺させたのですが」
「暗殺……」
「ええ。交通事故に見せかけて」
交通事故って、見せかけることができるのだろうか。よく分からないが、一年くらい前に母が車に轢かれて死ぬ現場なら、私もこの目で見ている。
珍しく家の外であの人を見かけて、声をかけようと後を追いかけたらどこかから車が突っ込んできたのだ。加害者は捕まってそのまま拘置所行きになったと思う。よく覚えてないから、詳細は知らない。そもそも、毎日生きるのに必死だったから、母が死んだという一大イベントのことなんか、今更頭から抜けていた。

「へえ……はあ……。そう、だったんですか。あの、チリさんは、知っていましたか?このこと……私、結構びっくりなんですけど」
母はてっきり夜のお仕事をしているのかと思っていた。娘の私から見ても身綺麗にしていたし、帰ってくる度に結構多額な生活費を置いていったから。……まあほとんど父の懐に消えたが。
隣で食事を続けながら話を聞いているチリさんに視線をやる。
「そういや、あんたの家に行く前にアオキさんから聞いた気がせんでもないけど、今の今まで忘れとったわ」
「……」
お喋りなチリさんでも母のことについては何も言及しなかった理由に納得。
へえ、あの人、そんなに危ない仕事をしていたんだ。普通そうにしていたのに。頑なに仕事のことを話さなかったのは、そういうこと。
感心しながら箸を動かす私。アオキさんは、そんな私のことを見つめている。何か話し足りないことがあったのだろうか。
「気になりませんか?」
「……何が、ですか?」
「あなたの母親が、暗殺された理由です」
「ああ……」
そういえば、ただ除名になったとしか言っていなかったっけ。
「自分の部下でありながら……同じ組織の人員でありながら。どうして殺したのか」
マフィアが仲間を殺す理由?うーん、と頭を捻って考える。これは一般論だけど、

「そんなの……母が組織にとっての“ゴミ”になったから、じゃないんですか?」

「……」
なに、この沈黙。
「なっはっは!だから、やめっ、あんたいきなり、笑わすな!この!」
急にチリさんにバシバシバシバシ背中を叩かれた。いたい。いたすぎる。やめて。
「まあ、その通りですが。他人事のように言うんですね。なかなか面白い」
「せやろ〜?この子おもろいねん。チリちゃんのやから、くれって言われてもあげへんで」
「べつに、いりませんけど」
「いらんやって!?こんなに可愛いのに!?アオキさんの目は節穴か!?」
「……はあ、そうですかね」
さわぐチリさんを一瞥したアオキさんは、すごくめんどくさそうな顔をしていた。なんだか面白くて吹き出してしまう。あと、チリさんのことは軽くどついて黙らせた。仕返しに首を締められた。なんなの。

げほげほ咳き込む私。アオキさんの方に向き直って、尋ねてみる。
「じゃあ、聞きますけど……なんだったんですか?その、理由って」
「ええ、はい。簡単なことです。彼女は常日頃から組織の資金を横領していました。と言っても、些細な額だったのですが、ボスはそれを反逆行為とみなし……」
職場のお金を盗むなんて、大胆な人だ。ていうか、マフィアの人が何か大事な仕事でミスを犯したわけでもなくお金を盗んだくらいで殺されてしまうなんて、滑稽な話である。
「本当は……人手が減ると困るので見逃したかったのですが、まあ仕方ありませんね。ボスの命令を無視するわけには参りません」
「アオキさんはあの人の言いなりですもんな」
「……」
「いやいや、べつに、バカにしてませんけど」
「……」
アオキさんは、あなたもボスの言いなりなんじゃ?という目をしていた。この二人、仲良さそうだな……。

「でも、納得いきました。……母がたまにどこかからたくさんのお金を貰ってきていたのは、そういうことだったんですね」
食費も、生活費も、学費だって。
たぶん……私の制服も、そのお金で。
死ぬほど貧乏だった私が高校まで行けたのは、何も奨学金と生活保護のおかげだけではなかった、という話。
もちろん、余計にお金のかかる修学旅行やイベント事などには何一つ出席できなかったけれど……そんなことはどうでもいい。今となっては些細なことだ。
なんだ、私は最初からこの組織に生かされていたのだ。今に始まったことではなかった。

私の命は最初からここにあったのだ。

ふと、思い至る。
ただの一般人であった父がどうして組織の情報を盗んだのか、またどうしてそんなことができたのか。その理由がまだ判明していなかった。
しかし、母が組織の人間であったという事実を並べると、一気に状況が変わる。
「もしかして、父は知っていたのでしょうか」
「その可能性が高いでしょうね」
目的語を言わなかったのに、アオキさんは頷いた。話の文脈から母のことについてだとすぐに察してくれたようだ。
「もしくは、勘づいていただけかもしれません。交通事故という手法を選んだのは、警察を欺くためではなく……目撃者を多数用意することで、あなた方遺族に不審がられないようにするためだったのですが」
たしかに、ちっとも不審に思わなかった。
「あなたの父親は、妻の死に違和感を覚えたのかもしれない。そして……どこからか組織の情報を掴み、仲間を集い、犯行に及んだ」
「……」
そこまでして、何故。
「現に、持ち出された情報は組織の構成員リストです。あなたの母親の名前も、そこに記されています」
手段は分かったにしても、結局動機のほうは分からないまま。
父はいったい何を考えていたのだろう。危険を犯してまで得たものが、金ではなく、構成員リスト?何を知りたかったのだろう。尋ねようにも、もう私が殺してしまったからそれは不可能だ。まあ、あの世へ行けば聞けるかも。全く興味も湧かないが。
反社会的な生活をしていた二人だ。どうせ両方とも地獄へ堕ちたことだろう。今頃はあの世で再会しているのかもしれない。
「……」
それを言うなら、私もか。私も……死んだら地獄であの人たちと再会することになるのだ。そんなの、今更気まずい。死にたくない理由が増えた。

「にしても……ボス、当時のことよう許したなぁ。普通裏切り者は家族もろとも皆殺しにするもんやないんですか?」
「……当時、激務だったもので、少しでも負担を減らそうと……。いえ、言い訳ですね。認めましょう、自分のミスです。おかげで情報の流出を許してしまったのですから」
このひと、一年半前、私を殺しそびれたことを私の目の前で懺悔している。
「しかし、この子が生きていたお陰で先日のあなたの仕事が一つ減ったんですから、結果オーライじゃないですか。そういうことにしておいてください」
「なっはっは。それもそうですね。じゃ、感謝しときますわ。ほれ、自分も言うことあるやろ」
「いたっ」
考えごとをしていたら、背中をバシッと叩かれた。ええ……?なんのこと?
「ほれ、『一年半前、私を見逃してくれてありがとうございます』は?」
「え?えっと……い、一年半前、私を見逃してくれて、ありがとうございます……?」
「……いえ、礼を言われるほどのことじゃ」

なんの会話をしているんだろう、私たち。



「さーて、これで四幹部全員対面できたことやし、本格的にうちらの仲間入りやな。もう楽には生きられへんで」
食事を終え、部屋のソファーでダラダラする私たち。チリさんは私のことをぬいぐるみみたいに後ろから抱きしめてくる。
やっぱりこの体勢が好きなのかな。さりげなく胸に伸びた手をはたきおとしたら、こめかみのところにキスされた。不意をつかれた……首締められるかと思ったのに。
「四幹部って……あと一人足りないんじゃ」
1、2と指折り数える私。チリさんと、ハッサクさんと、今日会ったアオキ……さん。
「ポピーのこと、抜けてるんやろ」
「……?」
「一度この部屋に遊びに来たやろ?言うとくけど、この建物は元々セキュリティえぐいから、あの日に限ってチリちゃんが戸締りしくったわけやないからな。勘違いするんやないで」
「……?」
「単純にあの子がピッキング得意ってだけで……ほれ、天使みたいに可愛くて、おめめくりくりで。そんで、あとは……首からでっかいもんぶら下げとったやろ。なんや知らんポーチみたいなやつ」
「……」
だんだんと、思い当たる姿が頭に浮かんできてぽかんと口を開けた。そんな私に構わずペラペラとしゃべり続けるチリさん。
「ポピー、アレいつも肌身離さず持ち歩いとるから、チリちゃんはあの中に仕事道具やらなんや大事なもんが仕舞われとるんやないかと踏んどるんやけど……実際のところはどうやろな。……うん?思い出せん?分かるやろ?あの、ちっこい子やで」

え、あの子幹部なの?


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