英雄

althaea0rosea

 傷だらけの少女が一人で息を潜めていた。
 否、一人と一匹だ。
「それ以上はダメだ。捨ておけ」
 早朝、コトブキムラに向かうついでに通りかかった雑木林。あのきな臭い商人に言いくるめられて大量に菓子を仕入れたもんだから、夜通し警備を務めた団員たちに差し入れでもくれてやろうかと思案しながら歩を進めていたところ、虫の知らせとでも言おうか――コロボーシが右手の方から一斉に逃げてきたのがやけに気になって、そちらに進路を変えたのがなによりも幸運だった。
 というか、コロボーシがいてもいなくても次の瞬間に聞こえてきた雄叫びのおかげで事態は早々に把握できたのだが。木々の影に身を潜めながら近づくと、通常種よりガタイの大きい、所謂オヤブンと呼ばれ恐れられるポケモンがそこにはいた。
 そして、奴に相対峙するレントラーと、近くの岩陰に隠れながらボロボロの服を形だけでも直そうとする少女。色んなところから血が出ているのが遠目からでもよく分かる。
 成程ここが戦場であったか、目線は完璧に“獲物”を捉えているようだ。オレの気配には気づきもしない。

 流石は荒ぶるキングを鎮めた天空からの迷い人、息の潜め方と言ったらまさに忍のそれで、オレの方こそ彼女の存在に気づいたのは彼女が獲物に向かってきのみをぶん投げたからだった。
 既に何度か攻撃を食らっているらしい。オヤブンの周りに何匹も小さいのが転がっているのを見ると、どうやらオヤブン自体にというより数に苦戦しているようだった。他の手持ちは瀕死状態、本人すら立ち上がれるのかも分からない。
 加勢することも考えたが、いや、だってオレこの前あいつに負かされたんだぜ……? それに、ここに来る前にひとっ走りしてきたから自分の手持ちは今万全ではない。いち団のリーダーとして情けないことこの上ないが、オレが出ていったところで状況が悪化したらどうする。それよか他所の所属の人間とはいえ、命のが大事だろ。
「……!」
 そんなことを刹那的に考えているオレをよそに、今にも倒れそうだってのに彼女がまたも右手を振り上げるもんだから、声をかけるより先に一瞬にして距離を詰めて手首を掴んだ。問答無用だ。

「あ、い、いつの間に…」
 この重傷で気絶していない方がおかしいのだ。そうさ、英雄という話の裏には闇があって当たり前だ。本人の過剰な努力があってこその成果じゃねえか。オレたちは傷だらけの彼女を見て見ぬふりして、我が物顔で賞賛せしめる……恥知らずにも程がある。
 驚いたように振り向いた少女は、掴まれた衝撃で手の平からこぼれ落ちてゆくきのみをもったいないと言わんばかりに目で追いかけた。気にするものか、撒き餌なんざまた集めればいいだろうが。
「一旦引くぞ」
 敵に気づかれないよう耳元で囁く。
「ま、待ってください、あともう少しで、」
「怪我の程度も測れねぇ奴の言うことを誰が聞く?」
「いいから、あともう少しだけ……!」
「ああ分かった。相棒を戻す時間だけは待ってやる。さあ早くしな」
 こんなところで人間同士が揉み合っている時間が惜しい。簡潔にそれだけ伝えるが、それでも彼女は大の男の睨みにも屈するどころか睨み返してくる始末。そして……即座に視線は岩陰の向こう。なんてこった、歳の割に強くて敵わん。
「はあ、あんたの覚悟は恐れ入った。しかしこのままでは相棒が死ぬぞ。あんたにとって、アレの捕獲にはそれだけの価値があるのか?」
「……」
 数刻の時を置いて、彼女は大きく深呼吸をした。
「分かりました。分かりましたから、手を」
 と、オレに掴まれていない方の手を懐に忍ばせ、モンスターボールとやらを取り出す。ようやく諦めてくれたか。そう思って一瞬気を抜いたのがいけなかった。
 彼女が取り出したのはどうやら全く新しいモンスターボールで、オレの拘束から解放されるとあろうことか岩陰から姿を現し、迂回しながらもオヤブンの元へ駆け抜けていく。
「な……!」
 驚いて言葉もない。ああ簡単な事だ、オレの言葉では説得するに足りなかった、あの分からず屋は最初から体ごと担いでかっ攫うべきだったのだ。
 致し方ない、あとを追いかけ彼女が手負いの体に鞭を打って力いっぱいにボールを投げたところを、ひっ捕らえ担ぎあげた。もちろんレントラーに声をかけるのも忘れずに。
「せ、セキさん……」
 これまで人間として弱いなりに、幾度となく戦闘から逃げるという戦法を取ってきたオレたちだ。背を向けることは恥ではない。そう言い聞かせながら、流れるように攻撃を躱し全速力で退散する敗者たちだった。

「あの時……あんたの背後、がら空きだったぜ」
 アヤシシがあまり揺れないように自ら配慮してくれるくらいに、信用と重傷を負ったか弱き少女。うっかり落ちてしまわないように片腕でしっかり支えてやると、さっきまで強気だったのが嘘みたいにへばりついてきた。そんな顔をするくらいなら泣けばいいのに。
「……はい」
 結果的に、最後に投げた渾身の一球でもあのオヤブンは捕まえられなかったのだ。心底悔しかったのか、この距離でも聴き逃しそうなくらい小さな舌打ちをかましていたな。可愛いところもあるじゃねえか。
「もしオレが獰猛な敵だったらどうしてた? まあ、ただじゃ済まなかっただろうよ」
「セキさんだったから良かったじゃないですか」
「そういう戯言を言っているようだと、いつくたばるか分かったもんじゃねえな」
 落ち込みがちに項垂れ、ボールに入ったポケモンたちを大事そうに抱える少女。見ろよ、これがヒスイを救わんとする英雄だ。ついつい小言を口にしてしまっても、決して笑いものにはできねえな。

「あの……お願いがあるのですが」
「なんだ、言ってみな」
「ムラに着く前に下ろしてください」
「はあ?」
「……というかベースキャンプまで連れて行ってくれると助かります。そこで朝まで休んで行きますから」
「馬鹿言え、ちゃんとムラの施設で手当てしてもらうに決まってんだろ。血反吐吐く奴が野外で一晩も過ごせるか」
「……過ごせます」
 過ごせるか。ポケモンからの攻撃は単純なものではない。目に見えないところでも体に異常を来たしているかもしれない。それくらい分かっているだろうに。なんならオレが付きっきりで見てやってもいいくらいだ。
「なあ、どうして来たばかりのあんたがそこまでする必要があるのよ」
「……」
「いや、迷惑ってんじゃなくて、お前の働きはオレたちコンゴウ団もかなりの恩恵を受けているさ。有難くてこの上ないんだが、ただ……」
 朝日に照らされ、どこからか聞こえてくる咆哮に言葉を遮られた。コトブキムラまではあともう少しだ。
「……私が無茶をするのは、居場所を得るためなんですよ」
「……居場所ねえ」
「成果を上げられなければここにいる資格なんて、団長や隊長が許してくれませんから……博士はともかく」
 これが齢十五の女子の言う台詞か? 今も身体中痛くてたまらないくせによ。オレは素知らぬ顔で言い切った。
「いんや。そりゃギンガ団での話だろうが」
「?」
「いざとなったらオレんとこに来りゃいい。あんた一人くらいこのオレが面倒見てやるよ」
「……はあ。コンゴウ団は懐が深いんですね」
「そりゃあんただからな」
 てめえほどの力の持ち主はどこへ行っても引っ張りだこだろう。
「……誰にでも言ってるんですか? それ」
「あん? あんたはあんたしかいねえだろ」
「……」
 それっきり黙り込む彼女。何かまずいことを言ったか? 親切心から慰めてやったってのに。
「まあ、ありがとうございます。もし本当にそうなったら……頼るかもしれません」
「おうよ。遠慮はいらねえよ」
「――カイさんに」
「はああ?」
 思わぬ名前の登場についガン飛ばしてしまった。そんなオレの顔が面白かったのか、今日始めて見せてくれた笑顔の幼さたるや。これは、そう、守りたくなるような。


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