02

althaea0rosea

「フワンテ、さいみんじゅつ。……さいみんじゅつ。だから、さいみんじゅつ」
 ついさっき捕まえたばかりだからか、なかなか言うことを聞いてくれない。こちとら髪を下ろして、荷物の整理をして、寝袋にくるまって……バッチリ眠る準備は整っているというのに。
 すっかり夜も深まってきたんだし、夜行性のあなたは活発に技を発動できるはずでしょう? それなのにふわふわとテントの中を行ったり来たりする困り顔のフワンテ。
 ……もちろん、私がどんな無茶なことを言っているのかは分かってる。分かってるけど、しかしこれも最後の手段なのだ。
 最初に目を閉じてからどのくらい時が経過しただろうか。今日も朝から晩まで色んなところを駆け回って、体は疲れ切っているはずなのに。いくら呼吸を繰り返しても、羊を数えても、頭は完全に覚醒したまんま。
 明日も朝早くから働かなきゃいけないのに、これはもうフワンテちゃんの力を借りるしかない、そう判断したのだった。しかし……優しいフワンテは主になったばかりの私を攻撃するのをためらっているようだ。気持ちはとってもありがたいけれど、ここはなんとかお願いよ。
「いい? 今度こそばしっと決めなさいよ。フワンテ、さいみんじゅ――」
「よお来たぜい! ――あ?」
「あ、」
 再度命令を投げかけると、ちょうどそのタイミングを見計らったかのようにテントの出入り口がご開帳。運が良いのか悪いのか……私の無茶な命令にやっとこさ決心のついたらしいフワンテが「さいみんじゅつ」を発動させた瞬間だったから、不意打ちの来訪に私以上に驚いてしまったらしい。
 中の状況を知らずに顔を出したその人めがけて、フワンテは思いっきり技を放った。さいみんじゅつだ。知っての通り、当たったら即座におねむだ。
 けれどそこは反射神経の見せどころ、彼はすんでのところでのけぞり返ってぎりぎり技を回避した。
「くッ! ……ああっ」
 ……回避したのはいいんだけど、その人はそのままの勢いで後転していってしまった。そういえばテントの外は若干の下り坂になっていたっけ……と放心状態で一緒に取り残されたフワンテと顔を見合わせる。指示を出したのは自分だけど、さっきより困り顔になったフワンテを見て、さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「やるなあ、あんた。いつでも臨戦態勢ってか? オレでなきゃ避けきれなかったぜ」
「ご、ごめんなさい……セキさん」
 言い訳をさせてください。百、私が悪いんですが、ここはどうか言い訳するのを許してはもらえませんか。決してあなたを……コンゴウ団のリーダーであるあなたのことを攻撃しようと構えていたわけではないのです。団長に命令されて暗殺を企んでいたわけでもないんです。そこだけは勘違いしないでほしいのです。
 ……というようなことを、フワンテと一緒になってほとんど土下座するような格好でまくし立てる私。現れたのがテルだったならこんな思いをすることもなかったのに、よりにもよって他の団の長に攻撃をしかけるなんて、これじゃあ宣戦布告みたいじゃない。
「いいってことよ。んな謝んな。こんな狭っ苦しいテントの中で技を放つとか、ただ事じゃねえのはなんとなく分かったからな」
「はい、ありがとうございます」
「けどま、顔出した途端に狙い撃ちたあ、さすがは警戒心が強いだけあるよ。こんな深夜だと、いつ殺気立ったポケモンや不審人物が現れるか分からねえしな。感心感心」
「不審者なら今現れましたが……」
「てめえ反省してねえな?」
 めっちゃ睨まれたのでフワンテの後ろに隠れた。彼はフワンテみたいにふわふわの髪を揺らしながら「ええ?」と首を傾けてさらに圧をかけてくる。怖すぎる。前職はヤクザですか?
 いやでも、ノックや呼びかけもなしにテントを開けるなんて、不審者と思われても仕方がないと思いますが……。いつの間にかテントの扉をしっかりと下まで閉めて、ここがオレの家だと言わんばかりに堂々と足を組み腕を組んでいるけれど、ここはギンガ団のベースキャンプで……あれ? 私が気づかないうちにコンゴウ団のアジトに変わってしまっていたのかな?
「声ならかけたぜ? まあ気づいてなかったようだが……あんたの声は聞こえたから、いいかと思って開けたんだ」
「場合によってはビンタものですよ、それ。もし私がお着替え中だったらどうするつもりだったんですか」
「いいもん見れたって顔するな」
「フワンテ、シャドーボール」
「どうどう! 落ち着け! いちいち殺気が強えんだてめえは!」
 おまわりさんこの人です。

 ぜえぜえ、はあはあ。
 まさかこんな世界で成人男性と取っ組み合いの喧嘩をするとは思わなかった。フワンテが止めに入ってくれなかったら絶対にひねり潰されていた。向こうは頭一つ分以上も背の高い男の人なのだ。しかもコンゴウ団のリーダーを務めていたりする。なにはともあれ助かった……。
「あの、セキさん。私に何か用があったんですよね?」
「い〜や、何も」
 ……?
「それなら、たまたまここを通りかかっただけって感じですか?」
「なんだあ? 用がなきゃ会いに来ちゃいけねえのかよ?」
「えっいや……。でも、私、寝るところだったんですよ」
「しょうがねえなあ、そんならオレが寝かしつけてやんよ」
 受け流したところで意味もなく、口説き文句のようなものを次から次へと言う人だな……。
「だっ大丈夫です、そんな迷惑かけられません。私にはフワンテがいるから大丈夫です」
「いや迷惑ってこたあ……。……ああ、そういうことかよ」
 気を取り直して寝袋に潜り込んだところ、セキさんは何かに気づいたように近づいてきた。天井が低いから自然と四つん這いになって。
 それまでこの狭いテントの中でかろうじて距離を取っていたにも関わらず、そんな一線などとうに踏み越えて、枕元に手をついて。
「寝れねえのか」
「……」
「だから、わざわざフワンテの力に頼って……」
「心配しなくても大丈夫です。たった今いい具合に運動できたので疲れました。よく眠れそうです」
「強がんなよ。オレといる時くらい気張ってないで気ィ抜けや」
 なんか、さっきからやけに「オレ」の存在感を強調されているような。彼の力強い視線から目を離すことができず、ひたすらに瞬きをしていると、セキさんは何が面白いのか満足したように「はあん」と笑った。
 そして、私のすぐ隣に肘をついて寝そべった。寝転がりながら器用に羽織りを脱いで、髪を縛り上げていた紐を解いて、普段の騒がしい感じとは打って変わって、優しく語りかけてきた。
「いい夢見させてやる」
 彼が目配せをするから、今までじっと様子を見守っていたフワンテを仕方なくボールに戻した。何を言ってるんだか、……こんなんじゃ寝れるわけないのに。
 何か反論できることはないかと目を泳がせていたら、額の上から視界を遮られるように手を被せられて強制入眠。私の脳みそはそんなに単純だったのかと予想だにしなかったけど、照明が消されてからあっという間に夢の世界へ旅立ってしまった。
 なんでかな、やっぱり寂しくてたまらなかったのかも。いくらポケモンを手懐けようと、期待されようと、……私はまだ子どもなんだから。近くに誰かがいてくれるだけで、とても安心するみたいだ。


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