althaea0rosea

十五の時。リーダーを目指す者として世の理は知っておいて然るべきと、そう考えたオレがとった行動は「旅に出る」だった。まあガキの考えそうなことだ。
姉貴分のヨネには当然のように止められたが、それしきの忠告なんぞ当時のオレには届きはしない。相棒と一緒に海を越え山を越え、初めて見る景色に打ち震えもしたもんだ。そこで一人の少女に出会った。不思議なオーラを身にまとい、やけに死にたがる奴だった。



「リーフィア?どうし……」
無防備で、完全に気を許している状態で背後を取られた時の戦慄といったら……これ以上の恐怖はない。本能的にも、これまでたくさん蓄えてきた知識においても、ポケモンが恐ろしい生き物だということは分かりきっていることで、そういうのは生まれた時から里の人間にしつこく叩き込まれてきた。
実際、集落の外に出た者はほとんど怪我を負って帰ってくるのが普通だ。オレはそれを知った上で彼らとの共存の可能性をずっと考えてきたし、もはや家族同然の関係であるリーフィアやゴンベのように、いつかは全てのポケモンと……なんて夢を見ていたのだが。
「そうかい、ここがオレの墓場ってか?」
目の前に尻尾を怪我をしたピチューがいたのだ。手当てをしてやろうと拾い上げて傷薬をあてがっているそんな時、いつの間にかスコルピの集団に囲まれていることをリーフィアの威嚇で察知した。
気配でわかる。数が多い。たくさんのスコルピが、あっちもこっちも獲物に向かって次から次へと敵対心を放っている。
かなり気を配っていたはずだが、群生地に入ってしまったか。いくらこれまで寸暇を惜しまず鍛えてきたオレとリーフィアでも、この数には敵うわけがなかった。なにしろ森の中だ。しかも初めて訪れる見知らぬ場所。地の利は圧倒的に向こうが優位。さすがに死を意識した。

が、その時。
見たことも無い四足歩行のポケモンが、どこからともなくオレたちの前に現れて、まるで縄張りを守るかのように大きく吠えた。
力強く、吠えた。
ヒスイでは見たこともない姿だが、この辺りに生息しているポケモンか……?新たに目にしたポケモンに気を取られている隙に、群がっていたスコルピはたちまち四方に散っていき、いつしか残ったのはオレたちとピチューとそいつだけ。
助けてくれた、のだ。状況から見てそうとしか思えない。そのポケモンはあっという間に周囲の奴らを追い払ったあと、続けてオレらを襲うでもなく、それどころか新たな敵襲から守るかのように……鋭い目付きでゆっくりと周囲を見渡している。
「あ、ありがてえ……感謝するぜ」
そうやって声をかけると、まるで返事をするみたいにもう一発吠えてくれる。……不思議な体験をしたようだった。
とにもかくにも早くピチューを助けてやらないと。すぐに手当を再開し、安全なところへ逃がしてやった。

ポケモンですら襲われるこの世界で、たった一人の人間が無事でいられるはずもなく。あのポケモンが守ってくれていなければ、通説通りオレは死んでいただろう。スコルピの毒にやられて、誰にも見届けられることもなく。
でも、見知らぬ人間を助けるポケモンがいる。その事実にオレはどうしようもなく感極まって思わず笑っちまった。緊張感から解放されたのもあるんだろうな。
「もういいぜ、オレたちは大丈夫だ。おめえには帰るところがあんだろ?さあ行きな」
さて、自分の身を自分で守れない奴が安易にポケモンを助けようとしたのは、正しい行動であったかもしれないが、正しい判断ではなかった。それでも……危険だと分かっていながらつい手を差し伸べてしまったのは、どうしても見逃せなかったからだ。結局自分が襲われてるんじゃピチューも無事では済まなかっただろうにな。つくづく自分の甘さに呆れてしまう。
今回はヒーローのように現れたあのポケモンに救われた。次はそうもいかないだろう。改めて気を引き締めて感謝と敬意の意を伝える。だが、いつまで経ってもそいつは立ち去ることなく、じっとオレたちの方を見つめている。
「……どうした?オレに何か用でもあんのかい?」
また吠える。まるで言葉を理解しているみたいだ。そいつは道無き道を歩き出したかと思えば、こちらをしきりに振り返りながら、そして立ち止まりながら、オレたちに向かってまた吠えた。導くようなその行動、同じ四本足で立つリーフィアの方が先に何かを察したようで、オレの足元をぐるりと一周してからそいつの方に走り出す。ついてこい、と言いたいらしい。
二匹はオレが置いていかれないように配慮してか、あまり速すぎない程度に駆け出していく。進んだ先に何があるのかは皆目見当もつかなかった。まあ助けてくれた身で無視をするわけにもいかないし、ポケモンが人を呼ぶなど余程のことが起こっているはずだ。
成程、確かに、そいつの目的を知るのは案外早かった。

「お、おいあんた!」
そこには人が倒れていた。身体中に葉や泥を付けた、おそらく同じ年頃の少女。ヒスイにも勝る寒さだというのに、何故か薄着で体が冷たい。持ち物もほとんど持っていない。
そばに駆け寄って様子をみるが、かろうじて息はあるようだ。軽い切り傷がある程度で、大きな怪我はほとんど見当たらない。ただ気絶しているだけ。ひとまず安堵して自分の羽織りをかけてやると、オレをここまで導いてきたポケモンは、そいつに寄り添うように座り込んで弱々しく鳴いた。
「……もしやあんた、こいつの相棒か。オレがピチューを助けるところを見ていたのか?」
オレがピチューを助けたから、オレをここまで連れてきたということか?そう問いかけると、例に漏れず返事をくれた。今度は少女の頬をペロペロと舐める様子を見て、現場の状況を改めて理解する。
ここは陽の当たる洞穴で、周囲には温厚なポケモンしか見当たらない。近くに引きずられたような跡があるのは、こいつがこの少女をここまで移動させたということだ。この森の中で、ここがおそらく一番安全な場所なのだろう。その上で、人間に助けを求めてきたのだ。それもただの人間ではなく、怪我したピチューを助けるような善行をした人間に。
「へえ、頭いいなあんた。名前は知らねえけど……よくオレを見つけてくれたもんだ。そういやうっかり礼をすんの忘れてたし、これ食うか?」
良かれと思いリーフィアのために常備していたきのみを差し出してみる。が、そいつはフイとそっぽを向いてまた少女を見つめるだけ。好き嫌いがどうとかいう話ではなく、見知らぬ人間からはものを貰わないタチらしい。やはり頭がいい。行き場をなくしたきのみをリーフィアにやってから、再度少女に目を移す。
健康的な肌色。ほどよく伸びた髪。かなり幼い顔立ちをしているが、体つきからして差程歳が離れているようには思えない。言って二、三くらい歳下という感じか。汚れたままでは可哀想なので、葉をはらい落とし手ぬぐいで泥をふきとると、懐から綺麗な石が転がり落ちた。宝石のような……よく見ると服装も見慣れないものだ。ここはヒスイじゃないんだから格好が違うのは当たり前だが。
「しばらくは目覚めそうにねえな。リーフィア、こいつと一緒に見ててやれ」
オレは少女がどこから来たのかが気になり、とりあえずは地面に伸びている引きずられた跡を辿っていくことにした。

そこには明快な痕跡があった。地面の跡が途切れた先に生えていた低木の枝が、一箇所、分かりやすく折れている。これはそう、まるで上から何かが落ちてきたような悲惨な折れ方だ。
「……よく生きていたな、これで」
と、崖の真下で呟いた。





頬に何か冷たいものが当たったかと思いきや、目と鼻の先に緑色の瞳をした少女がオレの顔を覗き込んでいた。いつの間にか眠っていたか。すっかり夜が明け太陽の暖かい日差しが辺りを照らすそんな時分、昨夜いつまで経っても目覚める気配のなかった少女と初めて視線を交わした瞬間だった。
「よお、目覚めたか。オレもだが」
突然目を開いたもんだから驚いてしまったらしい。顔を近づけたまま硬直する彼女に声をかけてやると、思い出したようにオレの頬を触れていた手を引っ込めて、すぐに後ろの方に後ずさった。まるでおかしなものでも目撃したかのように困惑した表情で、かすかな震え声をあげている。
……初対面でその反応をされるのはさすがに心に来るものがあるが、別にこれ以上驚かす理由も恐れられる理由もない。目線を気にすることなく背伸びとあくびをして、簡潔に名前を告げた。
「オレはセキ。ヒスイから来た。あんたの名は?」
オレのそばでまだ丸まって眠るリーフィアを撫でながら、少女のことを見つめてみる。昨日から思っていたが、改めて観察してみてもどことなく幼い雰囲気が漂っている。たっぱが無いから?まあそんなことは今はいい。
緊張している様子でじっと黙り込む彼女。無言の時間が耐えきれず、もう一度「教えちゃくれねえか?」と尋ねてみると、彼女はようやく口を開いてあどけなく笑った。なんだ、笑えんじゃねえか。
「あ、アローラ……」
「アローラ?」
「その、いえ、違くて……アローラというのは生まれ故郷のあいさつで……わ、私の名前はなまえと言います」
「そうか、なまえ。痛みはねえか?見えるとこのは簡単に処置したんだがよ」
昨日、彼女が落ちてきたらしい崖の高さを考えると、なかなかの衝撃だったろう。あれだけ高いところから落ちてるんだから、内側がぐちゃぐちゃになっててもおかしくはない。まあ今しっかり会話ができているから大丈夫だとは思うが……一応念の為に診察的なことはしておきたい。
そう言うと、なまえはその必要はないと控えめに首を振った。無事ならいいんだが。
「腹減ったろ。昨日のうちに調達しといたからこれ食いな。遠慮はいらねえぜ」
なんとなく、こういうのは断りそうな性格をしているのだろうと踏んで、返事を待たずに彼女の手に握りこませた。言っておくが毒なんぞ入ってないからな。幼い頃から目利きをしてきたからかなり味には自信がある。
ていうか腹が減っていたのはオレの方だった。ひとりで勝手にもりもりと食べ始める男を見て、彼女はやっぱり遠慮がちに何かを考えてから少しずつ食べ始めた。
「それで、……ここは一体どこなのでしょうか?閻魔様」
「ちょいと待ちな」
今、閻魔様と言ったか?
「誰が、なんだって?」
「え、え?私、何かおかしなことを言いました……?」
思わぬ言葉が彼女の口から飛び出してきたので、思わず吹き出してしまうところだった。上半身がよろけたはずみでリーフィアを起こしてしまったし、まさかおちょくられているのではないよなと疑心暗鬼になってしまう。
彼女は、なまえはとんでもない勘違いをしているらしい。オレがその、閻魔だとか、そういうの以前にそもそも。
「だって私は死んだはずでは……」
冗談みたいなことを言っているのに、しかし彼女の様子は冗談を言っているようには見えなかった。
「んなわけねえだろ。あいつが助けて、オレを呼びに来たんだ。あんたのところまでな」
さっきからちょくちょく視界に入ってくるのが気になっていたが、昨日突如として現れたポケモン……おそらく彼女の連れのポケモンが、今も近くを歩いて回っていた。周囲を警戒しているのだ。オレが眠りについてしまってからもずっとそうしていたのだろうか。
「……ルガルガン」
「ルガルガン?って言うのか、あいつ」
「はい……。そうですか、あの子が。ようやく理解しました。私は生きているのですね」
少女は伏し目がちに笑う。まるで抑揚のない、覇気のない、……生気のない声で言う。

「やけに景色のいい地獄だと思いました」

何やら危ない気配を感じる。昨日彼女を見つけた時、既に金品をひとつも持っていなかったからオレはてっきり山賊にでも襲われたかと思っていたのだが。よく考えたらここは元々気性の荒いポケモンが多く潜んでいると言われている山の中。オレのように修行の一環で好き好んで足を踏み入れる奴とは違い、山賊すら嫌煙する危険地帯だ。
この洞穴近くがたまたま安全な場所というだけで、少し離れたらすぐにどこかしらのポケモンの縄張りだ。とても、……とても十年と少し生きただけの女子が一人で来ていい場所ではない。それなのに、ろくな荷物も持たずにここにいるということは。
「不躾なことを聞くようだが、もしやあんた家出でもしたのか?」
「……?そうではないですよ」
「じゃ、なんだ?オレにはとてもあんたがただの旅人ってふうには思えねえんだが」
「里を追い出されたのです」
「よっぽど一大事じゃねえか!」
オレの大声にリーフィアが飛び上がった。こんな厳しい世の中で、女子一人と一匹が到底太刀打ちできるはずもない。オレですら昨日死ぬはずだったのだ。
にしても……随分なことをする奴らもいたもんだ。オレらのところでも追い出すのは何かしらやらかした奴だけで……。あ、そういうことか?
「何しでかした?」
「何もしてませんよ。……生きていただけです」
「それだけってこたないだろ?」
「簡単に言いますと、自然淘汰で存命する血族が私一人になり……アローラに居場所をなくしました。それから本土のこの辺りに移住してきたのですが」
「ほう。既に最悪って感じだ」
「出自の知れぬ私を受け入れてくれた里で、たまたま同じ時期にポケモンによる被害が多発して、当然疑いの目を向けられ、逃げるように……」
「はぁ〜本当に生きてただけなんだな」
思わず同情する。
「生きていただけなんですよ」
「んで、そのことにもう嫌気がさしてるって顔してるな」
「……分かりますか?」
「見るからに」
オレがもう彼女の目的を察していることが分かったのか、取り立てて隠す意味をなくしたようだ。彼女はとうとう意を決したように呟いた。
「死に場所を探しています」
思った通り。……そうでなかったらいいのにという思いは全く通じなかった。
「今回だけじゃないんですよ。ルガルガンのおかげで……ルガルガンのせいで、何度死にそびれたことか」
「色々抱えてんだな」
自殺願望を抱えているやつに対面する機会などほとんど持ち合わせておらず、というか今回のこれが初めてのことだったので、どんな顔をすればいいのか分からなくなってしまう。
が、ひとつ言っておきたいことが頭に浮かび上がってきたので、ついつい口を開いた。
「でもよ、そんなことを本気で思ってんなら……ルガルガンのせいでとか、本気で思ってんだったら、まずはそっちを仕留めてから後を追やいいんじゃねえのかい」
「え、」
「死んじまったら助けられるもんも助けられねえからな。そのがあの世でも仲良くできるし、いいことずくしじゃねえか」
「な、何を言っているんですか?そんなことできるわけないじゃないですか。私は、あの子には生きていてほしくて、」
「甘ったれてんじゃねえよ」
ほんの少しだ。ほんの少し声を荒らげただけで、次の瞬間にはルガルガンがなまえのもとへと電光石火で駆け寄ってきた。彼女を守るように、オレのことを訝しげに睨みつけてぐるると唸っている。
それに対して立ち上がろうとするリーフィアをいさめながら、オレは臆することなく静かに言った。
「同じことをそいつも思ってる。あんたには死んでほしくないってよ」
言葉が通じなくても分かることだ。昨日の今日で、あんたらの絆が確かに存在していることをオレは既に知っている。見せつけられている。しかしそれは、ルガルガンの一方的な思いだったとでもいうのか?
「本気でこの世を去ろうとしてんなら、相棒のことも後腐れなく向き合ってからそうしろや」
「……」
「ああ、別に説教ってんじゃねえけど」
そう付け加えたところで説教っぽくなってしまったのは変わりなく、変な空気感になってしまった。ここは話題を逸らしてみるか。
「にしてもなまえ、あんたかなりの薄着だがその格好で寒くねえのか?」
「いいんです。どうせすぐに冷たくなるので……」
「……」
懲りねえやつだなあ。
「なあなまえ。道案内を頼んでいいか。この周辺のことちょっとくらいは詳しいだろ?」
「み、道案内……ですか?」
「オレは見ての通り来たばかりの旅人なもんで、あんたに色々連れてってもらえると助かるんだがよぉ」
「そうですか。でも……」
「したら」
 オレはついぞ身を乗り出して、彼女の片手をがしりと掴み取った。冷たくて冷たくてたまらない、生気のない死人のような彼女の手を握りしめて、まっすぐ視線を捉えて。
「そうしたら、見返りとしてあんたの最期をこのオレが見届けてやる。死に場所を探してんだろ?だったらいいとこ紹介するぜ」
嘘を言うつもりはない。もちろんまざまざと死なせるつもりもない。オレがずっとこいつの生き様を監視してでも、必ず天寿をまっとうさせてやる。俺と出会ったのが運のつきだったなぁ。
「それでいいだろ?じゃあもうしばらくの間よろしく頼むぜ」
その『しばらく』が何年、何十年かかるかなど知る由もなく、彼女は勢いに押されるままにこくりと頷いた。


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