06

althaea0rosea

「さて。色々聞きたいことあるんやろうけど、説明しとる時間が惜しいわ。とりあえず、ここにある適当な服着て待ってて。汚いのは今だけ我慢し。……服無くなったんは、チリちゃんも一緒やねん」

……服よりも何よりも、状況を理解することをまず一番にしたかったのだけれど、確かに、着るものがないと外の世界を過ごすには肌寒い。でも、そういうあなたは、脱ぎ捨ててある自分の制服を着ればいいのではないのだろうか……と、不思議に思ったところで、彼女は立ち上がり口を開きました。
「𝕮𝕬𝕸𝕰𝕽𝖀𝕻𝕿」
「……?」
聞き取れなかった。……今、なんて言ったのでしょうか。聞き取れはしなかったけれど、その言葉の雰囲気に聞き覚えだけはありました。
おそらくあれは、鬼の古来の言葉。鬼だけに伝わる鬼独自の言葉です。よく博士がぶつぶつと誰に聞かせるでもなく話していたのを、ぼんやりと聞いていた覚えがあります。
そんなことを考える間もなく、彼女がその言葉を唱えた途端、ボンッと音を立てながらとある魔獣が姿を現しました。四足歩行で、オレンジの体に模様がついていて、背中に山のような二つのコブがある……。
「この子はな、うちの可愛い可愛い家族でな、あー、あんたに通じる発音やと……バクーダっちゅうんやけど〜……」
思わずじっと見つめていたら、軽く紹介をしてくれました。バクーダ……。つり目だけど、鈍足っぽくて、なんというか、愛嬌がある。そもそも私は魔獣を目にする機会があんまりなかったから、いきなりの登場に少し驚いてしまいました。
彼女はバクーダの頭を撫でながら、その子に向かって言いました。
「頼むわ、これ燃やしたって」
そう言って、床に脱ぎ捨てていた自身の制服をつきだしました。もちろん、私に被せていた上着もきちんと回収して。しかし、バクーダは困ったように主を見つめています。
「ええの、もう要らんやつやから」
その子は困ったように首を振っています。そんなふうに燃やしていいものでは無いと理解しているのでしょう。
「ええから、はよ!」
命令に背く使い魔に対して彼女が凄い剣幕で言ったところで、さすがにこれ以上は引き下がれないと判断したのか、バクーダは制服に向かって火を吐き、燃やしてしまいました。
……それは瞬く間に燃え上がり、温かい空気が部屋を充満させます。綺麗な色の炎はすぐに消え、そこには灰だけが残りました。
「……」
国に従事する証の誇り高き制服を、そんなふうに燃やしてしまってよかったのでしょうか。おそらく、あの子もそれを思って……。
「ええねん。これ街歩く時に下級のもんが近寄らんから便利で着とっただけで、誇りとかなんもあれへん」
そう言いながら、彼女は偶然燃え残ったエンブレムを拾い上げ……大事そうに握りしめています。
「いや、あんな?ちゃうよ、べつに、これ貰った時のことなんか思い出しとらんよ、べつに」
「……」
「ええい、もう知らん!国なんか知らん!チリちゃんやるときはやる女やねん!」
彼女はエンブレムを空中に投げ、また同じくそれを燃やすように命令しました。バクーダは再度狼狽えつつ、しかしすぐに言う通りに炎を出しました。
制服が燃え尽きてしまった。床に落ちていく灰を物悲しそうな顔で見つめていたバクーダは、役目を終えてすぐにどこかへ姿を消しました。

なんだか、空気が重い。
「見せもんやないで。見学しとらんで、はよ服選んで着とれ言うとるやろ」
「……っ」
急にこちらを振り向くから、驚いて身体が震えてしまいました。その鋭い眼光を見た途端に、ついさっき襲われた時のことがフラッシュバックして……身体を小さく縮こませた私に、彼女はすぐに顔色を変えて言い聞かせてきます。
「あ、ああ……せやな、ごめんな、急に言われても分からんよな。待ってな、今チリちゃんが選ぶから、……お願いやから、怖がらんといて」
「……」
「……はァ?なぁにが『怖がるな』やねん。そんなん無理に決まっとるやろ、アホ抜かせ」
そうやってひとりごとのように言いながら、彼女は向こうを向いてしまいました。そして、自分の顔を手のひらで叩きつけました。
……。かなり痛そうな音がしたと思ったけれど、彼女はすぐに気を取り直して、床に落ちていた服の中から私の身体の大きさに合うものを選び、ほこりをはたき、こちらまで慎重に近づいてきました。

「えっと……あ〜、チリや。チリちゃんって呼んでくれてええよ」
そうっと話しかけてくる彼女。右の頬が真っ赤に傷んでいます。でも、“それはすぐに消えてしまいました”。
「あんたは……確かなまえやったっけ?うろ覚えで悪いんやけど……ほら、うち結構雑なとこあんねん。それに、名前って覚えたら情が湧くやろ……?せやからあんまり覚えたないねんけど、あんたは、特別やからな……嫌でも耳に入ってきよる」
「……」
「ええっと……触ってもええかな。それとも自分で着れる?」
拾った服のボタンを開けながら、尋ねてきました。それに小さく頷くと、彼女は少し安心したように控えめに笑って、その生成のワンピースをおそるおそる差し出してくる。
まるで性格が正反対になったみたい。私を襲っていた時はものすごく気が立っていたのに、今はこんなにも弱々しい。よく私の部屋に来ていた“あの方”はいつだって気高く胸を張っていたから、鬼にも色々な性格があるのだな、と思いました。
「なまえは人間やろ?チリちゃんは、鬼や。あー、見たまんまやけど……。そんで、あんた逃がしたんはほぼうちのせいでな、それだけでもわりと打首もんなんやけど……」
彼女は、私が服を着る様子をそばの椅子に座って見守っていました。自分は自分で、他の服を選び取って、身支度をしています。
「怒られるのも始末書書くのも嫌やから、中央から離れてこの森で暇つぶししとったら、あんたがあまりにも美味そうな匂い撒き散らしとるもんやから、……その、あの通りや」
「……」
「ほんまに、心から申し訳ないと思っとる。ごめんな……何遍でも、謝るわ」


自分が発情する時のことは自分がよく分かっているけれど、鬼の発情を目の当たりにしたのもこれが初めてのことでした。先生から学んで知識としては知っていたものの……知っていただけではなんの対策にもなりませんでした。彼女自身が止められないのだから、私にどうこうできることではありません。
だから、謝罪をされても困るのに。彼女は、今も、そして……行為中も。こうして何度も謝って、私のことを気遣って……。
「………………、…………」
「……なんや?」
「……」
「上手く喋れんの。無理せんでええよ」
「……」

「……わ、たしが、知りたいのは……なんで、いま、こうして、生きて……いられているのか、です……わた、し、食べられ、たのに」

ようやく喉から出てきた声は、なんだか掠れて頻繁につっかえて、上手に言葉になりませんでした。これはおそらく、さっきたくさん喉を使い果たしたから――ではなく。

もしかして、“初めて使う喉”だから……?

「……正直に打ち明けると、あんたは一回死んだ。この、見境のない腹ぺこ鬼に食べられて」
「……」
「……あんまりにも美味しくて、止まらんかった。それも、ごめん。ほんまに。せやけど、さすがにこのまま死なせられんって、思て……眷属にしたんや。うなじのとこ、噛んでな」
「……けん、ぞく……」
つがいとも言う。簡単に言い直すと、一生もんのニコイチや。せやから、実のところなまえはもう純粋な人間やない」
「……」
「チリちゃんはな、鬼は鬼でも……怪我を治す力が半端ない種族でな。眷属にした人間にはそれと同じような体質が付与される。うちらのことは、この世界では……」
彼女は自分の唇を指でめくりあげました。そこには鋭い牙がちらりと姿を覗かせ、顕在していました。

「吸血鬼って呼ばれとる」


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