07

althaea0rosea

吸血鬼。血を吸う鬼。鬼の中でもひときわ気位が高く、自らを上位種と思い込んでいる者が多い……とあの方が嘲笑気味に言っていました。人間からしてみれば、そういった鬼独自の地位の感覚はよく分からないけれど、彼女は確かに国の鬼だけあって、オーラがありました。
言葉遣いや立ち振る舞いは若干砕けた感じがあるけれど、こうして真剣な顔で黙って考えごとをしているのを見ると、思わず萎縮してしまいます。聞きたいことがあるのに、声が上手く出てきません。文字通り、“死ぬほど”喘いで新しく生まれ変わった喉は、思ったように声が出ず、上ずってしまう……。

「わ、たし……」

つまり、彼女の……吸血鬼の、眷属になったから、身体が半分なくなったところで、死ぬには至らなかった、と。
自分の身体に目線を落としてみるけれど、どこにも変わった様子はありません。いつも通りの私のまま。胸に手を当てると、確かに心臓は動いていました。
「……」
そういえばと思い、着たばかりの服をめくって鼠径部の辺りを視界に入れました。
……そこには、焼印の跡がありませんでした。国の所有物という証の焼印の跡が、どこにも。おそらく、吸血鬼の眷属となったことで、全身の細胞という細胞が生まれ変わり……新しく組織が生成されて……傷がなくなってしまったようです。一生消えないものと言われたのに……ああ、“人間としての一生”はもう幕を閉じたのだから、関係ないのでした。

……急なことで、混乱、してる。

その時。
「っ!…………、ああ……ったく、もう来よった……」
彼女が急に顔をあげて、斜め後ろの方を振り向きました。両の目を大きく開いて、眼球を忙しなく動かし、耳を澄ますようにその方向を凝視しています。その挙動はまるで……人間ではみたい。まあ、人間ではないのだが。
「はァ……どうやらもう腹くくるしかないみたいやな。プロローグはここまでや」
「……?」
頭の中で状況を整理していた私には、彼女がいったい何に気づいたのかは分かりませんでした。けれど、そんな私のことは気にせず、同じように新たな古着に身を包んだ彼女は急いで立ち上がりました。さっきまでは声をかけるのも躊躇していたのに、緊急事態とでも言うようにガシリと手を握ってくるから、たじろいでしまいます。
「なまえ。何があってもぜえったいにチリちゃんから離れるんやないで。ええな?」
「えっ、……?」
「ええな。何があっても、やで」
その言葉を遮るように、突然、小屋の壁が大きな音を立てて崩れました。外からの衝撃で破壊され……そして、そこに空いた大きな穴からたくさんの鬼たちが乗り込んできました。

鬼。鬼、鬼、鬼。鬼だらけ。それも、皆一様に黒の制服に身を包んでいる……つまり、全員が全員、国の鬼。
追っ手が来たようです。新たな追っ手が……さっき彼女がひとりで現れた時とは比べ物にならないほどの恐怖心が私に襲い掛かります。今度こそお終いだと思って震え始めた私の体は、しかしすぐに、彼女に軽々と担ぎあげられてしまいました。
「あ、っ……」
胴体の部分を抱かれ、肩に担がれた私。突然のことに驚いてもがこうとしたけれど、鬼の力は強力で、細身の体からは考えられないほどの強さで窘められました。いったいこの状況で何をしようというのだろう。混乱しながら辺りを見渡したところで、私はもうひとつ別の力により体を硬直させられました。

あの方と、“目が合った”から。

現れた鬼の中に、一際目立つ姿がありました。国の鬼を率いる最高責任者。そして、私のことを生まれた時からずっと管理してきた……。
“あの方”は私の姿を目にした途端、一瞬だけ顔を綻ばせて、微笑みました。まるで再会を心から待ち望んでいたと言うような。しかし、すぐに顔色を変えて真剣な顔に戻ってしまう。
……どうしてそんな顔をするのでしょう。ただの管理される側の人間に対して、いつだって優しい笑顔を向けてくる。まるでそういう呪いにでもかけられているかのように、一瞬たりとも見逃すことができなかった。あの美しい髪を逆立てた状態のあの方と“目を合わせてはいけない”ということは、分かっていたのに。
外の世界に逃げ出したところで、他の鬼の眷属になったとて、私はどこかで縛られたままなのでしょうか。ただの食べ物でしかない私を見る目がそれだなんて、……心の中に、何か、大きな枷があるみたい。
その一瞬の微笑みに目を奪われている間に、私を担いだ彼女はそのまま反対方向の窓を勢いよく突き破り、一直線に暗い森の中を駆け出しました。


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