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althaea0rosea

「……𝕯𝕺𝕹𝕻𝕳𝕬𝕹!!」

そこに現れたのは、長い鼻と大きな牙が特徴的な四足歩行の使い魔でした。今回も名前が聞き取れなかったけれど、……あの子もまた彼女の家族なのでしょう。私たちを守るように相手に立ちはだかり、凄まじい声で威嚇をしました。
総司令官トップ。アオキさん。あと、ハッサクさんやポピーにもあとで伝えておいてください。今まで世話になりました。お仕事、たまにサボってすんません。それでこんなことにまでなってしもて……」
明らかな敵対心と分かりやすい別れの言葉に、周囲の鬼たちを纏う空気が張り詰めました。気にせず彼女は話を続けます。
「ちょい遅めの懲戒免職ってことで……チリはもうここまでです。あのことは頼みます。……ああ、大丈夫やでドンファン。あんたの守るべきもんはここにおる」
今回の使い魔も、相手が国の鬼たちだと分かると少し動揺しかけていました。主はいったいどうしてしまったのだ、という顔をする使い魔の身体に手を置き、なだめる彼女。私はというと指一本動かすことができず、ただ担がれているだけだったけれど、心做しか彼女がだんだんと吹っ切れたような顔をしているのが視界の端に写りました。
「さ!お別れのご挨拶も済んだとこやし、まいど皆さんご機嫌麗しゅう……」

「――“鬼”ごっこの時間と行きましょかァ」

彼女はそう言うなり、使い魔に何かの命令をしました。すると、その巨体の身体が丸まって周囲の地面を勢いよく削り始め、木々をなぎ倒し、砂が木よりも高く舞い上がり、あっという間に鬼たちの視界を奪いました。
あの方は失意の底にいるかのように、地面に座り込んでいます。おそらくこの場にいる中であの方が一番強力な能力を持っているはずが、もう立ち上がる気力すら残されていないよう。
「アオキ……」
「……ええ、仕方がありませんね。あなたがこうでは……まあ、自分もかなり動揺しているんですがね」
敵の鬼たちを錯乱し終えた使い魔はすぐに主の命令で姿を消し、その間に逃げ道を確保した彼女は私の身体をしっかりと抱きとめて、再び走り出しました。
しかし、やはりそれだけで簡単に逃げ切ることは許されず、今度は別の鬼が単独で追いかけてきます。担がれている私には後ろの敵の状況がよく分かる……と思ったけれど、速すぎて私の目では追い切れません。が、彼女はそんな私の目などに頼らずとも、脅威の視界で状況判断が出来ているようでした。
「アオキさんかぁ……ッ!いや、そうやろなぁ普通に考えよったら……!」
先程はたしか、目の前で対峙していたあの方とは反対に、真後ろに挟み込むように立っていた鬼。他の鬼たちと同じようなオーラをしていたからただの下っ端だと思ったのに、彼はその背に翼を生やし、あの方と同じような猛スピードで私たちを追いかけてきます。
「ああああ、どないしよどないしよ、うちがアオキさんに勝てるわけないやん、殺意たかっ」
意気込んだはいいものの、彼女は相手の力量を測れないほど愚かな鬼ではないようです。私ですら、相手に分があるというのは目に見えて分かりました。だって、相手の鬼は逞しい翼で“空”を飛んでいるのに、彼女の背中にはそんなものは見当たらない。
「空飛べへんのほんまに……!前提からハンデ食らっとるわぁ……うちって、“地面”這いつくばるタイプのコウモリやねんっ」
この鬼は吸血鬼なのに、翼がない。それがどういうことなのか、何を意味しているのか、ただ血筋的な問題なのか、それとも後天的なものによるものなのか、私には真実はわかりません。
それよりも、敵の鬼が出した使い魔が主と同じように空を飛んでいるところを見て、鬼の能力にも系統があるというようなことを先生や博士が言っていたのを、ぼんやりと思い出しました。

「あのう、できれば大人しく捕まっていただけると有難いのですが……」
「お断りやっ!」
「ですよね……」
空からの攻撃を避けながら、そして、私を抱えながらの逃亡は明らかに向こうにアドバンテージがあり、結果など目に見えたように感じました。でも、彼女は言い聞かせるように、そして意を決したように言いました。
「大丈夫やで……あんたのことは、絶対に守ったる……!それが責任ってもんや!」
守る……?ついさっき出会ったばかりの鬼が、私のことを……?自分の身勝手で逃亡した私の発情に理性を壊され、同時に立場を捨てることになったというのに……?どうして、そんなに必死になって、私のことを、

𝕷𝕴𝕸𝕴𝕿 𝕭𝕽𝕰𝕬𝕶 回帰 !!!」

彼女はまた、呪文を叫びました。これはおそらく……使い魔を呼び出すためのものではなく、他の何かの呪文だったのでしょう。続けざまに耳を劈く咆哮が響き渡り、それだけで意識が飛びそうになってしまいました。
あの方との距離が離れたことにより、辛うじて目を閉じることができた私は、次にまた目を開けた時に彼女の姿が様変わりしていることに驚いて、情けない声が出てしまいました。
そこには、一匹の獣が……これが、彼女の本当の姿……?
「ウワー!!!なんや知らんうちに背中にきしょいもん生えとる!!!なんやこれ!?翼!?空なんて飛んだことあらへんで!?」
呪文を唱えた本人が、私以上に驚いているから首を傾げました。変化の呪文だったというのは分かったけれど、翼が生えるのは想定外だったのでしょうか。
姿は違っても声は同じであることに少し安堵の気持ちを覚えながら、彼女の背中に生えた翼を見つめました。

鬼は食事をすると身体が強化される。
きっと、私の血肉を口に入れたからだ。

「なんやこれぇ……!?あんたの血、際限なさすぎやろ……!ナハハハハ!!」

絶賛追われている最中だというのに、なんて愉しそうに笑うのだろう。こんな切羽詰まった状況が心の底からたのしいみたいに。彼女は生えたばかりの翼を早速使いこなし、常夜の大空に向かって羽ばたきました。私はというと宙を浮く初めての感覚に気を取られ、もう何も考えることが出来なくなりました。


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