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althaea0rosea

「芸の一つくらい、覚えとった方が身のためや」
「芸……って?」
「たとえば、声の出し方とか、声の抑え方とか、体の動かし方とか、表情の変化とか」
「……???」
「まあ処女好きには“ありのまま”が悦ばれるもんやけど。さすがにもう少しくらい表情豊かのほうがええんやないの?いや、無表情でも好き好きか。って、マニアの性癖なんか知らんがな」

チリさんに拾われてから二週間が経過した。その間していたことといえば、やっぱりこの部屋で温かい食事を取ることくらいだったのだけれど、今日は朝から「服を脱げ」と命令されて、怯えながら泣く泣く裸になったところだ。
健康観察その2、らしい。食事を普通に取れるようになったから、改めてとのこと。いくら上司の命令は聞かなくちゃならないと言っても、こんなのあんまりだ。マフィアって怖い。でもやっぱり、前の生活と天秤にかけたら……圧倒的にマシだった。

「髪、まだ軋んどるやないの。ちゃんとシャンプーとトリートメント使うてる?」
初日の時と同じように、ベッドの上で体中の色々なところを見られている。抵抗したら後が怖いから、身を縮こませながらもされるがままに耐える私。
「シャンプー……?と、トリートメント?ってなんですか」
「はぁ?」
聞きなれない言葉を尋ね返しただけなのに、信じられないという顔をされた。変なこと、言ったかな。
「なんやねん、お風呂の世話までやりたないわ。常識の欠片も無いねんな。拾ってきた子猫か、あんたは」
「……ご、ごめんなさい……?」
「髪洗うやつに決まっとるやん。逆に今までどうやって風呂入ってたんや」
「そんなの、水だけで……」
「は?」
「た、たまにお湯と……あと、固形の石鹸も」
ぽかんと口が開いている。なんだかおかしくて吹き出しそうになってしまったけど、笑ったらたぶん殺されるから顔を逸らした。しゃあないなぁ……と大きな大きなため息をつかれたあと、お風呂場へ連れ込まれて、前にテーブルマナーを教えてもらった時のように「これは髪!これは体!」と指さしで使う部位と使い方を叩き込まれた。
「ちょうどええからこのまま全身洗い直しや!無臭やから全然気づかんかった……ほれ、髪の乾かし方も知らんのやろ?はよせえ、ったく手間かけさせんなや、ぼけ」
文句をぼやきながらお風呂場から出ていくチリさん。なんだかんだ面倒見がいい人なのだろうな。思わず笑みがこぼれる。
言われた通りシャンプーを手に出すと、ふわっと良い香りが鼻に届いた。なにこれ、好きかも。ことごとく私の知らない世界だ。


「少しはマシになったみたいやな。これでいつでも他所にやれるわ」
三週間が経過。以前とは比べ物にならないくらい自分の様子が変わったのは、言われるまでもなく気がついていた。
肌の血色はよくなり、浮き出ていた骨はあまり目立たなくなり、軋んでいた髪はまっすぐに伸び指通りがよくなった。他にも正しい姿勢や礼儀、常識。そういったことも身についた。
なにより表情が変わった。ここは普通の家とはかなり違うとは思うけど、普通の家で暮らしているような安心感があったから。ここに来てから毎日安らかに過ごせているし、明日に絶望することもない。
……でも、これら全てが換金するためだということは、頭の片隅できちんと理解していた。それを目論んでいるチリさんに逆らえないということも。
「私って、やっぱり、売られるんですか」
「自分の存在価値どんだけやと思う?」
「……」
「ここで穀潰しやってるより、他所で金稼ぐ方がよっぽど有意義だと思わん?」
「そ、そんな……」

「それとも、あそこで殺されとった方が良かった?」

チリさん、優しいのに優しくない。
ソファーで脚を組んでコーヒーを飲むチリさんは、まるで他人事のように話をする。私が他のところへ行ってどんな扱いを受けようとも、どうでもいいのだろう。どうとも思っていない。だって私は、たまたま面白がって生かされた、ただの薄汚い子供なんだから。
でも、嫌だった。私の中にはとっくに愛着のようなものが芽生えている。こんなにも温かい場所は他に知らない。ここに、いたい。
「い、いやです。私、チリさんのところにいたい」
「……」
「チリさんのところでなら、なんでも、しますから。ここに置いてください……おねがい、します」
チリさんは面倒を見てくれるから、チリさんのところでならなんでもできる、気がする。だから、他の場所には行きたくない。それならやっぱり死ぬ方がマシだ。これ以上幸せなところはきっと存在しない。これ以上なんて、望まないから、せめてここにはいさせてほしい。

あの家とは大違いのこの場所に。

私が必死にそんな言葉を並べる様子に、表情も変えずにただ一度瞬きをするチリさん。
「なんでもって、あんたに何ができるんや」
「……それ、は」
「なんでもできるって言うんなら、誰かその辺にいる人間の首持ってきや。あの日の父親殺しがたまたまでなく、あんたに本当に殺しの才があるんなら、少なくともここで下働きくらいはできるかもしれん」
その言葉に、ぱっと顔をあげる。なんだ、そういうことなら私にもできそうだ。売り飛ばされるくらいなら、罪に罪を重ねても何のダメージもない。それだけでここにいられるのなら、なりふり構っていられない。
「じゃあ、チリさんを、殺せばいいですか?」

あ、笑った。チリさんが笑った。

「なんでやねん。その辺の人言うたやろ」
「だって、チリさんが一番近くにいるから」
「だってやないねん。おもろすぎるやろ」
「……」
その辺、という言葉はこの部屋のことも含まれるわけではないのか。国語は難しいな。
部屋を出て、エレベーターで他の階に行けばたぶん組織の構成員はいっぱいいる。その中の誰かを殺してくればいいのだろうか。ハッサクさんのところへ行った時に見かけたのは、ほとんど屈強な男性だった。背が高くて、力が強そうで。たぶん殺すのは難しいだろう。父とは比べ物にならないくらい。それならやっぱり……同じ女性であるチリさんの方がまだ希望があるような。自惚れているだけ?
じゃあ、どうやって殺そう。そもそも凶器がないのに。この部屋にはキッチンがないから、刃物はひとつも存在しない。ソファーに座りながら部屋を見渡す私。
「……」
ふと、テーブルの上にガタンと何か硬いものが投げ置かれた音がした。見ると、ナイフがそこに。
今……チリさんが置いたのだ。
「やれるもんならやってみや」

私は立ち上がった。

ナイフを手に取った。歯の部分がギザギザしているから、少なくとも料理用のものではないだろう。チリさんが持っているくらいだから、対人用に長けたものなのだろうか?いや、そんなものが存在するの?知らないけど、確かに見た目だけでもとても切れ味の良さそうなナイフだ。
チリさんは優雅にコーヒーを飲んでいる。その視線はじっと私の方へ向いていて、いつでもかかってこい、みたいな、そんなことを言いたげだ。どうやら試されている。ここでの私の行動で、今後の全てが決まるのだ。これは一種の面接のようなもの。
じゃあ、やるしかないか。あの日の私はどうやってナイフを握っていたんだっけ。たしか、こう……。
「……」
あれ、記憶がない。


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