夢の中でも

althaea0rosea

「チリちゃん、こしょばい……」
「がまん、がまん。ちゃんと洗わな、明日もどうせまた汚れて来るんやから」

お外をかけまわって汚れた体をチリちゃんに洗ってもらうのは、いつものお決まり。自分の腕じゃ届かないところも、チリちゃんが隅々まで洗ってくれるから気持ちい。
でも、一緒にこそばゆいところも触ってくるからやなかんじ。本当はやじゃないけど、わざとなまえの弱いとこをさわってくる感じがして、なんかやだ。でもおねえちゃんと一緒にお風呂に入れるのはうれしいから、本当の本当はやじゃない。

「なまえ。やっぱ、寮はやめとこか。離れ離れやと寂しいやろ」
「……さみしくないもん」
「寂しいやろ?」
「……」

お互いのからだをきれいきれいしたあと、湯船に浸かってわたしを抱っこするチリちゃんのお胸にほっぺをぐりぐりした。わたし知ってる。さみしがり屋なのはチリちゃんのほうだもん。

来月はアカデミーの入学式。毎日おうちの中でピカピカの制服を着て、お友だちのワカメちゃんと一緒にリビングで踊っちゃうくらい入学するのが楽しみ。
チリちゃんは心配性だから、なまえが寮でひとりで暮らせるのかって毎日毎日おふろの時間に聞いてくる。ねちっこい。こっちも毎日寮がいい理由を説明してるのにちっとも分かってくれないから、今日も説明するしかない。しょうがないおねえちゃん。

「毎日あの階段のぼるの、やだもん」
「あーな?それ言うたら、チリちゃんもリーグに通うようになったら毎日上り坂や。あの緩やかな坂が案外キツいんよなぁ」
「階段にくらべたらぜんぜんだもん」

チリちゃんは今度からパルデアのポケモンリーグではたらくことにしたみたい。四天王になるって言ってるけど、たぶん嘘だと思う。四天王ってそんなに簡単になれないもん。
でも「チリちゃん四天王やで(ニコニコ)」とか「お姉ちゃんが四天王やとなまえも学校で人気者になるかもな(ニコニコ)」とかって自慢してくるから、チリちゃんにとっては毎日がエイプリルフールなのかもしれない……。
それに、チリちゃんは他の地方もいっぱいいっぱいまわってきたのに、なんでここに住み着いたのかなって考えたら、たぶんぜったいパルデアのウパーちゃんにひとめぼれしたせいだ。
そんなウパーもとっくのむかしにもっと大きな感じに進化して、チリちゃんだってむかしよりずっと強くなってると思うけど、四天王になるほどじゃないもん。たぶん。なまえの方がバトルいっぱい得意だもん。

って、そうじゃなくて……パルデアのポケモンリーグならわたしとチリちゃんが住んでるテーブルシティからすぐに行けるから、なまえもどんな坂か知ってる。でもあんなのぜんぜんきつくないと思う。チリちゃんって情けないおとな。

「……おうちから通うのやだ。寮がいいの」
「そー。けど、寮って一人部屋やん。こうやってお姉ちゃんと一緒に風呂にも入れんし……」
「チリちゃんはえらいえらいからひとりでもお風呂はいれるもん」
「いや、そりゃチリちゃんは偉いから一人でもお風呂入れますけど」
「じゃあいいじゃん」
「なにがやねん」

さっきからチリちゃんのぺったんこなお胸にほっぺをぐりぐりしてメロメロこうげきしてみるけど、せいべつが同じだからあんまり効果がない。チリちゃんはいつもかっこいい服着てるからよくおにいちゃんに間違えられるけど、本当はおねえちゃんなのはなまえだけが知ってるチリちゃんの秘密。

「てゆか、いつもチリちゃんが体洗っとるやん。自分でやれるん?」
「やれるもん」
「風呂もそうやけど、チリちゃん一番心配なんがさ、なまえ一人で寝られるん?」
「ねられるもん!」

ほっぺをぐにぐにされたから、あっかんべーしてこわいかおしたら、なぜかチリちゃんは「あーもう、かわいい顔して」とまたニコニコし始めた。かわいいかおじゃなくて『こわいかお』なのに。

「なら、今日は別々に寝よか」
「……えっ」
「チリちゃん、買い換えてまだ捨ててなかったマットレス床に敷いてそこで寝るわ。広げるとしたらリビングかな〜ちょっと片付けなアカンけど」
「……」

今日、いっしょにねないの?
思わず黙り込んでじっと見つめたら、チリちゃんは急にわっはっはって笑いはじめた。

「めっちゃ不安そうな顔するやん」
「……してない!ひとりでねれるもん……」

なまえ、ひとりでねれるもん……。
心の中でそう意気込んだけど、ふたりでお風呂から出たあと体を拭きあいっこする間や髪を乾かす間も、チリちゃんは心配する感じじゃなくて面白がる感じで「一人で寝られるん?」って聞いてきた。
やっぱりねちっこいと思いながら、それに対して「ねられるもん」と返すやりとりを五回くらい繰り返していくうちに、チリちゃんはリビングで寝る準備をてきぱきと進めてて、本当にべつのお部屋で寝るんだ……ってどんどん実感がわいてきた。
ちょっと不安になってきた。……じゃなくて、べつになまえが不安になってきたんじゃなくて、チリちゃんがひとりで寝られるのか心配なだけだもん。

「歯みがきした?」
「うん……」
「トイレ行った?」
「うん……」
「ドラミドロにおやすみ言うた?」
「言ってない……」

全部の準備をしたと思ったけど、一番だいじなこと忘れてた。
テーブルのうえに置いてた、チリちゃんが前のお誕生日にくれたキラキラでかっこいいゴージャスボールのところに駆け寄るわたし。それをつんつんつついたら、パカッと開いたボールの中からヒラヒラな触覚がこんにちはした。
この子はなまえのおともだち。猛毒があるから触れないけど、いつも一緒に踊ってくれるからなかよしこよし。そんなドラミドロのヒラヒラな触覚を真似してヒラヒラと手を振った。

「ワカメちゃん、おやすみ」

ドラミドロはヒラヒラな触覚をヒラヒラさせて「わぎゃー」と鳴いたあと、すぐにボールに引きこもっちゃった。ワカメちゃんもおねむだったのかもしれない。
なまえもなんだかうとうとしてきた。チリちゃんに連れられていつもの寝室にやってきたけど、今日ベッドに入るのはひとりだけ。チリちゃんはようやくなまえがひとりで寝れることを分かってくれたのか、ベッドの横からなまえの頭をぽんぽんしてきた。

「なまえも、おやすみ」
「うん……」

それからおやすみのちゅ〜してすぐ、チリちゃんは部屋から出ていってしまった。

十五分後。

「……」

ひとりでベッドに入ったのはいいけど、いくら目を閉じてもぜんぜん眠れなかった。でもあんなこと言ったあとだから、今からチリちゃんのベッドに入るなんてできないから、こそこそとリビングに出てきて様子を伺ってみた。

「……ぐうぐう……すやすや」
「……」

チリちゃん、寝てる。
なまえはひとりで寝れなかったのに、チリちゃんはぐっすり寝てる。なんかやだ。白状なおねえちゃんなんか放っておいて、チリちゃんが寝てるマットレスのそばでのびのびくつろいでるドォちゃんに近づいた。

「……ドォちゃん、一緒にねよ」

そうやって声をかけたら、空気を呼んで静かに「どおー」って返事してくれたから、ドォちゃんの近くで丸まって寝た。



「……くちゅん」
「おかしいなぁ、テーブルシティにクマシュンは普通いてへんのになぁ、迷い込んでしもたんかなぁ」
「ずびー……」

風邪ひいた。
ドォちゃんと一緒だったから大丈夫だと思ったのに風邪ひいた。なんでかというと、ドォちゃんって意外と冷たかった。じめんだもん。
でも口の中はあったかそうな感じする。でも口の中に入ったらもぐもぐ食べられちゃうからダメだ。それにドォちゃんも毒持ってるから、あんまりピッタリくっつくと前みたいに死にかけちゃうから、結局なまえは床でポツンと寝るしかなかったんだった。

それより、おかしなことが起こってる。

「ねえチリちゃん……」
「ん?」
「なまえ、なんで起きたときチリちゃんのとこいたの……?昨日はドォちゃんといっしょに寝たのに……」
「さぁ〜。なんでやろなぁ」

たしかにドォちゃんのとなりの床で寝たはずなのに。起きたらチリちゃんのベッドでチリちゃんにだきまくらにされてた。

「やっぱお姉ちゃんと寝たかったんやろ」
「……ちがうもん!なまえ、チリちゃんと寝てないもん。ドォちゃんと寝たんだもん」

風邪ひいたのがなによりの証拠。ひとりが嫌でチリちゃんのベッドに入ったんじゃない。ぜったい違うもん。

「あーそ。でも心の中では寂しかったんやろ。せやから、夢の世界にいる間にチリちゃんの隣に移動してきたんとちゃう?」
「……そうなの?」
「夢の中で歩けるなんて、なまえすごいなぁ!そんなにチリちゃんのことが好きなん?両想いやで。嬉しいなぁ。夢の中まで会いに来てくれて」
「……そうかも」

なまえって夢の中でもチリちゃんに会いたいくらいチリちゃんのことが好きなのかも。昨日どんな夢見たか忘れたけど。今はお熱があるからあんまり頭が動かない。

「……でも、なまえが寝たあとにチリちゃんが移動さしたんじゃないの……?」
「ちゃうって。チリちゃん昨日はすぐ寝たもん。なまえがリビングに来たことすらぜ〜んぜん気づかんかった。ぜ〜んぜん」

たしかに、昨日リビングに出てきたときにはもう、チリちゃんは「ぐうぐうすやすや」って言いながら寝てた。変な寝言だなって思ったけど、寝言ってことは寝てたんだ。
じゃあやっぱりなまえがひとりでにチリちゃんのとこに移動したんだ。やっぱりドォちゃんのとなりは風邪をひくくらい寒くて、ぬくぬくのチリちゃんのとこに行きたかったのかも、わたし。

「けど、寮に住んでからやと危険やでそれ」
「……なんで?」

なまえのおでこに冷やしたタオルをのっけながら、困り眉をするチリちゃん。

「寝たらチリちゃんのとこまで歩いてくんねやろ?」
「……うん、たぶん」
「考えてみ?なまえが寮で寝るとするやろ。でもチリちゃんがおるんはこの家や。したらなまえ、夜の間に外歩くことになるやないの」
「……ほんとだ」
「な?アカデミーから家まで夜歩くには大変やろ……。夜中やからこわあいポケモンいっぱいおるし……寝とる間に襲われたらひとたまりもないで」
「……」

チリちゃんがこわい話するから、こわくなってきた。ポケモンに襲われたら簡単に死にかけちゃうことはなまえはもう知ってるから、強がってる場合じゃないかもしれない。チリちゃんも今回ばかりは本気で心配してくれてるみたい。

「……ねえ、チリちゃん」
「ん?」
「やっぱり、寮やめる……なまえ、おうちから通う……」
「そか。じゃ、これからもお姉ちゃんと一緒に寝ような」
「うん……」

かくして私はアカデミーに通う数年間、毎日あの地獄階段をのぼることになった。
今ならぜんぶチリちゃんの仕業だって分かるのに、あんなのに騙されるなんて……あんなアホらしい口車に乗せられる私も私だけど、幼い子供をそうやって騙して怖がらせて自分の思い通りに操るサイコパスチリちゃんもどうかと思うよ。
まあ、今でも一緒に寝られて嬉しいけどね。


夢の中でも
- back -
top