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althaea0rosea

 テーブルシティはパルデアの中央に位置し、一番栄えているのもあって人気の居住地だ。ポケモンリーグが近いのは先述の通り、北部には私の出身校であるアカデミーがどっしり構え、ブティックや美味しいご飯屋さんも数多く賑わっている。
 詳しくは知らないけど、空き家はほとんど無いと言ってもいいんじゃないかな。誰もが住みたい街No.1。つまり何が言いたいのかというと、ここにある家はだいたい家賃が高いのだ。当然のように、チリちゃんはそんなお家に住んでいる。
 せっかくだからと夕食を食べていこうと適当な入ったお店の中で、注文を済ませてだらだらする私たち。お座敷席で、簡易的な個室のような間取りになっているから、ゆっくりできて最高だ。すると、さっきのやりとりでご機嫌になったチリちゃんが尋ねてきた。

「今日は泊まって行くやろ?」
「え?普通に帰るつもりだけど」
「……なんやって!?」

 スマホロトムを見ながら軽〜くお断りする私に、お店中の人が振り返りそうな大声をあげるチリちゃん。そんなに驚くこと?と困惑しながら顔をあげたら、チリちゃんは世界の終わりでも目撃したかのような絶望的な顔をして目を見開いていた。え?そんなに?

「と、泊まらんの?」
「うん。そのつもり……」
「な、なんでえや!今日は泊まるん一択やろ!?チリちゃんやってそのつもりでちゃちゃっと仕事終わらしたのに……」
「でも、明日はいつも通りベイクジムでお仕事だし、そもそも急なお呼び出しで家の片付けとかしないで出てきちゃったから……」

 今、私が勤務しているのはパルデアの南西に位置するベイクタウンのベイクジム。実家から通うのはあまりにも遠いから、ジムの近くの借家で気ままに一人暮らしをしている。ゆったりした雰囲気が好きで気に入っているのだ。週末はチリちゃんやネモたちが遊びに来ることもある。

「片付けとかそんなん気にせんでええ。なまえ、泊まろ。泊まってくれんとチリちゃん悲しくてたまらんわ」
「ええ」
「ほら、外見てみい!こんなに真っ暗やのになまえ一人で帰らすわけないやろ!いやや、いやや!泊まらんとこの場で大泣きすんで!」

 なんか、このやりとり覚えがあるな。この前デートした帰りにもこんな感じになって、結局ずるずると流されてしまったんだっけ。あの時は次の日もお休みだったから良かったけど、残念ながら明日はいつも通りの出勤日なのだ。
 私情で穴を開けて、ただでさえ本業で忙しいリップさんにご迷惑をかけるわけにはいかない。ここは鋼の心でチリちゃんを説得するしかない。いや、鋼は地面に弱いから、水か草か氷の心でチリちゃんを説得するしかない。

「無理だよ。だって、もともと朝早いのに移動時間も考えたらもっと早起きしなくちゃいけない……」
「大丈夫、チリちゃんが起こしたるから!」
「出た!そのセリフ!もー、この前それでお買い物行きそびれたの、忘れたの?」
「それはそれ、これはこれや」
「いや、それはそれこれはこれじゃないよ。全然言い返せてないよ」

 このひと、何がなんでも泊まらせる気だ。普段は私のことをめいっぱい甘やかしてくれるんだけど、こうなったら強情なんだよなぁ……。
 だいたい、よく考えたらチリちゃんと一緒に寝て早起き出来たことなんか、これまでに一度も無いかもしれない。だめだ、また同じことを繰り返すに決まってる。そしたら寝坊してリップさんに怒られちゃう!負けるな私!

「ここからベイクタウンまでどのくらい距離あると思ってるの?」
「そんなん、ミライドンでひとっ飛びやないか」
「寝起きで走らされるミライドンちゃんがかわいそうでしょ!」
「大丈夫大丈夫、なまえのミライドンはできる子やから。いつだってなまえの助けになってくれる」
「それはそうかもしれないけど!朝からかっとばしたら私だって強風で髪型崩れるし、砂っぽくなるし、顔面崩壊するし……!あのリップさんの前でそんな醜態晒せないよ!」
「……醜態?」
「リップさんの前では可愛い私でいたいの!」

 説得するのに躍起になった私だけど、この時チリちゃんの手がピクっと動いたことにはすぐに気づいた。空気が変わったことも、なんとなく。でも今はほとんど勢いで喋っていたせいで、そんなことでは止まらなかった。止まれなかった。ええい、このまま攻めちゃえ!

「ね?チリちゃんなら分かってくれるでしょ?私、リップさんの前では綺麗でいたいの。ばっちり決めて、いっぱい褒められたいの。リップさんは私の憧れだもん。だからチリちゃんのお家に泊まってるヒマなんか――」
「……」
「いやっ、ないことないけど、今日のところはこの辺でっ」

 本音がちょろっと漏れた。でも私が言いたいことはちゃんと伝わったはず……!
 みんなご存知の通り、ベイクジムのジムリーダーであるリップさんは本業がメイクアップアーティストのバリバリのキャリアウーマン。目を見張るほどの美貌の持ち主であるうえに、とっても優しい。
 ジムで会う度にいっつも褒めてくれるから、そのオーラに触発されて自然と自分磨きをしてしまうというか……だから、身だしなみが著しく崩れることが予想されるミライドン出勤はなるべく避けたい。そうしたい。

「……なまえ」

 なんとなく熱くなってきた顔を冷やそうと両手で頬を包んだら、チリちゃんが急に立ち上がった。そして私の隣までやってきてドカッと腰を下ろすから、内心やばと冷や汗をかいた。少し調子に乗ったかも、しれない……。私はチリちゃんを怒らすのが得意なのである。

「ち、チリちゃん……?」

 チリちゃんは座布団の上であぐらをかいて、私に寄りかかるように肩に腕をまわしてきた。顔を見なくてもわかる。明らかにピリピリしている。殺気立っている。本当に怖い。これは、そう、駆られる獲物の気分だ。
 チリちゃんはきっとガン飛ばし大会で優勝できる。パルデアの人間で両耳ピアスに勝てる人なんかいない。これ、初対面でやられたら怖すぎて泣いてた。でも初対面じゃないから、まだ耐えられる自分がいる……。

「なまえ。今の、もっかい言うてみ」
「い、今の?えっと、……リップさん大好き」
「そこまで言うてへんやろ!!付け足すな!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 今のは本当に調子に乗りました。

「なまえ〜……?なんや自分……えらい調子ええみたいやけど、ええことでもあったん?吐け、コラ」
「あ、あはは、だって、チリちゃん怒ってるから〜……」
「から?」
「その、だからっ、場をなごませようと……ちょっとしたボケを――」
「あ゛?」
「ひっ」

 私は今日で死ぬかもしれない。
 チリちゃんの腕の中で。

「……あ〜、あかんあかん、よう分かってへんみたいやから教えたるけど、今の、ジョウト人に喧嘩売ってんのと変わらんで。ボケにも使いどころってもんがあるんや。こらみっちり教え込まなあかんなぁ……なまえちゃん?」

 怒ってるのににこにこ笑いながら、ニャオハを可愛がるみたいに顎の下を優しく撫でてくるから背筋が凍った。怖いよママ……。このひと、元ヤンじゃなかったら嘘だよ。
 私がリップさんの話ばかりするから、気に障ってしまったらしい。いやまあ、そこまではまだセーフだったろうけど、あろうことかお家に泊まってるヒマなんかないって、チリちゃんを蔑ろにするような言葉を口にしてしまったから。(あと、変なところでボケたからジョウト人の逆鱗に触れてしまったらしい。そんなの知らないよ……。)

「ようチリちゃんの前で言うたなぁ、今の」
「だって……」
「職場が違うと、こういう心配もせなあかんからダルいんよなぁ〜。目移りしたん?他の、綺麗なお姉さんに」
「ち、違うもん。チリちゃんとリップさんはべつだもん」
「何が違うんや」
「二人とも大好きだけど、リップさんは普通に憧れてるだけだから」
「チリちゃんは」
「だっ、だから……一番だいすきっていつも言ってるじゃん。わかってるくせに」
「ふ〜ん。そ」

 少し納得したように相槌をうち、今度は手首や太ももを撫でてくる。密着したままちっとも離れてくれない。周囲から見えづらい席だから思う存分好きなようにされている。

「チリちゃん、熱いよ……」
「……」

 無視。
 は、早く料理来ないかな……と、ひたすらに思う。よりにもよってこんな時に長引くなんて、もしかして店員さん、影から様子を伺ってたりしないよね?

「なあ」
「は、はいっ」
「そんなふうに、わざと怒らせて、今どんな気持ちなん?」
「わ、わざとじゃない……です」
「はぁ?どう考えてもわざとやろ。言い訳がましい子〜やな。なまえは煽んのが上手いわぁ、ほんまに」
「……」

 まあ、わざと言ってみたっていうのはちょっとある。

「うう、ごめんなさい……」
「今日のなまえ、謝ってばっかやな」
「……う」
「ったく、かわいい顔すれば許されると思ってんのやろ。小賢しい姉ちゃんや」

 ついにチリちゃんの手が離れた。やっと、ようやく。離れてくれたと思って気を抜いたら、次の瞬間むちゅうと唇を奪われ、目をぱちくりさせてしまう。ほんの一瞬だったけど、確かに柔らかい感触がしたことに慌てふためく私。

「あ、あ、そ、外なのに……!」
「誰もおらんやろ」

 そんなのわかんないじゃん!私は!まだ!チリちゃんみたいに大人じゃないから、外でやるのはすっごく恥ずかしいの!もーもー文句を言いながらたいあたりをする私を軽くいさめて、チリちゃんはのそのそと元の向かいの席に戻って行く。
 もしかして罰のつもりだった?自分の座布団に座り直した頃には、チリちゃんはいつものチリちゃんに戻っていた。

「ま、許したる」
「……えっ、ゆるしてくれるの?」
「おん」
「ほんとに?」
「他の人の前ではどうか知らんけど、可愛い姿も、綺麗な姿も、そうじゃない姿も、チリちゃんの前では全部見せてくれてるんやから……ぜーんぜん気にせんよ。許したるわ」
「そうじゃないすがた……?」

 それって、パルデアの姿や、ガラルの姿や、アローラの姿の私……ってこと!?なんちゃって。今ボケたら殴られそう。

「他の誰も知らないなまえ、チリちゃんにだけは見せてくれんねんな?」

 そう言うなり、それまで放置していたお冷をぐいっと一気飲みするチリちゃん。お酒と勘違いしてない?と思うほどの豪快な呑みっぷりだ。
 いくら私が他の場所で他の人にうつつを抜かそうと、あくまでアドバンテージは自分にあると言いたいらしい。そのことに正直きゅんとしてしまったけど、今は何も言葉が浮かばなくて変な顔をしてしまった。私も真似をしてお冷に口をつけた。

「もお、今の聞かされた後じゃますます帰されへんわ。なまえ、そろそろ覚悟決めや」
「な、なんの覚悟?」
「早起きする覚悟に決まっとるやろが」
「うええ〜……」

 もう言い返せる隙が見当たらない。ていうか、もうどうでもよくなってきた。ここまで来てもうだうだ言う私に、チリちゃんは今までずっと付けっぱなしだったグローブを両手とも外し、私の手の上に自分の手を重ねてくる。

「頼むわ」

 情に訴えかける作戦かっ!もう、そんなまっすぐな目で見ないで欲しいよね……。

「なんでもお願い聞くって言うたやろ」
「い、言ったっけな〜……?」
「こらこら、しらばっくれてもムダやで。ええ子のなまえちゃんは自分で言うたことはちゃあんと覚えとるし、チリちゃんの言うことなんでも聞いてくれるんや」
「……」

 はい。その通りです。
 カンカンカン。ゲームセット。今日も勝てなかった……。今日もお泊まりすることが決定してしまった。まあ、心の奥底ではどうせこうなるんだろうなと思っていたから、なんでもいいんだけど。いやよくないんだけど!

「もーやだ。やんなっちゃう」

 両手で頬杖をついてふてくされたところ、ちょうど待ちに待った料理が運ばれてきた。明るい笑顔で次々にお皿をテーブルに移していく店員さん。チリちゃんはさっきまでの元ヤン感を微塵も感じさせない朗らかな笑顔で、「おおきに」と言った。


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