赤い暗闇

althaea0rosea

「パルデアリーグが悪の組織」IF
学校最強大会後



「あなたには感謝が絶えません、チャンピオンなまえ。学業の傍ら毎週のようにお手伝いに来て頂いて……何か、それに足る謝礼を考えなくては」
「いえいえ〜!楽しくて、このままここで働いちゃおっかな〜って思ってるくらいなので!」
「なまえが入ってくれたら百人力や!残業も今より減るかもですね。なあ?アオキさん」
「……そうですかね。まあ、はい。そうなればいいですね」
 四天王の二人とその上司の言葉に、なまえはつい笑みをこぼした。委員長であるオモダカのお使いを自ら暇つぶし感覚でこなすあまり、職員の人どころか四天王ともすっかり仕事仲間になったかのようだ。
 笑顔の絶えないなまえの若々しい働きっぷりは、日頃の業務に疲れ果てていた職員の心に和やかな空気をもたらした。

 なまえが彼らをバトルで負かしたのが数ヶ月前。その後はなんだかんだ色々あって、今はリーグで奉仕活動をするボタンに付き添う形で週末にここに通う生活を続けている。
 ボタンは嫌々だが、なまえにはなんの苦痛もなかった。みんなのことが大好きだし、このまま卒業まで変わらず通い続けるんだろうな、と思う。
「さあ……なまえさん。そろそろ帰りのお支度を。遅くなる前にアカデミーの寮へお帰りなさい。“何かあっては”いけませんから」



 ある日のこと。その日はとっくに陽が落ちていたが、なまえは歩き慣れたリーグ前の坂道を建物に向かってひとっ走りしていた。
 忘れ物をしたのだ。いつものお手伝いが終わったあと、テーブルシティでちょっとしたお買い物をしようと店の中を歩いていた時に、かばんの中に財布が見当たらないことに気がついた。
 スマホロトムからLPは払えるけど、お財布が手元にないのは不安だと、買い物を中断し店を出る。外はすっかり陽が暮れていた。本来なら寮に戻らなければいけない時間だが、忘れ物を取りに行くくらいならすぐに済むはずだ。
 だって、リーグはすぐそこだし。
 月の下でぴょんぴょんと仲良く飛び跳ねるワッカネズミに頬を緩ませながら、坂道をかけ上がり建物を目指す。しかし、いつも扉の前に立っている職員の人がいないことに気づき、あ、と思う。

 もう建物閉まっちゃったかな。時計を見ると、就業時間から二時間以上は経過している。小腹が空いて手持ちのおやつを食べていた時間もあったし、ウインドウショッピングだけでも簡単に時計の針は進んでしまうもの。
 目の前まで来てしまったけど、今から中に入れるのだろうか。寮の門限ばかり気にしてそこまで頭がはたらなかった。
 なまえはすぐ近くのポケモンセンターを振り返る。24時間営業のその施設は、当然今も明るい。しかしリーグを再度見れば、中は真っ暗。人の気配すらない。入口の自動ドアも反応しない。

 間に合わなかった……と、がっくり肩を落とした時、近くからコレクレーの鳴き声が聞こえてきた。そして、なまえの頭の上に電気テラスタルのような電球が生えた。あることを閃いたのだ。
「そういえば、リーグには別の入口があったっけ」
 鳴き声の聞こえた方……建物にそって左側に進んでみる。すると、確かにそこには扉があった。普段は使うことがないけど、きっと職員用の出入口なのだろうと予想する。
 ふいに、そこに身を潜んでいたコレクレーとばっちり目が合ってしまったから、しゃがみこんで尋ねた。
「ねえねえ、ここから中に入れると思う?」
 当然だけど、コレクレーは小首を傾げて何のこっちゃ、という顔をしている。
「あはは、そうだよね。変なこと聞いてごめんね」
 苦笑いしながら立ち上がった。しょうがない、また明日にしよう。どうせ近いんだし。と、来た道を戻ろうとした、その時――。
「?」
 中から、何か、物音が聞こえた。
 些細な物音だ。普段なら気にも止めないような……けれど、今が夜で辺りが静まり返っているから、それは確かに耳に届いた。
 ただの物音かもしれない。けれど、不思議と気になってしまって、導かれるようにドアノブに手を伸ばした。
「お、開いた」
 開いた。
 いとも容易く、扉は開いた。鍵が閉まっていなかったようだ。まるで泥棒のような素振りでそっと中を覗いてみる。暗い。だけど、進めないことはない。
 よし、と意を決して中に足を踏み入れた。どうせ少し進めば見慣れた廊下に出るはずだし。私を鍵の開いた扉へ導いたくれたコレクレーに手を振って、暗いリーグの中を進む。
 ……あの子を後から恨むことになるとは思いもしないまま。


「うーん、迷った」
 何個か角を曲がったところで、なまえは立ち止まった。あれ、あれ?道が分からない。いつもの入口なら慣れたものだけど、扉が違うだけでこんなにも迷ってしまうものなの?
 明かりもない、人気もない、夜の暗がりの建物はなまえの心を萎縮させた。肝試しをしたいわけじゃないのに……。そんな時、廊下の奥に唯一明かりがついた部屋を見つけた。
 よかった、人がいる。人がいるなら、場所が聞ける。安堵しながら、すぐにそちらへ方向転換する。
 なんとなく、周囲が静かだからと足音を立てずにそっと近づいた。野生のポケモンを相手にしてきたから、気配を消すのはお手の物だ。なまえはドアの隙間から中を覗いた。

 中にいたのは、……。

「言い訳するくらいなら落とし前つけやぁ」

 聞き慣れた声の持ち主が、横たわる職員の男性に向かって何か黒いものを向けていた。あのひとつにまとめられた緑色の髪は……このパルデアリーグの四天王の一人で、笑顔が素敵な、そう、彼女は、チリさんだ。でも、あれ、何か、様子がおかしいような。映画とかでよく見るような、何か、怖い、空気を感じる。
「……、……?」
 目を凝らせば、いつも見慣れた白い肌に……赤い何かがついていた。
 こびり付いていた。

「……ぁ、」
 なまえはすぐに顔を離した。見てはいけないものを見たような気がする。どうしてそこに男の人が倒れていて、どうしていつもは明るい笑顔を見せてくれるチリが、それを侮蔑するかのような視線を向けているのか。分からない。何も分からないが、彼女に自分の存在を気づかれてはいけないということだけは分かった。
 逃げた方が、いい?どうしよう、わかんないよ。混乱しながら後ずさった拍子に、運悪くかばんからひとつのモンスターボールがこぼれ落ちてしまった。
「あ、だめ……っ」
 カツン、と大きく響いたその音は、当然部屋の中にまで届いた。慌てて拾うがもう遅い。次の瞬間には部屋の扉が勢いよく開かれて、驚いた顔をしたチリが廊下に出てきた。顔についたものと同じ色した赤い瞳が、なまえの姿をしかと写している。
「あんれ、さっきサヨ〜ナラした子がどないしてここにおるんやろ?」
 灰色のシャツ。黒いベルトとスラックス。模様のついた手袋。革靴。緑色の長い髪。驚くほど整った顔立ち。 
 どこからどう見ても四天王のチリでしかない。けれど、なまえにとっては別人のようにしか思えなかった。雰囲気がいつもと違うのだ。拾ったボールを抱きしめながら、座り込んだままの格好で、尋ねた。
「……ち、チリ、さん?……です、よね?」
 彼女は、気前のいい笑顔で笑う。
「ん?さっきぶりやのになに驚いた顔しとん。この顔、あんたならよ〜く知っとるやろ?」
 顔の横でゆらゆらと揺れる左手には、黒い拳銃が握られていた。

「まいど、チリちゃんやで〜」


 語尾に音符でも付いていそうなテンションでいつもの挨拶をするものだから、ますます状況が理解できず、座り込んだまま固まることしかできない。
 それを視界に入れながら、チリは拳銃を持たない方の手で前髪をかきあげる。
「ったく……しゃあないなぁ、見られてしもたからにはどうにかせんと、“あの人”に怒られるんは勘弁や」
 拳銃の安全装置を慣れたように親指で操作し、腰に差す。そして一歩、前に足を踏み出したところで、なまえは身の危険を本能で察知した。
「……っ、!」
 反射的に立ち上がり、廊下を全速力で走り出す。
 逃げなきゃ、ここから。早く逃げて誰かに助けを呼ばなきゃ。私もきっと、あの男の人みたいに、

 ――殺されてしまうかも。

「あっ、逃げた」
 
 一目散に走り続けた。道順なんて分からなかったが、無我夢中で走っていたら奇跡的に入ってきた扉から外に出ることができた。そこにまだ、自分を導いたコレクレーがいるかどうかなんて、ちっとも気にもならない。なまえはそのまま、明るい音楽の流れるポケモンセンターへ一直線に向かう。
「あら、なまえさんこんばんは。おつかれですか?ポケモンたちを休ませ――」
「た、たすけてっ、ください……」
 ジョーイさんの言葉を遮って、カウンターに手を付きながら、なんとか声を絞り出す。取り乱したなまえにカウンター内の二人が驚く顔をするのも気にせず、助けを求めた。
「四天王の、ち、チリさん、が、なんか、変、なんです……なんか、銃、?みたいなの、持って、男の、ひとが……っ」
 息切れのせいで上手く話せない。その途切れ途切れの言葉を聞いた二人は、お互いに目を見合わせた。
「なまえさん、落ち着いて。深呼吸して。そんなに急いで喋ったら……」
「あ、よかったらおいしいみずでも飲みます?店の商品だけど……」
「そ、そんなことっ、いいからっ!早く、どこかへ逃げないと……っ、」
 自分を心配してくれていることは分かるが、そんなことよりついさっき見たことを伝える方が優先だ。すーはーと急いで深呼吸をしてから、改めて口を開く。
 ジョーイさんとショップ店員さんは、不思議な顔をしながら尋ねてきた。
「つまり……あの建物の中でチリさんが拳銃のようなものを持って、職員の男性に危害を加えていたと?」
「そ、そうです!」
「そして、あなたはその現場を目撃してしまった、ということでしょうか?」
「そ、そうですっ!」
 よかった、伝わった。なまえは一度目を閉じる。二人は心底困惑してはいるけど、でも事実だからしょうがない。だから、早く、ここから逃げて、どこかへ通報――

「へえ〜。あのチリさんがヘマをするなんて珍しいですね」

「………………え?」
 心臓がドクンと波打った。

 今、ジョーイさんが何を言ったのか、なまえにはちっとも分からなかった。隣の店員さんは「き、聞かれてしまいますよ?」と焦りながらジョーイさんの方を見ている。
 あれ?と、一歩後ろに下がる。何かがおかしい。二人の様子がおかしい。いや、それを言えばさっきからずっとおかしいことが続いている。何もかもおかしくて、もう頭の中はパニックだ。
「アホ、あんたら“見張り”が子供一人素通りさせるっちゅう大ヘマやらかしたんが悪いんや、ボケ」
「ひ、」
 その時、背後の方から怒号が聞こえてきた。チリが建物から出てきたのだ。なまえは振り返ることも出来ずに固まるばかり。
 二人は、カウンター内の二人は、なまえの後ろの方を見てサッと顔を青ざめている。
「そ、それは……!」
「め、滅相もございません……」
「まあええわ。人のこと棚に上げるんもアレやし今回は見逃したる。“あの人”がどうするかは知らんけど」
「そっ、そんなぁ……!」

 なまえは思考停止した。
 このやりとりだけで、今この場にいる大人に味方はいない、と悟ったから。
「な、なに……?なん、なの……?みんな、おかしいよ……」
 混乱している間に、チリはどんどん迫ってくる。走るでもない、いつもと同じ堂々とした足取りで。両手をポケットの中に隠し、茶色のブーツで一歩一歩、草を踏みしめながらやってくる。
 み、ミライドン……!急いでモンスターボールを出そうとしたが、追いついたチリに手首をガシッと掴まれた。
「つーかまーえた」
「や、やだ、離して……!」
「抵抗すな。痛いのは嫌やろ?ええ子のなまえちゃん」
 手袋ごしに容赦なく掴んでくるから、痛くて怖くて、普段の面影はもうどこにもない。一生懸命抵抗するしかなかったが、大人と子供の力の差は明確だった。なまえがいくら体力の有り余る子供だからとはいえ、ここから逃れられる術は到底見つからなかった。
「さーさ、ええ子はお家に帰る時間やで。ほな行こか」
「ま、待っ……」
 怖くて、萎縮して、手を振り解けない。
 誰か、たすけて。声も出ない。

「ま、もう一生帰されへんけど」

 その冷たい瞳の中に、得体の知れない暗闇が見えた。


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