なにもかも、  

althaea0rosea

 私は落ち着かせるように、言った。
「そりゃあ、私もチリちゃんと久しぶりに会えて嬉しかったよ。パルデアを、前みたいに二人で旅するみたいにまわれて、楽しかった。だからって、いつまでも一緒にはいられないよ。私、アローラに帰らなきゃ」
「帰らんとって」
「帰らなきゃ、お仕事もあるし、置いてきたポケモンのことも心配……」
「なんとかなる」
 ならんわ。って、言おうとしたけど口を閉じた。チリちゃんはさっきの今で、もう泣きそうな顔をしていた。帰ったらいやや。ずっと一緒にいたい。それは、きっと彼女がこの数年間ずっと胸に隠していたであろう悲痛な願いだった。再会した今、感情が膨れ上がって爆発してしまっているのだろう。
「自分がおらん生活なんか、耐えられん」
「そんなん……今更。何年も前から別々なのに。私なんて、方言も抜けちゃったくらい」
「会ってしもたらもうあかん。これまでの我慢、全部くずれた。なかったことになりおった」
 言われながら、服に手をかけられた。その手はしっかり支度を終え、今すぐ出発ができる状態だった私の服を脱がそうとし始めた。なに、しようとしているのかな?
 思わず手首を掴むが、すぐに振り払われた。何度止めようとしても同じだった。チリちゃんはこのまま時間を稼いで、船の時間に間に合わないように、と企んでいるのだ。それは、困る。とても困る。今日、絶対に船に乗らないといけないのに。
「チリちゃん。どいて、くれる?」
「いやや」
「いやや、やなくて」
「ここにおって。ずっと、チリちゃんのそばにおって。な?毎日一緒や。ご飯食べる時も、寝る時も、起きる時も」
「そんな無茶なこと、自分で分かって言ってるの?」
「ほんで……毎朝一番に名前呼んで。チリちゃんって。昨日や一昨日みたいに……あれ、毎日して。あんたの声で目覚めると、その日一日体がふわふわして、飛んでいけそうやわ」
 もう私の言葉は届いていない。まさに、夢心地のようなことを言っている。その間にも彼女の手は慣れたように私の服のボタンを片手で次々に外して、服を奪い去って、床の遠くの方へ落としてしまう。パサリ、と虚しい音が夕焼けに染まった部屋に響いた。
 ああ、ああ。せっかく着た服がほとんど脱がされてしまった。今の攻防で髪も乱れた。こんな下着姿じゃ外に出ることはできない。しかも予想通り、彼女の目的はそれだけにはとどまらず……。
 むしろその先が本命であるかのように、馬乗りの状態で、片手で器用に、今度は自分のタイやサスペンダーを外している。
「今から立てんくなるくらい、ダメにしたる。歩けんかったら、帰れんもんな。三日間、我慢したけど、もう無理や。こうなったら、もうこうするしかないねん。分かってや」
「チリちゃん。チリちゃん。いい加減にしてね。いい加減にしないと、怒るよ」
 上から垂れ落ちるひとまとめの髪を掴んで、痛くない程度に引っ張った。手を掴んでもどうせ振り払われるし。そこしかもう持てるところがなかったから……でも、チリちゃんは気にせず首を振る。そしてさらに、私の手を掴んで抵抗できないように頭上に押し付けた。
「いやや。これであんたに嫌われても、もう止まらん。それより、このまま帰したらもう二度と会えへん気ぃする。せやから、絶対に行かせられん。もう、あん時みたいな後悔は、絶対にしとうない」
「ひとりよがりだよ、それは。一旦冷静になって考えてみや」
 もう、言ってることがめちゃくちゃだ。以前のこの子はこんなんじゃなかった。無責任なことを言う子じゃなかった。心を鬼にして、わざと怖い顔をして目を細めてみる。心なしか、口調も荒くなる。
「チリちゃんは、自分が後悔せんかったら、私の生活がどうなってもええの」
「うん」
「責任、どう取るつもりやねん」
「そんなん、チリちゃんならどうとでもできる」
 は?と思ったが、私が次に何か物を言う前にだんだんと顔が近づいてきて、……唇を奪われた。それはほんの一瞬だったけど、私を黙らせるのには十分だった。文字通り目と鼻の先で、何か一つの決意に満ちた、その澄んだ瞳に見つめられると、金縛りのように動けなくなる。
 本気で言っているようだ。どうとでもできる、なんて。そんなの根拠の無い言い訳にしか聞こえなかったのに、彼女は真剣な目をしていた。本当に、どうにかできるという顔をしていた。なに、なに。なにを考えているの。

 私が呆然としている間に、背中に手を入れて下着を外しにかかる彼女。さすがに慌てて上半身を起こした。正確には、起こそうと踏ん張ったけど、また肩を押されて沈みこんだ。負けじとチリちゃんの胸ぐらを両手で掴む。
「……ねえ、ねえ。私、向こうに付き合ってる人がいるって、言ったよね」
「知らん」
 ブラジャーのホックがパチン、と外れた。
「たとえチリちゃんでも、こんなことしたら浮気になっちゃうよ」
「ああ、そう。そうかもな」
 胸ぐらを掴んだ私の手は、また呆気なく振り払われた。そして、もうそれ以上の行動は許さないとでも言うように、これまで端に追いやっていた彼女のサスペンダーのベルトで、とうとう両手首を固く固定されてしまった。
「チリちゃん、チリちゃん……」
 取れない。私がもがいている間に、ショーツも脱がされた。かろうじて体に残っているのは靴下だけ。それも、次の瞬間には床へ投げられてしまう。こんなの、こんなのって……精一杯、落ち着いた声を出そうとするけど、どうしても震えてしまう。
「チリちゃん……私に、浮気、させないで」
「知らん、知らんわ」
 チリちゃんの手が私の頭を撫でた。なで、なで、優しい手つき。でも怖い。温かいのに、冷たい。こんなことしておきながら、泣きそうな顔でこっち見ないでよ。チリちゃんのそんな顔を見せられると、私…………心が苦しくなる、から、ダメ、だめ、だめ……

「抵抗したら、殴ってでも気絶さす」


 ああ、ああ……。


 もう、あかん。なにがって?私って、本当はチリちゃんにすんごい甘いんだよね。甘々なくらい。だから、この子に甘えられると、嬉しい。応えてあげたくなる。彼女らしくもなく、一方的で、責任感すら感じられない言動をしてでも私を引き止めてくれようとするチリちゃんが、とても、とても、愛おしくて仕方がない。
 だから、もう私には抵抗できなかった。このまま身を委ねて、今後のことなんて何も考えないようにした方が……良いはずないのに、そうしたいと思ってしまう。
「好き、好きや。一生好きやで。あんたがどこぞの誰を好きになっても、チリちゃんの気持ちには勝てへんで」
 実のところ、チリちゃんに体を許すのは初めてのことではない。数年前……まだ一緒にいた頃、彼女が私への素敵な想いを打ち明けてくれたことをきっかけに、何度か迫られたことがあったから。嫌じゃなかったから抵抗しなかったとはいえ、あの時もほとんど流されていたに等しい。
 チリちゃんのこと、大好きだから。その気持ちに間違いはないから。両思いと言っても過言ではないのだろう。ただ、私の好きが彼女の好きと若干雰囲気が異なること、それを彼女に隠したまま体を許した自分のことが、どうしても耐えきれず……アローラに逃げた。

 ごめんね、チリちゃん。私の方こそごめんなさい。私、チリちゃんの気持ちをないがしろにしてました。チリちゃんのことを傷つけてまで、やることじゃなかったね。
 そんな顔をさせるくらいなら、あの時どんなに気まずくても、ちゃんと話し合っていればよかった。でも実際は、チリちゃんの本気の気持ちを見て見ぬふりして、逃げた自分に正当性を持たせるために、わざと異性の彼をつくったりした。私、ほら、全然いい子じゃないよ。性格とか、最悪だよ。それなのに、どうしてそんなにとてつもなく巨大な愛をくれるの?
「……チリちゃ、……ん」
 ここはアローラより寒いのに、アローラで一人静かに過ごしている時とは比べ物にならないくらい、熱いなぁ。熱くて、熱くて、私の頭はとっくに絆されていた。……うん、そうだね、ルガルガンは、さすがに迎えに行かなきゃでしょ。友人は、突然の引越しに驚くだろうなぁ。仕事は、また探さなきゃいけないし……彼に、なんて言って別れを切り出そう。
 もうそこまで考えてしまっている自分に、笑ってしまう。
 そうそう、チリちゃんと比べてしまったら、ダメだよ。こんなふうに、私に夢中なチリちゃんの姿を目の当たりにしてしまったら……全ての物事の優先順位が最下位と同等になる。私の中でチリちゃんがぶっちぎりすぎて、他に勝ち目がなさすぎて。

 最下位。他の全てが。


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