二度とない、  

althaea0rosea

 朝が来た。一通り私を抱いたあと、またすぐに眠ってしまった彼女。普段のお仕事が忙しくて疲れも溜まっているのだろう。そんな今日も仕事だったはず。だって、私は昨日帰るはずだったんだから……彼女の休暇も昨日まで。本人がそう言っていた。
 このパルデアでとっくに社会人として慣らされたらしいチリちゃんの体は、目覚ましが鳴るよりも前に動き出した。うっすらと目を開けた彼女は、おぼつかない顔で何度か瞬きをしたあと、んん、と可愛い声を出す。
「チリちゃん、おはよ」
 もう、怒る気が失せる顔してる。かわいいなぁ、私の幼馴染は。昔を思い出しながら頭を撫で、声をかけたら、彼女はしばらくの間何も言わずに私の顔を見上げた。意識がはっきりとしていないようだ。

「……、…………夢?」

 は?夢?ついカッとなってこめかみをぶん殴った。ゴチン!とグーで殴りつけた。
「チリちゃん?あのね?夢やないんよ、これ。現実なの。夢なら良かったね。でも、現実。ふざけないでくれる?いい加減にせんと怒るよ。なにもかもチリちゃんのせいやろが」
 やっぱり怒りが爆発した。寝起きにも関係なく耳のそばでまくし立てる私に、チリちゃんは殴られたところを手で押さえながら呆然としている。次第に昨日から深夜にかけての出来事を思い出したようで、急に覚醒したみたいに、ガバッと起き上がってきた。そして、私にすがりついた。
「ごめん、なさい。……ごめん、ごめんな。チリちゃん、昨日、えらいことした」
 自覚あるんだ。それに、謝ってもくれるんだ。昨日の調子のままで来られるかと思ったから、少し驚いた。
「チリちゃん、どうしても行かせたなくて……嫌いなった……?」
「さあ、どっちでしょう」
 ふいっとそっぽを向くと、チリちゃんは怯えるように息を飲んで、私からそうっと手を離した。布団のうえで両手を握りしめて、何を言えばいいのか、全然分からんって顔をしてる。終わった……とか、嫌われた……とか、そういうことをぐるぐる考えてるのかな。
 しばらく無言の時間を過ごした。ものすごく気まずいけれど、たぶんチリちゃんのほうが気まずいと思う。いつも自分から話を振ることが多いのに、今回ばかりはぎゅうっと口を噤んで私の言葉を待っている。
「ねえ」
「な、なんや」
 チリちゃんの肩が震えた。きみってそんなにビビりだったっけ?思わずふふ、と笑ったら、ほんの少しだけ緊張がほぐれたように、私を見つめてきた。
「私、朝一番に名前呼んであげたよ。チリちゃんおはよって。嬉しかった?」
「う、うん。うん、幸せや……」
「私といられて楽しかった?」
「うん。うん」
「じゃあ、もう満足したね?私のこと、帰してくれる?」
「……う、………………い、やや」
 一度は頷こうとしたのにすぐに首を横に振る彼女。あーあ、この期に及んでまだそんなこと言っちゃうんだ。……でも素直なところが可愛くて、手を伸ばしてこっちを向かせた。耳元まで覆うように頬を撫でた。すりすり。
 その手に自ら顔を擦り寄せてくるチリちゃんは、昔野生で傷ついて弱りきったイワンコを助けた時と同じ表情をしてた。

 ねえ、寂しかった?
 私と別々の道を歩むことになって。……なんて、そんなことは聞くまでもないよね。だって、私には最初から分かってた。私の方からわざと距離を置いたのだ。
 私がアローラを選んだのは、あそこが陸地から遠く離れた島々で、なかなか来にくいだろうと思ったから。それでもチリちゃんは何かある度に会いに来てくれた。この子の前では距離なんて関係なかった。もちろん、四天王になってからは本当に忙しくなったみたいで……ここ二、三年は一度も会うことなく電話でやりとりするだけだったよね。
 画面の向こうのチリちゃんは、いつも通りだった。記憶通りの、元気いっぱいで、ハツラツな……でも、今のチリちゃんはしおれていた。これが本当の姿なのだ。それも、原因はこちらにある。今まで強がって隠してきたのかもしれないけれど、もう、私は、知ってしまったから。放っておけるわけがない。

「まあ、どっちにしろ今日は絶対に帰るんやけどね」
「……う、ん。そう、やね」
「こうなったからには仕方ないね。一日欠勤が伸びるって、営業時間になったら会社に連絡して謝っておかないと。うーん、それか、船の途中でギャラドスの群れに襲われたとか言えば許してくれるかなぁ……」
「……ごめんな。迷惑、かけて」
 しおしおのチリちゃん。しおづけにされちゃったみたい。おいしそう。
 私はあえて目線を外して、正面の壁を見つめながらきっぱりした口調で語りかけた。
「チリちゃん。申し訳ないって気持ちがあるのなら、数日間お休み貰ってきて。なにがなんでも」
「……休み?うちが?」
「それでおあいこにしたるから。私がお仕事休むことになった分、チリちゃんもリーグの皆さんにご迷惑をおかけするの」
 私がそう言うと、分かりやすく狼狽える。目を泳がせて、何か言い訳なんかを考えてるように見えたが、結局「ぐうの音も出えへん……」とぽつり呟いた。
「って、まあそんなこと言って、関係ない人にこれ以上ご迷惑をおかけするわけにもいかないから、取れる時でいいよ。いつになってもいい」
「……いつでも?」
「うん。チリちゃんが取りやすいタイミングで。ただ、最低でも四日くらいは欲しいかな」
 移動距離だけで半分なくなっちゃうもん。
 私の命令に、チリちゃんはぎこちなく頷いた。
「……わかった。けど、何するん?」
「一緒にアローラに行こうね」
「アローラ?」
「それまでにお仕事やめておくから」
 数秒後、隣からえっ?と声がした。気にせずに話を続ける。
「それまでにお仕事やめて、お友達ともお別れ会して、彼にも……他に大事な子がいるの、さようならって、伝えておくから」

「私の家、片付けるの手伝ってね」

 チリちゃんは目を大きく見開いて私を見つめている。言葉の意味を一生懸命考えているようだ。信じられないって顔してる。
「あ。あと、この家ももう一人分住めるように片付けておいてね」
「ほ、ほんまに?ほんまのほんま?」
「うん。だって、そうしてほしいんでしょ?私に、ここにいてほしいんでしょ?……その気持ち、よく分かったから……そうしてあげる」
 その途端、チリちゃんは破顔した。弾けるように、すき、すき、だいすき、と飛びつかれた。勢いがすごくて横の壁に頭をゴチンとぶつけた。痛すぎ。でも、嬉しい痛みだ。
「好き。好き。好き、好き……」
 好きしか言わなくなっちゃった。
「チリちゃん、ちょっと、イワンコでもそんなに甘えてこないよ」
「ここに、いてくれるん?一緒に住んでくれるん?ここ、越してくるってことやんな?パルデアに来るって、ことやろ?」
 そう。そうだよ。チリちゃんの寝顔を眺めながら、そう決めたの。
「嬉しい。ほんまに、嬉しい、嬉しいうれしいうれしい……チリちゃん、ずっとそれ夢に見とった。ゆ、夢、やないよな、これ。夢やったら、泣くで」
「もう一回殴っとく?」
「う、うん。殴って」
 私は言われた通りに殴った――りはせず、チリちゃんの手を握った。夢やないよ。この感触、分かるでしょ?そしたら、チリちゃんは過去一嬉しそうにはにかんだ。今の、たぶん世界で一番いい笑顔だったと思う。

「でも、反省はしてよね。いい気になんてならないで。私だから許すけど、チリちゃんが昨日したことは、なかったことにならないからね」
「うん、うん。それは、そうや。反省しとる。ごめんなさい」
 本気で申し訳なさそうな顔をしながら、それでも嬉しさが滲み出て口角があがりかけてる。アハ、チリちゃんったら。
「でも、おおきに……嬉しい。ほんまに嬉しい、これ以上大好きにさせんといて」
「おおきにも余計やから。これは私が決めたことなの。……ね、今まで、ごめんね」
「……な、なにがや?何に謝っとんの。全部、わがままなチリちゃんが悪いんや、なまえはなんも悪ないよ」
「でも、ごめんね。ずっと謝りたかったの」
 チリちゃんは本当に何のことだか分かんないという顔をしていたけど、私は謝る理由については答えなかった。
 たぶんどうせ全部そんなことない、そんなことない、で話を終わらせられる気がしたから……チリちゃんってそういうとこある。そんな不毛な会話をしていたらまた日が暮れてしまうし、チリちゃんにそろそろお仕事へ行く準備をさせなきゃ。
 その代わり、誤魔化すようににこりと笑いかけた。
「これからは、好きなだけ一緒にいようね。昔みたいに……二人で、楽しいことたくさんしよう。私もね、チリちゃんのこと同じくらい大好きよ。これでもう、寂しくないね」
 私の中にあるのが、チリちゃんと同じだけの大好きかは分からないけれど。両想いなことには変わりないから、これでいいのだ。結局のところ、私の中の一番も彼女でしかなかった。



 チリちゃんはそれから数日と待たないうちに、五日間のまとまったお休みをかっさらってきた。四天王ってそんなに簡単に休めるものなの?って聞いたら、土下座して頼み込んだんだって。やめなさいよ。
『うそ、うそ。今ちょうどアカデミーの宝探しの時期やないし、業務も安定してる頃やから。年度も明けるしな、トップが融通効かせてくれたんよ』
「そっか。今度お礼しないとね。チリちゃんのお仕事場、いい人たちばっかりなんだ」
『ん。あと足らんのは自分だけや。はよ、来月にならんかなぁ』
 電話の向こうのチリちゃんは、満面の笑みで笑ってた。大丈夫だよ、どうせあっという間に時間は過ぎるんだから。

 二度目の再会まで、あと少し。


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