温泉に入ってから、インは旅館に戻った。男たちの荷物の中にあった財布を取り上げると、獣は近くの街へ繰り出す。もっと楽しませてくれる人間を求めて。

 街なかにいるヤンキーと呼ばれる不良少年も、ヤクザを騙るチンピラ風情もインの見かけに騙されて『ホテルへ行こう』というのだ。――もっとも、ありがたい提案だった。様々な趣向を凝らして楽しめる。外でやるよりはずっと良かった。


 「ねえ、コンドーム買いに行こうよ」
 「え? ラブホならあるじゃん、知らないの」
 「あ、そうなの? でも備え付けだなんて心配だから」

 小首を傾げて見上げてやれば、男はすぐに「いいよ」と同意してくれる。
 目的は避妊具ではない。長年のストレスや栄養不足でこの体には月経が来ない。薬物服用の効果で肉体の改造が進み、痩せてはいるが、まだそれほど貧相に見えない。なにより、ここ何日かの栄養のある食事にありつけている。そのせいか以前よりは肉付きがよくなった。それが男の気を引くのに大いに役立っているのだ。


 「おまたせ」
 「うーい。……なに買ったの」
 「ふふ。ないしょー」

 男はこのあと買ってきたばかりの針金や釘を使って、血の海を泳がされることを知らない。
 想像するだけで楽しくなる。男の腕に腕を絡ませながら、ラブホテルへ流れこむ。この男は髪を染めたヤンキーで、街で初老のサラリーマンをカツアゲしていた。強そうに振る舞っているが、実際はたいして強くなさそうだ。

 人を見かけで判断してはいけないという慈悲をもって、男の性能力も一応審査する。
 しかし、どこからその自信が湧いてくるのかというほどの矮小さで、肝心の使い方も内臓の摩擦に過ぎなかった。この男に扱われた他の女が哀れでならない。


 「下手くそ、このダンゴムシめ」
 「ひっ――――!」

 無防備に晒された股間を蹴り上げる。
 足の親指と人差し指の間に挟み込み、反り上がる方とは逆さに引き千切るように引っ張る。


 「いっぎいいい――――!!」
 「ふふ。おもしろい顔」

 苦痛に悶え苦しむ顔は、なかなか満たすものがあった。それに賭けてみようと決めて、男がベッドの上で転がり悶絶している間に、ゆっくりと起き上がり買ってきたものを取り出す。脂汗を滲ませ荒い呼吸をする男。その染めた髪を掴み上げる。

 「や、や、やだ!! や――うぐぅ、あ、が!!」
 「女々しいやつ」

 釘を口に突っ込むと白目を剝く。急に情けないほどの阿呆面を晒すので、胃の底がムカムカとしてきて針金を首に巻き付ける。首の根元を持って広い風呂場に直行すると、浴槽に頭から突っ込んで。首を洗ってやる。
 生暖かい血液が手を濡らす。静脈よりも明るい色をしている血が、捻じ切れた頸動脈から強烈なシャワーのように吹き上がる。男はあれだけ煩かったのに、大人しくなった。
 
 「つまんないなぁ」

 その場にしゃがみこんで、排水口にたまった赤い体液を見つめながら嘆息する。
 ――性欲に振り回される哀れな生物だ。しかし、いい加減その類の男を嬲り殺すのに飽きてきた。相変わらず色欲の快楽は得られないし、首を締めれば泡を吹いてすぐに死んでしまう。刺しても、切っても同じだ。一度目でみんな絶命する。


 「いないかなぁ。もっと、強くて、頑丈で……二回目も楽しめそうなヤツ」


 ついでに絶頂を見せてくれる性技も持ち合わせていれば、最高なのだが。
 いまのところ、全滅である。趣向を変えて、レズビアンの女はどうだろうか、男から差し向けられるあからさまで醜い欲よりかはずっと清廉に見える。けれどこの肉体が欲するのは、強い男が悶え苦しむ姿だ。大陸にはそんな男がたくさんいたのに、この国ではいないのだろうか。


 シャワーを浴びて、釘と針金と一緒に買ってきたおにぎりを食べる。
 テレビの電源をつけて、ニュース番組に切り替えると『ラブホテル連続怪死事件』と題のついた内容を見つけた。犯行は現在までで三件。それに加えて長野の宿場町近辺の川で死体が発見されたという。そろそろ『穴倉』に戻る頃合いなんだろうか、と思ったものの。


 「――全然楽しめてないんだけどなぁ」

 インはごろりとソファに横になって、派手な模様の天井を見上げた。あと一回だけ、束の間の自由を楽しみたい。日本は素晴らしい。格安チェーンの飲食店で美味い飯にありつけて、身を潜めるための簡易宿泊施設、公共交通機関の充実。――平和ボケした男たちがつまらないことだけが、難点だった。

 獣は目を閉じて考える。
 

 「あ、そうだ。――どうして、気づかなかったんだ、ははっ……!」

 最悪の地底の世界、穴倉。
 そこから出ていった男を探せばいい。多少の堪え性は養われるだろうし、楽しめそうだ。

 吟の記憶を参照する。――直近でいえば、『真島吾朗』だ。依頼主からは殺さぬ範囲で煮るなり焼くなりしろと言われていたし、組織同士の繋がりもある。さすがの王汀州も殺さないだろう。その男はまだ穴倉にいるのか、いないのか。インは頭を振る。穴倉にどうせ行くなら最後に出会える。――仮に出ていたとしたら、所属していた組織に戻っているに違いない。足を運んでみるのも一興だ。

 「――ふふ。あははは……!」

 獣の笑みが溢れる。
 とても愉快な思いつきだった。――興奮している。
 真島はどんな風に、苦しむのだろう。吟がなかなか手を出さないから、その苦悶を知らない。手厚い世話を焼いた時に見た男の逸物は、勃たせれば立派な大きさになるだろう。あとは使い方次第だ。下手くそだったら、どうしてやろうか。

 「もう片方の目でも抉ってやろうかな」

 涼が知ったら、泣きじゃくるだろう。
 吟が知ったら、ひどく落ち込む。


 「あはは、うるさいな。――だったら、ちゃんと俺をコントロールしろよ。死んだふりしてねえでさ。……お前、もう日本で五人も殺しちまったんだぜ?」

 誰もいないはずの宙に向かって、獣は煩わしそうに、わざとらしく、大げさに言う。

 頭の片隅にいる、泣き虫のお姫様が、思考にノイズを走らせたのだ。
 「いやだ、こわい」と微かに、彼女はメソメソと泣き続けている。吟に背中をさすってもらいながら、一連のショックから立ち直れていない。それは死をも同然だった。手綱を握れないのであれば、この暴走を、猛獣を飼いならさなければ、涼は永遠にこの肉体の主導権を得られない。
 誘惑に足り得る甘言を吹く。


 「なあ、聞いてる? ――抱いてもらえよ。好きだったんだろ? 名前呼んでもらってさ、『ヴァージンを奪って』ってお願いしたらいいよ、イチコロだぜ。嘘ぉ? 気持ちよくねえんだから処女だろ。――気持ちよくなれるかもしれないぜ? ……神様を裏切った? はは――馬鹿だなあ」


 宗教は、助けてくれなかったじゃないか。
 神様は、お前を不幸にしたじゃないか。
 どうして、それをまだわからないのだろう。信じたやつに裏切られているのに、まだ信じようとする女が醜くて愛おしい。

 人は裏切る、と彼女は泣く。
 

 「裏切らない人間を見つければいいだろ。――そうだ、その時だけ替わってやるよ。そうしたら――なんもできねえだろ。お前じゃ、真島は殺せない。――恥ずかしい? 面倒くせえ、面倒くせえよな、お前。そりゃそうか、処女だもんなァ。――ははっ」


 揶揄すると、涼は押し黙った。
 そしてそれから何も言わなくなった。


 備え付けのアメニティでボディケアを済ませたあと、死にたてほやほやの男の服を借りた。
 もちろん、そいつの所持金をもちろん頂いていく。物証となりうるもの、それまで着ていた自分の衣類を鞄やビニール袋に入れると精算台に立った。警察はさぞかし本件に手を焼くだろう。同一人物の犯行という状況整理はついても、死体が歩いているだけだ。

 この肉体の持ち主が誰かわかれば、これは精神的な錯乱による事件扱いとなる。だがまだ精神鑑定の精度が低い日本では通用しないかもしれない――と思うと、獣は浮かべていた笑みを消した。


 それでも、構わない。
 次が最後になる。

 「俺は、腹が減ってるんだ」

 ラブホテルの無人フロント前に降り立つと、見上げた先の防犯カメラの目玉を見つめた。
 カメラは一人の少年を捉えている。愛らしい微笑を湛えた、うつくしい少年を。
 



 電車を乗り継いで、数時間。

 緑色の景色が雑多な凹凸が目立つ都会の風景へ移り変わる。持ち出した荷物は、出発駅のコンコース内のゴミ箱に捨てた。
 インは楽しげに窓の景色を見つめているが、その頭の中は目的にある『真島吾朗』のことでいっぱいだった。涼と、最初に出会った頃の記憶をアテにするのは危険だが、そのへんのチンピラよりはずっと頑丈だ。
 

 会うのが楽しみで仕方がない。
 しかし問題は、色仕掛けのほうだ。それが上手く行かなければ、お楽しみもない。
 しょうじきにいって、真島の女の好みがわからない。けれど、たいてい男は巨乳が好きだ。インは平たく浅い肉の盛り上がりを持つ胸元に手をあてる。これでは誘惑には足らないだろう。髪の毛も駅構内のトイレで短く切ってしまったのは早計だった。男はだいたい長髪が好きで、できればすぐにベッド・インができて、か弱い女を好む。


 今までの男なら、それで釣れた。
 ただ真島に限っていうなら、依頼主である嶋野に尻を使われていたことがある。吟はいずれバレるだろうに、涼のためにシャットアウトした。あんなにおもしろそうなものを見ないでつまらないヤツだとインは思う。こんな世界だから、どこの国にも男も女もイケる口はいるもんだと感心した。

 (……どっちもイケるかもしれねえ)


 しかしメインは交尾じゃない。獣は命を懸けた死闘と、その苦悶を拝んでみたかった。
 どんな強靭なやつも交尾中に無防備になり、間抜け面を晒す。というのが持論である。獣はそれを楽しみにしていた。


 東京の二十三区内に入る。
 インの眼で大都会東京を収めるのははじめてだった。先進的でミニマムかつスマートな都市。これから発展を迎えるであろう、大陸の都市部にはまだない景色。狭いのに立体的で機能を収めた地層のように重なる地下鉄、首都高速都心環状線。日本の高い技術力の結晶に獣の興奮は高まる。それは獣の性別が男であるにほかならない。

 地上の道路を光り輝く高級車が走る。それが一台だけではない。それだけこの首都に富裕層が集まるということである。いくら栄えた都を持っていても、高級車の走らない街はみすぼらしい。アスファルトの敷き詰められた都会に降り立って獣はほとんど溜息まじりのつぶやきを自然と漏らした。


 「――お前さ、まじで運ないよな。こんないい国に生まれて、土と草と木しかない場所に行ってさ。……住むのと観光は違う? はは、そうかもな。住むってことは、この景色を支えなきゃいけないんだ。そのとーりだよ」

 獣はけたけたと笑う。
 お客様気分の獣は駅のロータリーをぶらぶらとしたあと、『変装』のために服を買いに行った。女のおしゃれには金がかかる。磨けばこの体も美女になる。そのふさわしい素質を持つのに、あの脳筋拷問馬鹿の二人は気が回らない。見た目の粉飾はどうでもいいのかもしれない。獣もそうだ。皮膚の下の中身のほうが面白い。誰一人として同じ形をしていない。その体に見合う形に収まった臓物を眺めるのが楽しい。

 この肉体の持ち主が可哀想だからこうして付き合ってやっているというのに、彼女はいじけたままである。


 「見ろよ、赤と青どっちがいい?」

 冬だから露出は多くなくて構わないのが助かる。裾の長いワンピースのフリルがついてるやつか、レースがついてるやつか。
 『いやだ』と涼は言う。
 しばらくすると『それはピンクとブルーだから』と細かいことを言い出す。赤と青に違いはないのに面倒くさい。


 (――あのな、中身は俺でも見た目はお前なんだからさ)
 (なんでもいい)
 (真島吾朗だぜ? 今までの男とは違うんだぜ? ちゃんとおしゃれしろよ。――勝負下着ってやつ?)
 (高いし、盗んだお金だし――したくない)


 何をいまさら言うのか。

 今こうして生きていられるのは、その金で飯を食べたからにほかならない。こんなところまで潔癖な女で果たして真島とやり合えるのだろうか。彼女と同じ学び舎で過ごした女達は神に誓うといいながら、その身を人間の男に捧げ、欲望を慰める情婦となった者のほうが多いだろう。それは言いすぎだろうか、貞淑な妻になっている女もいるかもしれない。


 (じゃあ、白黒はっきりさせよう。……ああ、はいはい、じゃあ勝手に選ぶ。――白ね、白。あとは上着と靴と……)


 涼は匙を投げた。罪の意識に苛まれて、またフェードアウトしていく。
 獣を調教するのには時間がかかりそうだ。


 「やっぱこれだな。お前かっちりした服のほうが似合うよ。ひらひらのは、なんか太って見えるし。生脚なんて最高にイイと思う」


 色が白く脚が真っ直ぐで腰の位置も高い。そのラインを活かすにふさわしい服は、インの見識上では丈の短いチャイナ服だった。涼の意見を聞いていたら絶対に選ばない服だ。男はボディラインを見ている。胸で勝負できないなら、尻と脚のラインで勝負を仕掛けるしかない。


 「うん、俺……天才、かも?」


 ブティックの中にある試着室でくるくると回ってみる。腰を捻れば、いい感じに尻の形が浮いて挑発的だ。
 ホテルで無駄毛を剃ってきて正解だった、とほくそ笑む。

 あともう少し必要な衣類を買って、あとは化粧を施せばいい感じになる。だが化粧品を買い揃えるには高い。しかし五人の殺人をやっていくうちにその攻略法を見つけた。百貨店の化粧品コーナーで金はかかるが、メイクレッスンとしてフルメイクを行ってもらえるからだ。

 獣はスキップをしながら、新宿の百貨店へゆく。




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