獣は、忘れていたのです。人だったことを。

 獣は、忘れてしまったのです。人に戻れないことを。

 獣は、知ってしまったのです。心がどこにあるのかを。




 人生で最も長い一日っていつだと思う?

 ラブホテルの浴室の中で脚を伸ばす。大理石模様の壁や天井からぽたりと水滴が落ちて、水面に波紋を作る。しずかで精神が充溢していく感覚に、インは笑った。これが最後だと思うと名残惜しい。命の儚さに向き合おう。


 祭りの縁日でインは迷子の子供を助けた。
 そこで真島と邂逅を果たし、どうしてそこからラブホテルになだれ込んだかというと事は複雑になる。




 真島は祭りの見廻りと、露店の焼き鳥屋の手伝い役で、忙しく立ち回っていた。迷子になった少年は、それから親が見つかって、集会所に引き取りに来た。謝礼として当日に出していた、ガラガラ抽選のクジ券のつづりを貰った。一回ひくのに二枚。十枚あったのでその五回をひいたら、まあるいフォルムのオレンジ色の小鳥のぬいぐるみが一匹手に入った。

 二度目の休憩時間になった真島が、手伝い先の焼き鳥屋から、言っていた通り焼き鳥をパックに詰めて持ってきてくれた。先程にはなかったオレンジ色の小鳥のぬいぐるみを見つけると、興味深そうに眺めて「かわいいやん」と褒めた。
 焼き鳥を頬張っていると、そこに明るい声が届く。


 「おっ。お嬢さん、さっき風船を買ってった子だね? 真島さんに会えたんだねえ!」
 「あっ……ええと、先程は――、ありがとうございました」
 「? なんや、姉ちゃん。俺のこと、探しとったん?」


 集会所に入ってきたのは、風船を買った露店にいた男だった。見た目に対して実は気さくな性格のようだ。真島を探していたことに触れられるかもしれない、ということは盲点だった。まさか風船を買った時、後々出会えるものだとは思っていなかっただけに。
 インはどう言い訳しようかと、思考を巡らせた。

 「そ、それは……」

 言い淀む。『お前を殺しに来た』などとは言えまい。言葉に詰まれば、いやに関心を高めてしまう焦りに、余計に舌が縺れてしまう。
 涼はこういう時に助け舟を出さない。ほとんど聞いているくせに、黙っている。
 息を飲み込む。それが言葉の意味を深いものとした。

 「むかし、……助けていただいたことがあって……」
 「むかし?」

 真島がオウム返しをする。興味を示したようだった。
 その瞬間、ぴしりと頭を走る神経が痛んだ。涼の仕業だ。
 やめろ、という意思表示に――猛烈に腹が立った。どうにかしようと助けないくせに自分の意思を通そうとする。

 (なにが気に食わない。替われよ、お前の言葉で話せばいいだろ――――!)
 (いやだ。でも、その話をしないで――――)

 涼はすでに涙ぐんでいた。弱かった。傷つきたくなくて、駄々をこねている。わがまま放題の、意気地なしな小娘である。
 迷子の少年のほうがずっと、物分りのいい子供だった。どうしようもなく、子供の女だった。それが、この体の元来の持ち主なのが腹が立って、立って、立って――仕方がない。インは激昂し吠える。


 (だってしょうがないだろ……! いい加減にしろよ、この天の邪鬼め! ――泣き虫、弱虫! 嫌なら出てこいよ、俺を! 俺を服従してみせろ――!)


 そんなの、涼には無理だ。わかっている。
 十二歳で止まった精神年齢は、その時間から針を進めていないのだから。肉体の主導権を握るには、『すべて』を超克しなければならない。インという名前のついた人殺しを好む本能の獣を食い、吟の犯した業を背負い、自らの過ちも贖う覚悟を持たなくては、彼女は十二歳から大人になれない。

 ――そんなことは、『奇跡』が起きなければありえない。
 わかっていた。とても、とても、幻滅した。こんなに弱いやつだと思わなかった。だからドミノを倒し続ける。


 「そうなんです、むかし。……たぶん、真島さんは覚えていません――」

 
 涼はまた涙に明け暮れるだけだ。――こんなに弱いのなら、もういらない。
 獣の手綱を緩めて。飼い慣らせないなら、いらない。
 彼女一人では立ち上がれないことを知っているから、この獣は嗤うのだ。


 その男とのいちばん大切な最初の思い出を使うことは、彼女のなかの禁則事項だった。それだけを大切に今日まで、なんとか意識を保ってきたのだから。



 (馬鹿だよ、ほんとうに。おまえ、神様を信じてなんか――ほんとうはいないじゃないか)


 「それは、悪いのう。いや、ほんまに記憶にあらへん……いや、もういっぺん思い出してみるさかい」
 「いいんです。……その、しばらくこっちにお姿がなかったので……心配していたんです」


 真島は本当に申し訳無さそうに謝った。
 獣は吹き出しそうになるのを堪えた。

 『うるさい、うるさい――!』と彼女は悲痛に泣き叫ぶ。

 涼の意思とは異なる言葉を口にするのを嫌がった。『その話をするな』という抵抗だったが、インには痛くも痒くもない。
 とても繊細で神聖な彼女は、真島に嘘をつくことが耐えられなかった。
 ――なぜならば。


 (おまえ……ずっと信じてきたんだ。この男を好きになった瞬間から、神様を捨てたんだ。――だから神様は許さなかった。人間の男を選んだから。それなのに、まだ信じたふりをしようとしたのを神様は知っていたんだ。そうだよだから、神様は、お前を不幸にした――!)

 獣は涼の心の奥底にある最も触れてはいけない、禁忌を暴く。

 (お前は神様に背いた。神様を使って、まだ哀れなフリをするのか? 弱いフリをするのか? この売女め――)

 涼は苦しみ悶える。獣はその女を齧る。脚から。
 『痛い』と彼女は血を流す。『助けて』という嘆きを――。


 「た―――」
 「なんや?」
 「ああ、いえ。なんでもありません、なんでも。――今までどちらに?」
 「ああ。ちぃと……大阪の方に」

 思わず口を借りて、求めた言葉は掻き消える。小首を傾げた真島にはその嘆きが聞こえない。インは叫びを呑み込み微笑むと真島の方を向く。
 違和感すらも許さない。
 これだけ、猶予をあげたのに――涼は獣に打ち勝てなかった。だから、もう待てない。決めてしまった。

 骨を咀嚼すると、ひしゃげた声をあげた。

 (どんな気持ちだ。なあ、涼。――お前の信じた男は、お前の言葉が届かないってさ――――)

 涼は、顔を覆う。彼女の神聖な領域を犯す。
 獣は処女の血を啜る。それはそれは大変に美味だった。獣の言葉に返事を返せるほどの力はもはやない。
 そんな涼にとどめを刺したのは獣ではなかった。

 「お仕事で、ですか?」
 「ん、まぁ……そうやな。……ほんまに。……ほんまに、助けたんか――?」

 
 獣は嘲笑う。
 ゲラゲラゲラ。――こんなに、愉快な悲劇があるだろうか。

 どうだ、涼? 覚えていないってさ。微塵にも、お前の存在はどこにもないってさ。
 この世界にも、心のどこにも。生きてちゃいけないんだ。死んでるんだ。――カワイソウなやつ。
 七夕の日のことも聞いてみようか? きっと、忘れてるさ。わかりきってる。
 お前は、あの日逃げ出せばよかったんだ。その男の手に追いすがって。それができないうちは、ずっと不幸なままさ。


 ――ええ? もう、いらないって? こんな世界も? この男もいらない?
 いらないなら、たべちゃうよ。むしゃむしゃ。
 ――ああ、おいしい。さようなら、さようなら、またね。


 ぐしゃりと肉の潰れる音がする。

 ああ、死んじゃったなあ。死んじゃった。ふふ、ふふ、はは。
 そうだよ、こんな高揚感を獣は得たいんだ。――この男はどんな顔をするかなあ。お前が、この女を殺したんだよって教えたら、どんな顔するかな?

 ああ、でも知らないんだっけ。覚えてないんだっけ。だって、ほんとうにただの通りすがりだもの。他人だもの。
 ――悪魔だって? まだ喋れたんだ。

 悪魔じゃないよ。俺は――獣なんだ。お前から産まれ落ちた一部なんだよ。ねえ、ママ。愛してよ。寂しいんだ。ママ。
 すごいんだよ、ママ。お前は処女懐胎で、獣を産んでしまったんだ。――うん、あおう。またね、さよなら。

 
 ――――涼は、完全に死んだ。
 この体はもう、完全に獣のものとなった。頭にはもうすすり泣きは聞こえない。先程まであった痛みも、善良な理性もない。


 「ほんとうに――覚えていなくても、かまいません。……あぁ、ええと……重いですよね。ごめんなさい」


 善良に、清浄に、慎ましく。涼の皮をかぶった獣は真島に笑いかける。
 涼の選ばない、悪逆無道を敷こう。



 
 真島に罪の意識を着せることは、有効だと思った。
 悪いと思うと、人は尽くしたくなるものだから。あなたのために、という言葉が優しさを生むのを、獣は知っていた。

 祭りの後片付けがあったが、風船を売っていた男が融通を利かせてくれた。「せっかく女の子が会いに来てくれたんだから」といって、今日の仕事を切り上げさせて真島の背中を押した。どこかの見知らぬ公園に立つ時計を見た。午後六時過ぎ。空気は冷え切っていて、二人の男女の吐く息は白かった。
 
 
 「名前、教えてや」
 「うふふ、知りたいですか?」

 そう尋ねられて、今まで名乗っていなかったことを思い出した。
 真島は涼の歩幅に合わせてゆっくりと歩いていた。――気がある。獣はそう判断して、答えを勿体ぶった。

 「知らんかったら、困るやろ。じぶん、『お前』言われたいんか?」
 「――涼っていいます」

 真島は試しに「涼」と呼ぶ。
 そう呼ばれるのは、ひどく懐かしかった。「上の名字は?」と当然の質問が続く。

 「ふふ、荒川です」
 「ふうん。荒川、涼――。かわいい名前しとるやん」

 涼は本当に残念なヤツだと思う。
 もう少し我慢していれば、こうやって新しい始まりに出会えたかもしれないのに。涼って呼んでもらえたのに。かわいい名前だって。かわいいだってさ。

 残念なヤツだなあ。――ああ、かわいそう、かわいそう。

 「吾朗さん」
 「……お、おう」
 
 名前を呼ぶと、真島はぎこちなさそうにした。
 真島にしてみれば、ある日突然と現れた年下の女に、『昔あなたに助けてもらって、会いに来ました』と言われて、さぞ不審がる存在だ。そういうのを、ふつうは美人局というし、きっと内心では男もそう思っているだろう。

 「吾朗さんに、お願いがあるんです」
 「お願い……?」
 「あの――、えっと……はじめてを……頂いてほしくて」
 「は――?」

 真島は低い声をだした。
 察しが悪い、ということではなく素直に驚いているだけだ。そして「なんの」と詳しいことを聞きたがる。
 獣は意外にもそれを言うことに戸惑った。それまで相手にした五人の男たちは単純にすぐにその答えを導き出し、すぐに性衝動を駆り立てて涼の誘いに乗った。真島はその見かけに反して、身持ちの固い男のようだった。

 「……ヴァージンを」
 「ヴァ……!? いや、あのな、涼ちゃん。――俺ら、今日はじめて会ったばっかりやで。……そら、涼ちゃんはずっと、知っとってくれたかもしれんけど」

 獣はさらに戸惑う。この男は今までの男と異なるタイプだと、そこでようやく理解する。
 残念ながら、獣の有効時間は少ない。野生の勘だ。また明日も会いましょうは、真島にできない。今日がたった一度きりの夜になる。基盤の主たる涼を殺したことで、どうやら感覚がおかしくなってきている。痛覚のバランスがおかしい。それはすなわち、肉体の死を意味していた。

 二人はすっかり暗くなった公園のベンチに座った。周囲には誰もいない。とても静かだった。
 真島は冷静になるよう獣に言った。それは、涼が求めるような良識のある人間の言葉で、だからこそ余計に憐れに思えた。憎らしいとさえ思う。たまたま好きになった男が、いい男の確率がこの世界にどれほどある? 

 そんな幸運を知らないまま、涼は死んでしまった。

 それでも、獣は引き下がれない。――もう、時間がない。神経が痛いのだ。体中がおかしくなってきている。


 「そ、そうですよね……ごめんなさい。わかって、います。――じゃあその、手を繋いでくれませんか……?」
 「手ェ? ……それやったら、エエけど」

 真島は手を差し出した。獣はそっと指を絡ませる。きっと彼の手は冷たいはずだ。それが熱く感じる。
 そして、その手を取り――獣はコートの内側にある丈の短い入り口から、柔らかな太ももを触らせた。
  
 「っちょ、なに――してんねん!」
 「だって、手ならいいって……」
 「そないな意味とちゃうわ! 涼――」

 真島は声を張り上げると、手を引き剥がそうとした。獣はその腕にしがみついた。男の指の間に指を組み込ませて、下着の中へと招き入れる。

 「っん、ねえ――濡れてる……でしょう? 吾朗さんのこと考えてたら……こんなっ――」
 「ほんま、とんだ痴女やで。――涼ちゃん」
 「――あ、ふ……、んん」

 溜息をついて男は諦めた。女に掴まれて操られていた指を、自ら動かしはじめた。
 陰唇の中を擦って、ぬめつく分泌液を指に絡ませると、上部にある陰核へ塗り込むように愛撫した。尖った神経には、暴力的な感覚をもたらした。長い指が泥濘んだそこをゆっくりと動けば、満たした液に空気が混ざって、ぬちっといやらしい音をたてた。

 「んんっ、ああっ……強く、しないで……ああ……!」

 なんとも言えぬ感覚に、腰がぴくっと跳ねる。
 気がつけば、真島の顔がそこにあった。精悍な男らしい顔立ち。けれどどこか精巧な造りをしている。意志の強い眉、一つしか無い瞳が――しっかりと獣を見つめている。それに呑まれそうだと思っていると、唇が触れ合った。二度目の接吻で舌が這入ってきて、口内を弄られる。

 はじめてのキスだった。
 ほかの五人とはしてこなかった。二人の白い息が溶けていく。

 ――たった唇を重ね合わせるだけのことが、こんなに気持ちがいいことを知らなかった。
 行きずりの男と女。――そのまま、二人はラブホテルになだれ込んだ。







 浴室から出ると、真島は備え付けの電話で誰かと話をしていた。
 それを終えて彼は獣と視線を合わさずにシャワーを浴びるため、入れ違いに浴室へと向かう。

 「よう考えとき」

 後ろからかけられた言葉は冷静だった。勢いで身を捧げようとする女へ諭す言葉に、獣は歯ぎしりした。
 男の真っ当な人間性に、『穴倉』を出た強靭な身体に、その強さが憎くてたまらなくなる。

 いつもならラブホテルへ入る前にお楽しみの道具を誂えるが、今日に限ってそんな余裕がなかったことを悔やんだ。手元にあるのは昼間に抽選の景品であてたぬいぐるみだけだ。

 辛うじて刃物になりうるものは、アメニティにあるカミソリくらいなもので、それで致命傷を負わせることは、不可能だろう。
 ふつふつと湧き上がる怒りと、殺人衝動に――せっかく快楽の片鱗を垣間見た渇望とが胸の中でぐちゃぐちゃになる。時間が進むごとに獣の余裕は奪われていく。「くそ」と吐き捨てた。


 ベッドに潜って不貞寝をしていると、シャワーの音がやんだ。浴室のドアの開閉音のあとにドライヤーの音がはじまって、女への冷却時間を長引かせようとしているようにさえ見える。獣は、ぎり、とまた奥歯を噛みしめた。どうやって、真島の血をみよう。どうやって――。

 考え込んでいると、ぎしり、とベッドのスプリングが軋んだ。男の体重で沈み込んだベッドの感覚に、思考から現実へ引き戻される。はっと気づいた時には、真島は横になって向こう側を向く、獣の肩にそっと手を置いていて、内緒の話をするときみたいに小さな声で言った。

 「このまま、なんもせんで朝になってもかまへん」


 獣は目を見開いて、跳ね起きた。その勢いで、真島の着ていたバスローブの襟を掴むと引き倒し、その上に馬乗りになる。女の見かけでその力があることに少し驚いたようだが、すぐに冷静な強い男の表情に戻った。

 余裕が、優しさが、獣を見上げる力強い視線が、心をかき乱す。
 獣はある事実に気づきはじめていた。この男なら、きっと。――涼を救えた。笑顔にできた。


 「涼ちゃん」

 上体を起こし、男は名前を呼びながら獣を抱きしめた。バスローブが肌蹴け、金色のチェーンが下がり、盛り上がった胸筋の肌の上には花と白蛇が這っている。熱く固い筋肉に覆われた体に包まれていると、泣きそうになった。もう一度、真島は涼の名前を呼ぼうとする。その唇に噛みつくように合わせると、彼女の名前はかき消えた。
 公園でされたように、覚えたての拙い動きで男の舌に絡め、唾液を吸う。

 「ホンマに……するんやな?」

 最終確認だった。
 真剣な眼差しを向けられ、濡れた形の良い唇が艷やかに動く。獣はたまらなくなり、がぶり、と噛みついた。それが合図となった。
 獣の怒りと興奮を押さえつけるように、蹂躙に似た口づけに躍起になって応える。ロマンチックとは程遠く、荒い呼吸に包まれていった。

 「――っふ、は、はあ、っうう――!」

 飛行機着水事故。
 海の中で溺れる恐怖、女の記憶が蘇るほどの息苦しさに、男の両肩を強く叩く。そうすれば、ゆっくりと味わうようなものに変わる。歯をたどり、上顎を舐め、舌を吸う。そうすれば、たちまち甘美な感覚が戻ってきて、不思議と気持ちが穏やかになっていく。唇が離れて伸びる銀色の糸を、男の舌がぺろりと舐めとると微笑んだ。

 「かわいいで」

 冷静で力強い黒目に、あたたかく見つめられる。低く掠れた声でそう言われると、顔がカッと熱くなった。歯が立たないほどのそれに、――もう駄目だと獣は敗北を認める。体は獣の気持ち以上に、真島を欲しているのだから、抗えなかった。かたく抱きしめて、額や目尻や頬、耳たぶへと流れるように唇が触れていく。
 しずかに性感の熱が灯っていくのを感じた。

 真島は、女のバスローブの紐に手をかけると、律儀に「ほどくで」と合図を言った。それが、くすぐったくて「ふふっ」と笑えば男も笑った。
 
 一糸まとわぬ姿。浅い盛上がりの乳房を繊細に触れ、加減を探るように柔らかく揉んだ。

 この男を困らせてみたい、そんな思いつきが宿って「吾朗さん、はやく」と処女らしからぬ挑発をしてみる。男はわずかに視線を合わせ、吸っていた乳首をべろりと一つ舐め回し、もう一度口に含んで強めに吸った。敏感なところへの刺激に「あっ!」と高い声が出る。たしかな興奮によって、股が濡れる感触にまた昂りを感じ、もどかしく腰をくねらせる。


 「涼ちゃんは、えっちな子やのぅ」
 「ふふ。吾朗さんだけなんだから。ねえ、はやく――そのおおきいのちょうだい?」
 

 真島は片眉をくいっと上げて、「はあ」と溜息をついた。嫌がっているものではなく、困っているような、参ったようなものだった。
 思い通りの顔をしている男をみると、獣は心底嬉しくなった。バスローブをベッドの下へ脱ぎ捨てる。猛々しく反り勃つ男根に、これまで慎重に無欲を装い自分に優しくしてきた男が、その下で欲望を立派に育てていたのを知ると腹の下あたりが熱くなった。


 「ひひ、涼ちゃん……あんまし、煽らんといてくれや。早ういれたなる……」
 「――吾朗さん」
 「んっ――」


 片脚を持ち上げ、脚の間に立つ男の太腿に指を這わせれば、もう我慢ならないと真島はサイドテーブルに用意していたコンドームを手を伸ばした。
 性急になるのを堪える姿が、より興奮を高める。獣がその余裕を持っていられるのも、ここまでだった。避妊具を装着し終えると、男の視線には獲物に狙いを定めた鋭いものが宿っていた。それに獣は小さな感動を覚えた。力いっぱい向き合ってくれようとしていることに嬉しくなった。


 愛液により泥濘んだそこへ宛てがわれるも、想像をはるかに超える質量に獣は「んっ」と呻いた。這入りこむ圧迫感に悶える。押し拓かれる苦しさに目を瞑ると、のしかかる重みを感じた。両肩の上が沈み込み、ベッドのスプリングが大きく軋む。

 「あぁ――!」
 「う、……っきっつ。力抜いてや、涼ちゃん」
 「ひ、ん、むりぃ! ん、ん――!」


 苦悶に叫ぶと、真島の熱い舌が再び唇を割った。我を忘れるように、貪るように、情熱の嵐に身を投げれば、男はいつのまにか女の花の奥へと馴染んでいた。全身が熱に包みまれている感覚に獣は喘いだ。

 「動くで……っ!」
 「はあっ、ああ、は、ひっ……ああ!」

 緩やかに始まり、真島の腰が縦横無尽にこねくり回す。
 重く苦しいはずが、なにかが奥からやってくる気配に、獣の声は艶かしく甘い。その快楽に蕩けた声音を出せば出すほど薄い腹の下で漲り、男を奮い立たせた。女の体は快楽を享受していた。体がこの男に抱かれていることを悦んでいる。幸せだといっている。

 興奮と幸福によって花の奥からは蜜が吹きこぼれ、男の動きを助けた。抉るようにずんずんと進むそれに、もはや苦しみはない。
 女はうわ言のように、いい、いい……、と繰り返している。解れてきたことを知った男は女の快いと思う場所を見つけて、昼間に真島を挟み込んだ白く柔らかい太腿を抱え、深々と結合するとそこを擦りあげた。

 「あ、あー――だめ――!」

 頬を赤く染め、唇の端には涎が滲み、薄く開けた瞳はどこか違う世界に旅立とうとしている。

 おかしくなる、と。女はよがり、淫らに叫んだ。
 しかし、男の抽送は止まらない。止むはずがない。

 「うう――っ、うぅ、うう――!!」

 目も眩むほどの悦楽に叫ぶ。敏感になった神経。過敏になった体は、びくびくと痙攣し、心地よい温かく冷たい湯のなかで、溺れてもがいている。
 それはもう――ほとんど獣のように。


 女の絶頂の咆哮を浴びて、男は低く唸るように呻く。胴を小刻みに震わせ、全身から汗が吹いた。
 とうてい処女の所業ではない。けれど、それがどうでもいいと言えるほどの、素晴らしい景色が広がっていた。





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