「お誕生日おめでとう。はい、プレゼント」
「おお! おおきに。えらい綺麗な箱やのう。何が入ってんの」
「開けてからのお楽しみ」
焼肉屋、『韓来』にて。
座敷席で渡されたのは、黒いシックな手提げ紙袋だった。彼女の言う通りに、中身には梱包された箱がある。丁寧に開けると、黒い緩衝用スポンジに埋め込まれているは銀色のオイルライター。細かくも華やかなデザインが彫られていて高級感がある。
「これ、ジッポーやないか!」
「特注で作ってもらったの。手彫り。……ちょっと、背伸びしすぎたかしら」
「ひひひっ。まあ、十八の娘が買うにはだいぶ大人なプレゼントやのう。なんか言われへんかったか?」
「ええ。まあ、彼氏の誕生日だから……って言ったけど。ああ、そうそう名前も彫ってあるのよ、見つけた?」
「おお、なかなか粋やないか」
手にとってくるくると回し確かめていると、言う通り隅の方にイニシャルが彫られている。
向かい側の席に座る恋人はオレンジジュースを吸っている。
「気に入った?」
「気に入ったで。ホンマおおきに。大事にするわ」
背伸びが上手な恋人はくすっと笑って、「でも……」と続けた。
「誕生日なのに、いいの? 焼肉屋さんで」
「いつも食うてるモンを、たらふく食えたら幸せやろ?」
「あなたらしい」
白いナプキンを前に掛け、網の上に肉を並べていく。
もうもうとけむたく燻る視界の向こうで、彼女はまた笑った。
「せやから、お前も今日は気にせんで食うたらエエ」
「羨ましいわ。体重ってすぐ増えるの。でも、せっかくだからそうする」
「おう。その意気や」
韓来を出ると、快晴だった。
暑くもなりすぎず、涼しくもない。胸が弾んで、どこかへ走りだしてしまいたくなるような午後。
「なにするの、これから」
「どないしようかのぅ。夕方から大阪行かなアカンのやろ? 映画みる言うたかてなぁ。ま、エエわ。ブラブラしようや」
美麗は笑った。
大人びていて、今日みたいに背伸びをしたりするが、やはり子供らしいあどけなさは残る。
立場はフラットで、一回りほど年下だが臆することなく名前を呼ぶ。年下特有の特別扱いも夢見がちな期待も、それが重みにならずにいられる。そこが気に入っていた。
神室町を抜け、商店街に入った。
昔、この近くに住んでいた。修行時代の頃。寝る時にしか帰らないような安いアパートを借りて、日中のほとんどを出先か事務所に入り浸っていた。冴島と一緒のときもあったが、今にしてみれば遠い懐かしむ思い出の一つだ。再び極道の世界に戻ってきたからには、彼の椅子を守り続けなければならない。彼の妹の所在すら掴めていないことが、真島のいなかった空白の罰のように思えた。
「あ、そうだ。吾朗。お土産買っていこうと思うの。付き合ってよ」
「エエで。……なんか考えたんか?」
美麗の肩に手を回す。彼女はにっこり笑った。人に元気を与える、彼女自身の夢にはぴったりだった。
商店街のアーケードを抜けると、風が吹いた。不意に誰かに呼ばれたような気がした。
「………」
「どうしたの。固まって。……知り合いいた?」
「いや……ただの、気のせいや」
夢をみた。
昔の夢だった。
朴美麗と付き合っていた日々。結婚まで秒読みだったあの日々の名残り。
「なあ……――」
なぜだか、そこにいるはずの『何か』に呼びかけた。
ベッドには、真島一人だった。換気扇の回る音だけが部屋に響くだけで、隣には誰もいない。
壁に貼り付けたカレンダーは五月。毎年この時期になると、自分よりも周囲が騒がしくなる。喜んでくれることを求められるのに、悪い気分にはならない。
真島もそうだ。楽しませたいと思う。
父も母も、血縁関係ある家族の縁の薄い自分には、祝われるより、祝うほうが多かった。
寝癖のついた髪を掻きあげて欠伸した。雨も降っていないのに気怠い朝だ。
なんとなく、何もないことに対して、違和感を覚えた。
「……意味わからへん」
朴美麗との関係が解消されてから、ずっと一人だ。
それが当たり前で、普通になっていた。普段は組の者と過ごすことが多いし、部屋もやはり十代の頃と変わらず、寝に帰るための場所でしかない。あの頃よりはずっと広い部屋に住んでいるが、独り身の男でインドア趣味がなければただのハコだ。
寂しい男だろうか。
刺青の男が鏡の前に立っている。
この男が、寂しい男に見えるだろうか。
一人になると、食事の回数が減る。好きなものを食べることができる。自由でいられる。しかし、頬はこけ、白い肌もどこか不気味に青白く浮かんでいる。どこからどう見ても不摂生な男だ。
寂しい男だろう。
外は賑やかで温かくとも、内側は寒い。
楽しく騒いだあと、バーに立ち寄る。するとそこで、ちょうど一晩のぬくもりを求めている女とちょうど知り合う。ホテルへ行き、性を満たし合う。その関係はあっさり終わることもあるし、何度か続けば夜を共にするだけの関係か、街なかで手を繋ぎあうような関係になる。
けれど、家族になったり、家庭のなかに女はいない。
若いうちはいい。たとえ、今日も明日もその瞬間を楽しみ、自由に破天荒に幸せを追求したところで罰は当たらない。
しかし、ある一定の年齢を過ぎると、それまで幸せと感じていたものと、心の内にある乖離に気づくようになる。不思議だった。もっとも不思議だったのは、真島は『自分がそんな事を考える日などない』、永遠に訪れないと過信していたことだった。
気づいてしまうのだ。
いつも、言い聞かせていた。『ヤクザもんは、幸せにできない』言葉の正しい意味を。
「――なにがアカンねん」
冴島は刑期を終えて戻ってきた。
二十五年前の真相を暴き、冤罪によって人生を理不尽に消費せしめられた代償は、真島が考えうるものよりも大きいだろう。
若い時間は二度と手に入らないが、同様に、あの頃にはあった秩序も崩落していた。
組織ではなく、世の中が許さなかった。
東城会は常に波乱万丈、不安定な組織だった。嶋野もいなくなり、自由でいたいはずが序列だけは上がっていく。
組織とつくものの、幹部などに真島は向いていない性格だ。ルールを施行する人間などもっともつまらないと考えている。
嶋野が生きていた頃がもっとも愉快で輝いていた。
自由へのブランコを漕ぎ出し、燃えていられた。
「――なあ……、わからへん」
今日は楽しい、楽しい誕生日。
みんながあなたに、おめでとうと言ってくれる日。
さあ、たのしくはじめようよ。
なにかが、不足している。
不思議だった。いくら考えても、その空白がわからない。
真島は、首を傾げた。