First American night.




 エプコットエリアを抜け、来た道順で空港のレンタカー店に戻る事になった。
 会うためだけにランド入りしたため高い夕食代だったが、エリカと再会できたことは幸先良かった。ロータリーから出るバスの出発時間が迫り、エリカは脇腹を押さえて「次でもいいわ」と言った。

 「……アカン。乗るで」
 「え? う、嘘でしょ?」
 「なんでもええ、早う。駆け足や」
 「ええ……!? もう、なんか……横暴!」

 真島はエリカの肩を抱いて走った。
 バスに乗り込むとゼエゼエと息を切らせて彼女は軽く罵った。真島は開けたコートの内側にエリカを押し込めるように庇った。窓から暗い路の向こうの人影は客に紛れていて正体不明である。

 「え、なんです……」
 「……尾けられとる」
 「……ッ! えっ」

 腕の中でエリカは恐れのあまりカタカタと震えた。
 真島は落ち着かせるように、肩に置いていた手で背中をさすった。

 「……真島さん……。もしかして、父を殺した人たち……?」
 「……わからへん。エリカちゃん、恋人とかはおらんのか」
 「恋人は……いません。学生時代の頃には……いましたけど。仕事のほうが忙しくて。………あッ」
 「なんや」
 「すみません。あの……真島さんお仕事していらっしゃいますよね? いいんですか、アメリカなんか来ちゃって……」
 「アホか。仕事なんか代わりが仰山おる。そいつらに任せとったらエエ」
 「………ありがとうございます」

 レンタカー店に駆け込むと真島に伝言を伝えた黒人の店員が二人の入店を認めると寄ってきた。
 堰を切ったようにまくし立てるので真島には英語が聞き取れなかった。隣を見ればエリカの表情は強張り、血の気が引いて青白くなっていくのがわかった。

 「な、どうした。どないしたんや!?」
 「………」
 「おい!」
 「………ここに、私を訪ねてきた人が……いたって」

 真島は息を呑んだ。
 頭をふるりと振った。

 「けどな、エリカちゃん。ここは……お前の実家がある。友達っちゅうか、知り合いちゅうんか……いてもおかしないやろ?」
 「………」
 「アー、カメラや! カメラ! 防犯カメラ見してくれ!」

 真島はジェスチャーで店内に設置されている防犯カメラを指した。
 店員は「こっちよ」と二人を奥のスタッフルームへ招いた。

 黒人の店員は二つ三つ同僚に事情を説明して機材をいじりはじめた。たった今、二人が入店するほんの数十分前の映像が巻き戻される。
 一人の男だった。仲間らしき姿はなく、黒いジャケットに青いジーンズとスニーカーを履いたどこにでもいる風貌の男は、カウンターに近づくと店員に話しかけた。

 「エリカちゃん。この男知っとるか」
 「………い、いえ。わかりません。……あの、……この人は何か言っていましたか」

 店員はまず真島をみた。疑心の籠もった眼差しだった。

 「あなたは、本当に真島?」
 「あ? ワシ? どっからどう見てもジャパニーズやろが。ゴロー・マジマや。パスポートも、ほれ」

 信用を得るために、真島はスーツの内ポケットからパスポートを抜いた。

 「そうよね。……そして、この女性と一緒にいる。間違いないわ。……間違えて違う人に教えてしまったかと思ったのよ。ありがとう。Mr.マジマ」

 警戒心を解いた店員は侘びて、機材に映し出された映像の中心にいる男を顎で指した。

 「……この男性は……エリカ……えっと、ラナマンさんね? エリカ・ラナマンさんがここで車を借りたかって訊いたわ。そして、どこへ行ったのか、借りた車種も知りたがったの。……返却は時間内だったからもうクリーニングに出してるって言ったんだけど、引かなかった。……ストーカーの可能性もあるから警察に通報することも考えた。……その男は借りる気はなかった。店を出た。……もしかしたらまだ近くをウロついてるかもしれないから、もうしばらくここにいていいわ」

 事情を説明してから、店員はエリカを安心させるように笑いかけた。
 彼女は涙をこらえようと頬を手のひらで掴むように拭った。そして感謝を口にした。

 「……あ、ありがとうございます」
 「警察の方へは……どうする?」
 「警察………。一応、お願いします。……教えてくれてありがとう」

 迷いを問いかけるように真島を見上げて、彼女の意思によって警察に通報することが決まった。
 彼女の胸中には、他殺と信じる父を自殺扱いで処理した不信感が渦巻いていることだろう。真島はその確証を得るため、ホテルの連絡を促した。勘はいい方だ。説明のつかないレーダーのようなもので、彼女がホテルから電話を寄越したとき、そこから逃げろと危険信号を発した。
 
 「電話借りられへんかのぅ。エリカちゃん、ホテルの番号覚えとるか?」
 「……えっと……。あの、ここでホテルの番号調べられますか?」
 「いいわよ。そっちの使ってないPCへどうぞ。履歴は消してね。電話はそれ」
  
 エリカはネット検索して、宿泊したホテルの住所横に記載された番号にかけた。
 タイタスビルの南にある三つ星ホテル。右手に北大西洋側が広がっている。インディアン川の川幅より小さな街であることがネットの地図でわかった。
 つまり、エリカの家がある街だった。

 受話器を手で包み込んで、エリカは体を丸めて聞き入っていた。
 嫌な予感がした。

 「どないした」
 「………その……人は、どんな人でした。……もしかして、黒のジャケットにジーンズ……ラフな格好でしたか」

 真島は口を閉ざした。
 その質問だけで、概ね何が起こったのか、また、起こっているのかがはっきりした。

 「はい。……そうですか。延滞料金はお支払いします。チェックアウトしていただけますか。はい。ありがとうございます。……その方はいつ頃お見えになりました? はい……はい……、そうですか。車でいらしてました? できれば、防犯カメラで確かめていただきたいんです。ナンバーを知りたいんです。……支払いはクレジットで。はい。明日、お伺いします。……カメラの確認を。警察には……こちらから届けます。ええ、どうもありがとう。いい夜を」
 

 一通り通話を終えると、エリカは項垂れた。
 そして、ぽつりと零した。

 
 「……誰かが、私を探してる」


 傍らに立つ真島は一つの瞼を伏せた。
 その鋭い勘は的中し、彼女の予感も誤りではなく、警察は殺人を自殺と決めつけた。もし、これが自殺だとしても……家に何者かが訪れてそう仕向ける状況が起きていた。

 「……ホテルから出たあと、……ある男が訪ねてきたそうよ。エリカ・ラナマンは宿泊しているか、部屋は何番か、って。ホテルはもちろん顧客情報だし……安全上教えてないって。……防犯カメラの解析をお願いした。車もわかるかも。……訪ねてきた服装はここに来た男とは違った。……複数犯の可能性があるかも」

 『信じる気になった?』とでも言いたげに、エリカは肩をすくめた。
 それでいて力なくため息をついた。
 
 「……今日はもう……何にも考えたくない。………疲れちゃった」

 レンタカー店の閉店時間間際まで二人はそこにいた。
 やがてのっそりと椅子から起き上がり、エリカは荷物を手にして匿ってくれた店員に精一杯の笑顔でお礼を言った。

 「空港に戻って、携帯電話を借りるわ。それで、今晩泊まるホテルを決める。……明日は、警察に行って……それから、お葬式しなきゃ。兄弟もこっち来るし……あはは。忙しい。もうすぐクリスマスなのに……こんなに悲しいクリスマスは、はじめて」

 レンタカー店で呼んだタクシーでホテルへ向かった。
 三つ星ランクだったが観光地らしくラグジュアリーな装いの綺麗なホテルだった。部屋を分けるかと尋ねたが『一緒でいい』といったので一部屋を借りることになった。チェックインの時刻が遅くなったにも関わらず、運良く角部屋だった。

 だが、軽やかな喜びはそこにはない。
 クローゼットにコートの掛かったハンガーを仕舞っていると、エリカは二つあるベッドの片方に腰を浅く落ち着けて、手帳を左手に携帯をいじっていた。
  
 「シャワー先にどうぞ。……私は、マネージャーに連絡しないと。……クリスマス休暇の前借りだったけど、ニューイヤーコンサートは辞退する。こんな調子じゃ、ステージに立てないわ」
 「ああ。……なんかあったらドア叩いてや」
 「ありがとうございます」

 お言葉に甘えてシャワーを先に浴びた。
 モダンな浴室デザインは色味のコントラストが強くて落ち着かなかった。
 真島は流れ弾のような熱い雨を受け止めながら、エリカのことを考えていた。深く彼女を知っているわけではない。だが、真島が面倒をみてやらねばなるまい。……真島がアメリカに来ていなければ、今日のどこかで何者かに捕まっていた。


 「シャワー空いたでぇ……おう、寝とんのか」

 ガウンを羽織って浴室から出ると、ベッドのの上でエリカは胎児のように丸まって眠りこけていた。
 浅い関係性の男と一晩同じ部屋で眠るのに際して、いささか警戒心が欠けていると思った。真島も彼女を特別な目でみているわけではないが、彼女も同じという意味だろう。
 エリカの父と同じ年齢くらいの男だ。真島はその人生に家庭を持つことは結果として伴わなかったが、仮にいたとしたらちょうど、エリカと同じ年代くらいだろう。

 暖房が効いているとはいえ、肌寒いだろうと気を利かせて、真島は掛け布団をそっとエリカにかけた。

 「……パパ」

 ほんの小さな呼び声だった。
 幼い子どもが夢のなかでも、父親の姿をあどけなく追いかけている。その切なさに、真島は決意を固くした。

 「守ったる……」

 カーペットの上に両膝をついて、祈るように誓った。
 吟も、ホンファも守れなかった償いを果たしたかった。
 

 しばらくの間。
 隣のベッドに腰掛けて、エリカの眠る姿を眺めていた。
 しだいに長時間のフライトと時差ボケ。慣れぬ異国への疲労感から、うつらうつらと薄い瞼が下っていく。

 ほんの数十分ほどだったように思う。
 気絶から意識が浮上した頃。―――不思議な景色だった。
 そこは、あのシンガポールの夜の寝台だった。港にほど近い安いホテルの、夜風に凪ぐカーテンが月光に透けていた。

 泣き疲れた彼女は真島の腿を枕にして眠っていた。
 ベッドサイドの丸テーブルの上には黒い銃が置かれていて、彼女はそれを真島に握らせようとした。


 ――殺して。 ――殺してよ――。


 真島は思った。泣きたいのは俺のほうだと。
 穴倉で自分を助け、日本で元通りの生活ができるように手を打っておいて、必要でないと言っておいて。
 それなら、最初から優しくするなと言いたかった。そうしなければ、愛することがなかった。どうしようもなく、虚しく、苦しい、後悔をしなくて済んだ。

 ――愛してる。 ――愛しとる。


 「………――あいし、てる」


 吟が死を望むたびに、この世を呪うたびに、愛を囁いた。
 幸せを祈るために。生きて欲しいと願いをこめて。この夜が拠り所になるように、なんども彼女を抱いた。


 彼女は多くの人間を救った。貧困に喘ぐ女子供に安全な住処と薬と温かい食事を与え、男たちには銃を握らずともいい仕事を与えた。どれだけの人間を救おうとも果てしなく悪意は続いていく。――そうして知ったのだろう。自分がいつしか悪意の一部であったことを。

 「真島さん……?」
 「………おぉ。なんや、起きたんかい」

 彼女が真島を覗き込んでいた。
 ぴくりと肩を跳ねさせて、急覚醒した真島は「夢か」と口の中で呟いた。

 「ちゃんと横になってください。お疲れでしょう」
 「……エリカちゃんに比べたらマシやわ、こんなもん」
 「わざわざ日本から来てくださったんです。……それだけで十分ですから」
 「優しい子やのぅ。その気持ちが嬉しいわ」

 エリカはシャワーを済ませた様子だった。
 買っておいたミネラルウォーターを口に含むと、反対側のベッドに座った。
 
 「……真島さんは、ご結婚されてるんですか」
 「なんや突然。……若い頃にいっぺん結婚いうもんはしとったけど、今はずーっと自由の身やな」
 「ふふ。……実は、さっき寝言をきいちゃって。大切な人がいるのなら、アメリカまで来てもらって申し訳ないなって。クリスマスでしょ。クリスマスくらい、一緒に過ごしたいだろうなって」
 「そらお気遣いなく。……ひひ。いや、小っ恥ずかしいわ」

 クリスマスは家族のための日だ。
 汎神論を持つ日本人の感覚では、家族と過ごそうが恋人と過ごそうが、一人でいようがキリスト教圏の信仰を持つ人々に比べればずっと軽薄といっていい。

 「ううん。愛を伝えることは大切ですから、恥ずかしいことなんてないです。いつでも遅くない……ですよ」
 「せやな。……ワシのは、遅すぎたんや。もう届かへんトコにおる」
 「あ……ごめんなさい。気が回らなくて」
 「謝らんでくれ」

 吟がいなくなって、一〇年経つ。
 死を目の前にしたわけではない。真島の行ったことのない国で、テロリストの銃弾を浴びて波乱万丈の生涯を閉じた。国際報道に上がり、翌日の世界経済は大荒れに荒れた。リーマンショック級の暴落をみせ、各国の経済に影響を強く及ぼした。中東では襲撃した派閥の宗派を排斥する機運が高まり、仲裁に米国と英国が入った。襲撃されたケープタウンの養育院のリボン・カッティング・セレモニーが催されるまさに直前の出来事だった。

 養育院にいた子供の一人がのちにインタビューに答えている。
 
 ――怖かったわ。突然、誰かが泣き出したの。その子は気づいた。セレモニーの参列者の中で銃を突き出しているのを。

 ……Ms.王に向けていた?

 ――ええ。私も遅れて気づいた。はっきりわかった。最初の一発は……外れたの。それから何人かが一斉に、撃ってきた。窓ガラスが割れて、その下に車いすのハーミアおじさんがいたの。Ms.王はおじさんを助けに行った。私は……小さな子たちを連れて逃げたけど、一番下のミシェルが転んだの。

 ……ミシェルは?

 ――私は他の子を安全な場所に連れて行った。そのあと急いで戻った。Ms.王がミシェルを抱きかかえて、私のところまできてミシェルを渡してくれた。彼女は言ったわ。まだ、残っている人がいるからあなたがリーダーをしてって。言う通りにした。それが、彼女と最後に話したことよ。

 ……どうもありがとう。神の祝福を。
 ――ありがとう。あなたもね。


 死者は八名。重傷者、三四名。軽傷者、六〇名。
 銃撃戦はたったの五分だった。テロ事件の一週間後正式報道され、水面に波紋が広がるように世界はより苛烈な戦場になった。事前に王吟の死を知っていた一部の関係者がインサイダー取引を行ったことで逮捕されるケースが相次いだ。彼女が持っていた貿易企業の買収を懸けて、米中の軋轢が深まった。
 吟の遺体をどこの国が引き取るかで協議会が開かれた。『彼女』の権利を得るための政治だった。功績も、資本も、生きた歴史でさえ利用された。

 エリカがひっそりと「手紙」と言った。
 真島は彼女をみた。

 「もしかして、その……真島さんの言っていた手紙って?」
 「手紙……知ってんのか?」
 「いえ……直接、見たことはないんです。……でも、毎年必ずスイスに行ってて……お土産にかわいい文房具とか買ってくれたんです。何かの拍子に尋ねたことがあって、なにしに行ってるの? って。……『ママは伝書鳩なの』って言ってたんです。いろいろな国に行ってるから、たしかに鳥みたい。なんて考えてましたけど……真島さんの手紙と関係ありますか?」

 記憶に留まるエリカからみた母親ホンファは、本当に良い母だったようだ。

 「………あるやろなぁ」

 それを想像すると面映ゆく、胸が軋んだ。

 
 ―――なんや、これ。手紙?
 ―――ここで開けて読むことないでしょう……!


 別れ際の洋上にて、吟は白い手紙を差し出した。
 開封しようとすると、不機嫌な顔で叱った。すべてを許すような穏やかな人柄は表向きで、本当は人並みに怒ったり泣いたり喜怒哀楽のはっきりした、わかりやすい表情を持っているのだと知った。そのとき無性に嬉しくなった気持ちを覚えている。……ずっと真島は、彼女の内側を見ていたのだ。嫌われているのではなく、それが隠しきれない素の一部だった。思い知ったのである。

 エリカはおもしろそうに笑った。

 「その人のことが大切だったんですね。……とっても優しい顔をしてるから」
 「……あぁ。せやな。……その子と最後に会うたんは……ちょうど今のエリカちゃんくらいの頃や。……気難しい性格しとって、よう嫌われとったなぁ……。そっからお空に昇るまで手紙のやり取りしとった。庭の花が咲いたとか、迷い猫が入ってきたとか、今度はチュニジアに行くとか……まぁ手紙いうよりかは、日記みたいなモンやった」
 「それって、好きってサインですよ」
 「そうかのう」
 「はい。……だって、それを知ってほしいからお手紙を渡してきたんですよね? 相手の方から」

 真島は肩を細かく震わせて笑った。

 「真島さんに、知ってほしかったんですよ。自分はこう思ってるんだーって。……あー羨ましい! なんてロマンチックなんだろう。……詩にしちゃおうかな?」
 「……ひひひ! 自由に使ってくれや。っちゅうても、エリカちゃんはこれからやろ。人生は長いで。こんなワケわからん連中なんかどないかして、人生楽しんだほうが幸せや」
 「ふふっ……ふふ。たしかに。……ありがとうございます。……ちょっと元気出ました。なんで、こっちがビクビクして生きなきゃいけないんでしょうね」

 エリカは「えいっ」と掛け声といっしょにベッドの上に寝転がった。
 天井の花模様を目線で辿り、ふうと一息ついた。

 
 「……それでも教えてはくださらないんですか? ……母のこと」
 「聞きたいか? まぁ……ワシかて綺麗に生きてきたワケとちゃう。ヤクザやっとったし、こないなモンと付き合っとったんやし、だいたいわかるやろなぁ」
 「ええ、まあ……その。失礼ですけど」
 「気にしてへん」

 真島はついにこの時が来たかと覚悟を決めた。
 致し方ないだろう。いずれにしても、ホンファの計画の勘定の中に入っているネタバラシのはず。肩の力を抜いて、真島も天井を仰ぎ見た。

 「ホンファは、………諜報員やった。……本物のスパイや。公共機関と犯罪組織を股にかけとってな。他にも顔があったやろが、ワシの知っとるんはこの二つや」
 「スパイ………」
 「なぁ、びっくりやろ。いっこ言うとくが……エリカちゃんのことはホンマに愛しとった。それは、偽りやない。信じてくれ」
 「……はい。私も、あの日々が偽りだとは思えません。………あの、だとしたら………母は、もう死んでるのでしょうか」
 「………わからへん。が、……可能性は大いにあるなぁ、思とる」
 「命を狙われていたんでしょうか」
 「それもあるやろが、……一番は、忠誠心かのう」
 「忠誠心……?」
 
 エリカが首を傾げた。

 「そや。エリカちゃんと同じくらい、愛しとる娘ォがおった。自分の子供ちゃうで。……ま、大きい子供みたいなモンか。その娘のために危険な山あり谷ありを乗り越えてきた」
 「……そうなんだ。…………ちょっとだけ妬けます」
 「せやのう。……俺とホンファは……同じ娘を愛しとった」
 「………ん? 待ってください。それって、さっきの人ですか? ……えっ? と、あのう……じゃあ、母は……その人と真島さんの手紙を届ける仕事をしてたってことですか?」

 エリカを見れば、彼女は目を白黒とさせてひどく動揺していた。
 おろおろとしているのも合わさって、ついに真島は笑いをこらえきれず吹き出した。

 「……ざっくり言うとそういうことになるかのぅ」

 エリカはうーん、と唸って情報を咀嚼し、鋭い指摘を口にした。

 「……その人が亡くなってるなら、……死んでるってことですよね?」
 「それがわからんのや。その娘が死んだ時、ホンファはまだ生きとった。次の手紙を持ってくる言うたんをワシは聞いた。間違いないで」
 「そう、ですか」

 納得がいかないと素直に言い放ち、彼女は寝返りを打った。
 シーツに大きな皺が波をつくった。

 「けど確実なんは……ホンファは二〇二〇年にエリカちゃんが危険な目に遭ういうんを知っとったこっちゃ。何があったんかはわからんがのう。二〇〇九年にその娘は死んだ。ほんで、それに関わってホンファもどないかしてもうた。……今わかるんはコレだけや。……で、ホンマにタマ狙われとる。お父ちゃんはなんか知っとった。……エリカちゃんの言う通りっちゅうワケや」

 エリカは確かめるように、同意を求めた。

 「……殺人、ですよね?」

 ここまできて、真島に反論の余地はなかった。テーマパークの追尾、レンタカー店とホテルの訪問。さらなる証拠を押さえるなら、真島が手放せといったエリカのスマホだ。

 「ああ。……きな臭い事が起こりすぎとる。……明日葬式やろうけど、いっぺんしっかり調べてもろたほうがエエ」
 「………はい」

 真島は間接照明を消した。
 長話は体に毒だ。寝付けずとも体を横たえて明日に備えたほうがいい。
 エリカは掛け布団の中に潜り込み、顔だけ出して言った。

 「明日は、ホテルにいって話と支払いをします。……起きたら警察に電話をして……ホテルが終わったら警察に行こうと思います」
 「あぁ、せやな。……今日はもう終いや。ゆっくり休み」

 真島はすぐさま眠りの国へ旅立った。

 時折この微睡みのなかで、吟と会える時がある。彼女はいつも一人ぼっちで夜の海を眺めている。風はほとんど吹いていない静かな船の上。白い柵に両腕をのせ、黒曜石のような海を見渡して。背中からそっと声をかけると『待ちくたびれた』と決まって口にする。彼女は若く、自分もただの若い男だった。なんてことのない夢を期待しながら墜ちていく。

 こうして、アメリカにきて最初の夜が更けていった。


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