青白い如月の早朝。
ぱちりと目を開け、覚醒までの余韻の狭間に己を包み込むようにして眠る男の穏やかな寝顔を見遣ると、ここが平和で、最善の未来であることを理解すると”彼”は数度の瞬きを経てにっと笑った。
広大なキングサイズのベッドの上。
均等に分割すれば明らかに領域を侵食して女の側に寄っている。寝返りだって、いくら長身とはいえ一度くらいうてるだろうに。従順な犬の甘える姿を彷彿とさせる男は真島吾朗。この女の伴侶であり、めでたく二人きりの時間を獲得した勝者。そして、記憶する限り異なる時間の世界において、因縁深い相手でもある。
「おもいなぁ」
低く掠れた声を第一声とし、女の本質を司る”獣”と呼称される”彼”はうまく身をくねくねと蛇のように捩らせ、抱擁の縄から抜け出した。
真島を反対側へと突き飛ばして寝転がすと「うぅん……」と夢の中で唸った。
部屋はキングサイズベッドとクローゼット。涼が時たまに使うドレッサーがある。少ない点数かつ簡素な設えだが、ベッドが殆どの面積を占めているため当然といえる。新婚生活をはじめるにあたって、真島がいちばん譲らなかった箇所だ。一方、涼のほうがこだわりが少なく、入居日当日には、それまで住んでいた祖母の家から持ってきた荷物はスーツケース一杯分。『家出少女みたいな出で立ちやのぅ』と言わしめたことは記憶に新しい。
◇ ◇ ◇
はじめ新婚の二人は祖母の家に三人で暮らしていた。
手狭ながら食卓を囲み衣食住のすべてを適度な距離感を保てていたが、祖母が気を利かせて、いつからそのように計画が進行していたのかはともかく、涼は真島と家を出ることになった。
睦月のはじめ。
はじめてのお泊りデートから一週間後のある日の昼下がり。
居間のテーブルの上には見慣れない不動産屋の出している情報誌からチラシが揃って、一枚一枚を吟味する祖母の姿があった。昼食後の皿洗いを終えて早速違和感に気付いた涼は不思議そうな顔で祖母に尋ねた。
「ねえ、おばあちゃん引っ越しするの?」
「そうよぉ」
まさかそんな。
衝撃を受ける涼をよそに祖母はにこにこと愉快そうに鼻歌交じりである。胸中に複雑な感情が渦巻いて、涼は首を傾げた。
「えっ? この家おじいちゃんとのでしょ?」
「あらなに言ってるの、涼ちゃんったら。私じゃないわ。あなたのよ」
「わ、私が……?」
靄はぱっと晴れるも、それでも戸惑いが続く。
涼の方を向いた祖母は眉尻を下げて慰めた。
「そんな悲しそうな顔しないで」
身につけていたエプロンを取り払い、涼は祖母の隣に座ってこたつの中に足を入れた。寒い台所からの天国に思わずふぅとため息をついた。テーブルの上の情報誌の表紙にあるのはどれもこれも新築だが、中を覗くと中古で売り出されている物件が目立つ。
「お泊りができるようになったんだから、大丈夫。あたしだってずっと一人でやってきたんだしね。なにかあったらすぐ電話するから」
先日のお泊りデートはこのためだったのか――とぼんやり思う。
祖母はにこにこと何やら鼻歌を歌いだしそうなほど喜色満面顔で次はみかんを剥いている。机上の籠にあった一つを涼のところへ置いて、自分はパクパクと食べ始めるのを眺めていると、そっと籠に皺の多い手が伸びる。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
熱い緑茶と、お煎餅と、みかん。温かいこたつ。ストーブの上の薬缶の汽笛。ぺらぺらと情報誌の頁を捲る音。眠くなりそうな午後の淡い光が窓の外から射して夢の中にいるみたいだ。
ぼんやりとみかんを頬張っていると、祖母がある情報誌の真ん中あたりの頁の物件を指さして見せた。
「涼ちゃん、このお部屋なんかどうかしら。日当たりもいいわよ。キッチンも広いし、築浅で内装も綺麗よ」
「ん……うん……。あのね、おばあちゃん。吾朗さんと相談していい……? 勝手に話進めるのよくないよ」
「あら、それなら大丈夫。もう言ってあるわ」
うふふ。
優雅な微笑みを傾けられて、涼はそれですべてを察した。
「え、また用意周到な……」
「ぬかりなく、ね!」
すぐに「うん」とは言わない性格の涼を逆手にとって、二人が共謀している。そしてこの罠にかかるのは初めてではない――。たとえばそう、指輪とか。一週間前のお泊りデートだってその一つだったかもしれない。また性懲りもなく罠にかかった心境として良い気はしないが、祖母がここまで乗り気だとかえって迷惑をかけていたのではないか――などと考え込んでしまう。
「……やっぱり、その……気を遣ってる?」
「気を遣うって……?」
ぺらりとまた頁が捲れる。
都内の物件の特集が大枠として何頁か続いているようだ。
「え……まぁ……吾朗さんは家族になったわけだけど、おばあちゃんからしたら本当に他人だし……? 気を遣ってくれているのかな……って……えっと……」
「あぁ、逆よ逆」
「逆……?」
逆ってなに。
疑問符を片付けられないまま祖母を見ると、さもありなんとばかりの様子である。
「熱々の新婚さんに水差したくないでしょ?」
「水………」
それはやはり気を遣っているというのでは――という言葉を飲み込み、つまり……別な意味で被害がすでに発生していると結論付けた。そして、心当たりのあることでさしあたるものといえば。
「え、……う……や、やっぱり……その……」
拙くぶつ切りの音を発して涼は視線を彷徨わせる。
じわじわとむず痒いような、居た堪れない気持ちに苛まれて、涼は赤い顔を隠すように俯いた。
実は聞かれていたりするのか。
声を圧し殺していたつもりだったけれど、違うんだろうな……と下唇を噛んだ。
一階で眠る祖母と、二階で眠る二人のいち関係上、とにかく注意を払って物音をたてないようにしているつもりでいるのに、老眼鏡を掛けた祖母の——口角があがり窺うような表情から察するに殆ど見抜かれている。何故だろう。気配とかだろうか。木造住宅だから音がやはりどんな挙動でも伝わってしまうのだろうか。
「そういうことよ。家を出ていきたくなったでしょ?」
「うん……」
「じゃあ、ほらちゃんと決めないと。愛の巣よぉ、愛の巣! 気合い入れなきゃ! ねっ」
「うぇ〜ん……そういうこといわないで〜」
分厚い情報誌のある一部の頁を適当にめくり流し読みをするだけで顔を顰めたくなった。
都心繁華街最寄り駅徒歩五分家賃——。愛の巣と持て囃された後に急に現実的な世界に引き戻されていく。まだ祖母の家で暮らしているとあまり感じない生活必要経費を突きつけられて、詰まった声が出た。
ゆくゆく将来は両親と暮らしていた家や資産を正式に祖母から相続し暮らしていく、そんな頭もあっただけに涼は自分一人別な所で浮ついていた自分を少し恥じ入った。
祖母はさらに顔をにやつかせて『さあ、お勉強よ』とどこからともなく電卓とメモ帳とペンを用意した。
夜、八時半。
ガラガラと引き戸を開けて間延びした声が玄関に響く。
帰宅したばかりの真島は薄暗いなと思い、入ってすぐのところにある照明のスイッチを押すと、パッと明かりがつく。靴を脱いであがった所に涼が直立不動で待ち受けていたので、思わず真島の腰が引けた。
「ただいまぁ〜……て、な、…… 脅かすなや〜……なんや涼ちゃん、仁王立ちなんてして。門限過ぎてへんで?」
「吾朗さん。大事なお話があります」
「へ……っ?」
ぐつぐつと煮立つ鍋の中にせっせと肉と野菜を放り込み、大根おろしにネギにポン酢の皿を作る真島の隣で祖母が声を上げて笑っている。
「あんなぁ、……ほんまに堪忍。ビビらすなや……心臓がギューンッ!ってなったで。まだ籍入れて一ヶ月も経ってへんのに……。また寿命縮んだわ。涼ちゃん——聞いとるか?」
「あらあら。なにを言われるんじゃないかと思ったの?」
「そら色々あるわ。涼ちゃんいつまで思い出し笑いしとんねん」
食器棚から食器を出して、冷蔵庫内を漁る涼は「えへぇ」などとさっきからずっとよくわからない笑い方をしている。
「だってぇ……すご……すごく、驚いてて……。腰が引けてて……」
「あっはっはっは……!」
「ばあちゃん笑い事やあらへんで。……あたし、やっぱり考え直してヤクザと結婚なんてできないですぅ〜なんて言われてみ? 誰やそないなこと涼ちゃんに吹き込んだんわぁ……! いうてそいつドツキ回したろかと思たで。……ほい、おおきに」
重ねた小皿を真島に手渡して涼はまた冷蔵庫に向かう。
「吾朗さん、ビールは?」
「飲む飲む」
「はい、どうぞ」
コップと一緒に瓶ビールをテーブルに並べて、涼は暖かいこたつに入りこんだ。
「ごくらく〜」
「涼ちゃんは? ちびっといるか?」
「酔っ払っちゃったら、真面目な話できないですー」
「さよかぁ。……しらたきもう煮えてんでー」
鍋の中の具材の火の通り具合を探りつつ、涼は手始めにしらたきを小皿によそう。そこへ白菜やら豆腐やら煮えてきたものをひょいひょいと真島が放り込んでくる。
いただきますをして食事を始めると真島がビールの栓を抜いた音が小気味よく鳴った。
「おいひい〜」
「で? 大事な話ってなんや」
「この家を出て別の所で暮らさないか……っていう、話です」
コップにビールを注ぎこんもりと泡がたっている。真島は大して驚く様子もなく「あぁ……」と曖昧な返事をした。
「……その話かぁ」
「ねぇ、おばあちゃんやっぱり先に吾朗さん通してるでしょ! 私が渋るからって」
「おー渋っとる渋っとる」
「わけもなく渋ってるわけじゃないのに」
涼は祖母の方を睨み不満を訴えるが、簡単にあしらわれる。真島がぐいっとビールを一気に飲み干して「物件はもう押さえたるさかい」という衝撃発言に涼は目を大きく見開いて仰天した。
「え、えぇ?! 早いよう……!」
「病院からも近いし、買い出しかて、スーパーが近いとこや。セキュリティもしっかりしとる」
「あら、いいじゃないの〜」
祖母はぽんと両手を叩いて嬉しそうであるが、涼はまだまだ納得がいかない。
「そういうことじゃないんだけどな……」
「安全に安全を考慮して熟慮を重ねに重ねて進めさして貰いました。……ひひ。ほれ、食べや〜」
「住めば都っていうでしょ、大丈夫よ涼ちゃん」
置いた小皿に新たに、煮えた鶏肉が入れられる。
「私が心配してるのは、私のことじゃなくて……おばあちゃんなの」
「だから大丈夫よお」
「その辺はサツが絡んでくるが、……ちゃんと話は通っとるで。
試しに陽動作戦をしないかいうてなぁ……前々から話は持ち上がっとったんや」
涼を狙う組織の存在が完全に消滅したとは言い難い。それにより――涼の日常は行動管理されている。段階的に解除されてきているが、こうして別の居住区へ変わることで動きを探るための提案を受けていたということだろう。
「私が動いたら……藍華蓮の……、炙り出しができるんじゃないかって?」
「せや」
「ん……それだったら……まぁ……」
「東京の方やったら親父の目も光っとるしのぅ。ばあちゃんの方には見回りの回数増やすて聞いたわ」
涼はむーっと眉間に皺を寄せていたがやがて折れた。心配は残るがなにも祖母と離れて暮らす以上の制限が求められているわけではない。
「……新しい所に住んでも、おばあちゃんと会っていいんだよね……?」
「ああ。……普通に今まで通りや。……ただ、裏でしっかり見張ってるし、変な目に遭ってたらすぐに人が呼べる。涼ちゃんが危険にならへんようにな」
今までのようにこの家に訪れても構わないとあって、取り敢えず安心した涼はようやく緊張を解いた。
「ビール、飲むか?」
「……ちょっとだけね」
ビールをコップの半分まで注いで、涼は真島と乾杯した。
そこからは何故か曖昧な記憶が残っている。
ビールはたしかにコップ半分だったはずなのだが。
――よっ……立てるかぁ?
――ん〜……おんぶ〜。
――ぐでんぐでんやんか。飲ましたらあかんなぁ……。
――片付けはちょっとやっとくから、涼ちゃんを寝かしてきてあげて。
――悪いな、ばあちゃん。ほな……お〜い……。
頬をむにむにと挟まれても、心地よさそうな声を出す涼を背負って真島は二階へ上がる。
――涼ちゃん、体、重なったのぅ。
――ねー……ごろ〜さん……。
――あぁ?
――……だーいすき〜……。
――…………はぁ、あんなぁ……。
真島が涼を担いで寝室となっている和室に戻り、布団を敷いているとまた足に絡みついてすりすりと頬ずりをしていたそうな。
「……そんなことしてないと思う」
「いや、してた」
素面に戻った涼は、はじめその状況を飲み込めないでいた。妙に体が火照っているし、なのにもかかわらず涼しい。服を着ていなかった。そこに――ちょうど風呂上がりでタオルを首にかけた真島が部屋に入ってきて、すべての事が終わったのだと思った。
――吾朗さん!
――涼ちゃん、起きて……うぉ!
脱ぎ散らかした服の、適当なものを投げつけて一人パニックに陥る涼に事情を説明している――という経緯だ。
「全部してないし、言ってないです」
「言うとってんて。ビール半分飲んだかと思たら、瓶掴んでラッパ飲みしたんやで?」
「してないよぉ……」
「部屋戻ったら、暑い暑いゆうて服脱ぎだすわで……」
「脱いでない! 吾朗さんが脱がしたの!」
「……で、無理やりちゅーしてくるやんかぁ」
――なぁ、そない足しがみついとると動けへんやろ〜?
――ん……あつぅ〜い……。
――は? ちょコラ、何脱いでんねん……、今布団敷いたるさかい……のぉ、聞いてるん? 風邪引くで?
布団を敷き終わり、箪笥の中から涼のパジャマを引っ張って、真島は袖を通させようとあれこれ格闘する。
――ごろーさん、あたらしいおうちでもお花を育てたいなぁ……。
――おう、ベランダあるで?
――おーぶんで、おおきい……ケーキやくから……たべてね……。
――いくらでも食うたる。
――まいにち……きもちいいこと、しようね……?
――……、なぁ酔いすぎやて。……パジャマ、着ようや。なあ――涼ちゃん。……ん、あかんて……家出るまで我慢してやぁ……。
真島を押し倒し、キスを強請った――らしい。
その一連の事を知った涼は、首をブンブンと横に振って強く否定した。
「しっ……、してない……!」
「俺はなんべんも言うたわ。……家では極力我慢しようて涼ちゃんが約束や言うたのをそのまま……」
真島が重い溜息をつく。悪い想像が過った涼はさっと青ざめておそるおそる尋ねた。
「…………し、した?」
「ギリギリセーフ」
頭を抱えた。そして呻く。
「うっ……う〜」
「今んところ、黒寄りのグレー……ツーアウトツーストライク満塁あたりかのぅ」
「野球わかんない〜」
話を聞いている限りでは、相当の酒癖の悪さだ。絶望感に打ちひしがれる涼は、自分以外の家族が迷惑を被っている以上に――その記憶のなさに不安を覚える。
「……おばあちゃんには……その、バレちゃってるのは……今日知ったの」
「…………あぁ……まぁ、そら、いつかはな」
真島は歯切れの悪い物言いで、その悪癖がそれ以前から起きていることを認めた。
「わかってるならなんで教えてくれないの……き、傷つくとかじゃなくて……」
「……気にするやろ?」
「……う……。……でも、言ってくれたら……もう少し早く……家を出る気には……なってたというか……そのせめて……ラブホテルとか」
「ラブホ駆け込むまえに俺がイッてまう」
「え……?」
涼は耳を疑った。
「酒飲んでるとか、ないとかやない。素面で寝てる間にやってる」
「――? それは……この一週間のうちで……?」
「ああ……お泊りデートから、ずっとや」
「ず、ずっと……!?」
それはもう、別の病気なんじゃ――?
じわりと汗が滲む。冬の夜なのに。
「涼ちゃんがえっち好きになってくれたんは、嬉しいけどなぁ……ひひ」
「……病院で……相談してみるね……」
またしても臨床研究の現場サンプルになってしまうのか。落胆と未知の恐怖。
「……無意識に? ……それが常軌を逸した行動と思いますか」
「常軌を逸した行動……?」
「はい。例えば、四六時中そのことばかりに囚われていたり、生活に支障をきたしていて……パートナー以外と関係を持つなどの行為も当てはまります」
「……夫以外に……? それはありません」
「……一旦様子をみましょう。強烈な経験をすると通常の人以上に快楽や多幸感などに関わる、脳内ホルモンの渇望が起こり得るとされていますし。……女性は月経の波がありますから一概に問題行動と考えるのも早計かと思いますよ」
――というのが、精神科医の見解だ。
「もしくは、人格が……」
「え?」
「ほら、涼さんのもう一人……吟さんの存在です。彼が……戻ってきている可能性が思い浮かんだんです」
「……それは」
「頭の中にあることなので難しいですが……」
現代医療の限界を感じる、早見の表情からは解決策はない――とわかった。
◇ ◇ ◇
いつから彼女の中で目覚めたのか、いつからそこにいたのか。
いつのまにかそこにいて、彼女の体を自由にできる瞬間を――彼、”獣”は今隣で眠る男へのちょっかいに時間を充てていた。
「ねえ、起きてよぉ〜」
さっき突き飛ばしておきながら、滾々と眠る真島の体にのしかかり、うざ絡みを繰り出す。
涼の重みが加わって、広いベッドの一箇所が深く沈み込んでいく。うっすらといびきをかいて、ワックスなしの流れる髪。力の抜けた身体を無防備に安心に晒している姿は――獣の心を満たした。外で快活に動き回る真島は暴力的で、仕事柄バットを振り回して取り立てをすることもあるし、返り血のついたまま帰宅することだってある。繁華街には一人で出歩かないようにと口酸っぱく言われているが、実は獣はこの体を借りて行ったことがある。
家の外の真島は、一言でいえば野性的だ。彼のなりたがっている一つのペルソナの鎧を纏っている。家庭では決して見せない顔をしていた。
誓って涼の前では見せないと決めているであろう姿なので、その日は大人しく帰って大好きなハンバーグを作って帰宅を待った。彼の胃の中におちて糧となる食事を作り、快適に過ごすために家の中の環境を整え、着るものを清潔に保ち、眠りの傍らにお供する。涼はあたらしい真島との生活に無意識に満足感を得ているが、獣はもう一つ得たいものがあった。
「起きてよ……ハリネズミくん」
仰向けの体の上に乗って、口周りに生える髭を手でさわさわと弄っていると、口元をむにゃむにゃと動かしむず痒そうにしているが瞼が持ち上がる気配はない。世界で一番愛すべきハリネズミくんだ。獣はこの意識を獲得してから、彼と熱を交わしていない。というよりも、涼がそれを拒むようにシャットアウトをかけてしまうのだ。
「ケチだなぁ」
まるで、『吾朗さんは私のもの』と言いたげで核心的なところを隠してしまう。
涼の記憶を覗き見しようとしても、黒い靄がかかってとにかく覆い隠されている。ただ肉体の共有はされているから――いくら拒んでも、逃げようとしても、獣から流れ出す欲求に抗うことは不可能なはずなのだが。
「セックスしてぇ……」
隣で熟睡していることを良いことに、願望を口にする。
涼は男の味を知ったはずだ。まさか――まだ未通女仕草をするわけじゃないだろう。獣とは欲望に忠実な生き物だ。だから――存在が在る限りずっとムラムラムラムラしている。
獣はかねてからこの男の味を知りたかったし、ずっと待っていた。
無防備に眠り続ける男の目覚めの気配はない。
ゆるいスウエットの襟からは鮮やかな刺青が顔を出し、官能的な黒と朱と白っぽい地肌が妙に色っぽい。布団をめくり、彼のスウエットの裾から手を這わせると、かすかにピクリと身体が跳ねた。
「んあ……」
割れた腹筋の溝をなぞり滑らかな肌の上を弄ったあと、ツンツンと乳首を突っつき、人差し指と中指、親指の三本でコネコネとこね回すとすこしずつ固くなっていく。そして、下のズボンが少し盛り上がっていることに気をよくした獣はそっと手を差し込んで、下着の上から膨らんでいく男根をさわさわと優しく撫でる。
真島は悩ましげに吐息をついた。それがあまりにも色っぽくて、涼の体が熱を持ちはじめ、腹の中が疼くのがわかった。
「……涼……ん、なに……してんねん……」
「……あ……」
掠れた声をだして真島が薄く目を開ける。
なんのことだかよくわからないなりに、体を弄られている状況を察して彼はにやっと笑った。
このままだと、きっとそのうち――また涼に切り替わってしまう。
制止モードに入ると、獣はまたどこかへ追いやられてほとぼりがさめるとまた意識を取り戻す。この繰り返しの割を食っているのである。
そして、その日も例によって獣は涼に締め出された。
――あ、ちょっとまて、え、待てよ、おい……涼……!
あっけなく涼に飲み込まれていき、獣は暗闇に引きずり込まれていった。
涼はまた無意識な行動にショックを受けた。
そっと真島の体から退こうとすると、腕を掴まれて引き留められる。
「……なぁに恥ずかしがってんねん。ちょっかいかけたんは涼ちゃんからやんか……」
寝起きのふわふわとした物言い。真島はヘッドボードを背もたれに起き上がると、くぁっと欠伸した。それから目覚まし時計で時刻を確認するなり好戦的に笑った。
「……五時半か。時間あるな。……一発ヤッとこうや」
ごくりと喉が鳴る。
その誘いはひどく魅力的なものだ。
惜しげもなくあっさりと真島はスウェットの上を脱いでみせた。日常の中にセックスが組み込まれていて、そのさらりと応じてしまう態度に惚れ惚れする。自然と涼の子宮がまた切なく疼く。
「……お、お休みじゃないのに……ごめんね……」
「したなったんならしゃあないやろ?」
真島は涼の体に覆いかぶさるようにして、きっちりと襟まで留めたボタンを外していく。
胸元を開けて、パジャマの下のズボンを剥ぎ取る。下着に手を忍ばせてみるとすでにそこは潤いに満ちており、指に愛液がねっとりと付着した。
「……ふぁ……」
「ぬるぬるやのぅ。……もう挿れてもええか?」
「うん……」
真島は涼の上で膝立ちのまま、ズボンと下着を降ろし、愛液のついた手で何度か扱いた。
涼は欲情を隠しきれず、息苦しさを覚える。体の真上で真島がやや性急に――息を乱しながら、真剣に準備をしている。一物は光源が少ない寝室の中だというのに、てらてらと艶めかしく光りを帯びている。
「……ごろ……さん……はぁ……」
もう堪らない――と真島の腿に手を伸ばすと、「ひひ。えっちな顔や」といって、花びらを先端でほぐし芽と擦り合わせる遊びをして劣情を駆り立てる。強い刺激に涼の腰がびくびくと跳ねるのを面白そうにくつくつと喉で笑い――気を取り直してぬるりととろける蜜壺に雄を押し込めていく。
「あぁ……ううぅ……!」
涼の体は弓なりに反り、ひきつけのようにびくんと跳ね上がる。
「ぁ……ひぃ……っ」
期待と想像を超える熱と圧迫感にたちどこに達した。
涼が達したのを言葉にせずとも、その甘い恍惚の表情や立ち込める甘い女の――雌の匂いでわかる。ぶるりと背筋を震わせて、真島はゆっくりと捏ね繰り回すように腰を動かしうねる膣内を味わっている。
「……はぁ……ごっつ……気持ちえぇな」
「……ぁ、う……あ……! はぁ、はぁ……」
「……朝からええ締め付けや。……ぎゅうぎゅう………吸い付いて離れへんし……そのうちほんまに食いちぎられそうやで」
緩やかに腰が前後し、大きなベッドがギシギシと軋みだす。涼はせり上がってくる快感を逃がそうと、シーツを掴んだ。真島は涼の折りたたんだ両脚を割り、覆いかぶさってより深い抽挿を行う。
「は……う……!はっ……はぁっ、は……! んっ、んっ――! ……ぁ、ごろーさぁん……」
蕩けた瞳で夢中に真島を呼ぶ。
唇を食むとぬるりと厚い舌が這入りこんで、唾液が口の中でとろりと混ざり合う。途切れ途切れに鼻にかかったような力の入らぬ声が接吻の端から漏れ出て、対照的に下の方では打ち消すように肌の張る音が大きさを増していく。
意地悪を思いついたように真島は口角を軽く持ち上げて、角度を変えて亀頭で押しつぶすように擦り付けた。
「……ふ……ぁああっ! ごりごりしないでぇ……あっ! んゃぁ……ぁん、んっ、んっ……!」
「――ん、ん」
再び言葉を飲み込むように舌がぐるりと口内を犯す。次第に力が抜けて快楽の波に浸っていき、声にならぬ甘い吐息ばかりが抜けていく。
気持ちいい。気持ちいい。涼は無我夢中で貪った。子種を求めてぐっと子宮が下がってくるのがわかる。じゅぼじゅぼと突く音と淫水が尻に流れ溢れてくるいやらしさを感じまた腹が熱くうねる。
「涼……、くう……うっ……出すで……!」
「ぁ……う!」
びくびくと身を震わせて真島は力強く果てた。
一滴たりとも残さぬと言わんばかりに子宮が吸い付き、すべてが持っていかれそうになる感覚に真島は呻いた。
長い余韻を耐えて熱い息を吐き出す。真島の額を細かな汗が大きな筋を作って滴り落ちた。腕でそれを拭い、ゆるりと涼の膣から陰茎を抜き去る。
「ぁん……」
涼は目を瞑ったまま、火照る体をぐったりとさせている。
代わりに後始末に取り掛かり、汗や体液を拭ってやる。ぼうっと放心状態の涼が真島を見上げているのに気づくと、いまだ赤い頬にキスを落とした。
「よう出たわ。……このまま毎日シとったらすっからかんになりそうやで」
次いで涼の濡れた臀部を見て笑った。
「……なぁ、おねしょみたいになっとる。イヒヒ……ほんま気持ちよさそうやったしのぅ。……次からはタオル敷いておかなあかんなぁ?」
「ん……きもちい……」
いつもの涼ならもう少し口ごたえも出来そうなものだが、脱力骨抜き状態にしてそれどころではない。骨ならぬ腰砕け状態の動けない涼の隣に真島が寝そべって欠伸をする。
「……今日、家事できるか?」
「……むりぃ……」
「さよか。ゆっくりしとき……」
隅に追いやった掛け布団を引っ張る。
睡眠の妨げに遭ったからか、精を吸い取られたからか、強い眠気に二度寝の波にさらわれていく。次に覚醒したのは子分によるモーニングコールが鳴った時だった。