焼き芋

◆ ◆ ◆



 その日、真島は横浜の方に仕事があった。
 組の兄貴分たちの持つシノギの仕事だ。解体屋の現場作業だった。土埃にまみれてひたすら運搬を繰り返し、ついて行った先で兄貴分の世話もし、日暮れ前にやっと解散となった。夜に事務所に顔を出して当番を替わる予定だが、それまでに腹を満たしておかねばならない。

 午後五時。
 日が落ち始めた薄暗いなかを真島は歩いていた。最近めっきり冷え込むようになった。作業着のつなぎの上に兄貴分からお下がりで貰ったフライトジャケットを着込んでいる。駅のロータリーに入ると、退勤する大人やら下校する学生が目立つ。その中で鼻を擽り空腹を掻き立てるのは、甘やかな焼き芋の匂いだ。

 真島はもう一度、予定を頭に思い起こす。
 ――組の事務所の当番に行かなくてはならない。ぐうぅ、と大きな腹の虫が鳴る。昼は兄貴分の奢りでカツ丼二杯を食べたが、成長期真っ盛りの力仕事を終えた男にはまだまだカロリーが不足している。適度な疲労感と成長期の猛烈な食欲は、どこかの店に入る余裕はない。
 美味しそうな匂いに釣られるようにしてロータリー内の焼き芋屋を探し歩く。
 
 「ん? あれは……」

 焼き芋屋の屋台の前では制服を着た二人組の女子がなにやら話し込んでいる。
 冬季制服の膝丈の濃紺の楚々としたスカート。セーラー服の襟には同色を下地に二本の白い線。それに錨と百合の花の象徴の組み合わさった印が、刺繍であしらわれている。関東一帯で知らぬ者はよそ者もぐりだ。れっきとした私立・代山基督学院のトレードマークである。ともすれば、二人のうち左側に立つ切りっぱなしの髪の短い少女は、なにかと遭遇する機会の多い、荒川涼であることは間違いなかった。

 その時の真島はもちろん、素通りしても構わなかった。
 駅前には飲食店が所狭しと軒を連ねているし、しっかり夕飯をとるならそうしたほうがいい。
 ぐぅぅぅ……。
 真島の腹の虫がまた雄叫びをあげる。腹を擦りながら二人の後ろに立つと、話が聞こえてきた。

 「ねえねえ、ミヨコちゃん。このサイズいけると思う?」
 「ほらあ。言ったじゃない。お弁当の量、もうちょっと増やしたほうがいいわよ。運動部なんだから」
 「そんな! この間スカートのホック、一個緩めちゃったの。これ以上太ったら三年間履けなくなっちゃうよ……」
 「六年生の頃に採ったサイズなんだから小さくなるのは当然よ。大丈夫。それに、スタイルはバランスが良ければいいの。ねっ!」
 「スタイルがいいミヨコちゃんに言われても……」

 新鮮だった。
 女子の会話というものを普段耳にしないからか真剣に内容を気にしてしまう。どうやら焼き芋の食べる量を多めにするか、少なめにするか――体型の変化を恐れる女子特有の話が繰り広げられている。まだ二人の後ろに並ぶのは真島だけだがそれが長く続くようなら声を掛けるしかないな……などと考えていると、涼の隣にいた少し背の高い少女が先に真島の存在に気付いた。

 「じゃあ三つ買って半分こにしない? ……あっ、すみません! お先にどうぞ」
 「おう。おおきに」
 
 ミヨコと呼ばれる少女が自分のスペースを譲り、真島を先に行かせる。涼はまだ屋台にある大なり小なりの焼き芋の中からどれを食べるべきかを考えあぐねている。

 「……ねえ、ミヨコちゃ―――」

 熟考の末、隣にいるミヨコに話しかけようと涼が身を寄せると、トンと真島の肘にぶつかって、涼はようやく違和感に気付いた。

 「……ん? ああっ! ごっ、……吾朗くん!」
 「よう。……ひひっ! いつになったら気づくやろなあ思とったわ!」
 「ななっ、な、ななな、なんっ……え? ここ横浜だよ? なんで?!」
 「お仕事や。オ・シ・ゴ・ト。ほら、……つなぎ着てるやろ」

 珍獣を見るかのごとく、大袈裟なくらい驚く涼に真島は笑いのツボを刺激される。
 ぴら、とブラウンのジャンパーの下に着込んでいる薄鼠色のつなぎを摘む。
 「へぇ〜」と感嘆を漏らして涼は、つま先から頭のてっぺんまでをじっくりと見回す。そこへ、列の先頭を譲った涼の友人のミヨコが遠慮がちに会話に入ってくる。

 「お知り合い? ……ごきげんよう」
 「あぁぁ! ううう……えっと」
 「動揺しすぎやろ。……真島いいます。よろしゅう」

わたわたと一人だけ挙動のおかしい涼を差し置いて、ミヨコと挨拶を交わす。代山基督学院の名に恥じぬ洗練された所作と言葉遣い。百合の花のような清廉さ。見事に感心してしまった。

 「ミヨコです。涼ちゃんと仲良くさせてもらってます」
 「お友達か。ミヨコちゃん、ええ名前しとるのぅ。……っつーか、ほんまにごきげんよう言うんか!」
 「ふふふ。一応、挨拶だから」
 「へぇ? ほ〜ん。そんなの涼からいっぺんも聞いたことないで?」
 「あら、そうなの?」

 涼はなぜかガチガチに固まって真島を食い入るように見上げている。「なまえ……呼んでる……」などと、妙なことを口走っているが、ミヨコから疑いの眼差しに耐えきれず、不器用にもスカートの両裾を持ち上げて一礼をとる。

 「ええ……と、…………ご、ごきげんよう……」

 ミヨコはよくできましたと頷き、真島はまた例によって堪えきれず口元を腕で押さえながら笑っている。

 「いーひっひっひっひ………!」
 「そんなに笑わないでよう」
 「ほんまにお嬢サマなんかと疑っとったけど、これで納得したわ」

 本物のお嬢様とはミヨコのような少女を指すだろう。期待通りの振る舞いを観賞し、先日涼が言っていたように彼女よりもその名にふさわしい令嬢が通っていることは間違いなく、だとするならば、やはり涼はその中でもやや浮いているのではないかと真島は思った。

 「この間なんか、自転車で帰りばあーっと走って帰っとってやなぁ――」
 「あ、あわ、あ……い、いわないで……!」
 「涼ちゃん、その日は自転車じゃなくて、バスで帰るようにって言われなかった……?」

 ジロリとミヨコは涼を睨んだ。
 軽い冗談のつもりだったが、よからぬ起爆燃料を投下してしまったのかもしれない。
 また叱られると自覚がありそうな涼は狼狽えている。

 「おぉ……?」
 「えぇ……とぉ……自転車は……お兄ちゃんも使ってて……その日に返さなくちゃいけなくて……」
 「駅に親迎えに来るて聞いたけどなぁ」
 「それは、親じゃなくてお兄ちゃんだったの」
 「こら一本やられたわ」

 まさか嘘をついていたのかと思いきや、迎えに来たのは兄だという。
 つまり、彼女は朝、兄の自転車を借りていった矢先、大遅刻しそれが学校や親にバレて兄が迎えに来た。

 「兄ちゃんもこってり絞られたんかァ?」

 きまりの悪い涼の表情を見れば一目瞭然だった。
 目は口ほどものを言う――とはまさにこの事。友人のミヨコは読み通りあからさまな溜息を吐き、腰に手を当てて窘めた。

 「お友達として呆れちゃうわ、涼ちゃん。――委員長特権で今回のことを報告することもできるけど、お昼休みに急いでお弁当を召し上がる姿を見るのも胸が痛むので看過することにします」
 「あ……ありがとうございますぅ……」
 「エエ友達持ったなぁ」

 みるみる内に小さく縮こまって半べそをかいて拝む涼と、つま先を揃えて立ち胸の前で両手をクロスさせるミヨコの姿に、友情を感じると共にこれがクリスチャン系の学校の内輪で行われている様式行動かとまたしても感心する。

 「で、どないすんの。焼き芋」
 「……へっ、あ、お先にどうぞ……」
 「そーやなくて。……ま、ええか。なあ、おっちゃん、焼き芋おっきいの三つちょうだい」

 涼が腰を屈めたまま先頭を真島に譲る。
 真島が先に注文をつけると、焼き芋を売る初老の男が気を利かして注文をとる。

 「あいよ。……お嬢ちゃんらは?」
 「涼ちゃん、どうする。三つ買おうか?」
 「う、……一個ずつで、いいよ」
 「足りる?」
 「お、お夕食だってあるから……!」
 「二つね。ごめんくださいませ。二つでお願いします」

 店主は「あいよー」といって、石の上に転がっている芋を注文した数通りに新聞紙に包んでいく。
 熱々の焼き芋を三人でロータリーの外れにあるベンチに座って食べることになった。
 バスやタクシーが目の前を通っていく度に冷たい風が吹き込むが、それがむしろ焼き芋の熱さをちょうどいい温度にまでまろやかに変えてくれているような気がする。

 「ちょうどええ具合やろ」
 「……うん」
 「早食いは消化に悪いで」
 「わかってるよ」

 涼はきょろきょろと周囲を見渡しながら急いで焼き芋を飲み込んでいる。そんなに腹が空いていたのか、などと考えていると涼の隣でミヨコがひそっと「学校の先生と鉢合わせては困るものね」と囁いた。図星だったのか涼は熱い焼き芋で咽ながら、いそいそと口の中に詰め込んでいく。

 「……あつぅ」
 「言わんこっちゃないで」

 焼き芋を一つぺろりと平らげて鞄の中へ仕舞っていた水筒のお茶を流し込み、買い食いの証拠隠滅を図る女子中学生。それだけ見れば普通の光景だ。

 「オジョーサマが学校帰りに買い食い。……ヒヒッ。エエもん見してもろたわ」
 「あ! が、がが、学校には絶対に言わないでね……!」
 「いひひ! どないしたろ〜。おぉ〜美味いのぉ」

 家出に大遅刻に買い食い。非行三点セットお目が高い。これで見事役満である。
 順調に非行お嬢様街道を進行中。とはいえ、真島から見れば可愛い悪さである。
 
 「……センセに見つかったら、俺に奢られた言うとけばええやろ。……ってなわけで、ほれ。半分いかがですか、なんて。ひひ……! そっちのミヨコちゃんも一緒にどーぞ」
 「えっいいの?」
 「こら涼ちゃん、まずは感謝して」

 三つ目の焼き芋を三等分し、二人に配り分ける。
 両手を組みしばしお祈りを受けるのは悪い気分ではなかった。
 ロータリーの中央にある時計台の時刻が十八時を示す頃、一台の黒い高級車が進入して、三人の座るベンチの前に停車した。ミヨコがすっと立ち上がり、「お迎え来ちゃった」と言ったので、それがミヨコの送迎であることを知る。

 「また明日、ミヨコちゃん」
 「うん。……焼き芋ごちそうさまでした、真島さん」
 「おう。気をつけて帰りや〜」

 ひらひらと手を振り、ミヨコは楚々とした所作で車に乗り込む。車は大通りに出て、ベンチに残ったのは真島と涼の二人だけになった。

 「……兄ちゃん、来るんか? 迎え」
 「私? 今日はお兄ちゃんが塾だから、一人で帰るよ」
 「帰れるんか?」
 「そ、そこまで信用ないかな……」
 「さっきまで買い食いしとって、信用もあらへんやろ」

 涼は苦笑を浮かべる。水筒を鞄に仕舞い、ベンチから立つとそこへクラクションが鳴った。
 ロータリーを回って、またベンチの前に停車したのは黒光りする四ドアセダン。竜骨座を意味する国産車。「おぉ……」と感心して眺めていると、窓が下がり、中からロマンスグレーの恰幅のいい男が運転席から顔を出すやいなや涼を呼んだ。

 「あ、おじいちゃん」
 「近くを通ったもんだからね。涼、乗りなさい」
 「それじゃあ、吾朗くん……焼き芋ありがとう。……ごきげんよう」

 涼はたたっと駆けて車に乗り込むと、真島に向けて手を振った。
 運転手である祖父はじっと真島を観察して、その威厳あるどっしりと重く響く声で「世話になったようだね」と言った。
 
 「あ……いえ」
 「君……」
 「はい」
 「……いや、いいんだ。機会があれば。……今後とも孫をよろしく頼むよ」

 引っかかる物言いを残し、本職と遜色ない風格の男は窓を閉じて、ロータリーから完全に抜けていった。

 「ごっつ、厳つ……」

 腕っ節の強そうな、されど見目よくだらし無さを感じさぬ精悍な男。あの綿毛のようにふわふわとして覚束ない涼からはまるっきり想像つかない。
 その夜、真島は嶋野組の当番にあたった。
主に事務所で電話番をして張っている、下っ端中の下っ端の仕事だがいつ情報が入ってきて上にすんなりと通すか、それは時間との勝負であり真島の手際の良さはよく褒められていた。

 夜半二時過ぎ、草木も眠る丑三つ時。
 その時間帯になると交代の入りからあった緊張感は緩んでくる。事務所に一つ置かれているテレビにはビデオレコーダーが繋がれ、誰かがガチャンと音をたててVHSを挿入した。

 「真島、朝出前取るさかい、聞いとけやぁ。……親父が早うから車出すいうて、迎えも出さなアカンしのぉ」
 「はい」
 「もう慣れたか?」
 「ぼちぼちですわ、兄さん」
 「おぉ……明日は親父気合入っとるさかい、エエもん見れそうや。お前も来るか?」
 「行ってもエエんですか」
 「親父から覚えめでたいんやで、機嫌よくなってワシらも楽できるさかい」


 「なんやぁ、お前、また藤沢晋作の猛攻列伝観るんかぁ? なんべん観てん。エエ加減飽きたでぇ」
 「なに言うてん。この藤沢といっしょに出てくる兄弟分役の荒川権太が染みんねん。あんな益荒男、男の俺でも勃つで」
 「なに気色悪いこと言うねん。おおい、そのデッキ高うしてんから大事に扱えや。親父が奮発して買うて、親父が観るためにあんねんで」
 「わかっとるわぁ! でもこない暇やと眠ぅなんねん。朝まで何時間あると思ってんねん」

猛攻列伝。言わずと知れた任侠映画の大ヒット作である。
テレビ放送されたものを録画し、何度もこの事務所で繰り返し流している。録画するということは、即ち、嶋野太のお気に入りの映画の一つであり、時折映画の中のセリフを冗句で飛ばすことがある。

そんな猛攻列伝が再生され、冒頭三カットめにして、一人の男が網走刑務所から脱獄するシーンが映し出される。主人公の兄弟分役である。この作品随一の肝であり、泣かせ役であり、その年の国内アカデミー賞の助演男優賞を受賞した荒川権太。

「……ん?」

分厚いテレビ画面に映るのは、今日、駅で孫を迎えに来た男によく似ていたからである。
勿論、いまよりも十分若いが、慄くような豪快さ、切れ味の良さ――男臭さの中にある華やかさは女性人気も厚い。書店に置かれている週刊誌や映画雑誌で表紙を飾るところを何度か目撃した記憶が蘇る。

「まじか……」

 真島は思わず脱力して事務机に突伏する。
 彼は芸名ではなくどうも本名らしい。
その潔さ感服に値する。だがしかし、荒川涼は一切祖父の正体に触れる話もせず、鼻にかける訳でもなく普通にしているのでそういうところが嫌味のない根からのお嬢様なのだろう。


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