◇ ◇ ◇
朝、教室で涼ははっきりしない空模様の景色をぼうっと眺めていた。
クラス外の用事を終えたミヨコが涼に話し掛けるも、あまりに気の抜けた声だったからかくすくすと笑われてしまった。
「昨日の、……なに、涼ちゃん。窓の外のほうばっかり見て」
「う、うん……なあに?」
「かわいいお耳がちょっぴり赤くなってるわよ」
「……っ! や、やだぁ。ホントだ……シモヤケかな?」
指摘された耳をぎゅっと握ってみて、動揺を誤魔化そうと躍起になる。
ミヨコは近くの席の生徒に椅子を借りる断りを告げて、涼の近くに座った。
「……焼き芋の話?」
「ちがうちがう、あの、マジマさん……」
「わわわわ……!」
「……国語の、教科書真っ逆さま! あは、ふふふ……! 涼ちゃんってわかりやすい。……前に、神岡くんのね、告白の頃とは違うから……、もしかしてっていうより、ほとんどそうなのかと思うのだけれど」
ミヨコは悪戯を企てる悪童の如く、意地の悪い微笑を浮かべている。
「好きな人……?」
「……うん。………好き。……えへへへ」
同級生に告白を受けた時と異なる態度である。ミヨコの指摘に涼はギクッとした。そして、上手く躱すことも出来ず、核心を突かれて心地悪いのに妙に嬉しくて、照れ笑いを浮かべる。
「そんなに、わかりやすいかなぁ」
「うん。とっても」
この際、下手な嘘など通用しないとわかる。ミヨコはミヨコで目に煌めきを溜めて興味津々だ。
「……夏の、イギリスに行くってなったとき時。待ち合わせに来なかった日ね」
「うん」
「その人といたの……?」
「………ミヨコちゃんって、エスパーかなにか?」
「かも……。なーんて。……でも、謎が解けてすっきり。……あの人格好いいものね。涼ちゃんのお祖父さまの事務所の若い俳優かと思っちゃった!」
「か……まぁ……かっこいい……。ん……うん……。ミヨコちゃんもそう思う……?」
「おもうおもう〜!」
背が高くて色白で顔がはっきりしてて面白くて……と真島の特長を列挙し、涼はまるで自分事のようにバクバクと動悸が余計に激しくなるのを感じた。
「涼ちゃん……顔が赤べこみたいに赤いわよ」
「へ……そう……?」
「はい、鏡」
「わぁ……ほんとだ」
「そういえば、クラリネットを始めたいって言ってたわね」
「そうだよ」
「吹奏楽部の人が探していたわ。もし入部するなら是非って」
「これ以上掛け持ち出来ないよ」
「そうよね。……気が変わったら教えてね。……そういえば今日は自転車で来てないの? シスターやスールに叱られて懲りた?」
「うん。あれは本当にお兄ちゃんも使ってるから……今日はスクールバスで帰ろうかな」
「大丈夫? 車の迎えがあるから送ってもらおうか?」
「大丈夫。駅から歩くの結構気に入ってるから」
横浜駅の駐輪場から出て、駅から徒歩一〇分。小さな個人の経営する楽器店を最近見つけた。
音楽教師に楽器を購入するアドバイスとして吹奏楽部の生徒の購入者も多いと聞いたからだ。
それがどういうわけか、吹奏楽部への入部に関心があると誤解される羽目になっているわけだが。
磨りガラスの向こうには様々な目玉商品の楽器が陳列されているが、涼の目当てはいつも黒と輝くシルバーに縁取られた木管楽器だ。一番安い値のものなら購入出来そうだが、あと暫くはかかるだろう。指折りでお小遣いと……ここ一ヶ月の定期代をこっそり宛ててなんとか足りるだろうといった金額だった。
ひとしきり眺めて、駅のロータリーに帰ろうとした時、真正面から男とぶつかった。
「なんや痛いやんか。……相変わらずワルしとんのう」
「うわわわ……!」
「驚きすぎやろ」
「そ、そんな……え!?」
涼は目を白黒させて後退った。今日も今日とてつなぎ格好の出で立ちの真島。手にはホットのコーヒー缶と白い袋には何やら大量の飲み物や食べ物が入っている。
「昨日は駅、今日は街中の楽器屋。道草食って、代山ってそんなにユルい学校なんかァ?」
「緩くはないけど。……吾朗くん、今日も……お仕事? だよねそれ」
「まぁな。ここ数日は同じとこの作業。……昨日のお友達は一緒ちゃうん」
「き、今日はね……お迎えで帰ったから……」
たった一日ぶりとはいえ、一度その感情を認識してしまったから、それまで自然に振る舞っていた事もどうしていたのか忘れてしまう。一方でそんな涼の様子に気づいている様子もなく、真島は欠伸を噛み殺してずいっとショーウインドウの中を覗き込んでいる。
「欲しいもんでもあんの」
「……クラリネット。ショーケースにあるのは高いから……買うなら六万円くらいだけど」
「お願いしたら買うてくれるんちゃうか? もうすぐクリスマスや」
「……楽器は、お母さんがうるさくって……ヴァイオリンを勧められてて……私はあんまりかなって。お小遣いでも足りるんだけど、他にも買うものがあるから、もうちょっとだけ貯めてるの」
クラリネットを探すようにショーウインドウの中にはクラリネットの他にフルート、ファゴット、オーボエなども飾られている。目を眇めてあちこち見回している。
「ふうん……えらいやんか。クラリネットってどれ」
「そっちの……端にあるほう。高級品のだけど……」
「おぉ、高い」
「……えっと……吾朗くんは……今日は仕事?」
涼の視線に気付いた真島は手にしていた袋を持ち上げる。
「ああ。……これか? これは……パシられて買うてきたんや。これから行く先のな」
「そうなんだ。時間大丈夫?」
「あーせやなぁ。たまたま駅ンとこで一目散にどっか走ってく後ろ姿見掛けたから追っかけてきただけやからなぁ」
「み、見てたの」
見掛けただけならわざわざ声を掛けることなく素通りしたっていいのに、どうして真島は追いかけてきてくれたのだろう。……涼は暫く考えて、涼が思うほどロマンチックな期待ほどの動機ではないように思った。真島の一挙手一投足に反応して心をときめかせているけれど、そこまで盲目ではない。
(なにかと会うから、そう感じてしまうだけで――)
ちらりと窺うように見上げれば、真島もちょうど涼を見下ろしてにっと笑ったところだった。
「な……なに?」
「それ買うたら聞かせてや。音」
「…………うん!」
頭のうえから急に花が降ってきて光に満ちるような気持ちだった。
それはつまり。
(次もまた会えるってことだもんね……?)
涼は自分自身の事ながら驚いた。なんて単純なんだろう。クラリネットを買うことは決して思いつきでもなんでもなかったのに、彼に会えるというだけで、それが掻き消えてしまうくらい真島が眩しく見える。
真島は袋の中からお菓子を取り、涼に差し出した。
「一個やるわ。ええ、ええって。一個くらい。俺の金やないし……ひひ」
真島から貰ったのは棒状のチョコーレートをコーティングした細いスティック菓子だった。
子供に振りまくように、あるいは動物に餌付けするようなものかもしれない。それでも、あの日貰ったバナナみたいに心を毛繕い、彼への思慕がまた募っていく。