1981年 7月8日
週の中日、水曜日の朝だった。
朝。
一夜を共にした女を見送って、昨日と同じように真島は出勤の準備をする。今日は組の用事を済ませたらシノギの仕事で兄貴分たちについていかなければならない。朝食を軽く食べて、歯を磨き、髭を剃る。キッチンの小さな鏡の前で支度を済ませるとボストンバッグに着替えを詰め込む。それをもって部屋を出た。
なんらいつもと変わらない朝だ。
組の事務所につくと、「新聞とってきてくれ」と言われる。大量の新聞が束になってポストに入っている。
それを両手に抱えて事務所に戻るだけの下っ端の簡単な仕事だった。
「真島。昨日のスイカ残ってるで。食うてからいくか」
「へい」
「給湯室の冷蔵庫に入ってるで。持ってき」
兄貴分にスイカを食べると言い、新聞を兄貴分に引き継いで真島は給湯室へ向かう。簡易キッチンの隣にある冷蔵庫に皿に載ったスイカが三切れラップがかかった状態で保存されていた。それをもって事務所の詰所に戻ってくる。誰かがテレビを付け出したのか少々騒がしい。
「真島、ほれ」
「ありがとうございます、兄貴」
今日は早く新聞を手渡される。
なぜかと訊くと「ここで一番熱心に新聞読んでるんは、親父とお前だけやさかい」と兄貴分は調子よく答えた。
朝刊の見出しは、『日本航空機、真夜中に墜落』という文字が一面に広がっていた。
「はぁ?」
真島は思わず声を漏らした。嫌な見出しだった。
それは昨日会った少女が、その夜に飛行機で海外へ行くことを拒んでいた姿が、瞬時に蘇ったからだった。
テレビからはちょうど、墜落事故の中継が伝えられる音声が流れていた。飛行機の墜落は、着陸と離陸時に多いとされている。バラバラとヘリコプターの羽の音に混じって上空からリポートされている。日本海に着水した機体は右翼を下に沈みかけている。
「墜落やのうて、着水やんけ」
「……」
隣の兄貴分は新聞の見出しと、実際の映像の矛盾を突いていた。
リポーターは「乗客102名の救出を海上自衛隊ともに海上保安庁が行っております」と伝えている。
海の真ん中に浮かぶ機体の近くまで海上自衛隊と海上保安庁の船が寄っていて、救命胴衣を着衣した乗客を救出している映像を生中継している。
領海域付近の着水のため、海上自衛隊までもが出動している。
真島はこの機体に少女が乗っていることも不確かであるが、どうかそこにいないで欲しいとも願って、ブラウン管の分厚い画面を食い入るように見た。
「ほれ、スイカ食わんのかいな」
「兄貴……」
「どないした、顔色悪いで。今日は休むんか。まぁ朝から見るモンちゃうわな」
「いえ。大丈夫、です」
テーブルの上に置かれた三切れのスイカは、やはり昨日の記憶を色濃く思い出させる。
あの時、少女の手を振り払っていなければよかったのだろうか。
多くの家出少女と同じように、少女もこちら側に連れてくるべきだったのだろうか。そんなことは、たらればの世界でしかない。
向こうは真島の名前も知らない、たった数十分の邂逅だ。人の一生のほんのミリ単位にしかない時間を共有しただけの他人。昨日の夜に抱いた女よりも短い時間を過ごした相手を、どうしてこんなに気にするのか。『涼』という名前の少女。ざわつく胸中に真島自身が一番戸惑った。
十七歳の真島吾朗は、まだ人の死に慣れていなかった。