二章『1985年4月、地獄門行き』@

 1985年 4月20日

 四月だというのにその日は暑かった。刺青を隠して長袖を着ていることで、わきの下やズボンの中の足はすでに蒸されて不快なそれはさらに気分を不快にさせていく。

 ドクターバッグには作戦決行のためのブツ。兄弟である冴島大河のもとへと最終の打ち合わせをするために赴く途中である。真島の頭には四年前の七月の記憶が蘇りつつあった。

 あの日は梅雨明け直後の暑さ、それを思い出させる。明日決行すればしばらく娑婆とはお別れである。前祝いになにか手土産になるものを買っていこうと組を出て、あの商店街の青果店に立ち寄った。
 店先に陳列されているなかで一際目を惹いたのは、丸まると大きい初物のスイカだった。四年前にはバナナも一緒に買ったが、今日はいらないだろう。

 「スイカのう、ちょい高いな」
 スイカとバナナを買った金額を思い出してみれば、それとトントンになるだろう。
 「すんません、これ貰いますわ」
 「はいよ」

 店主に声をかけ、スイカを一玉をお買い上げした。ずっしりとした重みを抱えて冴島の部屋へ向かう。

 あれから四年、親父である嶋野とは親子の盃を交わした。いよいよ腹を括った以上、郷に入っては郷に従え。組の人間らしく関東訛りを矯正することにして努力してはいるが時々出てくる。組内恒例の新聞の回し読み相変わらず続いている。嶋野の親父は『新聞を読んで世間を知れ』を口酸っぱく言う。とくに最近は『気温上昇は我々人類や世界の問題や』とテレビや新聞の受け売りをうたうようになった。シノギの商売でも多方面に気を配る必要があるので組内でもそこそこ上手いやつは頷いている。

 シノギは違法行為がメインで構成員たち各々は個人事業主で稼ぐ。真島はその中でもまともに建築業の実務経験がある。他は取り立てもバットを振るってやるし、密漁もやった。おおよそ一般人が想像しうる汚い仕事は粗方経験済みだ。だが今回のはそんな生ぬるいものではない。
 冴島の部屋があるアパートに着いた。

 「おう兄弟」
 「おう」
 「真島さん、いらっしゃい!」

 窓の外を眺めていた冴島大河と軽い挨拶を交わす。彼の義理の妹である靖子も笑顔で出迎えてくれる。
 靴を脱ぎながら、世間話から入る。

 「それにしても暑いなぁ。まだ四月やっちゅうのに何やねんなこの暑さは」
 「何や30℃もあるらしいわ。ホンマこの国はぶっ壊れとんのとちゃうか?」
 「この国っちゅうよりも、この世界やろ。これがいわゆる”環境問題”っちゅうやっちゃ」
 「自分、ちょっと頭よさそうやん」

 日頃聞かされている嶋野の受け売りを繰り返しただけだ。
 冴島は煙草を一つ咥える。

 「当たり前や。オゾンがどうのこうの言うてたわ」
 「誰がや?」
 「ウチの親父が」
 「嶋野はんが?」

 あの嶋野が?とでも言いたげだが、冗談ではなく大まじめだ。世の中の流行が『環境問題』にシフトしている事は新聞回し読みをしている真島ももちろん知っている。
 環境問題は体裁だけでなくシノギの時の利権を得るためである。『気ィつかわんとあかん』らしいと親の言葉を反芻する。

 「アホらし」

 冴島の一蹴が飛んできてオチがつく。
 買ってきたスイカをとんとテーブルの上に出す。前祝いがてら買ってきたことを告げると冴島は煙草をふかしていたのをやめて黙った。僅かな空白に靖子は何のことだろうといった雰囲気を出している。

 冴島はどうやら靖子に言っていなかったようだ。冴島はビールとつまみのおつかいを靖子に言い渡して席を外させた。
 靖子にまだ打ち明けていないことを突っつくが『縁起でもない』といって次に『例のアレ』の話に移った。

 スイカともう一つ用意していた手土産。それは六丁のリボルバーだった。
 六つの弾丸が込められるため三六発の発射が可能である。上野吉春と、そのほかの誠和会のメンバーを襲撃するための企てを決行するために、真島が堂島組経由で仕入れた。二人で奇襲をかけるという計画。
 それは冴島の所属する笹井組組長のためだった。やろうとしていることは鉄砲玉である。もし襲撃が成功しようがお縄になる。殺人であるため無期懲役や極刑の可能性もある。真島は天涯孤独で親兄弟や身近な縁者はほぼいない。嶋野組に入り、親父と盃を交わしたときにすべて覚悟を定めている。だがしかし、冴島は違う。

 「お前には靖子ちゃんがいる。冴島、お前本当に靖子ちゃんを残したままでいいのか?」
 「兄弟……、関西弁、忘れとるで」
 「お前人が真剣に喋ってるときに…」

 窓の外を見上げながら冴島は言う。真島と同様に覚悟ができていると。

 「俺もお前と同じや。笹井の親父のためやったら何でもやる」

 さらに「それに」と続ける。
 「冴島大河っちゅう男が、この東城会でどこまで昇れるのかを」
 「冴島……」

 冴島とはこの世界に入る前からの仲だ。背中に背負うものはそれぞれ異なるが目指すところは一緒だ。だからこそ固い兄弟の盃を交わした。組をも異なえど、この誓いは破られない。彼の背負う虎がいつもよりも猛々しく見えた。

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