第一章 彼の残り香A




  ◆ ◆ ◆




 1992年のカレンダーを1993年のものへと張り替える。新年へ切り替わり仕事初めの日も過ぎたが、忙しくてこの作業をできないでいた。画鋲を引き抜き、厚みのある紙束の穴越しに、刺さっていた場所へもう一度針の先を押し込める。
 昨年の同じ時期に一年後はどうなっていると想像しただろう、きっとこんなことは考えていなかったはずだ。薄くなりくたびれた紙になったカレンダーをくるくると丸めてゴミ箱に刺した。
 シャワーを浴びたばかりのふやけた指で油性ペンを持つ。冷えていく毛先からポタッと冷たい水滴が肌の上に落ちた。

 「十五日は、仏滅……二十二か、二十七日か」

 すでに一月は最初の一週間を過ぎていた。日にちの空欄の下に小さく印刷されている六曜を眺め回して、月の後半の二十二か二十七日に目星をつける。その二つは大安である。十六日もあるが、小正月明けすぐなので行事が終わったあとだ。ヤクザは信教に神道が多い。事務所に神棚を備え塩を盛るのも一般的だ。盃事も神道の仕来りに則って行われるためにカレンダーはかなり重要なのである。神道の次に多いのがキリスト教で場合によって国際結婚のケースが多い。配偶者に中国人や韓国人がいる場合に影響を受けるらしい。もしくは刑務所生活を送る中で信教を変える者もいる。

 真島はふうと息を吐いて、右目を眇める。
 彼女が目を覚ましたことで状況が次第に変わっていくだろう。組を設立するにあたり急ぐ必要があるが、それには準備も用意もあるのだ。二十二日、あるいは二十七日。そしてそれ以降もしばらくは忙しくなる。嶋野組への上納金も月末ギリギリではなく手前でしっかり納めているので今月の確定を小正月前後で行わなければならない。シノギの方の経営やその従業員の給与、手元に残る利益の確保、考えることは山程ある。末端の組員のようにクスリで簡単に足のつくシノギではない。クスリは簡単に手に入り、金になるがしょっ引かれるリスクが高いのだ。しかもそろそろ確定申告がある。これを怠ると本当に面倒なことになるので、すでに準備には取り掛かっている。

 (めんどくさ……)

 ヤのつく自営業だと揶揄されることが多いが、まともな社会で生きたほうが楽だとこういう時に痛感するものだ。それができる人生だったらとっくにそうしている。この世界で楽しいこともそこそこにはある。東城会がしっかりしているうちはまだ大丈夫である。組とはムラ社会だとつくづく思うのであった。

 「二十二は仮で、二十七が最終決行日。これや」

 油性ペンのキャップをカチッと音をたてて外すと、キュッキュッとツルツルの紙面の上をを滑らせる。二十二日に小さな丸、二十七日に二重に丸を描く。蓋をペンにくっつけて、本日から目星となる日を数える。最低半月足らずか半月。この間に準備と普段のやるべきことを並行していかなければならない。嶋野組から抜けたわけではないので、そちらの方で重要な仕事には参加する、笑ってしまうほどのタイトなスケジュールである。

 プルルル。白い固定電話機が鳴る。

 「もしもし、……ばあちゃん?」

 真島には血の繋がりを持つ祖母はいない。電話の向こうの主は荒川涼の祖母である。
 一連の事件の最中知り合うこととなり、家族外に口外不可の涼にまつわる連絡を回してくれている。死別した元ヤクザ上がりの名優、荒川権太を元夫にするだけあって肝の据わったところのある老女である。どうも気に入られていることは間違いなく、真島はこの照れ臭さくもむず痒い感覚に馴染めるのにはもう少し時間を要すると思っている。

 「……誕生日?」

 真島はさきほど張り替えたばかりの真新しいカレンダーの、月の上半部分に目を向ける。
 電話の向こうで、『涼ちゃんの、お誕生日が明後日なの』と言うので十日が彼女の誕生日である。荒川の祖母宅に伺ったとき眺めたアルバムのところにもそういえば、『1月10日』の数字があった。正直、真島はその誕生日を覚えていたが、祝うべきかどうかはまた悩んでいたのである。祖母がこうしてわざわざ連絡をくれるという事はオッケーということだ。
 病室への面会も祖母がいる時のみ許可されている。真島の立場がそうさせていることは重々承知である。

 『明後日、お昼くらいに行こうかと思っているのだけれど、如何かしら?』
 「…おう! ええで。せや、ケーキどないする? 涼ちゃんあんまり食べへんのやろ?」
 『そうねえ、あの子ご飯よりおやつだから…好きなものなら食べられると思うわ』

 涼の好きなものは心得ている。
 好物は、いちご大福。ケーキよりもそっちのほうがいいかと考えたが、誕生日にはやはり大きなワンホール、白いクリームに苺のほうがいいだろう。

 「わかったわ。ほな、俺が買うて持っていくわ」
 「あらあら、ありがとう。……それじゃあ、プレゼントはどうしましょうか」
 
 ふうむ、と考える。真島は顎下を持っていたペンのフチで撫でる。
 欲しい物、とくに物に関しては関心が薄そうだが、それは真島が思っていることであって本人に訊けばいいのだろうが、まだ彼女とそこまで親しくできていない。今後徐々にそうしていくつもりでいただけに、先に誕生日がきてしまったのでプレゼントに関してはお手上げだ。

 「ちと、考えてみるわ。明後日の昼やろ? 二時前くらいに病院のロビーで待ち合わせしようや」
 『わかりました。困ったらいつでも電話してちょうだいね』
 「おう、ほな」

 受話器を耳から離し数秒待ってから切った。
 明日は朝から所用がある。時間が空くのは夕方からだ。頭だけで考えるのは限界があるので今日はもう布団に入ることにした。




 翌日。夕方。


 朝からの用事が終わり真島は神室町近くにある百貨店に来ていた。

 バブルが弾けて景気後退のため以前ほどの賑わいはないが仕事終わりの時間帯ということもあり、勤め人のOLたちが化粧品のコーナーやブティックコーナーに散らかっている。
 涼は明日で二十四歳になる。ちょうど、そのへんにいる若い女たちと同じ年齢なので参考になるかと思って足を運んだのだが、どうも違うのだ。そのへんにいるOLたちはいわば『普通の女性たち』だ。景気がいい頃を経験し、休日に繁華街にでかけて流行の服や音楽や食べ物を嗜み、ボーイフレンドを作るような。若い時に健全な一般社会で過ごし、物を買うために、人生を豊かにするために働いている若者だ。

 涼にはその経験が乏しいはずなのだから、物を贈ること自体が間違っているような気がしたのだ。
 真島の女性経験からいくと、間違いなく彼女は今までの女性とは真逆の性質だから、つまり化粧品コーナーにあるリップや香水や、ブティックコーナーにある外資系ブランドのバッグなどそもそも喜ばない。ブランド物の商品が好まれるのは社会に通用する価値が付随するからだ。普通の社会にいない生活を送ってきた彼女にふさわしいものは百貨店にはないことが知れただけ良しとしようと思い、入り口から出ようと化粧品コーナーを通り抜けようとした時、見知った顔が人混みのなかに紛れていた。
 
 「あ? 高木やないか。なにしてんねん、こんなとこで」
 「ん、う、うぉっ……兄貴やないですかァ! びっくりしたぁ。こんなとこで何してるんですか」
 「質問を質問で返すなや、ボケ」

 外資系ブランド『キャンネル』のフレグランスのテスターを前に、ああでもないこうでもないと熱心に見ているのは舎弟の高木だった。白昼で会う時よりもこのブースにいると男臭さが中和されてまともに見える。まだ女性ウケの強い『ドール』や女子高生や短大生向けの比較的廉価な商品を置くブランドブースに紛れていなくてよかったと心底安堵した。高木が持っていたテスターのスプレーをシュッと噴出させたが量が多かったのか急激にあたり一面に広がる香りに真島は「くっさ」と吐き捨てながら腕で鼻を押さえた。

 「これですよ、これ。評判がいいって言うのでどんなものかと」
 「あー…、二、三年前から出たやつやろ?」
 「そういえば、兄貴もなにかつけてますよね」

 そう言いながら高木はスンスンと鼻を真島に近づけて嗅いだ。
 「やめえや、気色悪い」と顔を押さえつけると「このにおい、さっき嗅ぎました」と謎の報告をするので「お前は警察犬か」とにじり寄ってくる高木を引き剥がした。
 
 「香水もそやけど、ブランドもんにはそいつの雰囲気や似合うかどうかなモンや。好きなら使うてもええけどな。それ、プレゼント用か?」
 「自分用っス! 行きつけのキャバクラで女の子たちが最近出たやつがどうのって言ってて」
 「最近出たんは、これやな」

 真島はブースのテーブルの上にいくつか置かれているテスターのスプレーの中からそれを引き抜いた。シュッと腰より下の位置にプッシュし立ち昇ってくる香りに高木は「おお!」と感激の声を発した。メンズ向けのシトラスとムスクの爽やかさと重厚さが織りなすなんとも言えぬ香りである。パンチが効きすぎることもなく、女性ウケはまあまあいいだろう。香水は単体ではなくそれを纏う個人の体臭も加味されるため、一口に同じ香水をつけたからといって同じようになるわけではない。
 特に男は汗腺が女よりも発達しており汗の分泌量が多いため、それによっても体温によっても香りの質は異なってくる。

 「あれ、でもこれ……兄貴と同じニオイっすよ?」
 「そらそうや。同じのやし」
 「ええ〜っ!? そんなのずるいっすよ!」
 「なにいうてんねん。それが好きなんやったらそれ買うたらええやないか」

 高木は胡乱な目で真島をみた。
 同じ物を買ってもどう扱うかは個人の技量である。高木ははあ、とため息をつくと「ちょっと考えます」と言った。

 「そういえば、兄貴もどうしてここへ…?」
 「俺はプレゼントやプレゼント。…誕生日のな」
 「へえ! 兄貴贈る人いるんスね! 誰っすか? あ、でも…キャバクラとか行ってないですよね?」

 キャバクラは経営するものであってお客様ではない。
 何より今はものすごく忙しいのだ。高木は調子よく食いついてくるが、涼宛てのプレゼントはここにはない。

 (ほんまに、好みがわからへん…ハンドクリームか? いや、それはちと、なんかこう…)

 冬場は乾燥している。病院内は空調が効いていて部屋に加湿器もないためそれもアリといえばアリだったが、しっくり来ない。あの警戒心の強い彼女の顔をパッと変えるような革命的なプレゼントを贈りたいのだ。ハンドクリームは良いかもしれないが、普通だ。知人関係ならあとの残らない菓子でもなんでもいいが、真島は意識的にきっかけが欲しいのだ。それを見ると、自分を思い出させる物がで出来ればよい。

 「ちょ、兄貴、ここ…五階…! 贈るひとってまさか女性じゃなかったり?」
 「あぁん?」

 考え事をしながらウロウロしていたらいつのまにかエスカレーターに乗って五階の子ども向けのフロアに来てしまったようだ。
 なぜか高木も金魚のフンのようについてきている。

 「なんやねん、高木ついてくんなや」
 「だって、どんな人に贈るのかと…」

 後半に行くにつれて尻すぼみになる物言いに真島はため息をついた。
 とりあえず下りのエスカレーターに乗るため、ぐるりと半周しなくてはならないので子ども向けフロアの中を歩く。
 ベビー服や靴、おもちゃにブランド物の子供向け用のブティック。カラフルなものが様々並んでいるが、その中でふと真島は足を止めた。後ろをついてきていた高木が唐突に止まったせいで「うおっ」と奇声を発した。
 
 真島の目線の先には、大きなテディベアが子供の目線に合わせた高さにあるテーブルの上に座っていた。その愛らしい瞳は真島を見返している。
 テディベアをみて、彼女の病室の枕元に置かれているぬいぐるみの存在を思い出した。それは祖母が幼稚園に入りたての頃の涼へ贈ったという初めてのクリスマスプレゼントだ。鳥をモチーフにしたぬいぐるみで色あせているが彼女の手元に収まっている姿をよく見かける。丸くなんの鳥かはわからないが、バスケットボールくらいの大きさをしている。

 「いらっしゃいませ、お客様。なにかお探しでしょうか?」

 しばし思案に耽っていた真島に店頭の女性従業員が声を掛けた。

 「あーえと、…なんや、昔クリスマスにな……、今から…せや、十九年前か。そのくらい前になるんやけど、クリスマスの頃に売っとったっちゅう、ぬいぐるみを探しとるんや」
 「ぬいぐるみでございますね…? どのようなお品物か、なにか特徴はございますか?」
 「鳥や鳥。大きさは、こう、まあるい形しとる。ボールくらいの」

 両手で丸い大きさを表現する。女性従業員は落ち着いた様子で真島の説明を真摯に受け入れた。

 「承知しました。お調べいたしますが、お時間の方は…?」
 「大丈夫や」
 「かしこまりました。そちらの休憩スペースにて少々お待ち下さいませ」

 女性従業員は一礼すると足早にレジの担当者に声をかけてからバックヤードの方へと向かった。言われたとおりに真島は休憩スペースの革張りの黒い長椅子へ腰掛けた。
 高木も倣ってそのとなりに座る。しばし妙な沈黙が流れ、それに耐えきれなくなったのは高木のほうだった。

 「…あのう、…兄貴って……その、子持ちなんすか?」
 「はァ?! ……そないなわけあるか」
 「ですよねえ?」

 (『ですよねえ?』ってなんやねん……こいつは俺をどないな奴やと思っとんのや…)

 子持ちで驚かれるのも癪ではあるが、いないことにもとやかく言われるのも癪だった。
 もしかすれば、本当に一児の父親になる可能性だってあったわけだが。それはもう終わったことだった。
 
 「ますます訳がわからないんスけど」
 「お前俺をどんな風にみとんのや」
 「そっち系だったり…します?」

 高木は手を顔の頬に持っていって、男色か否かを問うた。「そういう、無闇矢鱈ときくのは煙たがれるで」と釘をさすが、高木の目は納得していないようだった。
 男と寝たことはあるし、実際は尻を使われた事もあるがどうにも心の性質は男だった。バイセクシャルとはまた違うのだ。そして男だからとか女だからとかで括れる性質でもなかった。
 真島は器が大きく、豪傑で一本筋の通った人間が好きなのだ。人を好きになる哲学を並の人間よりは持っているつもりだ。

 「よく堂島の…桐生でしたっけ? あいつと会ってるって聞きますし」
 「桐生チャンやろ? 最近は忙しゅうて会うとらんのう……いや、せやからそういうのちゃうんやて…!」
 
 そこへ調べ物をしていた女性従業員がヒールを鳴らして戻ってきた。手元には印刷したと思われるカラーの写真つきの紙が何枚か揃っていた。
 一礼をしてから「お待たせいたしました、お客様」と発すると、紙を数枚並べて差し出した。

 「該当商品がいくつかございましたので、ご確認くださいませ」
 「いくつか…?」

 紙を見てみると、鳥のぬいぐるみだけでかなりの数がある。縦一列に五品ずつ、商品名とコード、販売時期といった情報が一緒に掲載されている。それが数枚なので合計数は十五を超える。
 涼が持っていたのは青色のものだった。発色も経年劣化で薄くなってしまったので今は薄い白っぽい色をしているが、その紙の中でおそらくそれだろうと思う商品が一つあった。

 「これ…やのう?」
 「俺に訊かないでくださいよ」
 「今のは独り言や」

 販売時期はクリスマスより少し前だ。クリスマス商戦に備えて十一月くらいから市場には出てくるので、概ねそのようだ。真島が気になったのはその青色のものとは別に色違いの鳥がいることだった。デザインはほぼ同一だが、もう一羽はオレンジ色をしている。「これは、色違いか?」と従業員に尋ねると、紙を確認して「さようでございます」と返事をした。
 色違い、ともなれば贈ってもいいのではないだろうか。本当は類似したものがあれば、それに決めるつもりでいた。

 病室の生活が長いので寂しいであろう。あの殺風景な部屋に彩りが足せればいいと思う。
 
 「このオレンジのほうは…あるんか? いや、自分で言うのもなんやけど、二十年近くも前のモンやし…なかったら、ええんやけどな?」
 「またお待ちいただくことになりますが、お調べいたしますよ。生産は難しい…でしょうけれど、在庫が残っている可能性がございます」
 「ほんまか…! 頼みますわ」
  
 真島は頭を下げる。
 女性従業員は一礼をし、紙を持ってまたバックヤードに戻っていった。
 さきほどまで色々と騒いでいた高木がおとなしくなった。しばらくして女性従業員が戻ってくると「ご、ございました…!」と興奮を抑えきれずに報告をした。それには真島も高木も勢いよく立ち上がる。『ほんまか…!』と二人分の感嘆にその場は一気に明るくなった。

 「ですが…あのう…、メーカーの在庫にございまして。つまり、お届けには一週間ほどお日にちが空いてしまいます」
 「な…! なんやて……」

 想像には容易いことだったが、それにはがっくりときた。高木がおずおずと「その子の誕生日って…いつなんすか?」と訊ねた。
 
 「明日や……」

 『明日ァ!?』と女性従業員と高木の驚嘆が二重奏になる。
 せっかく手に入りそうであるのに、間に合わないかもしれないのかと思うと真島はすでに諦めかけていた。
 「そのメーカーっちゅうのは……どのへんにあるんや?」と本当にダメ元で問うてみる。女性従業員はメモに書いたであろうメーカーの情報を照らし合わせている。

 「ええと……埼玉の方…です。場所は東京寄りですから…」
 「わ、わっかりましたぁ! 俺車出しますよ! 兄貴! 明日一緒に行きましょう!」
 「は? ほんまに行く気なんか?」

 高木はなぜか気合が入っている。それに感化された女性従業員が手を叩いて「わかりました! メーカーに明日お越しいただきますとお伝えいたします!」と興奮気味に叫んだ。

 「お客様のお名前頂戴してもよろしいですかっ」
 「真島吾朗です!」
 「阿呆! なんでお前が答えんねん!」

 女性従業員はうんと大きく頷いて、バックヤードへすっ飛んでいった。

 (なんなん、こいつら…。ありがたいヤツやけど…盛り上がりすぎやろ……)

 高木の目が爛々と輝いている。この舎弟が意外に熱い男だったことに驚いた。
 女性従業員が戻ってきた。メーカーまでの地図を印刷してくれていてそれを真島に手渡してくれた。「おおきに」と謝辞を述べると女性従業員は気持ちのいい笑顔を浮かべた。

 「明日、こちらへお越しになってください。窓口の方へお名前を申し上げていただきますと、ご用意させていただくとのことです。定価が七千五百円となっておりますが、担当者が大層喜んでおられまして、無料でご提供いたしますとのことです。よろしいでしょうか?」
 「た、タダぁ!?」
 「いや、だからなんでお前が驚くねん……、いや、でもほんまおおきに。あの子も、喜んでくれるわ」

 
 真島は最後にその女性従業員に「なんでこんなに、してくれるんや?」と訊ねてみる。
 女性従業員は、『私の個人的な信条ですが、またご縁が結ばれることもあると思っているんです』と小さな声で打ち明けた。彼女は優秀な接客販売員だろう。
 真島も縁というものを体得している身であるゆえに、それはそうだと思った。今は不必要であっても、成し得なくとも、いずれはどこかで交じり合う縁がある。彼女は将来またここで買い物に訪れるかもしれない『お客様』を大切にしていた。




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