番外編 特別病棟ナースステーション噺



 番外編:『特別病棟ナースステーション噺』



 私は雛田 優、東都大学医学部付属病院、特別病棟六階に勤務する、しがない看護師である。

 看護師になって四年。今年になって配置転換で、この特別病棟へ配属された。特別病棟はいわばVIP対応の病棟で、特別な対応を必要とする患者が入院している。私の担当は、特別病棟の六階のナースステーション。六階には一月現在、二名の患者がいる。特殊な病棟のため、一見ホテルのような内装をしているが、ちゃんと看護できる機能が整っている。入院費も高額であるため、個人情報保護もあり、利用するのは主に仮病を使う政治家や、企業の役職者のシェルター的役割を果たす時もある。

 十一月末に世間を揺るがす事故によって、一名の女性患者が病院に運ばれてきた。年齢は当時二十三歳で、一時期は昏睡状態となり、回復は見込めない可能性もあったが十二月二十五日に意識を回復。そこから特別病棟へと移された。『ムーンスターブリッジ衝突炎上事故』の被害者である『荒川 涼』という女性は、どうやらそのバックボーンが複雑かつ深刻なものらしく、ナースステーションのナースでも婦長以外に詳細を知れない。

 彼女の病室には、二名の警察官が警護についている。事故だけでは、このような待遇にはならないので別件の事件があるのではないか、というのを先輩ナースたちが零していた。病室の環境整備において持ち込み禁止物が多く、火気厳禁はもちろん、ナイフも花瓶も普通の入院では禁止されていないものも禁止されている。

 「ね、ね…! きたよ!」

 ひとりの先輩ナースが肘で小突いてきた。そう、この患者数たった二名の病棟に訪れる人間は少ないので自然とみな彼の存在を知っている。濡れ烏のような黒髪はテクノカット、おしゃれなのかわからない左目の眼帯。どこで買ったのかと質問したくなる黄色いパイソン柄のジャケットに、黒いレザーパンツに手袋をはめて。彼以外がそのファッションをすれば間違いなくダサいのだが、嫌に似合っていて違和感がない。
 どこか危険な香りのする男で、誰もが彼を最初、面会謝絶にするべきではと思っただろう。その男の名前は、真島吾朗といった。

 「おばあさまこんにちは。真島さんも。……えぇと、今日は早見先生からお話があるというのは?」

 先輩ナースがカウンターにでた。真島さんはいつも患者の祖母と一緒に見舞いに来る。一月十日の誕生日には、ケーキとぬいぐるみを持ってきていた。『二十四歳の女性へのプレゼントにその品目はいかがなものか?』とナースたちの間で物議を醸し、私だったらと『ブーキンのバッグ』や『指輪』、『予約の取れないレストランでディナー』など各自の願望を唱えた。

 先輩ナースが真島さんから預かった煙草類とライターを預かりものボックスへ丁寧に置いている。当然、院内は火気厳禁である。
 
 「真島さん、今日もなにかプレゼント持ってきてたよ」
 「え、今度はなんだろう?」
 「意外にマメなひとよね〜、見た感じ危なそうなのに」

 先輩はそう言いながら、内線で精神科に電話をかけた。先日から患者の担当として一人加わった女性医師である。今はカウンセリング期間だが、今後薬を使った治療にするかもしれないと言っていた。患者の祖母と今日はそれについての面談がある。
 休憩に入っていた後輩がナースステーションに戻ってきて、開口一番「来ました?」と確認してきたので、私と先輩は揃って頷いた。

 「そこの待合室にいるよ。……あ、神岡さん。あらら、真島さんと喋り始めちゃった」
 「あぁ、…そう」

 この後輩はどうやら真島さんのことを気にしているようで、どこが良いのかと聞いたところ『え? ふつうにカッコいいじゃないですか!』と返事をしたので、他のナースたちは揃って首を傾げた。たしかに、片目しかないが綺麗な顔をしている。身長は高いし、筋肉質で細身なりに体格はいい。まっとうに普通の格好をしていたら街で逆ナンパは当たり前、入れ食い状態だろう。ナースたちの人当たりもいいし、見かけさえ気にしなければ十分にモテる。

 そして私は知らなかったのだが、この真島さんという人は結構有名な人物らしく、繁華街によく遊びに行くという別フロアのナースいわく、カタギではないらしい。その筋の人で、今日も上のジャケットはちゃんと閉められているが、あの下には刺青が彫られていて、背中にもあるんじゃないかとそのナースは言っていた。そのカタギではない人が、患者とどういう関係かまではわからないが、患者の祖母と仲がいいことから、親戚か知り合いではないかと言われている。
 贈り物のチョイスを考えれば、従兄弟というのが今日までの有力説だった。

 「早見です」
 「早見先生! 荒川さんは二番の部屋でお待ちいただいてます」
 「わかりました」

 精神科から足早にやってきた早見先生が、白衣を翻し二番の応接室へ消えていく。
 後輩が業務確認をしながら、「真島さんってケッコンしてるのかなー」などと身の入らない態度でいるので「コラ」とたしなめた。先輩は「いっつも手袋しててわかんないもんねー?」とそれに乗っかるので「婦長が帰ってきたら叱られますよ」と自分は加担していませんという予防線を張る。

 すると真島さんとの話が終わったのか、神岡さんがナースステーションのカウンターまでやってきた。

 「どうも。……荒川涼さんなんですけど、ちょっと体調が悪いみたいで。食事、今日の分は摂られました?」

 この神岡さんという男性は、事故や事件の被害者を支援するNPO法人団体の会長をしている。午後一番に患者と面会をしていたが、たった今出てきたところだ。患者はここ最近、摂食障害が起きていて、その都度理由をつけて食事を残している。今朝もせめてバナナだけ食べてはどうかとすすめたが、もう一度病室に確認をしにいったら茶色く変色したバナナが半分まだ残っていた。
 この摂食障害も一因で早見先生による、精神科のカウンセリングがはじまったのだ。

 「いいえ……朝も、昼も残されていたので。…わかりました。点滴にいきますので。ありがとうございます、神岡さん」

 神岡さんは白い歯をみせて爽やかに笑うと、「また後日来ます」といいエレベーターの方へと向かった。
 先輩は彼のその姿に、目をきらきらと輝かせている。後輩は真島さんだが、先輩は神岡さんがタイプらしい。たしかに爽やかで、健康的でかっこいいと思う。例の患者の誕生日には花束を買ってきたけれど、部屋に花瓶を持ち込めないとあって断ってしまった。代わりにナースステーションで飾られることになったが、真島さんの贈りものを聞いて「ああ、あの人頭いいなあ」と苦笑いを零していた。ぬいぐるみは危険物にどうやってもなり得ない。それはすでに患者の祖母が、自宅から同じ物を持ってきていたこともあるので、許可されていた。


 「そうだ、今日もプレゼント持ってきてました? 聞きに行ってもいいですか?」
 「持ってきてる。そうねぇ。……じゃあいってらっしゃい」


 後輩は真島さんと喋る口実を得て、ルンルンと小躍りしながら待合室のほうへと行く。そしてしばらくして戻ってくると、その顔面には隠しきれない喜色が滲んでいる。わかっているが「どうだった?」と聞いてあげると、うっとりとした顔に甘ったるいため息をついた。

 「はあ……、かっこいい」
 「そうじゃなくて」
 「……えーと、絵本、でした! 絵本二冊」

 先輩が「絵本かあ〜」と言う。絵本は、完全に子供向きというか、色気のないプレゼントだ。患者との間柄は、本当に親戚か知人だろうなと思わせるには十分だった。

 「どんな絵本?」
 「内容は結構、大人っぽかったですよ?」
 「さすがにねえ。……でも想像したら笑えちゃう。本屋さんの絵本コーナーでなににしようか悩んでる真島さんって」
 「あぁ〜。いいですねえ、それ」
 
 後輩がうんうんと頷いている。「子供とか好きそうですもん」と付け加えて、ご機嫌になったかと思えば次の瞬間にはガクっと項垂れている。
 気分のアップダウンの激しい後輩だ。仕方なく一応「どうしたの」って聞いてあげる。

 「子供……いるんですかねえ…?」
 「そんなに気になるなら、また訊いてきたら? 意外と話してくれるでしょ。気さくというか」
 「うう、これはパンドラの箱なんですよう!」
 「ああ……、はいはい」

 非常に面倒くさい後輩だが、このナースステーションでは誰よりも注射が上手い。以前、婦長が褒めていた。
 そのときガチャンと、二番の応接室の扉が開いた。患者の祖母がまず出てきて、早見先生にお辞儀をしている。そのままカウンターの前を通り、ナースにも会釈をすると私達もそれに倣った。真島さんのいる応接室へと行って、そのまま患者の病室に行く様子だ。
 面談をしていた早見先生がなにやら神妙な顔つきでカウンターまでやってくる。私はどうしたのかと思って声をかけた。

 「早見先生、お疲れさまです」
 「どうもありがとう」
 「……どうかしました?」
 
 早見先生は女性医師のなかでも憧れの先生で、精神科には彼女を師事して入局していく若い医師も多い。また看護師たちの評判もよく、三十代後半と医者の世界ではまだまだ若年層だが、第一線で活躍する優秀な医師であるうえ、出世街道まっしぐらである。かくいう私もドクターとナースは畑違いの仕事ではあるものの憧れている。
 早見先生は、細くてしなやかな腕を組んでうーんと唸ったかと思うと、ちらっと私の顔をみた。

 「雛田さん。……たとえばなんだけど、あなたの小さい頃に好きだった人とかって覚えてますか?」
 「え? ち、小さい頃ですか? んーと、そりゃあ、まあ」
 「そうですか。では、その…結婚の約束をしたとして、それを信じて待てます?」
 「……せ、せんせい?」

 いったい、ぜんたい。どうしたというのだろう。
 私には映画か、少女漫画のような世界だと思う。素直に「それって今流行ってる漫画とか映画の話とかじゃなくて、ですか?」と切り返すほかなかった。早見先生も「ですよねえ、出来すぎですよね」と、しみじみ頷いている。

 「あ、雛田先輩。点滴どうします? わたし行きますか?」

 後輩が患者の点滴の準備をしながら私に尋ねた。今日の受け持ちは私なので「大丈夫。私が行きます」と返事をした。早見先生はそれをみて「私も行ってみていいですか」と申し出た。

 「え? もちろんです、先生」
 「ありがとうございます」

 早見先生といえば、クールで何事にも動じないいかにも精神科という感じの先生なので、なにか思うことがあったのだろう。患者の様子を確認するのも医師の仕事のうちなので病室へ一緒にいくことになった。
 応接室前の警官に挨拶して、中にいる警察官にも一礼。日々、ほんとうにご苦労さまである。

 ノックを数回叩いて、「失礼しますよー」という掛け声とともに入室する。……いや、したのだが、声にならない衝撃に、まさしく絶句していた。

 患者、荒川涼と渦中の人物、真島吾朗が抱き合っているのである。
 いや、これだけでは誤解を招くので詳細を付け加えるなら、真島さんが患者を抱擁しているという状況だ。同じ意味だって思うかもしれないが、そうじゃない。熱烈に甘い雰囲気ではなく、痛みを分け合うような静寂に包まれた優しい空気をしている。一緒にきていた早見先生もその光景には驚いたのか「えっ」と声を漏らした。

 真島さんと目が合う。どうしたものかと動けないでいると、彼の胸を枕に眠ってしまったようで、患者はベッドに静かに横たえられたのだった。真島さんは声に出さず、目配せで私に点滴作業を促したことでようやく動けるようになった。

 今のはいったい、なんの場面だったのか。そんなことばかりをグルグルと頭の中をめぐる。ミスがあってはいけないので、管をつなぐときは真剣に取り組んだが、真島さんとこの患者の関係性がよくわからなくなっていた。
 なぜならば、彼女を慰めるように抱きしめる真島さんの顔は、家族だとか知人だとかそんな範疇を超えていて、……それはもう恋人や愛する人へ向けるような、熱を秘めた眼差しをしていたのだ。不覚にもドキドキしてしまった。

 失礼ながら真島さんも、あんなに人間らしい顔をするのか、という意外な発見に、後輩を点滴作業に行かせないで正解だったと思った。

 早見先生は真島さんに声をかけて、再び二番の応接室を使っての面談が始まった。
 私がようやくこの状況を上手く飲み込めたのは、その面談が終わって、早見先生が戻ってきてからだった。

 「先生、あの……真島さんのことなんですけど」
 「雛田さん…」
 「えっ、なに? 真島さんがどうかしたんですかっ」

 後輩は、ステーションに戻ってきた私の様子がおかしかったからなのか、ずっとそわそわとしていた。早見先生は面談を終えて、いよいよ精神科へと戻ろうとしていたので、ちゃんときいてみることにした。後輩も真島さんが絡んでいるので、ちょっと様子がおかしい。
 早見先生は、言うか言わまいかで悩んだ様子だったが、やがて口を開いた。

 「率直に、涼さんと、真島さんは婚約関係にあります」

 ああ、そうか。だから、さっきあんなおかしな質問をしたのか。
 自然に納得しかけたところで、うん?と首を傾げた。

 ちょっとまって? 小さい頃に約束したの? どういうこと?
 二人は幼なじみか何かなのか?


 ――と合点のいくようでいかない私のとなりで、後輩は口を大きくあんぐりと開けて、絶句している。目を何度も瞬かせ、「へ」とか「あ」とか「そんな」などと上手く言語化できずに、調子の悪いラジオのような声を出している。もちろん早見先生は後輩が横恋慕していたことなど知る由もないため硬い声で「大丈夫ですか」と言うのが精一杯のようだった。

 「あーえと、ご説明いただけて、ありがとうございます。彼女は……そのうち回復しますから。先生はお戻りになってください」
 「ええ、はい。……あの、この話をここの婦長にもよろしくおねがいします。涼さんの回復には真島さんのお力が必要です。個人面会も場合によっては可能だと思いますので、後日またお話します」
 「はい。お伝えしますね」


 早見先生は白衣を翻すと、颯爽とエレベーターの方へ歩いていった。その背中は勇ましい。
 私は隣でたった今から、失恋ホヤホヤで項垂れている後輩を、どう立ち直らせようかと考え始めたのだった。



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