第七章 桃花と舟A


  ◆ ◆ ◆



 銃声が一発、二発、三発。
 立て続けに発射させるが、いずれも真島に命中することはなかった。
 なぜなら、そのうちの二発は王汀州のものではなかったからだ。


 「―――!」

 真島はその方向を見る。
 白い中国服の男たちがぞろぞろと出てきて、吹雪に紛れて船へと逃げる二人を狙撃しようと好機をうかがっていた。
 二発のうち一発は、兄の汀州を背負う弟の泰然に命中したようでよろけている。船に飛び乗り、操縦室へ籠もるとやがて、船が動き出す。『蛇華』たちは、船の底を空けるべく、ズンズンと雪をかき分けて岸から離れゆかんとするのを追い縋るように、撃った。

 波は大きくうねり、不安定な航路はふたりをどこへ連れて行くのだろうか。
 見送る真島の隣に、いつのまにか劉家龍がいた。束ねられた黒い髪が整然と揺れている。涼を探しに行かねばならないが、結果的に『蛇華』は務めを果たした。

 「契約、完了だ」
 「まだや」
 「あいつらは死ぬ」

 そういうことではない。彼女を危険に晒さず安全に始末するという願望があった。しかし、涼の名前を口に出せば事態の深刻化を招くと危惧した。その結果が今日である。調べられれば、足のつく情報を明け渡すことを自分の意思が妨げた。最悪な形で果たされてしまった。事態は一刻を争うが、それでも最後に一つだけ問う必要があった。

 「……のう、あいつらが死ねば、組織はどうなる」
 「跡目争い、逆恨み、内紛」

 真島は閉口し、瞼を伏せる。

 (………憎悪が憎悪を生む)

 自分と同じような境遇の人間が減ればいいと思うことがある。しかし、目の前の困難を打ち消したつもりが、誰かの憎しみの引き金をひいてしまう。この世界にいれば当たり前の事だった。ただ、次の連鎖に繋がらないように祈ることしかできない。そういう意味では、無力だ。

 「後日、『ディナー』に、『タリースーチョン』を」

 真島は別れ際に次の約束をとりつけ、波止場を後にする。
 向こうのほうに三艘の船が海に出ている。百メートルほど離れた先で、二人の兄弟をのせた船は舵手のコントロールを失い、転覆した。





 倉庫の正面側へ回ろうというとき、正面側を任せていた坂井が息を切らして飛び出してきた。

 「親父ィ…! 高木、た、たかぎが…!」
 「高木が、おったんか…!?」
 「え、ええ。それが、はあっ……すみません、女と一緒に、倒れ込んでて……、木内からベルがきて、救急車は呼べそうです、でも!」
 「落ち着けや! ええ、ええわ。もう、走れ!」

 女などこの場に一人しかいない。
 口では子分に「落ち着け」と叫ぶが、内心は落ち着いていられるほど冷静ではなかった。
 火の中から抜けてきたのだから、熱傷がひどいかもしれない。焼けた肉は元に戻らない。そんな焦りとともに、正面へ出る。

 倉庫は爆発を続けている。建物自体が倒壊すれば危険な位置に、二人の男女が横たわっていた。意識はある。想像を裏切って、涼よりも高木のほうが重傷であった。

 「坂井! 雪被せろ!」
 「はっ、ええ」
 「ええから! もたもたすな!」

 寝転んでいる涼は目立った外傷はなかった。だが、高木よりも薄い出で立ちなため彼女の場合は深部体温が低下している。慎重に抱き上げると氷のように冷たかった。

 「坂井、高木を運べや」
 「はい!」
 「港の車のほう行くで」
 「車って……? 名古屋ナンバーの、ですか? でもあれは…」

 あれは名古屋のヤクザの車だから危険、とでも坂井は言いたいのだろう。
 
 「アホか。お前正面張ってて、入り口から逃げてきたやつおったか?」
 「いえ……」
 「爆発しとんのに、仲間の救援もなかったんやろ?」
 「……待ち伏せだって、あるかもしれません!」
 「どアホ、なんのために俺らがおるんや。傷病者抱えとんのやぞ」

 救急車を呼んだとはいえ、到着までには時間を要するだろう。近隣に病院があるにせよ、この雪と風では交通状況は最悪である。あのまま倉庫の近くで待つよりも、車の中で待機したほうが幾らかマシになる。
 港の入り口で、乗り捨てられた車に帰還者はいない様子だった。また、待ち伏せもいない。

 (……全員、アカンかったか)

 ワゴン車の一つをこじ開けて、涼を後部座席に横たわらせた。入口の方に足が向いて、そこが赤くなっていることに気づく。
 アカギレではなく、熱傷であった。真島は近くに積もっていた雪をかき集めると、患部を塗り固めた。別のバンで同様に坂井が運び込んでいたところに、遠くから救急車のサイレンの音が近づいてくるのがわかった。

 「きた!」

 坂井は声をあげた。
 救急車に被さって、パトカーもやってくる。一台の救急車が港まで到着すると、救急隊員が出てくると、その後ろからストレッチャーが雪上に引き出てくる。

 「親父、あの……」
 「高木を先に載せろ。命に順番はないやろ」
 「はい!」

 救急隊員らが高木をストレッチャーに載せたのを見届けて、真島は一旦バンの中へ入った。
 胎児のように丸まった姿勢で眠っている涼を見下ろして、一つ息をついた。彼女はきっと、最後には助かる強運の持ち主に違いない。病院生活で長くなっていた髪はすっかり短くなっていた。長さは、『穴倉』の頃を彷彿とさせるほど短い。祖母が見たらひっくり返るだろう。『髪は女の命なのよ!』と彼女の代わりに喚くはずだ。

 「手錠、……痛そうやのう」

 両手にそれぞれ離れた手錠に皮膚が挟まれている。持っているドスで砕いてみるかどうかと考えて、やめた。
 彼女と繋ぐためにある手を傷つけることは、ままならない。真島が耐えられなかった。

 「かなわんわ」

 涼が寒そうに身じろぎをしたので、上着を脱いで体に巻き付けるように掛けてやる。そのとき、窓ガラスのノック音がして、なんだと真島は首を傾けた。
 警視庁・刑事課捜査第一課の警部補、村波。その男が胡乱な顔つきでそこに立っている。

 「ここは千葉や。管轄間違えとんのちゃう」
 「特別捜査だからいいーんだよ。……紋々おっぴろげて、おっ始めるのかと思ったぜ。いくらなんでも女の寝込みを襲うのはぁ、感心しないね」
 「誰がそない、強姦魔みたいなことすんねん」
 「一旦降りろ。背中のオニが怖えんだよ」

 微塵にも思っていないくせに、わざとらしく怖がるフリをする村波だが、特別捜査という辺り真面目な話をしにきたのだろう。
 爆発の話、『藍華蓮』の王兄弟について、であること。またその責任の所在だろう。バンの外へ出ると、一応儀礼に則り警察手帳を開示の上で村波が口を開いた。

 「真島さん。率直にお尋ねします、あの爆発に関して、あなたの関与はありますか」
 「関与はない」
 「……。フン、まあいい。国際指名手配犯の王汀州、王泰然との接触は?」
 「ない」
 「それを証明できそうな人は?」
 「おらん」

 村波はふう、と息を吐いた。
 メモ帳の上を走るペンを一度止めると、ピッとペン先で後部座席に横たわる涼を指した。

 「仔細な聴取はそこの女の子からにします。……それでは」
 「ちょい待てや」
 「ああん?」
 「土産ならあるわ」

 丸めて仕舞い込んでいた例の羊皮紙を村波に差し出した。
 もし、そこに『名前』があれば燃やすつもりでいたが、そうならなかったものである。
 刑事は怪訝そうな目で真島を見遣り、「これは?」と尋ねた。

 「知っとるやろ、これが例の『血盟状』や」
 「……真島、お前さっき接触はないって言ったよな?」
 「ちゃうわ。倉庫の事務所にあったのを拝借したんや」
 「はあ。通例であれば、窃盗罪になりうるぞ」
 「わかっとる」
 
 「拝借」といって村波は『血盟状』を広げる。
 一通り目を通して確認を終えると、唸った。人相の悪い顔をさらに歪めると頷いた。

 「真島さん、これは『拝借』とおっしゃいましたが、倉庫の事務所からとありますので物証になります。当局で押収いたしますので悪しからず」
 「……ひっひっひ!」

 直接的ではないものの、『今回は見逃す』ということを言っているのだが、あの村波がまともに口上を述べるのでおもしろい。まっとうに仕事をこなす姿を、是非早見にも見てもらいたかったものだ。村波は『物証』をコートの中へ収めると、右手で敬礼をした。

 「合意のもとに交渉を行えよ」
 「余計な一言やねん……!」
 「あと、もう一個。……今回のも報道規制かけるから」
 「………」

 世間には出せないニュース、というわけだ。
 だが、今回は関与した人間が多いので、どこからか漏れることは想定の範囲内だ。それでも規制は必要である。多くの誤解を招くことになろうとも、歪曲した情報によって人を狂わせることになろうとも。将来にわたって不安が消え去ることは決してない。
 村波と入れ違いに救急車が到着したので、隊員が駆けてくる。 

 「こんにちは! 救急隊です! 遅くなってすみません!」
 「……ごくろうさん。ちょっと待ってや」


 涼を抱き上げると、バンから出る。風も雪も、いつの間にか止んでいた。
 日差しが厚い雲の隙間から顔を出して地上を照らしている。雪上を吹くそよ風がほんのりと甘く香った。


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