赤い前奏曲

 賑々しい雀の囀りの足元で、青地に黄色のスカジャン姿の若い青年はいた。
 約束の時間になっても家の周囲に姿はなく、痺れを切らして表札のかかった門を越えたのである。


 「真島さん、真島サン。おーい、くみちょお〜」

 門の奥にある植え込みにある低木には、赤い花びらの椿がもう少しで花開くといったところ。
 かくれんぼの最後の一人が見つからなくて探し回るみたいに声をかけると、キッとブレーキ音が背後で鳴った。色鮮やかな赤が印象的な、カー。
 青年、東山は思わず上擦った声をあげた。

 「うっさいわボケ。そっちやない」
 「うおお?! び、びっくりしたぁ! な、なんすかその車」

 彼の感性では、時間間隔ではそれはもう何年か前の流行。盛りを過ぎた、古めかしいもの。一部嘲笑される過去の遺物ともいえるからだ。そう思うのも無理はない。なぜならその頃の東山は中学生前後であったのだから。大人たちが、プレリュードや、セリカのT160型やら、ソアラやらといった車、外国車を乗り回しブイブイ言わせてきた。いつか自分たちもこんなふうな大人になる。かっこいい車を乗り回し、女の子を誘ってデートにいく。十代の漠然とした夢想のなか、蓄積された将来への期待は、バブルが弾けたことでともに終焉を迎えた。

 その定番ともいえる車を、遺骸になりつつある時代の代名詞を、この時代に連れてきている男がいる。

 ブオオォオン。
 エンジン音のうるささはともかくとして、東山が目を剥いたのは、男があまりにも車に似合い過ぎているからだった。青みを帯びる朝の光をツヤツヤの光沢に変えて、凛然とその場所に輝く、赤いプレリュード。ド定番にして王者たる風格。ベーシックカラーの景観のなかにはいささか目立つ風合い。見栄を売る商売といえど、乗り手まで格好がつくということは少ない。

 低い車高のそれから、長い足をひょいと出して降りる。靴先のシルバーがキラリと光った。白を基調としたノルディック柄のセーター。黒のコーデュロイスラックス。初対面の頃にも着ていた黒コートをひっさげ、煙草を噛みながら悠々とお出まし。一見地味なファッションだが、元が華やかな風貌なせいか、黒い眼帯が異質に見せているせいなのか、人目を引くだろう。

 「遅まきながらのデート・カーやのぅ」
 「デート……ぷっ、ふっる! 古いっす! ぶふう!! いってえ!!」

 真島はふう、と紫煙を吐いた。東山の反応は予測済みだったのか、ゴツンと拳が一つ後頭部にお見舞いされる。
 木崎のそれよりもずっしりと重く、なかなかに痛い。そのうち石頭になってしまわないか今から心配になるほどの衝撃だった。

 「お前だけか? あいつも呼んだんやが」
 「息をするように暴力! 息をするように! 木崎さんはなんか、買い出しっす。だから遅れるそうです」
 「買い出してなんやねん。その辺で簡単なやつ買うてきたらエエやないか」
 「ですよねえ〜」

 それは東山も思った。
 だがそれを言い終える前に木崎は行ってしまった。たかだか仕事であるのに気合が入りすぎている。温度差を感じていた。

 「……ま、ええか。……ばあちゃんがこの家におるさかい。よう見張っとれ」
 「ばあちゃん、て。……姐さんの家族ですよね?」
 「まあ、せやな」

 あっさりとした説明をして、東山は首を捻った。
 仕事はもっとどこか別の場所で行われる、そう考えていたからだ。まさか呼び出された現地で、その家族の見張り役を入ってきたばかりの新人に与えるのはいかがなものか。

 「んー…それって重要ですか?」

 つい本音を溢し、真島の黒目が東山を睨んだ。

 「アホ。重要やない仕事なんかあらへん。東山。お前にとってはこないなモンかと思っとるやろが。新入り最初のデカい仕事や。気張りや」
 「はあ。俺は、具体的に……何をすれば?」
 「……この家にヤバいヘンなヤツが来たら追い返すっちゅう簡単な仕事や」
 「ヤバい。変なやつ」

 それは、ひょっとしてギャグのつもりか。
 東山の不遜な眼差しが注がれ、真島は鼻を鳴らした。

 「俺の顔みて言うなや。お前ホンマ、なんちゅうか……恐いもん知らずいうんか? とにかくやな、木崎にもしっかり伝えとけ」
 「はい」

 短い返事。
 ガラガラと引き戸の音が、二人の注意をひいた。
 ミルキーホワイトの膝丈まである暖かそうなニットワンピース、黒のタイツにブーツ。重めのコートに身を固めた女は、この前よりもどこか綺麗に見えた。旅行用のボストンバッグとひざ掛け用のブランケットを抱えて出てきた女は、東山の存在に気づくと軽いお辞儀をした。


 「吾朗さん。……あ、どうも、今日からよろしくおねがいします」
 「あぁ、こちらこそ」
 「東山。……頼んだで」

 真島の念押しに頷いて東山は門を出た。
 宝飾類は薬指にある指輪だけの、いわば育ちの良さそうな雰囲気が真島の選んだ女とは。まだ少し違和感が残るのは、全く縁がなさそうな世界にそれぞれ生きていそうだからだ。

 木崎の車に戻ると、遠目に二人のやり取りを眺める。
 バッグを預かり助手席のドアを開けている。もたつく様子はなく、スマートな所作が身についている。女にモテようとして得た気配りではなく、己の組長に対する礼儀マナーだろう。――東山はマールボロを咥えた。ぼんやりと、『次、俺もああしてみよう』と考えたところで、エンジン音とともに煙をふかし、赤いプレリュードは旅立った。



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