タイムリミット






 霜月最後の日曜日。
 その日は、くすんだ曇り空をしていた。丸の内駅前広場の街灯の下に立つコートを着込んだ男。赤い鼻先をのぞかせ、マフラーに深く埋めて綿菓子のような、こんもりとした吐息を漂わせている。

 「良かった。ちょっと元気そう」
 「おう。前よりは元気だぜ」

 錦山彰は女の姿を認めると、首を傾けて長い髪を揺らした。
 言葉通り、先日よりは元気な様子だった。水琴は今年最後の逢瀬の約束を取り決めてからというもの、しばしば心配に費やしていた。

 「うん、前よりはずっと。……あ、そうだ。何か用があったんでしょ」
 「ああ。あのさ。……頼んでいいかわかんねぇんだけど」

 とりとめなく二人はゆるりと歩き出す。
 着物に外套を着込んだ水琴の歩幅は小さく、錦山はいつもより勿体つけて歩いた。彼の物言いは遠慮がちだった。世間話よりも先に重大なことを先に告げておきたい、そんな切迫感すらも感じとることができた。水琴はそれが、なんとなくすぐに思案の一つに思い浮かび、続けるように促した。

 「なんでも言って」
 「今度。手術があるんだ。優子の」
 「優子ちゃん、……そう」

 やはり。
 水琴は落ち着きを払い、想定の一つが確定したことを受け止めた。
 錦山はちらりと、水琴に目線を遣った。それだけで、水琴は彼の核心を悟った。

 「予定日をずらしてよ……ドナーがなかなか見つからなくてな。……ほんとは俺が行ってやるのが筋だ。……今、それどころじゃなくってよ」
 「わかった。日程は?」
 「一週間後」
 「わかった。空けておく」

 錦山は心底申し訳無さそうに、思い詰めたような表情をした。
 彼の両手や背中にはすでに抱えきれないほどの、重石が乗っかっている。妹、優子はそのなかでも大切な宝石で、いつも掌の中にある。それを、水琴に一時預けてもかまわないか、という申し出は水琴の心を満たすのには充分だった。

 錦山は持ち直したように、次第に表情に晴れ間が覗いた。
 悲痛な色合いを潜ませて、錦山は目を細めた。水琴と再会したことを優子にも伝えた話をした。その様態は、まるで少年が息を弾ませて、聞いて欲しい心の内を打ち明けるように。

 「あのさ。優子に話したんだ。お前と久しぶりに会ったって。そしたらさ、喜んでて。優子の、あんなに笑った顔見たのが懐かしくてさ」
 「それ、嬉しいな。……優子ちゃん、好きなものとかあるでしょ? 言ってくれたらお見舞いに持っていこうって考えたんだけど」
 「ありがとよ。……そうだなぁ。優子は……」

 
 うつむきがちだった顔が、眩さに染まる空へと向き上がる。
 一陣の風が、男の綺麗な髪を撫でていった。







 錦山と会ってから二日後。
 水琴は優子の入院する病院を訪ねた。

 錦山の話では、水琴との再会に喜んでいたそうだが、実際には一抹の不安があった。
 十五年の歳月は想像を絶する距離であり、妹が兄の前で喜んだフリをして、心配をかけまいと気丈に振る舞っていただけかもしれないからだ。

 カーテンに仕切られた隙間からひょこっと顔を出すと、ニット帽を被った女性がベッドに横たわっていた。イヤホンでテレビを聴いていたが、やがて訪問者に気がつくと、テレビを消した。水琴はそっと声をかけた。

 「久しぶり。優子ちゃんよね……?」
 「水琴、ちゃん」
 「うん。そう。水琴。ヒマワリの。大きくなったね。……お兄ちゃんに似てる」

 優子は水琴が見舞いに来ることを、錦山から伝え聞いていた様だった。
  病室が暗いからなのか、優子の肌はよけいに白く見えた。
 兄に似ている、といわれて優子ははにかんだ。水琴は一週間前に錦山と一緒に決めた、贈り物の入った紙袋を掲げてみせた。

 「じゃじゃじゃーん。どうぞこれ、お土産です」
 「あ、ありがとう……えっと」
 「遠慮しないで。錦が八割くらい考えてくれたプレゼントだから。……ほとんど錦からのプレゼント」

 プレゼントを差し出されて、はじめこそ躊躇していたが、錦山が選んだと知っておずおずと手が袋にかかった。
 「……素直じゃないんだから」といって、囁くように笑う優子はいじらしかった。ほんのりと頬に幸福の色味がさしていた。

 「錦が?」
 「うん。お兄ちゃんらしいなって。照れてるのかな」
 「たぶんそうかも」

 プレゼントの中身は色鉛筆と色塗りができる本。続き物の小説だった。入院生活はほとんど退屈だ。食べる楽しみも、内蔵に疾患を持つ優子には味わえないもののためプレゼントにはない。
 水琴はふとした疑問を優子に優しくかけた。


 「お兄ちゃん、来られないときは誰かきてる?」
 「麗奈さんと、由美ちゃんがきてくれてるの」
 「……麗奈? 麗奈さんっていうのは、お兄ちゃんの知り合い?」

 由美は知っているが、麗奈は知らない。
 優子は不思議そうに水琴を見つめ返した。

 「お兄ちゃんから何も聞いてない? セレナのママさんよ」
 「セレナの」
 「目元に黒子があって、綺麗なひとよ。由美ちゃんはその人のお店で働いてて……その、十一月になってから……来てくれなくなっちゃって」
 「由美が? そんな」

 水琴は戸惑った。そして、直感になにかが触れた。
 錦山は由美のことを殆ど語らなかった。それどころか、世話になっているはずの麗奈という女性についても。二人の再会は数えられる程度だが、妹の話をしておいてたまたま語られなかった、にしては不透明な事情だった。

 水琴は記憶を辿った。
 錦山が次の手術に立ち会えないほど繁忙を極めている。――それ以前に、十一月になって、由美が来なくなったこと。十一月は、……堂島組組長の葬儀があった。そして、葬儀場の外で沈痛な面差しの錦山がいた。

 「わたし、なにか不味いこと言っちゃったのかな。……嫌われちゃったかな」
 「優子ちゃん。……大丈夫、優子ちゃん。由美はそんな子じゃない。きっと……」

 優子の反応から、由美はマメに見舞いに通っていたのだろう。
 桐生一馬の話もしたかったが、妹思いの錦山であれば、手術を前に不安を掻きたてるような物言いは避けるだろう。今の優子は一人だ。兄の錦山はいるが、十一月から通っていた旧知の間柄である由美たちが来なくなって、物理的にも精神的にも不安定な状況にある。

 優子の揺らめく瞳が、水琴に縋った。

 「きっと……?」
 「ううん。由美は嫌いになったから、優子ちゃんのところに来なくなったんじゃないわ。大丈夫。落ち込まないで」

 痩せて華奢な背中を撫でた、
 兄によく似たその顔の中で、まつ毛がきらりと濡れて光った。


 「それじゃあ、お見舞いは錦と、その麗奈さんが来てくれてる?」
 「うん。たまに桐生くんも来てくれてたけど、やっぱり今年から来てなくて。……お兄ちゃんも麗奈さんも忙しいけど、来てくれてる」

 避けようと思っていた桐生の名前が出て、水琴はそっと息を吐いた。
 桐生一馬は、親殺し――及び、殺人により刑務所にいる。逮捕のことは、おそらく聞かされていない。関東広域の暴力団の組長が殺人で死んだともなれば、ニュースにもなっただろうが、運良く知らないだけだろう。

 錦山が頑なに避けている気配から、水琴は桐生には触れず由美の話を訊ねた。

 「由美は麗奈さんのところで働いてるって?」
 「うん。……もしかして、水琴ちゃん」
 「ん?」
 「………水琴ちゃんは、今日だけ?」

 優子の眼差しは今にも、か細い糸が断ち切られてしまうのではないか。あるいは雪山で遭難し命からがら入った山小屋で、年若い女が夜分遅く訪ねてくるおぞましさにも似た憂いがある。

 「今日だけって、お見舞いのこと? ううん。優子ちゃんがよければ、また来るわ」
 「本当に?」

 水琴は優子を安心させるため、温かい声で約束をした。
 彼女はそれだけでは安心できないようだった。水琴にもそれはわかる。空中分解が起こっている。ヒマワリで馴染みあるこの、桐生と錦山。そして由美の三人の間で何かが起こったが、優子にはどうすることもできない。もちろん、水琴も同じだった。

 もう一度、安心させるために水琴ははっきりと言い切った。

 「本当。………病院生活って何にもないわけじゃないけど、つまんないでしょ? 私はなんだったかな。熱射病だったっけ。倒れて一日くらい。それでも退屈で。優子ちゃんのこと思い浮かべてね」

 入院をしたのは、高校の頃だった。
 夏休みの最中。テニス部での練習中に倒れて、一日入院をした。水琴にしては思い出の切れ端だったが、優子の人生は殆どが病院だ。もしかしたら、つまらないと思っているのは水琴であって、優子は楽しさを見つけているのかもしれない。せめて親近感を持たせるために、その切れ端の景色を引き合いに出した。

 「……いま優子ちゃん元気かな、って時々思ったりして。それがこの間、偶然ね。錦と再会したの」
 「ふふ。お兄ちゃんも言ってたわ。……お兄ちゃんも、びっくりしてた」

 優子はニット帽の端をぎゅっと引っ張り正して、くすくすと笑った。落ち窪んだ目の皺が、彼女のタイムリミットを報せていた。
 つい数日前の別れ際、錦山が告げた言葉が忘れられない。

 ―――優子は、もう長くねえんだ。
 



 
 優子の見舞いからさらに数日後。
 予定する手術までは残すところ、あと二日ほどだった。

 水琴の足は夜の東京・新宿、神室町へと向かっていた。
 由美に最も近いとされる女性、麗奈について。所在を人づてに探らせた。錦山本人に話をきくことも考えたが、上手くはぐらかされてしまえばそれまでだ。

 「セレナ、セレナ……あった」

 テナントにはアルファベットの綴りの店名。
 錦山の通う店であることは把握している。

 「いらっしゃいませ」

 店に入るとまず一人の女が水琴を出迎えた。
 他の客の姿は見当たらず、時間帯を考慮すればこれからだろう。女は目尻の黒子が特徴的で、その声は程よく低く大人の色香を纏う美女だった。水琴は席にも着かず、カウンターに立つ女に近寄ると懐を探った。

 「あなたが麗奈さん、ですよね。……私、こういう者です」
 「虹川、水琴さん?」

 名刺を差し出すと、店主である麗奈は僅かに訝しんだようだった。
 肩書は華道のいち流派の教授。いくつかある顔の一つで、日本舞踊協会もその内に入るが、重要なことは決して怪しい人間ではないことを示すことだった。

 「昔、錦山彰と桐生一馬と同じ施設にいた事があるんです」
 「錦山くん。お二人の知り合いってことですか?」
 「澤村由美も、です」

 三人と水琴は同じ施設育ちだった。
 麗奈は三人の関係を知る、見知らぬ女の来訪を深く訝しんでいる。水琴にとって、これは賭けだった。
 やや厳しい声音で、麗奈は水琴を問い詰めた。

 「……あなた。……なにが目的なの」
 「目的……? ………澤村由美は、どこにいるの」

 その時、切迫した空気を切り裂く、朗らかな挨拶が響いた。

 「よお。……なんだ、水琴じゃねえか。セレナになんでいるんだ」

 声の主は錦山だった。
 悠然とした足取りでカウンターまで歩み来ると、いつもの席と決めているのか、すぐに椅子に腰掛けた。
 
 「優子ちゃんから聞いたの。ここに来れば、……錦に会えると思って」
 「俺に? こいつは昔なじみだよ。俺と、……桐生。あと、由美のな」
 「本当なのね」
 「去年の夏に、ばったり再会した。……一杯作ってやってくれ。いいよな、水琴」

 錦山は、ハイライトの箱からタバコを一本出すと唇の端に咥えた。
 カウンター越しに麗奈がライターを灯すと、様になった。水琴は錦山の目配せに負けて、スツールに腰掛けた。

 「疑ってごめんなさい。……お酒、何にしましょうか」
 「いいえ。こちらこそ。突然おしかけて……失礼しました。……お酒は」

 きょろきょろと目線を彷徨わせると、麗奈がそっとメニュー表を出した。
 隣の席では錦山が煙草をふかしている。

 「なんでも言ってくれよ。一杯奢りだ」
 「ほんとうに?」
 「ああ」

 酒に不慣れな水琴は悩んだ挙げ句、ゆず酒に落ち着いた。
 ロック割りのウィスキーを傾ける錦山の一瞥を見返すと、茶化すように笑った。

 「なんだよ。別になんも言ってねーだろ」
 「ウィスキーとか、ブランデーとかあまり呑まないの」
 「焼酎と日本酒もあるぜ」
 「それも、あまりいただかないから……お願いします」
 「はいよ」

 二人のやり取りをみて、麗奈は微笑んだ。

 「ロックでいいわね?」
 「はい」

 酒を作りながら、麗奈は錦山と水琴の関係を掘り下げる問いかけをした。

 「錦山くんとは、施設からって言っていたけど……入った順番とかあるの?」
 「私が入った頃にはいたから……一番遅いかも」
 「お華の先生って、いけばなよね。すごい。生徒さんとかいらっしゃるの?」
 「お恥ずかしながら。生徒は六〇人くらいです。流派の規模を考えれば、少ない方ですが……」

 渡した名刺の肩書に触れると、錦山はカランとグラスの音をたてた。
 ぎょっと驚いた顔でまじまじと見詰める男を尻目に、水琴はすこしばかり居た堪れない気持ちになった。
 
 「まじで? お前そんなすげえ事してたのかよ」
 「あら、錦山くんは知らなかったの?」
 「知らなかったっていうか。……てっきり、踊りのほうかと」
 「踊り……?」

 麗奈は首を傾げた。
 人によっては踊りといえば、ダンスやそれこそ盆踊り止まりである。

 「日本舞踊です。……錦、……錦山くんと再会したのは、ちょうどその発表会の日でして」
 「そうなの。素敵ね。……はい、どうぞ」
 「ありがとうございます」

 麗奈の作ったゆず酒は、すっきりと爽やかな香り、酸味、苦味、深みの複雑なバランスが調和し思わず唸るほどの美味しさだった。
 それから、懐かしい話をして、この店が錦山の行きつけで次第に桐生も来るようになり、由美も働いていた経歴をきいた。水琴は、由美のことを深く尋ねたかったが、錦山の前では臆病になった。

 麗奈に対して、違和感が拭えなかった。澤村由美の所在を詰めた際、『なにが目的?』と返した。
 ただの従業員であれば、『もう辞めた』、『今日は欠勤』だとか思いつくはずだ。それが、ここに来る人間で、澤村由美に対して『目的』があることを『認識』している。由美に係るすべての脅威への理解を裏付ける態度としては十分だ。

 錦山が通い始めて、何年かの付き合いというのも証拠の一つに挙がる。
 常連関係がきっかけで、由美も働き出したと考える方が自然であるし、つまりそれだけこの麗奈との関係は深いことが読み取れる。優子の見舞いにも訪れるほどの人物であるから、由美にしても同じだろう。

 だからこそ、麗奈は何かを知っている。錦山と秘密を共有する仲である可能性に、断絶された十五年が見えた気がした。
 錦山の奢りと自腹の一杯を飲んで、水琴はその日は諦めて帰路につくことにした。
 
 「送ってく」
 「そんな、いいわよ。タクシー拾ってくから」

 一階に下り、路面とビルの敷地の間の段差に躓く。崩れ落ちそうな体を錦山が引き留めた。

 「おっと。危ねえ」
 「ありがとう、錦」
 「お手をどうぞ?」
 「なに、それ。キザっぽい。……ふふ、錦がやると、ホストっぽいなぁ」
 「なーに笑ってやがる。行くぞ」

 黒シャツに白のジャケットは水商売をする男か、ヤクザくらいだ。実際、彼は後者なのだが、持ち前のルックスの良さが前者の印象を植え付ける。

 水琴は錦山の手を握った。手は大きく、皮が固く厚い。少年時代、学校の集団行動でなんとなしに繋いでいた、手の柔らかさはどこにもない。あの頃、虫を捕まえたり、宿題をしたり、妹の頭を撫でていた手。今は、ときに仕事をし、暴力に使い、酒を呑む時にはグラスを持ち、水琴の預かり知らない異性との戯れに用いられるのだ。錦山は大人の男だった。

 胸が焼けるのは、酒の酔いばかりでない。
 芽生える感傷を圧し殺して、水琴は見舞いの報告をすることにした。

 「優子ちゃん、本当に喜んでたわ。お見舞いのプレゼント」
 「ああ。よかった」
 「……次は、錦も一緒に行こうね」
 「ああ」

 語りかける情熱とは反して、錦山は短く肯定するだけだった。
 明るい夜空を頭上に錦山を見上げると、彼の眼差しはまっすぐどこか遠くにあった。透明なフィルムが二人の間に隔たりとして、覆いかぶさっているような危うさを覚えた。水琴は、なんとか言葉を選ばせたくて質問に切り替えた。

 「……手術の日、やっぱり行けないの? 今からでも」
 「ああ。悪ぃ。……水琴には、迷惑かけちまうけどよ」

 ふわりと長い前髪が下がった。
 その時、はじめて彼は水琴をみた。しかし、それでも何か得体のしれない膜がある。双眸は薄暗く、切れ長のまつ毛が濃い陰影を作り、心を蕩揺させた。目病み女に風邪引き男なんて言葉があるが、錦山になんとも昏い色気を感じた。思わず惹き込まれて身を破滅させてしまいそうな、危うい気配を遮るように、大きく息継ぎをした。

 「迷惑だなんて。思ってない。……一番寂しがってるのは、優子ちゃんだよ」
 「わかってるさ。俺はあいつの兄貴なんだから、よくわかってる」

 錦山の声はしずかだった。いっそ無感動だった。
 石のように固い。水琴は、どうしたらいいかわからなかった。だから、うっかり本音を告げてしまったのだろう。

 「まだ、由美ちゃんのこと……好きなの?」

 失言だった。失言といっても過言でない。
 錦山は豹変した、まるで何かが急に取り憑いたように、目を大きく見開き水琴をじろりと睨めつけた。引き結ばれた唇が細かく震え、今にも泣き出しそうな顔をした。明らかな動揺、その奥に宿る鮮烈な恐怖心。

 水琴は繋いだ手を、捻り上げられるのではないかという予感を持った。
 しかし、そうはならなかった。通りを抜け、大通りに出ると路上駐車しているタクシーに水琴を押し込むと、懐から出した一万円札を握らせた。

 「じゃあな。気をつけて帰れよ」
 「に、錦……! あの、待って。ねえ、ごめんなさい! 私ってば、よけいなこと……本当に、ごめんなさい……!」

 錦山は軽く笑むと、タクシーから背を向けた。きらびやかな夜の雑踏へ吸い込まれていき、あとも形も残らない。
 運転手は気遣わしげに「お客さん、行き先どうします?」と尋ねた。握った一万円札に音もなく雨が降った。





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