秘密






 a.t.b.二〇〇六 October カストラリア王国・首都リダニウム

 ――失敗しないために、成功させる。
 姫様のために王国と世界に『わたし』がしてやれることを全部する。
 それが暗く汚染された孤児院から引き取られた『わたし』のマルカの人生の意味だ。国王陛下と王后陛下はマルカに衣食住と勉学を与えてくださった。背格好を似せ姫様のすべてを頭に叩き込んだ。その成果がすべて姫様の力に血と糧になるとしても。そして姫様が求めた人がマルカの功績を知り訪ねてきてくださった。
 ――あの頃は、この方も姫様をお支えしてくださるのだと――同じ方向を目指す同志だと思っていたのに。
 とんだ見込み違いだ。努力も水の泡と帰した。
 ――私達は利用され尽くした。

 ブリタニア侵攻時、混乱する首都・リダニウムの街中でカストラリアの自警団護国自警会≠ヘ郊外にある収容所施設でマルカを匿ってくれた。そこでマルカは王宮で何が起こったのか、マルカが王女の影武者であることや、逃げてくるまでの出来事を熱心に耳を傾けそして信じてくれた。
 護国自警会は反ブリタニアを掲げ、共に闘うとマルカと約束してくれたのだった。そのためには何でもする。だからこうして体ごと作り変えることも厭わなかった。『雇い主』となった護国自警会は、マルカにシュナイゼル・エル・ブリタニアの暗殺計画を言い渡した。
 護国自警会は首都リダニウムの端にある元刑務所を改装した収容所をさらに今は三棟に分けたビルに変わっていた。一棟めのA棟の二階、小会議室でノエルは護国自警会のメンバーで協力者である、グロックスと会っていた。
 「突然の帰国、驚いたな。どうだあっちは。いけそうか?」
 「これも計画の一部だよ。協力者を何人か用意して欲しいんだけど……できる?」
 「融通しよう。作戦は?」
 「王宮潜入」
 「……本当か? まあ、お前が影武者だってことは知ってる。勝手知ったる場所だろう。目的はあるのか」
 「……国家奉仕活動……かな?」
 「なんじゃそりゃ」
 窓の縁に両腕をのせ遠くを見渡すと、一際目立つ完成間際のクラリタス宮殿のアイスグリーンの円い屋根が見える。
 マルカが視線を落とすと、一棟と二棟の間の中庭に人だかりが出来ており、その中で異彩を放つ壮年の男が気になった。
 「ねえ、あの人……」
 グロックスがノエルの隣にやって来て、下方を見た。
 「あん? ああ……うちの新しい出資者だそうだ。知ってるだろ? グレドール・ド・アルディック公爵だ」
 「うん……ティラナ王女の叔父だ。そんな方が支援を?」
 「ああ。誇らしいよな。心強いし、なにより予算が増える。潤沢にな。おまえも動きやすくなるんじゃないか?」
 グレドール・ド・アルディック公爵。カストラリア王国、亡き王后の二人目の弟で王位継承権三位だ。最初の叔父、現首相のベルケス公爵と名が異なるのは、幼少の頃養子に出されたからだ。次男に譲渡される爵位がなかった。そして、今回の目的である彼の一人娘にマルカは招待状を送ろうとしていた。声をかけるべきか迷った。
 アルディック公爵は首都リダニウムにタウンハウスを構え、普段は南部・湾港都市サロニアを治めている。通商と金融拠点の手綱を握る、生ける金鉱山といわれている傑物で出資者としてこれ以上ない頼もしい味方となるだろう。
 「声をかけないのか?」
 「……今この姿でお会いしても、意味がないと思う。あちらはティラナ王女≠ノ会ったことがあっても、今のノエル≠ヘ赤の他人だから」
 「そりゃそうか」
 「御息女のセラフィナ・ド・アルディック令嬢に招待状を送るよ」
 ノエルはセラフィナに王女の誕生日の夜催される晩餐会の招待状を出した。
 

 ◇ ◇ ◇


 熱戦と激闘、興奮さめやらぬスポーツ・ウィークの最終日。
 シュナイゼルはコルチェスター学院の正門前で別れ際の一時を弟妹と過ごしていた。
 ユーフェミアの手を引いていくつかあるアーチの下を歩く、その前にはマリアンヌ皇妃に抱えられぐっすりと眠るルルーシュの姿がある。彼はノエルに勝つことができなかった。それはルルーシュ自身が手加減を望まなかったから自然な結末だった。泣くこともなく悔しそうに睨めつけ、一局だけといったはずが二局めの試合を申し込もうとした時、彼の母がやって来て帰りましょうと引き止めた。諦めの悪い皇子は次はいつ会えるのかとか、冬季休暇に皇宮に来てほしいとか無理難題をふっかけてノエルを困らせていた。
 リムジンの待つロータリーの手前。ユーフェミアは鮮やかなピンクの髪を揺らし、シュナイゼルに手紙について尋ねた。
 「そういえばシュナイゼルお兄様、お手紙は読んでくれた?」
 「手紙というと……ティラナへのプレゼントのことかな?」
 「そう! 今年はお姉様と一緒に考えたの! でも……」
 ユーフェミアは途端に歩調を緩め俯いた。
 「お義姉様も今年で十九歳でしょう? 大人でしょ? 今年のアイデアは今まで考えたものと一緒だったから……今までお義姉様から何かアイデアがないなって気づいたの! シュナイゼルお兄様はなにか知ってる?」
 「プレゼントのリクエストがないかってことだね」
 「そう!」
 ――ティラナはいったいなにを望むかな。
 複雑な宵の入口の色を見上げてシュナイゼルは呟くように言った。
 「あの子は望めばなんでも手に入るけれど……」
 「なんでも?!」
 「うん。なんでもだよ」
 「それじゃあ、今までのプレゼントは喜んでくれていたのかしら」
 春の精に悲しみの兆しが射すのを見逃さず、シュナイゼルは膝を折りユーフェミアに目線を合わせた。
 「もちろん喜んでいたよ。ユフィ。気持ちがたくさんこもっていて嬉しいってね」
 「ほんとう? それじゃあ今年はうんと、うーんと気持ちをこめたお手紙を書く!」
 「手紙をかい? 喜ぶと思うよ」
 微笑み相手の求める言葉と自信を与え人をその気にさせる。シュナイゼルの役回りはいつも通りだ。
 マリアンヌ皇妃は先にリムジンにルルーシュを入れ、扉を開けた前でユーフェミアの訪れを待っている。
 「さあ、ユフィ。お別れの時間だ」
 「寂しい。シュナイゼルお兄様。ううん……来年もたのしみにしております。それまでまた皇宮で!」
 「ああ。休暇の時に必ず会えるよ」
 「お誕生日の夜、テレビに映るでしょう?」
 「映るよ。食事をしているのを撮ってなにが楽しいのだろうね? 動物園のようだよ。ははは」
 「ふふっ!」
 行っておいで、と背中を押してユーフェミアは身軽に軽やかにスキップするようにシュナイゼルから離れた。
 その背後。閉じた日傘を垂直に持つ実母――アーデリントが佇み、腰を上げ姿勢を正すシュナイゼルに声をかけた。
 「母上」
 「……引き分けだなんて、珍しいわね」
 「やはりご覧になっていましたか」
 「競技中にぺらぺらと口の回る騒がしい子でしたけど、余興として悪くない出来でした」
 「お楽しみいただけたようでなによりです」
 シュナイゼルは、この冷たい人が関心を傾けるのは珍しい≠ニ思った。それが遠回しに自分へ回り込んできて、思わず笑みを浮かべる。
 「あの子と一局交えたいものですね」
 「ご興味がおありで?」
 「あなたとて気に入っているでしょう? 母親ですからそれくらいわかります」
 「はは、血は争えませんね。一度話をしてみますよ」
 アーデリントのリムジンがロータリーに到着し、侍従が扉を開ける。シュナイゼルは自分よりも小さくなった母親の手をとりシートに誘った。アーデリントはその白い頬を息子の両頬に一度ずつ触れて別れの囁きを残した。
 「楽しみにしておりますわ。ああ……それと、プレゼントはもう送ってありますからご心配なく」
 「ありがとうございます。テディベアですか?」
 「最高品質のものですよ。ヴォール社の。あなたも彼ら≠ニ育ったではありませんか」
 シュナイゼルは失笑した。ウィルゴ宮にはたしかにテディベアが住んでいて、一貫してアーデリントはこの贈り物を子供とみなす者に与えている。わかりづらい愛情表現とも言い換えられるが、とりわけ義娘へのテディベアは非売品の凝ったデザインであることから、彼女なりの意匠を凝らしていておまけに名前までつけられている。
 「それでは、シュナイゼル。ごきげんよう」
 優美な微笑みを残し母、アーデリントは宵に紛れてコルチェスターを去った。



 a.t.b.二〇〇六 5th November

 一ヶ月後の十一月五日。
 ティラナ王女の誕生日の公式行事と宮中晩餐会の主催としてシュナイゼルはブリタニアからカストラリアへ発つ日、コルチェスター学院では芸術週間が始まっていた。黒塗りのリムジンがすでに横付けされたロータリーで荷物を侍従に預けるシュナイゼルを理事長とノーサンブリエ寮のフライセンが見守っている。
 「それでは行ってくるよ。帰国はちょうど次週の同じ曜日になりそうだ」
 「ご無事をお祈り申し上げます。殿下」
 「いつも芸術週間に役立てなくてすまないね。その代わり、今年からクロヴィスがいるから問題ないとは思うけれど」
 噂をすれば影が差す。クロヴィスが鮮やかな絵の具汚れのつけたエプロン姿で息を切らしていた。
 「兄上!」
 「クロヴィス。見送りに来てくれたんだね、嬉しいよ」
 クロヴィスはシュナイゼルのもとに駆け寄り、紙袋を手渡した。中身は他の兄弟姉妹達からのプレゼントが入っている。
 「義姉上によろしくお伝え下さい」 
 「もちろんだよ。こんなにたくさん嬉しいよ。……クロヴィスは寮のみんなを助けてあげて。頼りにしているよ」
 「兄上……! もちろんです!」
 シュナイゼルに称賛と期待をかけられ、クロヴィスは心の底から喜んだ。
 「殿下」と、侍従に呼ばれシュナイゼルは片手を挙げるとリムジンに乗り込みペンドラゴン空港へ向かった。


 ◆ ◆ ◆


 同日 夜

 カストラリア王宮に来るのは先月の下準備を含めて二日目だった。
 シュナイゼルがブリタニアからカストラリア入りし、王宮に到着するまで残り猶予は数時間。その間にすべての手筈を整える必要があった。
 勝手知ったる王宮内は火災後復興され原状回復された箇所がいくらかあるが、『わたし』を悩ませたのは内部の間取りが一部変更され、部屋の割り当てが記憶通りではないことだった。
 
 明後日のスケジュールは王宮内事務所に共有されている内容通りならば、正午ごろにバルコニーに姿見せがある。王女の姿は勿論なく、代わりに摂政を務めるシュナイゼルが立つ。その日の晩餐会までにシュナイゼルは公務として首相や招待を受けている貴族達・軍部高官との謁見があり、晩餐会は外国貴賓との挨拶などがありとにかく忙しい。
 そして今夜、王宮入り後もすぐさま王室内務局、広報局、警護局、財務局、侍従長府、儀典局――と数多くの王室内各部門との調整会議がある。王室スタッフは総九三〇人。シュナイゼルが宮殿入りし厳戒態勢入りする前に『わたし』は当日のルートの下見をし、ある荷物を受け取る必要があった。

 マルカはメイドの格好をし古くなった情報を更新すべく、王宮内を探った。
 この六年であちこちが大改修され、古かった設備は刷新、土台から作り替えられ耐火性・耐震性が向上し導線がスムーズになり機能的な構造に生まれ変わっていた。冬季は極寒の――それこそ氷の宮殿といわしめ室内でも毛皮コートを羽織る日があった宮殿内には断熱効果の高い素材で仕切られ、地熱・温水パイプが巡りどこにいてもほんのりと温かく過ごしやすい。この抜本的で効率的なフル改装はおそらくシュナイゼルの手腕であることがわかり、どうやら彼はまともな仕事≠執り行ってきたようだ。
 ――……ちょっと悔しい……なんて。
 『わたし』は王宮内のあちこちを歩き回り驚き、悔しくなった。
 セキュリティもかなり強固になっているし、かなり遠回りになるが北側には直感的に上階から下階へ降りるスロープもあり、最上階にある第四層フロアには広大な航空機の離着陸スペースが設けられている。
 ――……かなり、悔しい……かも。
 あったらいいなと思っていたもの、あの時にあれば助かっていたものはすべて復興とともに調えられている。その効果ははっきりと表れている。王宮に仕える女官や侍従、執事やメイド、王宮兵士などが生活する官舎にも手が加えられ、同様に暮らしやすくなったようでみな表情が明るい。就職先としても優良なのか応募数は数千件。求人有効倍率が一〇〇倍から一五〇倍らしい。
 「……うー……悔しいよぉ……悔しい……悔しい……!」
 マルカは項垂れて歩いた。さらに悔しいことがある。
 財務局にある帳簿を盗み見たが、この莫大な資金は一切合財シュナイゼルの私財から拠出されているようで、通年どこから使途不明金から移すわけでも、公庫・国庫から盗み取るわけでも、寄付を募っているわけでもない。
 今やこの王宮の屋台骨となる彼を誰が拒み恨むだろう。はたして、はたして……。

 ――はたして、彼を殺すことは、必要な行為なのだろうか……?
 
 その考えが浮かぶのと同時にマルカは額を押さえた。慢性化した強烈な頭痛がはじまり、持っていた鎮痛剤を数粒飲み込む。久々にこの標高の高い地に来たからかよけいに酸素が足りていないのだと思った。
 それでもだ。
 ――それでも、姫様はどこにもいなかった。この王宮内のどこにも。ティラナの私室と思しき部屋にさえ姿はなかった。
 それは今回の目的はまだ意義があるということを示していた。
 
 昨月。アルディック公爵令嬢宛への手紙を書く時、国王書斎の部屋には裏から入り込んだ。
 どうやらまだ誰にもその入口はバレていないらしい。少し埃を被る羽目になったが床下から上がって来られた。
 国王陛下書斎は王宮の最も端にあり火災の焼損を免れたようで、当時のそのままの配置、ぎっしり本が詰まった本棚、照明器具がそのまま残っていた。
 ――『よかった、まだこれは残っていたのね』
 マルカは国王の書斎机の一番下、厳重に管理され二重になった金庫の中のものが欲しかった。パスワードは現アルヴェイン王朝が始まった年。一七九〇年。そして国王の代数、三七。この繋げた数字六桁がパスワードとなっているのを『わたし』は知っていた。約束通り、金庫は数字を受け付けてカチリと鋭い音といっしょに蓋が開いた。
 中には本物の国王の紋章入り御璽とティラナ王女の紋章入り御璽がある。通常それは内務局が回収し管理するが、この手つかずな書斎の有り様を見る限り誰もパスワードがわからなかったか、存在を知らなかったのだろう。無論、シュナイゼルも探したはずだが見つけられなかったのかもしれない。
 『わたし』は姫様の御璽を手に取った。まっさらで一度も使用された形跡はなく、細かい塵やインクの汚れもなかった。
 二段目の引き出しにある箱の中から一番マシな黄ばみの少ない新品のレターを取り、机上に置かれたインク壺を振って液体の有無を確認した。インク液は固まっておらずまだ使えるようだ。『わたし』は婚約の条約文の署名の写しが保管されている書棚の奥の金庫を開けた。このパスワードは王后陛下の誕生日を逆さまにしたものだった。署名の写しにある姫様の筆跡を参考に『わたし』は令嬢に宛てて晩餐会の招待状を書き上げた。これはただの招待状ではないため、セラフィナ・ド・アルディック令嬢は必ず出席に応じなくてはならない。
 招待状は護国自警会の協力者の助力を得てアルディック公爵邸へ届けられた。
  
 シュナイゼルが王宮到着予定まで一時間半。
 カストラリア王宮内はほんの衣擦れさえも目立つほど静まり返っている。そんな中で若いメイド達は浮足立っていた。シュナイゼルが王宮に戻るのはティラナ王女の誕生日のあるこの秋季と春季の年二回だそう。戻るたび彼の身長が伸びて成長を感じる話や、食事のメニューの話や、声をかけられた場合の挨拶などをおさらいするといった易しい話で政治的な話は一切なく、王宮内の情報セキュリティは万全であるのがわかった。
 幸いなことに王宮内にブリタニア人はいなかったが、それは時間の問題だと思った。
 「シュナイゼル殿下、また麗しくなっておられるわ」
 「さきほどニュースでリダニウム国際空港にご到着されたって!」
 こそこそと話している会話を拾い、マルカは状況を察した。
 ――予定より少し早い……残りは庭園と研究施設の確認だけど……。
 すると耳をそばだてているのに気づかれて、メイドの一人がマルカに声をかけた。
 「あなた、新人? 見ない顔ね」
 「あ……私は……フリジア・メルソンです」
 「フリジア? ああ……たしか女官長が人員増やすって言ってたからあなたのことね?」
 内務局にあった雇用メイド一覧の最も一番下。新しい日付の雇用申請日のメイドの名前だ。
 「あなたも知っているでしょうけど、今日はこれから王宮に殿下がご到着予定だから。私達はご用がない限り目に触れないようにしなくてはいけないの」
 「はい。承知しております」
 その時、耳に埋め込んでいた無線に通信が入る。王宮西門の門兵に扮装した仲間が荷物を受け取った――という知らせだ。
 ――間に合った。
 マルカは口角があがった。これから西門へ向かい荷物を回収しなければ。
 メイド達は世間話に花を咲かせるべく内輪の世界に戻った。マルカはそっとその場を離れ、西門まで走った。門兵の協力者は言葉を告げずマルカに荷物を預けた。茶色い梱包の大きな荷物だ。
 「ありがとう」
 マルカはそれを抱え、明後日まで誰も寄り付かないであろう秘密の部屋に持って行く。
 庭園を抜けた先にある物置用の部屋は電子ロックがかかっている。解錠には番号を打つ必要があり三回間違うとそれが情報セキュリティ管理室に届く。しかし抜け道が一つあり、初期化の番号を三回以内に打つことで解錠が可能だった。
 
 マルカは物置部屋に入り、荷物を置いた。
 すでに持ち込んだ荷物がスーツケース内にあるのと、王宮内の消失したが復元されたティラナ王女の居室から拝借したものが二つある。
 部屋の中は物置部屋というわりに小綺麗で、簡素ながらテーブルとソファがある。部屋の存在を知ったのは、昔姫様とかくれんぼをした時に王宮内の隙間――増改築で生まれたデッドスペースから移っていける経路があり、この部屋も実は裏側にもう一つ部屋と外に通じる細い通路が通っているが、頭が小さいか身を屈めなければ通れないほど狭いため使う回数は少ないほうがいい。それから電源室のハッキングには協力者の力が必要だったが問題ないだろう。
 「さて……試着しないと……」
 マルカは包みを開いて、中身を広げた。
  
 
 a.t.b.二〇〇六 5th November


 「お帰りなさいませ、シュナイゼル殿下」
 「やあ。久しぶり。出迎えありがとう。途中の道が混んでいて到着が遅くなってしまったよ。車線を増やすインフラ改革が必要かもしれないね」

 侍従長レオポルド・ハーゲンが王宮内の第二内門にてシュナイゼルを出迎えた。彼の身なりは非常に清潔で、前髪を後ろに撫でつけ、濃紺の詰め襟とスラックス。胸に王家を表すハゲワシと月のマークがあしらわれた銀の徽章が飾られている。派手な装飾はなく動きやすい最低限の基準を満たすシックな装いは、中世の装いを宮廷のドレスコードに適用させたまま時が止まっているブリタニアに比べるとかなり現代的な装いである。シュナイゼルもカストラリア滞在時は慣例に従いこの日はオフホワイトの上質なタートルネックとスラックス、よく磨かれたホールカットの靴。ダブルブレストの金釦濃紺ブレザーとさらにその上に厚いウールの外套を羽織る出で立ちであった。
 「おお……! また背が伸びられましたな」
 侍従長ハーゲンは、白塗りのリムジンから降車しすらりと立ち上がったシュナイゼルを仰ぎ見て喜びの声をあげた。シュナイゼルがはじめてこの国に来た頃から侍従職に就いてその成長を見守ってきたからか、余程感慨深い様子でしきりに頷いた。
 「春頃より八センチ伸びたよ。まだまだ伸びそうだ。おかげで服を新調するはめになった。今夜からベッドから落ちないように気をつけなければね」
 「そう思いましてすでに新調してあります」
 「本当に? 準備がいいねハーゲン」
 ハーゲンと同じほどの目線に到達したシュナイゼルは、ようやくこの国一番の元陸軍高官を越えられそうだと誇らしくなった。ハーゲンは今でこそ物腰柔らかな紳士だが、四角いフレームに広い肩幅と素晴らしく逞しい筋肉を持つ中年の男だ。いくら身長が伸びても取っ組み合いになればシュナイゼルの方が確実に負けてしまうだろう。
 リムジンから他の侍従がシュナイゼルの荷物を運び出す。滞在中に必要なものを詰めたトランクと学院に持ち込んでいた貴重品、そして手土産が少々。
 「君にお土産だ。すべての者には行き渡らないだろうけど、皆で分けて。こっちは真面目な方だよ」
 「みな喜びます。承ります」
 ハーゲンは土産と国璽の入った重い箱入りの紙袋を受け取り頭を下げた。シュナイゼルが宮殿に向かって歩き出すとその半歩後ろをハーゲンら侍従達がついて歩く。広大な敷地に立つ王宮は自然に露出したグラナイト――花崗岩を削りなだらかにした岩盤の上にある。隆起する山の標高に沿い階層的に上昇する宮殿は最上階であってもまだ山という自然の要塞に守護されている。――吐く息は凍てつくほど白かった。
 「こちらは完全に冬だ。ブリタニアは少し寒くなってきた頃だよ」
 「左様でございますね」
 高地性気候のため初冬の気温で夜はマイナス五度から十度、日中でも十度ほどしか上がらない。ただし観光シーズンとなる夏は過ごしやすく、特に麓となる中部以南の海側には避暑地やリゾート地として多くのVIP、セレブリティが長期休暇を過ごしにやってくる。
 王宮兵が守護する岩の神殿を潜り現代的なエントランスホールに立つ。そこには、四つの扉が等間隔に設置されている。そのうち最も端の扉の前に立ち、シュナイゼルは今夜の予定を口にした。
 「今日は夕食と湯浴みを終えて早々に休むよ。明後日までにやる事がたくさんあるだろうから」
 「かしこまりました」
 グレーターが五指の指紋をスキャンに翳し扉を開ける。その他に番号制の認証方法があるがいちいち打っていられないため、関係者のみ生体情報を登録し解錠可能となっている。超高速エレベーター、アークリフトに乗り込み、第三階層にある王室関係者フロアへ向かう。
 「復興工事は終盤だね。政務宮殿の方も完成間際と聞いたよ」
 「ええ! 殿下がおっしゃるように全て順調でございます。……みな殿下に感謝しておりますよ。あれは……ほんとうに酷かった。みなが互いを踏み越えようと折り重なって……ああ、失礼いたしました。もう六年も経っているというのに」
 「ここに仕えていた者達の半数が亡くなったのだから、忌むことではないよ、悲しみもなにもかも」
 壮麗な幾何学模様の内装のアークリフトの中は断熱され一気に暑くなったシュナイゼルは外套を脱ぎ手に折り掛けた。
 「宮殿内は温かくていいね」
 「地中熱と温泉の循環で助かっていますよ。話をいただいた時はまさか実現出来るとは夢にも思いませんでしたが」
 「ははは。そのかわり私の三年分の収入はゼロだよ」
 「冬の間の官舎暮らしは厳しいもので……まことに幸いなことに離職率も減り……婚姻率が上昇し……本当に殿下には頭が下がりっぱなしでございます」
 「何事も地盤が大事だからね。この改革案を通すのには私だけでなく、ティラナの世話になっていた研究機関とのパイプも無ければ完成しなかったよ」
 大規模なインフラ整備には王宮周りの官舎も整備範囲内で、長期的で安定的な職場環境がもたらす効果は官舎内に託児所が増設される話でも生産性に貢献している。
 摂政のシュナイゼルには年に莫大な予算枠が与えられており、それを限界まで使い王室の再興に割り当てている。仮にティラナ王女であれば領地や自身の論文や製品特許などに加え株式や権益で最低年六十億ポンド(九〇〇〇億円相当)の莫大な富と、先王夫妻の資産を全て相続し、その相続税で相殺しても手元には数兆円が残る富豪であるため、復興は一年ほどで済んだだろう。
 だが、彼女の意思決定なしに潤沢な資金をシュナイゼル単独では動かせないのが実情だった。

 アークリフトから降りた先は王宮内にある四階層あるうちの三階層目で、王室関係者の居室フロアになっている。
 「この六年のうちに耐火・耐震工事、消防隊部門の新設、医療棟の拡充……まったく惚れ惚れしますな! 第二期の議会承認で殿下の予算枠が増やせるのではないかとベルケス首相がおっしゃっていましたよ」
 避難経路を各フロアごとに独立させ、混雑させないように非常用リフトが裏に階層の数に併せて最低一つ存在する。一見複雑にみえるが避難時に人流が詰まらないよう、速やかに脱出するために普段使い用と非常用に二種類のリフトががあるという意味だ。よってグランドフロアにあたる一階には四台のリフトの扉があり、また裏側の非常用にも同様に四つの扉がある。
 「それは朗報だね。外から来た私を支えてくださって……私の方こそみんなに感謝しているよ」
 「殿下……」
 ハーゲンは涙ぐみハンカチーフを出すと目元を押さえた。ここの王宮のスタッフはみなどこか人情的で、先王が手元に残した忠臣達というだけあり結束力も強い。裏切りや欺瞞とは無縁の世界がブリタニアの外にはあるのが不思議で今でもシュナイゼルは戸惑う事がある。
 その先王――セイル・ヴァル・カストリアは十八人兄弟の末子で、上の兄弟達が王位のために争い死んでいき、最も病弱だった青年が一人最後に残った。当時のセイルはスイスに亡命し、その地で国王となった。国王の妻となった王后は先祖にブリタニア帝国伯爵とポーランド王国貴族シュラフタの末裔でポーランド分割により国が消滅する歴史を辿ったため、亡命しスイスに根を下ろした一族だった。
 二人は国際人権機関の事務次官で亡命中に出会い婚約した。
 このカストラリア王国は長らくこの地に王朝を築いていたが、当時ブリタニア帝国建国前のイングランド王国の女王の隠し子が亡命先にこの地に身を寄せ王朝の血脈の一部となった。つまり亡命先の国であり、また生き別れの「処女王」と呼ばれた母親エリザベス三世は現ブリタニア大陸に亡命し、生涯娘の存在を明かさなかった。後年、遺伝子解析技術の発展と本人の生涯にわたる手記と遺稿を元に血統の正当性が高まり国際的に認められた。
 「そうだ、ハーゲン。晩餐会の席次のことで話がある。明日ベルケス首相と引見するその時にも同じ話をするけれど構わないかな」
 「ええ、もちろんでございます。殿下。では食事をお持ちいたしますのでお部屋でお寛ぎください」
 「ありがとう」 
 侍従に外套とジャケットを預け、シュナイゼルは書斎机につく。机の上には笑ってしまうほど紙の束が積まれている。その光景はコルチェスターの代表室の机の様相となんら変わりがない。
 部屋には女官長が「失礼いたします」と入室し、侍従と侍女を部屋に入れた。テーブルに食事の準備をはじめた。シュナイゼルはちらりと一瞥しふたりがこの半年に新たに雇い入れたメンバーだと見抜いた。
 「新しい顔ぶれだ。……緊張しなくていい、いつものように私をいない者と思って過ごしておくれ」
 「まあ殿下ったら」
 女官長がやんわりと言った。
 摂政のシュナイゼルがこのまま学院卒業後、ブリタニアの公務を正式に増やし継続する場合、今のようにカストラリア王宮に仕える者達は殆ど閑職になってしまうだろう。国事行為臨時代行の権限を持つだけであって、憲法に定められし下で、王宮と王国の権利・権限は内閣、陸軍、国民に仕える公僕を除いてすべて君主のためにある。この制度は先王時代に始まったばかりで盤石とはいえないため王宮火災の原因の一つでもあった。一名しかいない正当な後継者のために、一部の外政と内政を首相とその内閣に委任する。それが先王夫妻が出した結論でありシュナイゼルとしてもそれは正しい選択だと感謝していた。
 「食事を終えたら、これからの事を少し話そう」
 「はい。殿下」

 
 a.t.b.二〇〇六 7th November  
 カストラリア王国 首都・リダニウム

 十一月七日はこの時期には珍しいほど、霧もなく快晴だった。
 リダニウムの王宮から約十キロ離れた中心地にある首都政務宮殿クラリタス。
 大観衆に埋め尽くされ、割れんばかりの歓声を、王女の代わりに一身に受ける青年がクラリタス宮殿のバルコニーに立っていた。
 華美な装飾の白の詰襟軍装の礼服には鷲の羽模様の彫られた金肩章、同色の飾緒を流し、国花の文様をあしらった釦に刺繍が施され、胸には首相から代理授与された陸軍勲章を胸に群青のサッシュを掛けている。さらに金のサーベルを佩刀し、白手袋をはめた手は体の側面に沿いまっすぐに下ろされ、もう片方の利き手は国民に向けて掲げられていた。麗しい完璧な正装に身を包み、一人きりそこで虚構を演じるシュナイゼルの背中をマルカは多くの従者達に紛れたメイドの一人として見つめていた。
 
 晩餐会は王宮一階の大広間で執り行われる。招待客は国内貴族、外国の賓客、軍関係者、学者・文化人が一三〇名ほど。そして報道各社が控えの間に詰めている。規模としてはかなり小規模であるが、国際ニュースに毎年載るため儀礼的といえど彼が摂政である内は継続するつもりなのだろう。
 マルカは大広間の方で活気が増す気配を遠くに、秘密の部屋で準備を進めていた。
 自然光の下でメイクをするのと勝手が違うため下地の塗布から粉のノリ、陰影のメリハリ、ブラシの運び、すべてを慎重に行う必要があった。
 「頼れるべきは友だねー……」
 事前にカノンに頼って正解だった。おかげでそっちの人≠ニいうイメージを与える形になったが最低限のレベルには到達しているはずだ。
 間接照明二つの頼りない光源。鏡を前にマルカは工作≠フ真っ只中だった。
 それに秋季晩餐会で助かった。ドレスの露出範囲が少なく、胸の詰め物少々と厚手のモスリンと大きめのパニエ、締めたコルセットで男性体型であっても多少の誤魔化しが効くところだった。ミルキーホワイトのドレスに草花の銀装飾、指先から腕を覆い隠すレース手袋。身長を低く抑えるためのローヒールのパンプス。青い瞳を隠す明るいアンバーのカラーコンタクトは少し濁って見えるのが残念だが、首を隠すために流した人毛使用のウィッグの濃いブルネットの髪は、染髪の一手間をさらに加え自然に見えるだろう。
 『わたし』はソファに置いていた懐中時計を確認した。十八時四十五分だった。すべての準備を終え、秘密の部屋から出ると目が冴えるほどの白い半月が浮かんでいる。
 内務局の衣装部屋から拝借した白銀のティアラを被るとティラナ王女の完成だった。 



14
午前四時の異邦人
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