ふたりの王女さま







 むかし、むかし、ある国の王子様が、「マレーン姫、僕と結婚をしてください」とマレーン姫という美しいお姫さまに結婚を申し込みました。
 しかし、マレーン姫の父である王様は以前から姫が大きくなったら別の国に嫁がせようと考えていたので、「そんなことは許さん! 立ち去れ」と王子の申し出を断りました。
 しかし、姫はその王子と次第に仲良くなり、そのうち相思相愛になりました。
 「マレーン姫、一緒に国の近くの花畑に遊びに行きませんか?」
 「ええ、よろこんで!」
 そのことを知った王様は酷く怒りました。
 「ワシの言いつけも聞かずにあいつと仲良くするなど許せん! 罰としてお前を塔に閉じ込めてやる!」
 そして姫を一人の侍女と七年分の食べ物と共に、太陽の光も月明かりも差し込まないレンガでできた真っ暗な塔の中へ閉じ込めたのでした。

 ――「マレーン姫」 グリム童話 より――


 a.t.b.二〇〇〇 February

 それはそれは大地も風も空も凍てつき、誰も地中に埋まりたくなるような二月の最初の頃。
 ひとりの美しい異国の皇子さまがこの断崖絶壁の王国にやってきたのです。

 王宮の広大なエントランスホールで、遠路はるばるブリタニア帝国からの長旅を経てシュナイゼル・エル・ブリタニアは何本も建つ太く立派な柱の影から顔をひょっこりと覗かせる少女を見つけて、彼の側に伴う侍従長に向けて問うた。
 「ねえ、どうしてあんなに離れたところからみているの?」
 「姫様! お越しください! お召し物がはみでております!」
 「照れ屋さんなのかな」
 「……は、はあ……少々様子をみてまいります」
 一方、皇子の来訪に声を弾ませ囁き合う双子のようにそっくりな少女がここに。
 「みた? うごいたよ」
 「みた! 綺麗でしょう! 麗しいでしょう!」
 「そんな自慢げにしなくたって」
 シュナイゼル皇子はこの国では宮中行事でしか滅多にお目にかかれないような豪奢な装飾的な胸元のジャボ、金糸の刺繍、ウエストコート、ブリーチズ、白い絹製のソックス――フリルやレースの正装に包まれ、一本の紛い物さえも許さない完璧な金色の髪と白磁のような肌を持ち、まさに童話の中の王子さまのような姿だった。宝飾が自立しその辺りを闊歩しているような存在感を放ち、今このふたりの少女の視線も引きつけている。
 ふたりはこの国の王女で、ふたりのうち片方が本物で、もう片方は偽物の影武者を務めていた。
 ふたりの顔かたち、背丈、容姿、声音はほとんど同じで生き写しの自然クローン――双子のようになにもかもが見分けがつかない。
 「あら。姫様が空港にお迎え行きたくないとおっしゃるから私が行ったのに」
 「そ、それは……! だって……ひめ、……はじめてお会いするし……緊張して……」
 「私だって緊張したわ」
 ふたりの今の会話のうち、姫様≠ニ呼ぶ方が影武者のマルカ、たどたどしく言葉を紡ぐほうが王女だと誰もが信じるが、実は真逆である。――影武者マルカはいったいいつになったら、姫様ことティラナが正常に戻るのか毎日常に心配していた。
 マルカはティラナになぜブリタニア帝国からシュナイゼルがやって来ているのかを質問した。
 「どうしてブリタニアからわざわざ?」
 「……うーん……」
 「わかんないの? あなたはとっても賢いのに!」
 「私が賢いのは姫様のためだから……」
 本当の姫様がそう言うたび、マルカはいつも胸がぎゅっと締め付けられるほどの悲しい気持ちになった。あの事故から思い違いのまま今日まできてしまったのを実感するからだ。
 噂によると、シュナイゼル皇子はまだ九つであるが非常に頭脳が優れた少年であるらしい。また先日ティラナがリダニウム国際空港で出迎えた際、言葉をいくらか交わした時にそれは証明されていた。マルカはいくら王室の中の秘密であっても、ティラナが二人であること、影武者に本物の姫様がなりきってしまっていることが見破られるのは時間の問題だと思った。

 一方で本物の姫様――ティラナの方も頭の回転はとっても早い。マルカが掛け算と割り算をしているうちに論文を書いているのだから。そもそもこの人の影武者になるというのは無理難題なのだが、ティラナの記憶がおかしくなってしまったのは去年の暮れからなのだからどうしようもない。
 ――とはいえ――シュナイゼル皇子がここに来てから記憶がおかしくなるよりは良かったのかも。
 「……それでよかったのかな」
 妙な納得の仕方をして自分を慰めるために呟くと、ティラナは小首を傾げた。
 「ん? なんて?」
 「なっ、なんでもないっ」
 ティラナは賢いのに、なぜだか自分の記憶がおかしくなっていることには気づかないのが不思議だ。
 「……皇子様はね……ティラナ姫に結婚を申し込みに来たんだよって言ったら、どうする? 姫様」
 「えっ? どうして知っているの?」
 「えーと……空港で言ってたの」
 「空港で? お迎えした時に?」
 「そう。たぶん……あの言い回しは……」
 ティラナはぶつぶつと口の中で独り言をいった。ティラナは暫く考えて、「ブリタニアとカストラリアは同じ英語圏だけど、言い回しが少し違うの」といった。マルカにはさっぱり何のことかわからなかった。ティラナとの会話の中には三割ほど理解できない領域が存在する。それが今目の前で起きた。
 ふたりで話し込むところに侍従長のハーゲンがやって来た。彼はティラナに影武者がいることを知っている良き従者の一人だった。――むろん、ティラナの記憶がおかしくなっていて自分をマルカだと思い違いしていることも。
 「姫様」
 「……ハーゲン、皇子様はどうしてこの国に来たか知ってる?」
 「外遊だとおっしゃっていましたよ」
 マルカがティラナを見つめると、形のよい眉を顰めた。
 「……疑ってるの? 外遊なんてあのご年齢で一人でされるものじゃないわ」
 「空港でなんて言われたの?」
 「――王女殿下、あなたの国は数知れぬ宝に満ちていると伺っておりました。ですが──その中で最も稀なる宝石が、本日こうして私の前にお姿を現されるとは、誰からも聞かされておりませんでした=c…ですって」
 なんて歯の浮くような言葉の数々だろう。上と下の唇が離れたマルカの顔をみてティラナは口角を上げた。
 「開いた口が塞がらないとはこのことね」
 「外遊なのは本当じゃないの?」
 「そうなのかな。……じゃあ私の返答は的外れの黒歴史だわ」
 「なんて返したの?」
 「……おしえなーい」
 ティラナは思い出して恥ずかしくなったのか、唇を窄ませてそっぽを向いた。
 ハーゲンはずっと一人で待たせっきりのシュナイゼルの方を見遣り、ふたりの姫君の長話を終わらせようとした。
 「姫様……どちらか、シュナイゼル殿下とお話しをされませんか」
 マルカはティラナを睨んだ。
 「……どうして私を見るの? 姫様って呼ばれたんだからティラナが行ってよ」
 「空港の返事を教えてくれないならいかなーい。……でもねえハーゲン、姫様は何人からか婚約の申し込みをいただいているのでしょう?」
 ティラナはあっさりと断り、長話を蒸し返した。彼女は納得のいかない話には相手が音を上げるまで続けるという悪癖があった。
 「ええ……それは……ですが、今すぐという話ではありませんし……」
 「今すぐじゃなくっても、この国の次の王様は姫様なのよ? 政治的には魅力的なポジションのはずだし……国民も将来を憂う心配が減るのは良いことだと思わない?」
 ティラナは喋るために生まれたのではないかというほど饒舌に話す。マルカの真似のできないところで、いつも困っている。
 「今のシャルル帝のブリタニアからすれば我が国は小国になるでしょうけど……たとえブリタニアが小国のままであっても、血統的に結ばれることに意義はあると思わない?」
 「うーん……その話難しくてわからないわ。政治の話?」
 「歴史の話よ。ブリタニアからしたら政治の話かも。利害の一致は見込めるわ」
 「うーん……」
 「ティラナ、ほら、いってきて!」
 「えっ、あっ、むり! なに喋ったらいいかわからない! はじめてだもん! だーめ!」
 ティラナはマルカの背を突き飛ばした。そのせいでマルカは影となっていた柱から姿を現し、遠くで大人しく待っているシュナイゼル皇子の目に触れることになった。
 マルカは全身から衣服を剥ぎ取られたように恥ずかしくなった。引き下がれなくなりおずおずとシュナイゼルの方に進むと、彼は最初からそうすると決めていたのか膝を軽く下げマルカの手をとり甲にキスをした。男の子にキスをされたのは生まれてはじめてのことでマルカの体は瞬間冷凍された。
 「先日はありがとう。……顔が赤いね。ティラナ姫」
 「……っすー……」
 「どうしたんだい?」
 歯擦音が唇を震わせる。
 姿勢をまっすぐ正すシュナイゼル皇子は年下とは思えないほど落ち着いていて、間近にすればするほど双絶な美しさに目を奪われる。
 ――ま、まぶしいっ! まともに直視ができない!
 こんなことってあるだろうか。どこがとか、ここがとかではなく、全体的にきらきらしている。彼の周りに星の鱗粉が漂うようなそんな目には見えないエフェクトが見えるくらいに奇麗で、この顔を見慣れる人は地上には存在しないだろうと思った。
 ――おうじさまみたいだ。ううん、本当に皇子さまなのだけど……。
 誰かの特別な宝物を勝手に覗いているような後ろめたさ。マルカはますますティラナの言っていた話を思い返して疑った。
 ――婚約なんて。この年齢の子が考えるかしら。ううん、そもそも――申し込みをする方ではなく、受ける方なのではないかしら。
 ティラナにはたしかに誇れるところがある。この国の魅力だってあるかもしれない。だけど、シュナイゼルが直々にやってくるというのは俄に信じがたいことだ。
 ――そうだ。きっと、ティラナは……皇子さまのことを気に入ったんだ。でも今はマルカだと思っていて、だからティラナと一緒になるという小さな嘘をついているのだわ。
 シュナイゼルは微動だにしないマルカを眺めて微笑んだ。
 「あ……あの……なにか」
 「眠りの棘がまだ残っているのかと思ってね」 
 「えっ?」 
 ――歯の浮くような台詞だけど、皇子さまには似合っているし、その言葉をいわれて喜ばない乙女はいないわ。
 ティラナはいったい空港でなんて返したんだろう。難しいことをいって困らせたのではないか、それとも上手くいったから王宮にいらしてくれたのか。ううん、外遊ということははじめから会う約束はあったに違いないわ――マルカなりに考えて、いまいちどシュナイゼルのきれいな顔をこっそり見ると、彼はティラナが何かを話すのを待っている。
 「……今日のあなたは寡黙だね」
 「かもく……難しい言葉を知っていますね」
 「あなたほどではありません」
 ――ああ、どうしよう。頭も口も回るティラナなら長く会話を続けられるのに。おばかで困っちゃう。 
 このまま難しい質問などをされてしまった日には気づかれてしまう。一気に襲い来る不安にマルカは声が吃った。
 「ええと……えと、えっと……どっ、どうして……どうして……カストラリアへお越しいただいたのですか?」
 「おや」
 「え?」
 「……ふふ。伝わっていなかったのかな。先に文を送っておいたのだけれど」
 ――な……。そんなこと、しらない! どうしよう、助けてティラナ……!
 マルカは柱に隠れてにやにや笑っているティラナに心の中でヘルプを叫ぶ。
 ――他人事だと思って!
 どうしようもなくなりマルカは下手に出てシュナイゼルに尋ねた。
 「文……というと……私まだうかがっていなくて……」
 「そうなんだ……それじゃ、あの言葉はただの思いつきだったんだね?」
 ――あの言葉……? もしかして空港のお迎えの時に喋ったことだろうか。ああ! 聞いておけばよかった! でもそれって……。
 シュナイゼル皇子の目的はティラナの言った通りのことになる。つまり、結婚のお話である。マルカは両手で頬を押さえた。そこはじわじわと熱を持ちはじめていた。
 そして唸った。ほとほと自分の頭の出来の悪さに落ち込みそうになる。賢いティラナの言うことは大抵本当のことなのに。嘘をつかないのに。どうして信じなかったんだろう。出し抜こうとか貶めようとか、そんなことはあの子の中にはない。思った通りのことを口に出してしまうだけで。
 マルカの自信がなさすぎて、マルカが姫様だと思って尊重しようとして、ティラナは主張を譲ってしまうのだ。
 「思い出した?」
 「えっ……とぉ……」
 ――思い出せるわけがない。私はティラナじゃないもの。ティラナの知っていることを知るわけがないのだもの。
 「……別にいいんだ。挨拶みたいなものだから」
 「あっ……」
 シュナイゼルは困ったように眉を下げた。
 がっかりさせてしまう。そんなつもりじゃなかったのに。
 ――だ、だめ……。やっぱり、私じゃ……ティラナの代わりは……。
 拳を握りしめて、浮かんだ涙をこぼさないように目をぎゅっと瞑る。
 マルカのままならない様子に気づいたハーゲンが急いそと側にやってきた。
 「ひ、姫様!」
 「……ん? な、なあに……ハーゲン」
 「いっいえ……お茶をご用意いたしましたので、殿下とご一緒にいかがかと……」
 「……え、ええ! 行きましょうか……あ……」
 助け舟に感謝する暇もなく柱の影で手招きをするティラナにマルカは腰を落とし一礼する。
 「ちょっと用を思い出して……」
 「では、シュナイゼル殿下。ご案内いたしますので私と一緒に参りましょう」
  侍従長ハーゲンがシュナイゼルに手を差し出し、お茶の用意をさせてある場所へ連れて行った。マルカはシュナイゼルが完全に向こうに行ったのを確認してから素早くティラナのもとに戻った。
 「どういうこと?」
 「なにが? 姫様が困ってたから助け舟を出したのに」
 「それはありがたいけれど……ね、ねえ……空港のお迎えの時なんてお話ししたの?」
 「……んーなんだっけ……」
 「冗談はやめて! 思い出してよお! シュナイゼル様ががっかりしちゃったら……出来ないかもしれないのでしょ?」
 マルカの勢いに押されて、珍しくティラナはびっくりした顔をしている。そして、なにかを企んでいるときの悪い顔でにやっと笑った。
 「……姫様、お気に召しましたか?」
 「え?」
 「だって、姫様好みのお方ですもの」
 ――違う。違う。それは、ティラナ、あなたの好みなのに。どうして、こんなにも忘れてしまったのだろう。どうしたら思い出してくれるのだろう。私にはなにが出来るのだろう。このままずっと、永遠に、忘れたままなのだろうか。そうなったら、この国は大変だ。

 ――このままの姫様じゃ……私が姫様なんてだめ……どうしたら……。

 あの聡明なうつくしい皇子さまがそばにいてくれたら、姫様はやる気を出してくれるだろうか。
 もしくは、ずっと入れ替わってほしいと頼んでしまうとか。――なんて不埒な妄想だろう。
 ――でも、姫様はきっと、皇子さまが好きだ。それはわかる。空港でお話ししているとき、お声が弾んでいてとっても楽しそうに見えたのだもの。
 マルカがそのあと、お茶を用意したというサンルームに向かうとそこにはシュナイゼル皇子はいなかった。
 ハーゲンが先に待っていて「殿下は温室のほうに向かわれました」と教えてくれた。ティラナとハーゲンは事前に取り決めていたのか、たしかに別れ際急ぎ足でどこかへとすっ飛んでいく姿を見送った。
 「ティラナのところへ行ったのね?」
 「左様でございます。姫様はいつもこの時間は温室の様子を観に行かなければならない≠ニ申し上げたところ殿下が迎えにいくと仰って。……お疲れ様でございました、マルカ様」
 「ありがとう。……私じゃやっぱり、難しいわ。この影武者は……姫様が研究をしている間とか、もっと大変な時に……私が……」
 侍従長ハーゲンはマルカの側で身を屈め、その少女の目線に合わせて励ましの言葉をかけた。
 「そのような事を仰らないでください。……もっとご自分を大切にしてもよいのです」
 「……天国があるとしたら、ここの生活のことよ。国王陛下に、王后陛下に感謝しています。……まえの私は、もっと醜くて……人とお喋りなんて……」
 「ええ」
 「体中の酷いケロイドを治すのだって、姫様の研究のおかげだって聞いたわ。見違えるほどきれいになって……びっくりしちゃった。だから……私は……姫様のためならなんでもします。……でも、姫様は……」
 ハーゲンが目を伏せる。彼もマルカも同じ悩みを持ち、将来を憂いた。
 「もしもね、ハーゲン。姫様とシュナイゼル様のご婚約が本当になったら……本当のことをお話しすべきだわ。国王夫妻はいけないことだと、おっしゃっても……」
 「マルカ様……」
 「結婚したら、家族になるのよ? 家族に嘘を突き通せると思う?」
 マルカは家族に裏切られたことがある。それがいかに心と体を傷つけるかをよく知っていた。
 

 目が覚めると見知らぬ天井だった。白とミントブルーの天井の模様は装飾的で小花の散らした女性向けのもので柔らかな風合い。大きな窓からは西日の鋭い光がレースカーテンに遮られ、絨毯の上に細やかな影が落ちている。
 ティラナの――影武者マルカは長い眠りを終え凝り固まった体をなんとかずらしあげ身を枕に凭れさせた。両手を見下ろせば繊細な女性の手、ネグリジェから伸びる足は白く――記憶の中にある十二歳の体よりも成長している。それが妙な違和感をもたらし、まるで自分の体ではないように感じた。爪は丁寧に切りそろえピカピカに磨かれ、髪の毛からもふんわりといい匂いがした。眠りの間、きめ細やかな手入れが行なわれていた証だった。
 今が何年の何月なのかこの部屋のベッドの上ではわからない。たくさんの敷き詰められた枕に体を預けて、瞼を閉じると部屋の扉のゆっくり閉まる音がした。ティラナの婚約者だった。立派な上背には昔のような豪奢なお洋服ではなく、シャツにカーディガンとスラックスといったかなり身軽な服装で。それでいても彼の美しさは衰えるどころか輝きを増している。
 「目が覚めたんだね」
 「ここ……は……」
 「ティラナの部屋だよ。火災で燃えたから綺麗に直してある」
 ――火災――。その単語が、マルカの古びた記憶の錠前をガタガタと揺する。思わず自分自身の体をぎゅっ抱きしめた。大火傷をした事を思い出したからだ。
 「安心して。まだ半日だから、それほど時間は経っていない」
 シュナイゼルはベッドの脇にある椅子に腰を下ろした。彼の脚はどれだけ深く座っても余るほど頗る長いから、その椅子が子供用の安物に見える。マルカははっとして身を起こし、シュナイゼルの方に身を寄せその腕を掴んだ。
 「ティラナ……ティラナは……!?」
 「その話をこれからするよ。……入ってきていいよ、二人とも」
 二人と呼ばれ、ティラナの部屋に入ってくるのは侍従長ハーゲンと女官長レルヒだった。ハーゲンは白の手袋をはめた手を広げて、シュナイゼルを部屋の外に誘うようなジェスチャーをした。
 「……殿下、その……ベルケス公爵がいらしております」
 「ベルケス公爵が? 今日は会う予定ではないはずだけど。……ご覧の通り人に会う格好ではないし」
 「それが……告発文が届いたそうで。軍警察の集収した目撃例もあり……どうなさいますか」
 シュナイゼルは「やれやれ」といって、椅子から立ちあがった。
 「彼は信用できるかな? どう思う。君の話では彼女に手当てを施したのは公爵の部下だと聞いたが」
 「はい。それもベルケス公爵は仰っています」
 「安置室のことを伝えないようにと命じたのは私だ。……恨まれているかな?」
 「殿下……」
 シュナイゼルは体を折り、マルカに向けて言う。
 「すまない、少しだけ公爵と話すよ。それが終わったらちゃんと説明をしてあげよう」
 「待っていて」と言い残してシュナイゼルはティラナの部屋を出た。
 マルカには何もわからなかった。うつくしい皇子さまはすっかり大人のように成長しているし、侍従長のハーゲンも老けて白髪交じりだし、女官長だっておなじだ。
 やがてシュナイゼルはベルケス公爵と話をつけて、ティラナの立派な部屋に招き入れた。マルカを除いて四人がこの部屋に入りきり、ベッドの周りを取り囲んだ。四人はそれぞれ顔を見合わせ、誰が最初に口を切るかを空中でやり取りした。そしてハーゲンが一つ頷いてマルカに語りかけた。
 「……姫様、いえ……マルカ様。今はあなたがお眠りになって、六年後の二〇〇六年でございます」
 「ろ、六年!? そんなに眠っていたの」
 「はい。そして……あの、血液の遺伝子解析の結果ですが……」
 「……そう……私をそう呼ぶということは、確定したのでしょう?」
 「……ええ。左様にございます。マルカ様の仰ったように、あの夥しい血液の主は、ティラナ様ご本人に相違ありません」
 「やっぱり……あれは夢じゃなかったのね」
 「夢というと……?」
 侍従長ハーゲンは囁くように訊いた。
 「ティラナは……私をみて……驚いていた……それから気が触れたように……おかしくなっちゃって……そのままどこかへ行ってしまった」
 マルカは四人の顔を順番に見回した。
 「ティラナは……どこ? ずっと王宮にいたのでしょう? どうしていないの? なにか気に障ることを言ったのね?」
 「違うのです。……みな、あなた様を姫様だと思っていたのです」
 いくら頭の回りの鈍いマルカであっても、その言葉がどのような意味なのか、すぐにわかった。そしてとてつもない怒りが突如として噴き上がる感覚を抑えようと拳を強く握り込んだ。
 「どうして!? ハーゲン、あなたなら見分けられるでしょう!? できるはずよ! ずっと私と姫様をみていたんだから! すぐに遺伝子解析にかけなかったの?!」
 侍従長ハーゲンの頭の中には様々な理由が浮かんでいて、それを一気に説明することと、このマルカの状態で教えて良いことかどうかを迷った。
 「それが……その……」
 困り果てるハーゲンに代わり、今度はその隣に立っていた長身の鋭い目つきを持つベルケス公爵が礼儀として礼をとった。
 「マルカ様。私はベルケス公爵です。覚えていらっしゃいますか」
 「あなたは……ティラナの叔父上ね? 存じ上げております」
 「はい。私はあの火災……クーデターの際、救援に馳せ参じようと王宮を捜索しておりましたところ、私の部下が一足先にあなたを助けていたのです」
 「私は……あの時……たしか……撃たれたはず……」
 「そうです。頭部を撃たれ……瀕死の状態にありました。止血を行い、最寄りの大学病院へ搬送し、集中治療室で一命を取り留めたのでございます。……そして、クーデターから翌日の晩に、シュナイゼル殿下がブリタニアから我が国にご到着され……。あなた様の身を病院から王宮へ移されましたので……その後の経過を心配しておりました」
 じわじわと蝋が火の熱に炙られ融け出していくように、当時すべてのリソースがマルカ自身に注がれてしまったがゆえに、ティラナがその間、どこへ行ってしまったのか、恐ろしい想像とその予感が迫ってくるのに耐えきれず叫んだ。
 「……ティラナはその間……! どこにいたの……ッ!」
 四人は各々それらしい表情でマルカの叱責を黙って受け容れた。
 マルカはまずシュナイゼルを睨んだ。彼には何の落ち度もなかった。秘密を知らなかったのだから。それにブリタニアからカストラリアまでの移動には十三時間ほど必要なことを知っていた。翌日の夜に到着したということは、クーデターの報が入って早々に着てくれたということになる。
 次にベルケス公爵を睨んだ。もちろん彼も秘密を知らなかった。気の回しようがなく、マルカをティラナだと思い迅速に対応し救命行動に取り組んだ。女官長レルヒを睨む。彼女は秘密を知っていたが、ハーゲンほど密に接する相手ではなく、どちらかといえばティラナの研究や公務の方のサポートをいつも行っていた。
 最後に、侍従長ハーゲンを睨みつけた。彼はもっともふたりの王女に近い存在だ。秘密を知り、国王夫妻からの信頼も篤く、なによりふたりを見分けることができた。
 「どこにいたのよ!? ハーゲン! ねえ、ハーゲン! どうして……ッ」
 「集中治療室にいらっしゃったマルカ様は……頭や顔全体に……包帯姿でありましたので……私の目だけでは、判別つかなかったのでございます」
 「それって……その姿を……姫様だと信じていたのだとしたら、私は……マルカのことはどうでもいいと思っていたの?!」
 「そ、そのようなことは決して……! 断じてございません! 捜索をさせました! それが……発見できず……」
 「……この国は、……どうなるの……どうなるのよぉ……」
 顔を手で覆い、身を丸めるマルカに誰も言葉をかけられなかった。
 「ティラナは……きのう……いたんでしょう? 何をしに来たの? どうして保護しなかったの……私が眠っていたから? ティラナとは会ったんでしょ……会えなかったの?」
 シュナイゼルが他の三人を手で制し答える。
 「会ったよ。昨日はちょうどティラナの誕生日だったから……王宮の晩餐会に現れてね」
 「疑っていたのね。みんな。みんな、疑っていたのね?」
 マルカはゆっくりと顔をあげ、赤くなった眼をシュナイゼルに差し向ける。
 「ティラナはどうして……その、晩餐会にきたの?」
 「わからないんだ、まだ」
 「……ティラナはなんで、おかしくなったの?」
 「ティラナはどんな風だったのかな。……おかしいって、たとえば?」
 「……叫んでた。なにかに怯えているみたいに。私が伸ばした手を拒んで、泣いて、叫んで、血を吐いて……それからどこかへ」
 シュナイゼルを除いて三人は一様に顔を顰めた。
 「ティラナはどこに行ったの?」
 ティラナの行方の問いが空気に漂い流れていこうとした時、それまで黙っていた女官長レルヒが説明を始めた。
 「……今朝捜索と目撃情報を近隣住民への聞き取りを行いましたところ……不審な人物の目撃例があったとのことです」
 「不審な人物?」
 「早朝の除雪作業を行うために外に出ていた者によりますと、グレートストリートにて飲んだくれが騒いでいると思い注意しようとしたところ……男数人がかりがトラックに押し込みその場から去ったと……。ああ、監視カメラの解析は今やらせておりますわ、殿下」
 思わずシュナイゼルは微笑んだ。女官長レルヒはシュナイゼルが質問攻めにする箇所を心得ていた。
 「さすがだよ、レルヒ」
 女官長アグネス・レルヒは元陸軍警察出身のキャリアを活かし登用された本職の人間だ。軍警時代は不正経理や軍物資横流しの調査チームに所属し、組織内の監査官を務めていた。宮廷周辺のスパイ摘発、警護任務の調整役などを経て地道に王室からの信頼を獲得し十年前から王宮女官長職に就いている。
 女官長レルヒはベルケス公爵が持ってきた新情報について彼ではなく、この際自分自身が話したほうが手っ取り早いと考え断りをいれた。
 「公爵、僭越ながら私から……」
 「はい。もちろん」
 「昼頃、一通の投書が首相官邸に届けられました。匿名でありますが……ティラナ王女らしき者が郊外のあるビルで拉致監禁されていると」
 マルカが悲鳴まじりに叫んだ。
 「監禁……!?」
 「匿名の差出人の検証はもちろん始めています。実行部隊を組織させ調査を行うことも可能です……」
 ベルケス公爵に対して慎重な態度を崩さなかったシュナイゼルが得心がいったのか柳眉を下げた。
 「なるほど。ベルケス公爵がわざわざいらっしゃったのは、そういう理由でしたか」
 「信用いただけますかな、殿下」
 「……疑って悪かったよ。あなたには六年間私を支えてきてくださった実績があります」
 女官長レルヒが続ける。
 「六年前の王宮火災、いや、クーデターは地下組織アルド・マリーニの仕業と考えられていますが……今回その匿名の告発文を受けて考えを変える必要があるかもしれません。護国自警会……という王政支持組織が所有するビル群なのですよ、そのビルとやらは」
 「なんですって?!」
 それは王政を支持する組織の管理する不動産内であったため侍従長ハーゲンは酷く取り乱した。女官長レルヒは毅然とした態度で事実を列挙した。
 「強制捜査をかけるには、警戒させる可能性もあります」
 「指を咥えてみていろと!?」
 「しかし……それがこの国の法です。万事必要な手続きと然るべき事由を持たない場合、捜査に対する拒否権がある。それに拉致監禁されている者が王宮にいるはずの王女です。不信感を与えます。今のところ一件の匿名通報であり、根拠も薄い。むしろ反王党派による陽動作戦の一環――偽装工作の可能性すらあります」
 「殿下……どのようにいたしましょう」
 侍従長ハーゲンがシュナイゼルを窺い見る。なにか決断を下さねば状況は膠着する。ティラナは血を吐き複数の怪我を負っていてさらに錯乱状態にあって、この寒空の一夜をどこかで過ごした。今朝、この首都内で死体があがっていないだけで安心には程遠い。何もかも頼りない情報ばかりで、勝敗でいうならかなり敗けている。
 「覆面捜査をさせよう」
 「……承知いたしました。殿下」
 女官長レルヒが頷いた。
 「ビルはすべて王党派の組織のものなのかい」
 「はい。元々刑務所だったところを収容所とし、六年前のクーデター時には都市部の避難民のために開放されていました。収容所というのは三六代国王治世の名残で多くの政治犯を収容するための施設だったようです」
 「……六年前の、避難民……もしかするとティラナはそこにいたのかもしれないね」
 マルカを含めて四人の八つの瞳がシュナイゼルに向けられる。
 女官長レルヒが短くはっきりと肯定する。
 「ええ。十分あり得ます」
 「捜査する意義は十分あると思うよ」
 シュナイゼルは女官長の肩越しに、窓の奥、早い冬の暗がりに差し掛かる空の色を見つめた。



17
午前四時の異邦人
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